ポスト資本主義を掲げ、地方をベースにさまざまな取り組みを行っているNext Commons Labの林篤志氏。山古志村ではNFTを活用して誰もが「デジタル村民」になれるプロジェクトを実施し、大きな話題を呼んだ。
林氏が考える現代社会システムの問題とは何なのか。そこに対して、進化を続けるAIはどう貢献できるのか。「テクノロジーとビジネスを、つなぐ」をミッションに掲げ、オーダーメイドでカスタムAIを開発するLaboro.AIの椎橋徹夫CEOと林氏による異色の対談が実現した。
“複雑なものを複雑なまま扱えない”ことが現代社会の課題
椎橋:林さんはポスト資本主義を具現化するための社会OSとして「Next Commons Lab」を設立され、地方をベースとして自治体や企業と協業しながら活動を続けておられます。まずは、そんな林さんの視点から、現代社会が抱える課題について伺いたいです。
林篤志(はやし・あつし)氏/社会彫刻家。Next Commons Labファウンダー。Crypto Village共同代表。ポスト資本主義社会を具現化するための社会OS「Local Coop」を構想。自治体・企業・起業家など多様なセクターと協業しながら、新たな社会システムの構築を目指す。新潟県長岡市山古志地域で2021年2月に始めた「電子住民票を兼ねたNFTの発行プロジェクト– NishikigoiNFT」もプロデュースする。
林:社会課題の根底にあるのは、“複雑なものを複雑なまま扱えない”ことだと思っています。平野啓一郎さんが分人主義を提唱されていますが、まさにそのとおりで、1人の人間も多くの顔を持っているんです。
しかし、現代社会はそれを許容していません。なぜかというと、単純化して扱うほうが社会というシステムの中では都合がいいからです。
椎橋:たしかに、おっしゃるとおりです。現在の社会は、要素還元主義と呼ばれる考え方が多くの場面でベースになっています。複雑な物事でもシンプルな要素に分解すれば理解できる、複雑なものをできるだけ単純化して扱おうというのが、現在の社会を支えるある種の「思想のOS」になっているわけです。
“技術”と呼ばれるものがその典型ですが、複雑な物事をコントロールするためと人間が見出してきた一つ一つの“技術”は、実際にはできるだけシンプルなタスクを解決することに向かっていたと思います。
林:そうした単純化の結果、社会は一元的な価値で測られるようになり、それ以外の価値基準を失ってしまっています。現代人はシステムに骨抜きにされたことで、自分たちでシステムを作ることを忘れているんです。
たとえば、僕がフィールドとしている地方では、地方創生や地域活性が叫ばれています。消滅可能性都市として、2040年までに半数の地域が消滅するなんていわれています。でも、考えてみると、消滅するのは自治体だけです。自治体が倒産して消滅したところで、自然は残るし人々の営みも残ります。
そもそも、国民国家という概念そのものも近代になって生まれたものです。地方自治体という考え方もたかだか100年くらいしかありません。であれば、そういった枠組みみたいなものを、新たに自分たちで作って取り戻していかないといけない。社会システムをどうデザインし、自分たちがどう選択して生きていくのか。そうした新たな概念を作っていく活動を僕は行っています。
この「新たな概念や社会システムを作る」という点に、AIがどのようにかかわってくるのか、寄与できるのかは個人的にもとても興味のあるところです。
AIは"複雑な問題を複雑なまま扱う"ソリューション
椎橋徹夫(しいはし・てつお)氏/株式会社Laboro.AI 代表取締役CEO。米国州立テキサス大学 理学部 物理学/数学二重専攻卒業。2008年、ボストンコンサルティンググループに入社。東京オフィス、ワシントンDCオフィスにてデジタル・アナリティクス領域を専門に国内外の多数のプロジェクトに携わる。2014年、東京大学 工学系研究科 松尾豊研究室にて産学連携の取組み・データサイエンス領域の教育・企業連携の仕組みづくりに従事。同時に東大発AIスタートアップの創業に参画。2016年、株式会社Laboro.AIを創業。代表取締役CEOに就任。
椎橋:そういう意味でいうと、AIとはまさに“複雑なものを複雑なまま扱う”ためのテクノロジーなんです。特にディープラーニングはその際たる技術で、たとえば、最近話題のChatGPTは、文章の構造を少数の文法構造に分解して分析するというディープラーニング以前に用いられてきた方法をやめ、複雑に連なる文字列をほぼそのまま扱い、一千億を超えるパラメータを持つ複雑なモデルを用いて与えられた文章の続きを予測させることで、まるで人の会話かのような文脈を踏まえた言語応答を可能にしました。
