大企業では歴史的な賃上げが進んだ。その一方で、賃上げに戦々恐々としている企業もある(写真はイメージです)。
撮影:今村拓馬
30年ぶりの歴史的賃上げに世の中がわいている。
中央組織の連合が発表した集計(4月3日集計、2484組合)によると、加重平均の賃上げ額は1万1114円、前年比3.70%増となった。3%台後半の賃上げは、1993年以来、30年ぶりという。
自動車、電機など主要製造業の労働組合で組織する金属労協は8割の企業がベースアップすると回答(3月末時点)。回答額の平均は前年の3倍以上となり、直近10年間で最も高い額となった。
賃上げだけではない。大卒初任給も25万円、あるいは30万円と大幅に引き上げる企業も相次いでいる。
しかし、こうした賃上げの動きが広がることに戦々恐々としているのが中堅・中小企業やベンチャー企業だ。
中小の賃上げ交渉が本格化
中小企業の賃上げについて「恐怖を感じている経営者もいる」という(写真はイメージ)。
撮影:今村拓馬
働く労働者の7割を占める中小企業の賃上げ交渉が今後本格化する。
中堅・中小企業の事情に詳しい組織・人事コンサルタントは、次のように語る。
「物価が高騰し、賃金の上昇機運が高まっていることは中小企業の経営者も理解している。今までと違ってどのくらい上げればよいのかわからず、恐怖に近い感じを抱いている経営者も多い」
物価高に対しては一時金のインフレ手当で何とかなると思っていた経営者も多かったという。
しかしここにきて春闘の賃上げだ。
「賃上げや初任給引き上げの動きには相当プレッシャーを感じている。もちろん賃上げしないと人材の確保や離職につながるという危機意識も持っているが、賃金をいったん引き上げると、固定費として重くのしかかってくる。10年先の経営が見通せないなかで頭を抱えている」(前出のコンサルタント)。
新入社員と10年目が同じ賃金?
また新卒人材を確保するために初任給を上げると、当然、年齢ごとに昇給する制度を作っている企業は賃金表を見直すことになり、在籍している社員や上の年代層も上げないといけなくなる。
現場では混乱も起きている。都内の税理士はこう語る。
「私が関係するベンチャー企業では人材を確保するためにこの数年、初任給を引き上げてきたため若手の給料全体が上昇した。ところがその分、会社にようやく馴染んで戦力となってきた10年目の社員の給料が、若手の給料と同じになってしまうという問題が発生している」
中小やベンチャー企業の中には能力やスキルの伸長に応じて給与を引き上げる賃金・評価制度が整備されていないところも少なくない。
ましてや大企業のように定期昇給制度がない企業も多い。初任給を無理矢理引き上げると、こうした笑うに笑えない“珍現象”も発生してしまう。
では今後賃上げの行方はどうなるのか。前出のコンサルタントは、こう指摘する。
「中小のほとんどが賃上げを行う決定まで至っておらず、地域や同業他社の動向を探り、平均額で負けない程度の水準を探っている状況だ。仮に引き上げるにしても数千円程度になるのではないか」
仮に2000~3000円程度引き上げても物価高を補うにはほど遠い。
そうなると人材の流出を引き起こし、人手不足倒産が現実のものとなる。
退職が引き起こす「倒産」
社員が退職によって起きる「退職型の倒産」が増えている。
出典:帝国データバンク
帝国データバンクの人手不足倒産における「従業員退職型」の調査・分析(2023年2月7日発表)によると、2022年に判明した人手不足倒産は140件。
そのうち就業員や経営幹部などの退職・離職が直接・間接的に起因した「従業員退職型」の倒産が少なくとも57件件判明し、2019年以来、3年ぶりに増加した。
業種別の従業員退職型倒産の割合は建設業が50.0%と最も高く、次いで小売業(40.0%)、サービス業(39.5%)、製造業(38.5%)となっている。
この結果について同調査では「設計者や施工監理者など、業務遂行に不可欠な資格を持つ従業員の離職により、事業運営が困難になった企業などが目立つ。人手不足感が高止まりするサービス業も、人材の獲得競争が激しいソフトウェア開発や老人福祉などの業種で多い」と分析している。
さらに2023年春闘の賃金上昇の動きを踏まえ、こう分析している。
「転職市場などを筆頭に、賃上げによって良い人材を高給で囲う動きが強まるなか、満足に賃上げされないことを理由に従業員が辞めることで経営に行き詰まり、倒産する中小企業の増加が懸念される」
賃上げなければ「転職」の意向
勤務先で十分な賃上げがない場合、働く側はどう会社と向き合うべきか?
