イーサリアムのサイト上では、ユースケースの一つとして「分散型科学」(DeSci)が紹介されている。
撮影:三ツ村崇志
ブロックチェーンなどの新しいテクノロジーを使った「Web3」を研究現場に活用する取り組みが注目されている。「分散型科学」(DeSci:Decentralized Science)だ。
2022年2月、アメリカの有名ベンチャーキャピタルのアンドリーセン・ホロウィッツがDeSciについて紹介したことを契機に、投資家の間で注目され、アメリカを中心にすでに40以上のプロジェクトが立ち上がる。
世界では複数のDeSciにまつわるコミュニティも発足。2022年5月にはDeSci.Berlinがイベントを開催、イギリスでもDeSci.Londonが定期的にミートアップを実施している。
DeSci.Tokyoが4月16日に開催される。
撮影:三ツ村崇志
日本でも、4月16日に東京・渋谷でDeSci.Tokyoが開催される。
3月9日〜30日にかけて実施された「DeSci.Tokyo」の立ち上げ・開催に向けたクラウドファンディングでは、プロジェクト初日に目標金額の100万円を達成。最終的には200万円を超える支援が集まるなど、関係者からの期待が高いことが伺える。
では、結局のところ、「分散型科学」は科学の何を変えようとしているのか。
「分散型科学」は、科学の何を解決するのか?
DeSci.Tokyo開催に向けたクラウドファンディングを実施したコアメンバーの一人でもある濱田太陽さんは、
「DeSciとは何かと聞かれたときには、『分散型の技術を使ってサイエンスの課題を解決するムーブメントです』と、答えることが多いです。ただ、複数の文脈がありすぎて実態がつかみにくい。おそらくまだ深堀りできていないことがごちゃまぜになっている段階だと思います」
と現状を語る。
2021年12月、イギリスの有名科学誌『nature』に「Call to join the decentralized science movement」というタイトルのDeSciに関する短い寄稿が掲載された際にも、DeSciは「研究上の重要な課題やボトルネックの解決を目指している」と表現されていた。
科学誌『nature』に掲載されたDeSciに関する寄稿。
撮影:三ツ村崇志
では、テクノロジーが介入することで、研究現場のどんな課題・ボトルネックが解決しうるのか。
natureでは、具体例として「効率的なP2Pデータストレージ、査読のためのトークンベースのインセンティブ機構、研究資金の調達機構の改善および研究の複製」などが挙げられていた。
分かりやすい事例として、「研究資金の調達の多様化」や「研究データ・IPマーケットの拡充」を例にみていこう。
DAOが新たな研究の流れをつくる
現状、日本で研究をする場合は、大学や研究所、企業などに所属して研究活動を進めるのが一般的だ。組織に所属し、そこにある資金やリソースを使って研究を進めたり、科学研究費助成事業(いわゆる科研費)や産学連携によって外部から資金を獲得して研究を進めたりすることもある。
DeSciでは、この役割の一部をDAO(自律分散型組織)が担えると考えられている。
DAOとは、誰か一人が中央集権的に意思決定をするのではなく、メンバー一人ひとりが決定権を持った自律的に運営される組織だ。ブロックチェーンの技術(スマートコントラクトなど)を使うことで、この組織運営がスムーズかつ確実に遂行されることが期待されている。
研究者がDAOを介して新しい研究に取り組む場合、次のような流れが考えられる。
Business Insider Japan作成
研究者はまず、「特定領域の研究を支援するDAO」(例:特定の希少疾患に関するDAO)に対して、自身の研究テーマを申請。DAOはその内容を審査した上で、研究資金を支援するかどうかを判断する。DAOに研究が採択された研究者には、非代替性トークン(NFT)の発行などを通して「DAOが集めた資金」が研究資金として配分される。一連の意思決定は、DAOの参加メンバーによる投票で実施され、ここではブロックチェーンの技術を活用する。
一見すると、資金調達の方法が違うだけで、民間企業などから資金援助を受ける場合と違いが分かりにくいかもしれない。ただ、DAOを活用することで、これまでの研究現場に存在しなかった「新しいステークホルダー」が研究開発の意思決定に介在する余地が生まれる点が特徴だといえる。
「例えば、なんらかの病気の患者さんがコミュニティに入る事も考えられます。患者さんにデータを提供していただいて、そのデータをDAOが管理する体制をつくる。研究者が研究にそのデータを使いたいときに一部リターンを支払う、などもありえます」
Vibe Bioという希少疾患のコミュニティでは、科学者だけではなく希少疾患の当事者である患者にもトークンを発行し、資金援助する研究プロジェクトを選定※するための意思決定に参加することができる。ここで得られた研究成果などはコミュニティに公開され、誰でも医薬品開発プロセスに参加できるという。つまりDeSciは、科学的知識や研究プロセスをオープンに共有する流れ(いわゆる「オープンサイエンス」と呼ばれるもの)ともつながっているわけだ。
※Vive Bioでは支援する研究プロジェクトの選定にあたり、独立した医薬品開発の専門家によるレビューも実施されている。
分散型科学は「死の谷」をつなぐもの?
