金曜日の終業後、10年来の友人たちとビールを楽しむカミラさん(右)。待ち合わせ時間は午後4時45分だ。
撮影:井上陽子
この連載ではしばらく、デンマークでの働き方を取り上げている。デジタル庁の局長が午後3時半すぎに職場を出て子どものお迎えに行くだとか、デンマークに来て働き方を大きく変えた日本人といったケースを紹介したが、「独身の人はどうなの?」という質問もいただいた。
お答えすると、独身の人も、子育てしている人とほぼ同じです。子どもを迎えに行かない分、1時間くらい長く職場に座ってるかもしれないけれど、それでも午後5時までには会社を出て、それぞれ好きなことに時間を使っています。以上。
……で、それだと原稿がここで終わってしまうので、もう少し掘り下げて考えてみると、自由時間の使い方というのはある程度、その人にとっての「幸せ」や「成功」の定義を映し出しているように思う。かつての私のように、仕事が好きで、仕事の成果=自分の価値、とリンクさせがちなタイプの人なら、何時でもかまわず仕事に没頭するだろうし、それで幸せなのだ。
北欧に来る前に私が過ごした日本やアメリカは、成功を測るものさしが、比較的はっきりした社会だった。
日本で言うなら、東大をトップとした大学のランキングがあり、アメリカでもアイビーリーグを頂点とする大学の格付けがあって、そこを目指して小さい頃からせっせと勉強したり課外活動に勤しんだりしている。
学歴不要の飛び抜けた才能がある人ならともかく、将来の経済的安定のために、できるだけいい大学に行って、いい就職先を見つける確率を上げておきたい、という切実な思いもあってのことだと思う。成功の基準がはっきりしているからこそ、そこへ向かう目的志向が強くなり、外れた場合の脱落感も強くなりがちではないだろうか。
一方、デンマークに来て思うのは、そうした“成功のものさし”が、どうもはっきりしない、ということだ。大学は全部国立で、入学試験はなく、どこの大学がトップなのかと聞いても「学部による」という答え。平等主義的な考え方が浸透していて、学歴や職業、肩書きで人を判断するところが少ない社会でもある。
お金も、アメリカや日本ほど切迫した意味を持っていない。医療費は無料、教育費も大学院まで無料で、学生の間は給付金ももらえるとあって、親が子どもの学費のために貯金する必要がない。
生活困窮者への福祉が手厚い一方、最高税率は52%と半分以上持っていかれるため、稼ぎすぎてもバカバカしいところがある。デンマークをはじめとする北欧でも貧富の格差はじわじわと広がってきているが、所得格差を示す「ジニ係数」は国際的に見れば依然として低い地域だ(下図)。
(注)入手可能な最新のデータをもとに作成。イタリア、日本は2018年の値、フランス、ドイツ、スロバキアは2019年の値、カナダ、フィンランド、韓国、メキシコ、ノルウェー、スウェーデン、イギリスは2020年の値、アメリカ、コスタリカは2021年の値をそれぞれ使用。
(出所)OECD, "Income inequality"の各種データをもとに編集部作成。
お金や社会的地位がそれほど意味を持たない世界に生きる時、人は何を幸せと思い、どんな成功を目指すのだろうか? デンマークという社会は、そんな思考実験を、ある程度現実にしている場所のように見えるのである。
今回の原稿を書くにあたって、立場の違うデンマーク人の独身の3人に話を聞いてみた。1人目は、「私はごく普通のデンマーク人」と語る銀行勤務の30歳。もう1人は、デンマークには珍しい野心家で、世界的な戦略コンサルティングファームで年収2500万円を稼いでいた31歳。そして3人目は、仕事に情熱を注いでいたニューヨーク生活を切り上げ、デンマークに帰国後はフリーランスとして働くグラフィックデザイナー、38歳。
立場の異なる3人に聞いてみて、何か共通する答えはあるだろうか、というのが、今回の取材の試みである。
あなたにとって成功とは? 幸せとは?——彼らの答えを紹介してみたい。
お金よりも「職場環境」「意義ある仕事」
カミラ・アダムセン・ニールセンさん(30)は、デンマーク最大手の「ダンスケ銀行」で、資産運用を担当するポートフォリオ・マネージャーである。2019年秋に就職し、平日の午前8時半から午後5時前ごろまでオフィスで過ごす、ごく一般的な働き方をしていたが、新型コロナのパンデミックを機に勤務スタイルは激変した。
入社4年目のいま、職場に行くのは週に3日。週2日は自宅勤務である。友人と海外旅行に出かける週末は、木曜日の終業後に飛行機に乗り、金曜日は現地のカフェなどで仕事。仕事を終えた直後から旅行を満喫する。必要なのは、職場の共有カレンダーに「ストックホルム」とか「バルセロナ」と書いておくことだけで、上司に咎められることもない。
コロナ禍を経て得られた働き方の柔軟性を、カミラさんは「贈り物」と呼ぶ。