撮影:今村拓馬
実は働く側も賃上げがなければ退職もやむなしと考えている。
人材紹介業大手のロバート・ウォルターズ・ジャパンの「生活費高騰・インフレ」に関する調査(2022年12月15日)によると、会社員に「インフレ率以上の給与アップがない場合に、転職を検討しますか」という質問に対し、81%が「転職を検討する」と答えている。
また、企業に対する質問では「物価の上昇・生活費高騰により、組織での人材確保が難しくなるか」という問いに対し、76%が「難しくなる」と答えている。
働く側にとっては転職することで賃金アップを勝ち取ることも一つの手であるが、まずは今の会社に賃金アップを要求する方法もある。
給与アップがない場合、8割が「転職を検討する」と回答している。
出典:ロバート・ウォルターズ・ジャパンのウェブサイト
「給与アップ」を要求。日本でも4割超
ロバート・ウォルターズ・ジャパンによる同調査では、会社員に「物価の上昇・生活費高騰により1年以内に給与アップの要求をする可能性があるか」という興味深い質問もしている。
「要求する可能性がある」と答えた人は43%、「要求する可能性はない」と答えた人が57%だった。
日本の会社員は欧米諸国の人に比べて、自ら賃金アップを要求する人は少ないと言われる。
リクルートワークス研究所の「5カ国リレーション調査」(2020年)によると、賃上げを求めたことがある日本人は28.7%であるのに対し、アメリカ人は71.3%、フランス人は76.4%、デンマーク人66.1%となっている。
諸外国に比べて自ら賃上げを要求する人は少ないが、それでも43%の人が要求の可能性を示唆しているのは、それだけ物価高で切実ということか。
個人での賃上げ要求は「普通」
撮影:今村拓馬
一般的に賃上げ要求は、春闘のように労働組合を通じた交渉が主流であるが、労働組合の組織率は16.5%と低い(厚生労働省「令和4年労働組合基礎調査」2022年12月16日発表)。
しかし組織率が低いのはアメリカやフランスも同様だ。特に中小企業やベンチャー企業には労働組合がないところがほとんどだ。個人で賃上げ要求するのは普通の行動なのだ。
実際にリクルートワークス研究所の「マルチリレーション社会」(ワークスリポート2020)の調査でも、日本を含むすべての国で賃金について要望を伝えた場合は、希望が叶う割合が叶わない割合よりも多くなっている。
日本の場合も、「自分から希望額を伝え、それが叶った」人が13%、「会社から額を提示された後に、自分の希望を伝え、それが叶った」人が7%。計20%が賃上げに成功している。
各国における入社時の賃金交渉とその結果
リクルートワークス研究所
日本の賃金水準はこの30年間でOECD(経済協力開発機構)諸国の中で下位に転落しているのは周知の通りだ。
だからと言って「会社や上司に賃上げを求めても上げてくれない」と、最初から諦めてはいけない。
「物価高で生活が苦しい」、「以前より職務の負担が増えている」といった賃上げすべき理由を堂々と主張してもよい。
それでも賃上げしない、あるいは希望する金額より下回る場合は、転職を考えてもよいのではないか。