こうしたAIの特性や能力を踏まえると、社会を支える「思想のOS」をアップデートし、林さんがおっしゃった「今の社会システムの中で僕たちは骨抜きにされている」という課題に対して、AIは中心的な役割を果たせるんじゃないかと思います。
たとえば、先ほどお話に上がった地域の消滅についても、本来、地域コミュニティはそれぞれ環境資源、人口構成、産業構成が異なる多様な存在であり、それぞれの特性に応じた地域経済、公共サービス、政治の最適なあり方を取るのが理想的です。AI技術を社会デザインに活かす“計算社会科学”という研究分野がありますが、それぞれの地域コミュニティの特性を考慮し、どのような自治システムを採用すると、地域の活性化にどのような影響が出るかを予測するシミュレーションモデルを作り、それを用いて最適な社会デザインを行う研究なども進んでいます。
そのようなAIを用いた予測シミュレーションと最適化技術を活用することで、単純化された画一的なシステムに人々が合わせるのではなく、それぞれの人やコミュニティに合わせた最適なシステムをデザインすることが可能になっていくと思っています。
AIシミュレーションで重要なのは「主語」をどう置くか
林:面白いですね。ただ、AIがシミュレートし最適化する「目的」については人間が設定するわけですよね。であれば、目的を設定する上で主語を誰にするのかはかなり重要だと思います。
僕は、主語をできるだけ多元的に設定することが大事だと思います。地域の観点でいうと、主語になりうるのって必ずしもそこに住んでいる人たちだけではないんです。観光客も主語になりうるし、住んでいないがアイデンティティを有している人も主語になりうる。
例えば、僕たちが山古志村で実践している「デジタル村民」というプロジェクトがまさにそうです。デジタル村民とは、NFTを活用してデジタル住民票を発行し、“村民”として選挙など地域の取り組みに参加できるという試みです。一度もその地域に住んだことがなくても、デジタル村民もまた地域のプレーヤーの一人なんです。
山古志村に行ったこともない、かかわったこともない人が「俺は山古志村の人間だ」とは普通いえませんよね。だけど、NFTを活用してデジタルアートを購入した瞬間から、彼らは「山古志村のデジタル村民」を名乗って活動しているんです。これは、従来の地域のあり方はまったく違うかかわり方です。
でも、それによって想定もしなかった出来事が山古志村で起きる可能性があります。そして、それが山古志村のリアルな地域共同体に還元されていくんです。山古志村を拡張したというよりは、山古志村という従来のあり方の地域は存在し続けながら、パラレルに新しい山古志村がデジタル空間に誕生したというイメージです。山古志村がリアルとデジタルにパラレルに存在しながら、双方を存続させていくのです。
もちろん、デジタル村民は実験的なプロジェクトなので、今後どうなるかはわかりません。なくなるかもしれないし、逆にリアルの自治体の方が淘汰されるかもしれない。ただ、地域を存続させるための選択肢を増やすということが、このプロジェクトの意義だと考えています。
AIは、この多元性を存続させるソリューションであり続けられるのか、それとも逆に多元性を破壊してしまうモンスターになりうるのか。今の段階では正直、僕にはわからないんです。
多元性を加速させる鍵は「勝つことから共助へ」の価値観の転換
椎橋:なるほど、デジタル村民の試みは、地域や社会のデザインを最適化するための前提となる主語を拡張する試みとして非常に興味深いです。
おっしゃるとおり、AIが多元性を加速するか、破壊するかは、まさに人間側が目的や主語をどう置いてAIを使うかにかかっていると思っています。一方で、特定のシステムに多様性やバラエティがあった方が、複雑な状態を長期的に存続させられる確率が高まるという考え方もあります。つまり、一定の確率で間違う前提に立って、複数の可能性を併存させておくことの方が有効な戦略になるということです。人間をはじめとした生物の多様性や個性の存在が、まさにその証明になっていると思います。
そう考えると、AIも同じ目的設定と入力データから異なる解が出てくるような“個性”を持つことが非常に重要になってくるかもしれません。ある意味で、AIは人間に近づいてくるのかもしれませんね。
AIが人間に近づいてくると取り沙汰されるのが、「AIに仕事が奪われる」論ですが……。
林:そういった“技術に呑まれる”危機感を覚える人は多いでしょうね。リスキリングという言葉が話題ですが、これだけAIが進化する中で人間のリスキリングなんて果たして間に合うのか。資本主義社会の構造の中では、どうしたって強者と弱者が生まれてしまいます。多くの労働集約的な事柄がAIに代替されていったとき、我々は最終的に何をするのか。その対抗策として僕が考えるのは、「共同体」をどれだけ持てるかということです。