「家で仕事してもスペインで仕事しても、同じことですよね。必要な時にオンラインで反応できれば問題なし。もちろん毎週は行かないですよ、お金もなくなるし。でも、これほどの柔軟さを一度経験したら、週に5日職場に行く仕事にはもう戻れないと思う」
週に2日自宅勤務ができることで、生活のメンテナンスがずいぶん容易になり、「幸福度もぐっと上がった」と語るカミラさん。
撮影:井上陽子
ポートフォリオ・マネージャーとしてのカミラさんの専門は、ESG(環境・社会・企業統治)の基準に照らした投資・運用である。「北欧はサステナビリティ(持続可能性)への投資では世界でも先頭を走っている」と語り、その最先端での仕事に面白さを感じている。
とはいえ、平日の午後5時以降や週末には、緊急時でもない限り仕事はしない。仕事は自分のすべてではない、ときっぱり言い、パドルテニスに映画にと、友人や家族と過ごす時間を大切にしている。
「私はキャリアに野心的だと思っているけれど、それを、一日12時間だとかの時間を費やすことなくできていることがすごく幸せ」
カミラさんに「成功とは?」と聞いても、はっきりした答えは返ってこない。目立つ肩書きとか、年収アップといった分かりやすい指標ではないし、世間から注目されるような他人の成功も気にならないと言う。
「たぶん、自分がいる場所に満足しているからなんだと思う。北欧的な考え方だと思うけど、今いる場所で学び続けられて、いい同僚に恵まれていれば、結果は自然とついてくると思っているから」
仕事の満足につながっているのが、職場環境のよさである。北欧の企業文化の特徴として「フラットさ」がよく言われるが、若手である自分の意見もベテラン社員と同様に重視されることが、チームの一員として貢献している感覚につながっているのだそうだ。
カミラさんが仕事に求めることは、多くのデンマーク人と共通しているようである。文系の大卒者が加入するデンマークの労働組合「Djøf(デュフ)」が、25歳から60歳までの2000人を対象に、転職する際に重視する条件を聞いた時の答えが、こちらのグラフ。
(出所)Djøfのアンケート調査より筆者、編集部作成。
上位に来るのは、職場環境やワーク・ライフ・バランスのよさ、意義ある仕事内容、といった項目で、日本では上位に入りそうな「雇用の安定」や「いい給料」、「誇れる勤め先」がそれよりも下に並ぶ。
Djøfで12年にわたりキャリアカウンセラーを務めるフレデリック・ユエル氏によると、若い世代の場合は特に、「面白い課題に挑める」とか「職場で公平に扱われる」といった条件を重視する傾向があるという。
Djøfでキャリアカウンセラーを務めるユエル氏。デンマーク人の転職をサポートしてきた。
撮影:井上陽子
コロナ禍後に大きく変わったのが、自宅勤務が広く一般的になったことだ。経済団体の調査によると、8割近い企業がコロナ禍を経て、自宅勤務の幅が広がったと回答。6割の企業は、週に1日以上、定期的に自宅勤務を認めているという。ユエル氏は「コロナ前には、自宅勤務をしたい時には上司と交渉する必要があったが、コロナ後はその必要がなくなった」と変化を語る。
さて、カミラさんが自分のキャリアの現在地に満足していることは分かったものの、あまりに隙がない答えなので、私は話をプライベートに振ってみた。30歳と言えば、日本では結婚や出産について焦る人もいるんだけど、そのあたりはどう?
少し考えて、彼女はこう答えた。「いまは特に焦りはないけど、もし5年後も独身で彼氏も子どもの見通しもなかったら、不安を感じるかも。また5年後に聞いてみて」
高収入の仕事を辞めて求めたもの
ピーター・クリステンセンさん(31)は、アメリカの理系の最高峰・マサチューセッツ工科大学(MIT)と、フランスのエリートが行くグランゼコールで修士号を取得した後、世界的な戦略コンサルティングファーム「ベイン・アンド・カンパニー」で年収2500万円を稼いでいたという、デンマークでは珍しい野心型の若者である。
戦略コンサルティングファームで連日深夜まで働いていたというピーターさん。
撮影:井上陽子
父親が重い病気だったこともあり、高校にはあまり行かず中退しかけたが、父親が亡くなった後、時間を取り戻すように猛烈に勉強を始めた。高校のGPA(成績評価)も急速に伸び、どの大学のどの専攻でも入学できる状態に。大学でビジネススクールの国際ビジネス専攻を選んだのは「入学基準のGPAが国内最高点だった」という理由だった。
ベインでは、月曜日から木曜日まで、朝9時から夜11時頃まで働き、週の労働時間は60時間以上。短時間労働が根付くデンマークの中ではかなり極端な働き方だった。ちなみに、金曜日は午後3時ごろで切り上げていたそうで、そこはやっぱりデンマーク人らしいな、と思ったのだが。
出世も早く、入社から約3年でマネジャーになったものの、その頃から自分に問いかけ始めた。自分はなぜ、がむしゃらに働いてマネジャーになったのか? ただ一番早くマネジャーになりたかったから?
