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今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
商社の中でも勢いがあるのが伊藤忠商事。学生の人気就職ランキングでも常に上位にランクインしているほか、2021年度には時価総額や連結利益で財閥系の三井物産や三菱商事を超えました。その強さの秘訣を、入山先生は「繊維問屋から始まった会社ことが大きい」と説明します。どういうことでしょうか?
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なぜ伊藤忠は財閥系商社に勝てたのか
こんにちは、入山章栄です。
僕は日本経済新聞で書評の仕事をしていますが、先日、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』という本について書いたばかりです。伊藤忠、いま注目されていますよね。短い文字数の書評では書ききれなかったことも多いので、今回は伊藤忠の強さについて詳しくお話ししたいと思います。
BIJ編集部・常盤
伊藤忠といえば、三井物産や三菱商事と同じ総合商社ですね。
そう、商社では財閥系の三井や三菱が強いイメージがありますが、伊藤忠は2021年度に、なんと財閥系を押さえて時価総額も連結利益も1位になったんですよ。
もともと大阪の小さな繊維問屋から始まった伊藤忠は、財閥系とは全然スケールが違う。ところがその伊藤忠が、ついに三井や三菱を抜いてしまった。日経新聞で僕が紹介した本は、その理由をノンフィクション作家の野地秩嘉さんが書いたものです。
BIJ編集部・常盤
伊藤忠は学生の就職先としても人気ですよね。私が見たランキングでは人気第1位に燦然と輝いていました。
特に東大生とか、比較的偏差値の高い大学を出ている人たちのランキングでも、マッキンゼーやボストン・コンサルティング・グループなどと肩を並べていますからね。商社では伊藤忠だけですよ。
野田さんが就職活動をした頃は、伊藤忠の人気はどうでしたか?
BIJ編集部・野田
僕が就職活動をしていたのは7年前ですが、やはり商社は人気があって、友達はまさに三菱商事や三井物産に就職していました。でも伊藤忠は、いまほど注目されていなかった気がします。
BIJ編集部・常盤
伊藤忠の飛躍のきっかけは何だったんですか?
はい、では今回は伊藤忠の飛躍や強さの源泉を解説しますね。僕から見ると、少なくともポイントは5つあります。中でも、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』でも指摘されているものが大きく4つ、そして最後に、僕がオリジナルで強調したい大事な点を解説しましょう。
第一に、伊藤忠の成り立ちがあります。伊藤忠は三井、三菱とは成り立ちからして異質なんですよ。
まず、三井物産の祖である三井家は、もともと三井高利という商人が江戸時代に始めたので、明治維新のときにはすでに大きな組織になっていました。三菱は政商の岩崎弥太郎が始めたので、最初から政界と縁が深い。
つまり三井や三菱の特徴は、「最初から政治に食い込んでいた」ということ。昔からいわゆる重厚長大産業に必要な、鉄鉱石や石油など資源の輸入を手がけていました。だから今でも三井物産と三菱商事は、いわゆる資源分野に強い。ということは規模が大きい取引になるので、ビッグビジネスになるんですよ。
他方でその弱点は、資源マーケットの変動に大きく揺さぶられることです。2021年に伊藤忠が時価総額や連結利益で1位になったのは、資源価格が安くなっているときでした。2022年度は三井・三菱が逆転したのですが、これはウクライナ情勢などの影響で世界的に資源の価格が高くなったからです。そうなると三井・三菱は勝手に儲かるようになっている。
一方、伊藤忠は伊藤忠兵衛さんという人が、安政5年(1858年)、つまり明治維新の直前に近江で始めた繊維問屋です。ポイントは鉄鉱石や石油ではなく、繊維から始まっていること。そのあと会社が大きくなっても、伊藤忠は資源を扱う大きな取引に入れない。しかしだからこそ、コツコツと生活全般品を扱ってきたんですね。それが特徴です。
だから伊藤忠は今も繊維・アパレルに強くて、実は今のアパレルブランドや生活関連品の店には、伊藤忠の資本が入っているところがたくさんあります。例えば「ポール・スミス」も「デサント」も伊藤忠ですし、コンビニの「ファミリーマート」も伊藤忠のグループ企業です。
もっとも伊藤忠も戦後の一時期、資源に手を出したこともありますし、バブル期に不動産投資に手を出したこともあります。でも結局、失敗してしまった。そこで原点に戻って、コツコツといろんなことをやってきた。でもだからこそ、生活品全般の間にシナジーが生まれる。それが今の伊藤忠の強さの一つなんです。
従業員を大事にする伊藤忠の伝統
