サウジアラビア首相として事実上指導者の地位にあるムハンマド・ビン・サルマン皇太子。
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アメリカの企業と中東諸国の取引先との関係に動きが出てきた。
米ワシントン・ポスト(Washington Post)の著名コラムニストでサウジアラビア人ジャーナリストのジャマル・カショギ氏がトルコ・イスタンブールのサウジ領事館で殺害された事件(2018年10月)から4年半の月日が流れ、エンターテインメント関係者の間では、滞っていたビジネスをそろそろ動かしてもいい時期に来ているとの見方が広がっている。
すでに、サウジアラビアのリヤド、カタールのドーハ、アラブ首長国連邦(UAE)のアブダビといった湾岸諸国の首都では、投資機会を求めてやって来るアメリカ人経営者が後を絶たない状況だ。
台湾問題をめぐる中国との関係の冷え込み、連邦準備制度理事会(FRB)の利上げによる金利の上昇、スポーツ界に大金をばらまいて派手な宣伝を繰り広げていた暗号通貨取引所大手FTXの破綻など、アメリカのメディア業界には逆風が吹き荒れており、投資家は機会を求めて新たなルートを開拓せざるを得ない現実がある。
ネットフリックス(Netflix)は今年1月、オリジナル初となるサウジ映画「アルハラート(AlKhallat)+」を配信。デジタルメディアのマッシャブル(Mashable)は「ストリーミングプラットフォームにおける中東映画の夜明け」と絶賛した。
同月、ワーナー・ブラザーズ・ディスカバリー(Warner Bros Discovery)傘下のCNNは、スカイニュース・アラビア(Sky News Arabia)に出資するアブダビの民間投資会社インターナショナル・メディア・インベストメンツ(IMI)と提携し、CNNビジネス・アラビック(CNN Business Arabic)をローンチさせた。
IMIはまた、米プライベートエクイティ(PE)ファンドのレッドバード・キャピタル(RedBird Capital)とも組んで、ジョイントベンチャーのレッドバードIMIを設立。
NBCエグゼクティブプロデューサーやCNN社長などメディア企業で要職を歴任したジェフ・ザッカーを経営トップに据え、10億ドル規模の資金を用意してメディアおよびスポーツ関連企業の買収を進めている。
サウジアラビア政府系のパブリック・インベストメント・ファンド(PIF)が出資するLIVゴルフ(LIV Golf)は、全14大会を運営する新たなゴルフツアーを創設。
2001年の米同時多発テロの犠牲者遺族や、サウジの長年にわたる人権侵害を批判する活動家グループなどが抗議する中、LIVゴルフはネクスター・メディア・グループ(Nexstar Media Group)傘下のCW Network(シーダブリュー・ネットワーク)と複数年契約を結び、トーナメント中継は結局全米で放送されることになった。
旅行先やロケ地としての躍進狙うサウジ
サウジアラビアの視線はいま、原油価格の高止まりによる猛烈な収入増を追い風に、経済の多角化を進めることに注がれている。
その取り組みの最前線を担うのが、世界最大級の政府系ファンド、パブリック・インベストメント・ファンド(PIF、前出)だ。資産残高は約6200億ドル。ブラックストーン(Blackstone)やソフトバンク・ビジョン・ファンド(SVF)、ウーバー(Uber)などに投資する。
多角化の未来を担う有望分野と期待されるのが「観光」だ。
サウジは文化や経済の改革を積極推進する姿勢を世界に向けてアピールし、誘客につなげようとしている。
具体的には、女性の自動車運転の解禁、レストラン・カフェなどの男女別エントランスを撤廃、さらに、女性のパスポート(旅券)取得および国外旅行に必須だった男性後見人の許可が不要になるなど、女性の権利改善を一つの柱とする社会改革が2018年頃から進む。
また、ロサンゼルス・タイムズ(Los Angeles Times、4月2日付)が報じたサウジ当局の2018年時点の発言によれば、エンタメ関連のプロジェクトやイベント向けに640億ドル、映画向けに1000万ドルを拠出する計画が用意されているようだ。
カショギ氏殺害事件の半年前、サウジのムハンマド・ビン・サルマン皇太子はそれらの取り組みのプロモーション役を買って出て、自らロサンゼルスを訪れている。