振り返ってみれば、勉強にしろ仕事にしろ、自分を駆り立ててきたものは「どこまでできるか見てみたい」という思いだった。対象への興味が動機ではなかった、と改めて分かった時、これ以上続けるのはやめよう、と退職を決めたという。
その時点でピーターさんは、自分が使い切れないほどのお金を稼いでいた。家はすでに購入していたが、市場価格よりも安価で提供されるコーポラティブ型の住宅で、しかも街の中心部から離れた立地。高価なアパートを購入する同僚もいる中で、ピーターさんがこの家を選んだのは、毎月のローン返済のために、高額な給料を稼ぐプレッシャーがかかる仕事に縛られたくなかったからだ。
会社を辞めた時に次の仕事は決めていなかったというから、実際、金銭的な自由を手にしていたからこそできた退職である。
「週末にしか生きていないような生活は、人生の豊かさという意味では、決していい生き方じゃなかった。ベインにいた時のような働き方はしばらくしないと思うけど、その対極にあるパートタイムの仕事にも、自分は幸せを感じないと思う。その間のどこかに、いいバランスがあるんだろうな、と思っている」
恋人とくつろぐピーターさん。会社を辞めて以来、2人で過ごす時間はぐっと増えたという。
撮影:井上陽子
ピーターさんは退職後、ヘルスケア業界で働く人のための靴を作るビジネスに挑んだが、これは失敗。今は、首都から離れたユトランド半島でRV車を販売する親戚の会社経営を手伝っている。
大企業ばかりを相手にしていたかつての仕事とは異なり、中小企業の日々の問題を解決し、40人の従業員相手にリーダーシップを発揮することに、これまでと違った面白さを感じているという。
「いま何よりも大事にしているのは、時間の柔軟性」とピーターさんは言う。日中の時間に、やりたいことができる自由。恋人や家族、友人とのソーシャルライフを楽しめること。いつか“本当に興味があること”が見つかったら、その時はまた仕事に打ち込むのもいい、とも考えている。
仕事を選ぶ基準は「人」。フリーランスでも高収入
3人目として紹介するシウネ・イサクセンさんは、デンマーク人は結局こういうところに落ち着くのかもしれない、と思わせる、38歳のフリーランスである。
フリーランスのグラフィックデザイナーとして働くシウネさん。
撮影:井上陽子
シウネさんは20代から30代前半まで、ロンドンとニューヨークを拠点に活躍するグラフィックデザイナーだった。小規模なデザイン事務所に勤め、時には午前0時を回るような“クレイジーな”働き方だったが、「仕事は私の情熱だった」と振り返る。
「給料は高くなかったけど、みんな情熱に溢れていた。素晴らしいチームの中で仕事をして、自分が成長していくのが本当に楽しかった」
だが、次第に燃え尽きを感じるようになる。友達にももっと会いたいし、趣味に使える時間も欲しい。両親もずっと生きているわけじゃない。会社の許可を得て、1年半にわたり世界各地からリモートで仕事をした後、アメリカに戻って1年を過ごし、デンマークへ帰国した。34歳の時だった。
帰国後はフリーランスとして、時間の自由を満喫している。仕事は、する日もあればしない日もある。大事にしているのは、十分な睡眠と、運動。友人や彼氏とたっぷり時間を過ごすこと。晴れた日には必ず、散歩をすること。
面白いのは、グラフィックデザイナーであるにもかかわらず、ウェブサイトもなければ、Instagramなどのソーシャルメディアも使っていないことだ。仕事相手は、口コミで依頼のある顧客のみ。「正直言って、今はそれほど仕事の内容にこだわってない。それよりも、誰と仕事をするかのほうが大事。いい人たちと楽しい仕事をする、っていうのが私のビジネスモデル」と説明する。
宣伝ゼロにもかかわらず、昨年の収入は、最高税率を払う収入レベル(年収約1200万円)に達したという。だがそれは予想外のことで、収入は副次的な要素だときっぱりと言う。
「家賃も払わなきゃいけないし、ある程度のお金は必要だけど、高い家を買ってお金のために仕事に振り回されたりはしたくない。お金よりも大事なのは、仕事が楽しいこと。だって、起きている時間の半分以上は仕事をしているわけだから」
シウネさんには今、お金にまつわる将来の不安はまったくない、と言う。
「だって、最悪の事態って何? クライアントが全員いなくなるとか? その時は、パン屋を始めるくらいの蓄えはあるし。もし事故に遭って働けなくなったとしても、国が面倒を見てくれるわけだし……」