第二に、現在の伊藤忠の強さの源泉の一つは、今の会長の岡藤正広さんが社長だった頃にさまざまな改革をしたことです。それはおそらく創業者の伊藤忠兵衛さんがしていたことと、本質的に変わっていない。これは野地さんも本で強調されていることで、いわゆる「マーケットイン」の発想で、常にお客さんのニーズを聞くこと。これは商売の基本ですよね。でも会社によってはできないことも多い。伊藤忠はマーケットインの徹底化がすごいのです。
第三は、岡藤さんの言う「か・け・ふ」。これは「稼ぐ・削る・防ぐ」の頭文字をとったものです。「稼ぐ」はお金を儲けること、「削る」はコストを抑えることですが、特に大事なのが「防ぐ」。商社はいろいろな投資をするので、リスクが高い。そのリスクを可能な限り防ぐ仕組みをつくる。例えば契約の仕方を工夫するとか、一社でなくて複数社でやるとか、そういうふうにリスクをとりながらも最悪の状態を防ぐことに留意する。
そして第四が、従業員を大切にすること。例えば伊藤忠も、昔は残業が多かったんですが、岡藤さんが「早く帰って家庭を大事にしなさい」と言い出した。でもそれでは労働時間が短くなる。だから「朝、早く来なさい」ということになった。
でも早起きするにはインセンティブが必要です。そこで素敵なカフェテリアで無料の朝食を食べられるようにしたり、「朝活」といって、ゲストを呼んで講演を行ったりするようにした。しかも早朝は給料が1.25倍になるんですよ。ちなみに僕も、この朝活で講演させてもらったことがあります。
託児所も整備しているし、伊藤忠の「社内出生率」はなんと1.97と、日本の出生率1.30を大きく上回っているんです。しかも従業員が途中で亡くなったら、お子さんが大学院を出るまでの教育費を全額サポートするというから驚きです。
『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』の著者の野地さんいわく、従業員を大切にしていたのは伊藤忠兵衛さんも同じで、従業員たちに、当時たいへんな高級品だったすき焼きを月に何回もふるまっていたそうです。
なぜ若者は伊藤忠を選ぶのか
では、いよいよ最後、僕がオリジナルで指摘したい第五の点です。なぜ伊藤忠は強く、学生から人気なのか。僕は正直いって「ザ・大手」よりも、伊藤忠のほうが元気があると思います。社員の方も、いい意味でやんちゃな方が多い印象です。僕はその最大の理由は、「もともとが繊維商社だからこそ、元気な人が育つから」だと思っています。
BIJ編集部・常盤
どういうことでしょうか。
つまり、先にも述べたように、三井や三菱は資源など大きいビジネスをしていますよね。それに対して伊藤忠は始まりが繊維問屋で、いまだにアパレルとか生活関連用品とか、言葉は悪いですが「ちんまりしたもの」が多い。でも金額が小さいから、現場の若い社員が決裁権を持てるのです。僕から見て、ビッグ2との最大の違いはそこです。
商社の仕事って、まさにビジネス全般でしょう。世界中を駆け巡って、情報を仕入れて、いろんな人と交渉して、契約して、そのあとも見守って、トラブルがあれば解消する。そのつど意思決定を迫られるわけです。それが社員の成長につながる。伊藤忠だと若手のうちから、それができるんです。
ところが三井や三菱のように「石油プラントをつくります」というような数千億円の案件を扱っていると、役員クラスまでいかないと決裁権が持てない。つまり若手のうちに、切った張ったの意思決定をする機会に恵まれにくいのです。
これからは、答えが分からないなかでも、自分の責任で決断を下さなければいけない時代です。伊藤忠では20代のうちからその経験ができる。だから人気があるのだと思います。
住宅設備のSPAをしているサンワカンパニーという会社が大阪にあります。サンワカンパニーの山根太郎さんという社長は、お父さんの跡を継いでいま大成功している人ですが、彼は伊藤忠出身です。なぜ伊藤忠に就職したかというと、そもそも「起業家になりたかった」から。
起業家になるためには、意思決定の経験を持ちたい。山根さんも伊藤忠で、若いうちからガンガンいろいろなことをしました。たまたまお父さんが病気になってしまったので家業を継いだけれど、結局そこでもスタートアップ的に、「住設のユニクロ」としてサンワカンパニーを生まれ変わらせ、成功させた。これも伊藤忠時代にそういう経験を積んだことが大きい、とご本人から聞いたことがあります。
もちろん、三菱商事や三井物産もとてもいい会社ですが、伊藤忠と比べると、本当に責任のある意思決定は、若手のうちは伊藤忠ほどには経験できないはずです。そういう会社に行くと、若手のうちにエクセルのピボットテーブルやパワポの資料をつくるのはうまくなるかもしれませんけどね。そう考えると、伊藤忠の社員が元気なのも、就職で人気があるのも、納得できるのではないでしょうか。
BIJ編集部・常盤
伊藤忠の強さの源泉はそこですね。学生からの人気の理由もよく分かりました。ありがとうございました。
編集部より:初出時、岡藤正広氏の氏名に誤りがありました。お詫びして訂正いたします。 2023年4月7日 15:00
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。