事件発生後には、タレント・アーティストエージェンシー大手エンデバー(Endeavor)が4億ドルの投資資金をPIFに返還する形で抗議を示したのを筆頭に、アメリカの他のメディアやエンタメ企業もサウジでの活動を取りやめた。
しかし、今日に至って資金の流れは回復し、その受け取り手にももはや事欠かない状況がある。
サウジのカルチュラル・ディベロップメント・ファンド(CDF)はこの3月、同国の映画セクターの発展に寄与する国内外の企業に総額2億3300万ドルの資金を提供するプログラムをローンチさせた。
サウジ以外にも少し触れておくと、たび重なる番狂わせや最優秀選手に輝いたメッシ選手の活躍などで世界的に大きな盛り上がりを見せた「FIFAワールドカップカタール2022」の開催国カタールは、スタジアムや地下鉄の建設、道路拡張などの工事を担った外国人労働者の待遇や労働環境に欧米メディアからの批判が集中したものの、あらゆる手段を弄して結果的にはイメージアップに成功している。
オイルマネーの供給元
以下では、アメリカのメディアやエンタメ企業に資金を提供している中東地域の上位3カ国、サウジアラビア、カタール、アラブ首長国連邦(UAE)の主要な事業体について、オーナーや経営幹部、注目の投資案件や合弁事業を紹介しよう。
サウジアラビア
「パブリック・インベストメント・ファンド(Public Investment Fund、PIF)」は、資産残高約6200億ドルのソブリンウェルス(国家の金融資産を積極運用する政府系)ファンド。国営石油会社サウジアラムコ会長、英プレミアリーグ・ニューカッスル・ユナイテッド会長も務めるヤセル・ルマイヤン氏が総裁を兼務。
2021年10月、4億900万ドルでニューカッスル・ユナイテッドを買収(PIF主体のコンソーシアムによる100%の所有権買収で、PIFの持ち分は80%)。
アメリカのメディア・エンタメ企業については、2020年4月にコンサート検索エンジン・プロモーター世界最大手ライブネーション(Live Nation)の発行済み株式約6%を5億ドルで取得。
2022年6月には、PGAツアーと競合する男子プロゴルフの新たなツアー「LIV招待」シリーズを開設し、世界中で大きな話題となった。2023年シーズンは全14大会を開催予定。主催のLIVゴルフは、メジャー2勝含む米ツアー20勝のレジェンド、オーストラリアのグレッグ・ノーマンが最高経営責任者(CEO)を務める。
「MBC(エムビーシー)グループ」は、サウジアラビア政府が発行済み株式の60%以上を保有する放送局。中東・北アフリカ地域で最大規模のメディア企業とされ、カタールの「アル・ジャジーラ(Al Jazeera)」と並ぶ有力ニュース専門チャンネル「アル・アラビーヤ(Al Arabiya)」を運営。
現在はUAEのドバイに本拠を置くが、サウジの首都リヤドへの移転で同国政府との合意に達したとの報道もある。
総合エンタメコンテンツを扱う動画配信サービス「シャヒード(Shahid)」も運営し、中東・北アフリカ地域に限定した会員数ではネットフリックス(Netflix)を上回るという。
創業者兼会長はサウジの実業家ワリード・ビン・イブラヒム・アル・イブラヒム氏。
2005年から同社最高執行責任者(COO)、2011年からCEOを務めるサム・バーネット氏は、2019年に一度退任したものの、翌年には再登板を果たしている。
デジタルメディア運営大手アンテナグループ(Antenna Group)の経営幹部、NBCユニバーサル・インターナショナル(NBCUniversal International)社長などを歴任した後、MBCのマネージングディレクターに迎えられたピーター・スミスは今年1月に退任。後任にはアマゾン・スタジオ(Amazon Studios)元幹部のクリスティーナ・ウェインが就いた。
「サウジアラビア・リサーチ・アンド・メディア・グループ(SRMG)」は、中東地域の大手総合出版社。首相として事実上サウジアラビアの指導者の地位にあるムハンマド・ビン・サルマン皇太子およびサウジ政府との関係は密接。
ジュマーナ・アル・ラシードCEOは、紅海(Red Sea)国際映画祭財団の会長も兼務。ジョニー・デップ主演の最新作『ジャンヌ・デュ・バリー(Jeanne du Barry)』には共同プロデューサーとして参加する予定。
2022年12月にサウジ第2の都市ジェッダで開催された第2回紅海国際映画祭には、女優のシャロン・ストーン、シンガーソングライターのブルーノ・マーズ、映画監督のルカ・グァダニーノら大物が顔を揃えた。今年11月には第3回が予定されている。