コロナもそうですが、人間の歴史の中では価値観の大転換が何度も起きています。かつては神に仕えることが喜びだっただろうし、武家社会の忠臣蔵的価値観では主に仕えて死ぬことが誇りでした。であれば、資本主義の中で勝つことではなく、自分が帰属する共同体に貢献することが喜びになる価値観だって生まれうると思うんです。僕はそこにインセンティブを提供すべきだと考えています。
たとえば、僕の友人に木こりがいるんですが、彼はいわゆる林業従事者とは違うんです。木を切るだけじゃなく、森をメンテナンスして、土壌の改良も行います。そうした作業はお金にはなりませんが、社会にとって本当はすごく価値のあることです。
そうした昔から培われてきた考え方がある一方で、山古志村のデジタル村民プロジェクトは、NFTという最新のテクノロジーを活用したからこそ生まれたものです。重要なのは、人が技術をどう使って、どんな文脈を生み出すかだと考えています。その際に大切なのが、「勝とうとしない」ことです。山古志村もそうですが、既存システムの中で勝とうとするのではなく、パラレルに存在することで、場合によっては協調体制をとれるし、リソースの提供をし合うことだってできるわけです。
AIの先にあるのは、多元的な価値観を持てる社会か、既存システムの助長か
椎橋:私たちが日々対峙しているビジネスの文脈でも同じです。既存の製品やサービスの延長にある一元的な価値の優劣を競うのではなく、多様な価値を新たに見出して社会の長期的な存続・発展を支えていく、そこにAI技術を駆使していくという視点が重要だと考えています。
特に日本企業においては、既存の事業や業務プロセスの一部を改善したり効率化したりするためにAIを活用するという発想が中心的になっている印象があります。私たちLaboro.AIは、クライアント企業の現状のビジネスにAIという新しい要素が組み合わさることで、どのような新たな価値をもたらすことができるのかという問いに日々向き合っています。
また、もう一つ忘れてはならないと思うのが、複雑なものを複雑なまま扱う社会や、多元性に富む社会を実現するための強力なテクノロジーであるAIが出てきているとはいえ、そのような社会は複雑であるがゆえ、維持することは基本的に難しいということです。「水は低きに流れる」というように、複雑な状態は気をつけなければすぐにわかりやすく簡単で単純な方に流れてしまいます。
共同体のお話にしても、林さんが取り組まれているようなチャレンジをせずに放っておくと一元的な自治システムが全ての自治体を覆う方向に落ちていってしまうと思うんですね。私たちLaboro.AIが取り組む企業や産業においてもそうで、気をつけないと確立された既存の価値基準で「勝つ」ことに終始してしまいます。そしてそれはイノベーションから遠ざかることだと思っています。
林:そうですね。だからこそ、僕はテクノロジーを扱うスタートアップのような会社の経営者こそ、ローカルコミュニティに住んでみてほしいと思います。早朝は地域の子どもたちをバスで学校に送り届ける運転手として働き、9時からは自宅でスタートアップの経営者として仕事をして、夕方になったら学童保育のお兄さんになって、夜には子どもをお風呂に入れて、必要があればその後また会社の仕事をするといったような、ある意味で「戦場」と「営み」を自分の中に共存させることが重要なんじゃないかと思うんです。
椎橋:面白いですね。スタートアップはイノベーションの担い手であるようで、実は、わかりやすいサービスを作って、EXITできるかどうかの期限付きファイトゲームをしているわけですが、それはまさに資本主義の勝ち負けの価値観にどっぷりつかっているといえます。もちろん、そうしたスタートアップを取り巻くシステムが世の中を進歩させてきた面はあるのですが、スタートアップの在り方にも多元的な価値観が持ち込まれるべきなのかもしれません。
林:人生をしなやかに生きるためにも、多元的な視点や価値観を持つことは大切なんです。そうした多元的な評価を生み出し、インセンティブにつなげていくことが、AIならできるんじゃないかという期待を持っています。
椎橋:その通りです。地域コミュニティから社会全体、産業、企業、そして一人ひとりの人生、というそれぞれのレベルで複雑なものが複雑なまま扱われ、多元性に富んだ状態が存続していくことが、サステナブルな社会発展の重要なヒントであるとの思いを新たにしました。また、AIというテクノロジーがその実現の中心的な役割を果たし得ること、そこへの貢献が我々の日々の取り組みの先にあることを再認識できました。林さん、ありがとうございました。