製薬業界でのDeSciへの期待は高そうだ。日本でも、DeSci.Tokyoのスポンサーに中外製薬が名乗りを上げている。
撮影:三ツ村崇志
また、濱田さんは
「製薬系やバイオテック系だと、研究開発で生まれたIP(特許や新薬の候補物質など)をDAOが取引することも視野にいれています。一般的には研究者が起業してIPを使っていくことも多いのですが、一方でやっぱり研究を続けていきたいという人もいます。そういう方が研究で得たIPをDAOが保有して流通する仕組みを提供できるのでは」
とも話す。
研究者が得たデータや特許などのIPをDAOが保有し、製薬企業などに販売。獲得した資金を再び研究費として研究者に還元したり、DAOのメンバーへと配布したりすることが想定されるという。
企業は通常、研究者と個別にコミュニケーションを取りながら社会実装に適した研究シーズを探すものだ。ある領域に関する高いレベルの研究成果が特定のDAOに蓄積されるような環境ができれば、企業側としても研究成果へのアクセス性が高まる。社会実装までの流れ(IPの流通)を加速することにもつながると期待される。
バイオ、製薬系ではこの取組が進んでおり、長寿研究に特化したVitaDAOは、2023年1月に米製薬会社のファイザーなどから410万ドル(約5億4000万円)の投資を受けたことを発表している。
米経済紙・Forbesの報道によると、ファイザーのエグゼクティブ・ディレクターのマイケル・バラン(Michael Baran)博士は、分散型科学によって技術シーズが社会実装に至る過程で頓挫する「死の谷」の問題を解決できるのではないかと期待しているという。
分散型科学は「代わり」ではなく「選択肢」
DeSciには、既存の論文の査読システムなどへも一石を投じられるのではないかと期待されている(写真はイメージです)。
smolaw/Shutterstock.com
また、濱田さんはブロックチェーンの活用によって、「研究のコンポーネント(要素)も分解されていくのではないか」とも指摘する。
「メタ解析のようなものは一人ではできません。ある程度能力や経験がある人に参加してもらいたい。例えば、学生さんにやってもらう事例などもあるのですが、そういった場面で『こういう経験がある』ということをブロックチェーン上に蓄積して、意思決定に反映してく、ということもあり得ると思っています」
科学の現場では、成果が「論文」という形で評価されるのが一般的だ。
一方で、論文に結びつく研究はプロジェクトごとに進められることも多く、「個人」の能力を論文だけで図る難しさもかねてより指摘されている。
「論文以外のスキルのようなものを評価するシステムを作れるのではないかと想定しています。ただ、その場合『教育面』での課題があります。
(従来の)研究室だと(学生が)論文を出す際には指導教官の名前も載るインセンティブがあります。(新たな評価システムを導入した場合)学生を教育するよりも既に能力のある人を集める方がメリットがあります。教育するインセンティブの作り方は、現状で具体化されていない大きな課題だと思っています」
日本の科学技術政策には多くの課題があると指摘されて久しい。世界にも少なからず、似たような課題は存在する。
ここまでに説明してきたように、ブロックチェーンなどを始めとしたWeb3の技術を使うことで、少なからずアカデミアが抱えてきた課題を解消することが期待されているわけだ。
ただ、濱田さんは
「今の仕組みが全て崩れるとは思っていなくて、オルタナティブの一つの可能性だろうというのが前提です。これで既存の日本の科学技術に関する問題が一気に解決する、というようなものではありません」
と過度な期待は禁物だと話す。
加えていえば、DeSciの動きは、冒頭で濱田さんが「複数の文脈がありすぎて実態がつかみにくい」と指摘しているように、まだまだ試行錯誤が始まったばかりのものだ。
濱田さんらが開催しようとしているDeSci.Tokyoの位置づけも、まさにそこにある。実際、イベント準備を進めていく中で、濱田さんは「何が期待されているのか、需要が分かってきた側面がある」と語っていた。