老舗エンタメ業界誌「バラエティ(VARIETY)」や音楽情報誌「ローリングストーン(ROLLING STONE)」を発行するペンスキー・メディアはSRMGから出資を受けている。
ビンス・マクマホン会長率いる世界最大のプロレス団体WWEは、2018年から興行を続けるサウジイベント界のパイオニア(なお、WWEは最近、米総合格闘技イベントUFCと合併。UFCの親会社はカショギ殺害事件後にサウジに投資資金を返還したエンデバー)。
WWEは、サウジアラビアのエンタメセクター規制当局「ゼネラル・エンターテインメント・オーソリティ(General Entertainment Authority)」と2027年までの協業に合意済み。大規模イベントを毎年開催する計画。
カタール
首都ドーハに本拠を置くカタールの政府系ファンドは「カタール・インベストメント・オーソリティ(Qatar Investment Authority、カタール投資庁)」。
最高経営責任者(CEO)はカタール博物館CEOやカタール開発銀行CEOなどを歴任してきたマンスール・ビン・エブラヒム・アル・マフムード氏。
最近の投資先は、米メディア大手ニューズ・コープ(News Corp)元社長兼CEOのピーター・チャーニン氏とプライベート・エクイティ(PE)ファンドのプロビデンス・エクイティ(Providence Equity)が組んだ「ザ・ノース・ロード(The North Road)」に1億5000万ドルを提供。
「ビーイン・メディア・グループ(beIN Media Group)」は、中東地域や欧州など向けのスポーツ・エンターテインメント専門局。2014年設立。会長は仏サッカーリーグ・アンの強豪パリ・サンジェルマン(PSG)会長のナセル・アル・ケライフィ氏。
「ドーハ・フィルム・インスティテュート(Doha Film Institute)」は、カタールの映画産業の発展に注力する。2010年設立。創業者兼会長はカタール首長の妹シェイカ・アル・マヤッサ・ビント・ハマド・ビン・ハリーファ・アル・サーニー。カタール美術館の創立者でもある。
アラブ首長国連邦(UAE)
UAEは、欧米企業を積極的に受け容れてメディアおよびエンターテインメントのハブとしての地位を確立すべく各種取り組みを加速している。
「アブダビ・インベストメント・オーソリティ(Abu Dhabi Investment Authority、アブダビ投資庁)」は、2008年から米ハリウッドのスタジオとパートナーシップを組、プロジェクトを進めてきた。
放送局や映画会社、映像プロダクション向けの経済特区「ドバイ・スタジオ・シティ」ではこれまで、『スター・トレック BEYOND』『ミッション・インポッシブル』などの大作が製作された。
同様の経済特区でスタジオ・シティより早くに設立された「ドバイ・メディア・シティ」には、ナショナル・ジオグラフィック(National Geographic)やBBCなどの世界的メディア企業が制作拠点を置く。
民間投資会社「インターナショナル・メディア・インベストメンツ(International Media Investments、IMI)」は、有力英字紙ナショナル(The National)やCNNビジネス・アラビック(CNN Business Arabic)、スカイニュース・アラビア(Sky News Arabia)やユーロニュース(Euronews)に出資。
スカイニュース・アラビアCEO、ロイターのテレビ部門責任者を歴任したナート・ブーランが経営トップを務める。
米政治ニュースサイトのグリッドニュースに出資(既出、なお同社はニューススタートアップのメッセンジャー[The Messenger]に買収され、新サイトを準備中)。
米プライベートエクイティ(PE)ファンドのレッドバード・キャピタル(RedBird Capital)、CNN元社長のジェフ・ザッカーと共同でレッドバードIMIを設立し、投資先を模索している。
なお、IMIの親会社は同じく投資会社の「アブダビ・メディア・インベストメント(Abu Dhabi Media Investment Corporation)」。
オーナーはアブダビの王族でUAE副首相のシェイク・マンスール・ビン・ザーイド・アル・ナヒヤーン。英プレミアリーグ、マンチェスター・シティのオーナーとして世界中のサッカーファンに知られる人物だ。