そして、それが「すごく贅沢なこと」だとも、よく分かっている。ニューヨークにいた頃、アメリカ人はお金のことをよく話す、と思っていた。デンマークとの大きな違いは、医療と教育のシステムである。アメリカには国民皆保険制度がなく、大きな事故に遭ったりすれば、生活が一気に暗転する恐怖がある。多くの若者が大学卒業前から学費の負債を抱え、それを返済した後も、今度は家のローンに子どもの教育費のための貯蓄に……と、お金の心配が延々と続くのだ。
「機能しているシステム」で生きる幸せ
3人から話を聞いていると、何度も出てくるワードがあった。時間の柔軟性を重視していること。生活維持のコストを抑え、お金を稼ぐ必要性に縛られないよう注意していること。友人や家族と過ごす時間に重きを置いていること。
そして、はっきりと共通していたのが、デンマーク社会のシステムが「機能している」と肯定的に捉えていることだった。
特にこれは、野心型のピーターさんに聞きたいことでもあった。北欧は「凡人にはいい国」とも揶揄されるように、特別優秀な人材を育成したり優遇したりするよりも、全体の底上げに重きを置く社会である。高収入だと、やたらと税金を納めさせられることにもなる。野心型の人はあまり報われない国とも言えるので、ピーターさんがそのあたりをどう考えているのか、興味があったのだ。
「確かに、給与明細を見ると、こんなに税金を払っているのかとぎょっとする」とピーターさんは笑うが、「だからって、税金を払うのを避けるために働くのをセーブしようと思ったことは一度もない。デンマークが作ってきた福祉国家のシステムが好きだから」と断言するのである。
ピーターさんは、デンマークの好きなところをいくつも挙げた。どんな親のもとに生まれても無料で大学まで行ける教育システム。無料の医療システム。平等にフォーカスしていること。労働組合の長年の努力のおかげで、一般的な仕事であれば週に37時間労働で、残業をする必要もないこと。
カミラさんの場合は、大学の留学プログラムで滞在したシンガポールで目にした光景を口にした。立ち寄ったフードコートで、とっくに退職していいはずの年齢のお年寄りたちが、腰を曲げて掃除をしている。生活費を稼ぐ必要性があってのことだろうと想像したが、豊かな年金生活を送るデンマークの高齢者との違いをまざまざと感じた。
「デンマークの福祉国家のシステムはうまく機能している。たしかに税金はたくさん払わなきゃいけないけど、病気になっても心配しなくて済むし、子どもが学校に行く費用の心配もない。退職後も、年金をしっかり貯めてあるから心配ない。サポートシステムがあるから、転落していくのが逆に難しい」
「すごくありがたいことです。だから、仕事が好きじゃないという人がいたら、嫌いなら今すぐ辞めて、他のことを探せばいいと言うんですよね。私たちは可能性に恵まれた、ぜいたくな場所にいるんだからと」(カミラさん)
念のために書いておくと、当然ながら、デンマークの若者が全員この3人のようなしっかり者というわけではない。私の親戚には、プライベートで問題ずくめの28歳がいるが、彼女はもっとずっと不器用な生き方をしていて、壁にぶつかりまくっている。それでもやっぱり、自分が生きる社会のシステムへの満足感については同調するところなのである。
3月に発表された2023年版の国連の幸福度調査では、フィンランドが1位、デンマークは2位など、北欧の5カ国がまたしてもトップ10にランクインした。幸福度調査の専門家が指摘するように、「上位10位のうち、北欧の5カ国がほぼ例外なく毎年ランクインしている」という傾向は、やはり今年もその通りの結果となった。
この時期になると、幸福度1位に輝くフィンランド人のインタビューが流れたりするが、彼らの言葉聞いていても、今回取材した3人のように、自分が属する社会システムへの満足感がにじみ出ているように思う。
日本とはずいぶん温度差があるのではないだろうか。外から見る日本は、今の社会システムへの不満と不安と無力感が渦巻いているように見える。だからこそ余計に、自分たちの社会が「機能している」と感じながら生きるデンマーク人たちに、羨ましさを感じるのである。
井上陽子(いのうえ・ようこ):北欧デンマーク在住のジャーナリスト、コミュニケーション・アドバイザー。筑波大学国際関係学類卒、ハーバード大学ケネディ行政大学院修了。読売新聞で国土交通省、環境省などを担当したのち、ワシントン支局特派員。2015年、妊娠を機に首都コペンハーゲンに移住し、現在、デンマーク人の夫と長女、長男の4人暮らし。メディアへの執筆のほか、テレビ出演やイベントでの講演、デンマーク企業のサポートなども行っている。Twitterは @yokoinoue2019 。noteでも発信している(@yokodk)。