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従業員という「人的資本」の能力を高めるための企業の取り組み状況を、2023年決算期の有価証券報告書から開示することが義務化された。6月の決算発表に向けて、上場企業など約4000社が急ピッチで準備を進めている。
ただ、公開が義務化されたところで、そもそも企業価値の向上にどのように役立つのか見えてこない——、という企業の声も聞こえてくる。
そうした企業の“もやもや”を客観的なデータで明らかにしようという取り組みが進んでいる。
従業員の質と時価総額の関係を「見える化」
AIを活用した360度(人材)評価ツール「GROW360」を提供するInstitution for a Global Society(IGS)代表の福原正大氏は、人的資本という言葉が独り歩きしている現状に危機感を抱く。
福原氏は2022年秋、人的資本理論で1992年にノーベル経済学賞を受賞したゲーリー・ベッカー教授に師事した一橋大学大学院経営管理研究科の小野浩教授とともに、大手企業9社を含む産学連携の「人的資本理論の実証化研究会」を設立した。
「『データを取っていないので、どのように人的資本を高めていけばいいのかすら分からない』という状況を変え、日本の潜在力、企業価値を高めていくことが目的」(福原氏)
研究会では、32社の管理職約1万5500人一人ひとりの能力スコアを定量的に計測した上で、上場企業14業界32社の過去5年間の時価総額との関係を分析し、見える化した。従業員の能力の評価には、IGSの評価ツール「GROW360」を活用。その結果、社員のイノベーション力やSDGs力の高さが、企業価値の向上につながる可能性が示された。
イノベーション力が企業価値を高める
【図1】管理職のイノベーション力と企業価値との関係
出所:人的資本理論の実証化研究会 2022年度研究成果
調査では、外向性、共感・傾聴力、創造性、個人的実行力、課題設定力の五つをイノベーションを起こすために必要な能力(イノベーション力)と定義。
調査対象の32社中、管理職のイノベーション力が高い上位11社の株式利回り(年率平均リターン)は4.6%だったのに対し、下位11社では同1.4%と、3%もの開きがあった。また、TOPIXの企業平均は同2.1%だった(図1)。
この結果について、研究会では次のような分析をしている。
- 計測時期(2010年代後半以降)にAIなどの技術が急速に進化し、イノベーションの可否が企業価値に大きく影響。
- イノベーションができない企業は資金調達に伴うコスト(資本コスト)が上昇し、リターンが減少。
- イノベーションが求められる「DX」に対応できない企業は、リスクが大きくなった。
【図2】管理職のSDGs力と企業価値との関係
出所:人的資本理論の実証化研究会 2022年度研究成果
また、SDGs力(IGSが定義したSDGsの感度)が高い上位11社についても同様の分析をしたところ、利回りでは明らかな優位性は認められなかった。一方、価格変動の大きさ(リスク)については、SDGs力が高い企業は、TOPIX企業やSDGs力が低い下位11社と比べて低かった。つまり値動きが控えめで運用効率が最も高いといえることが分かった(図2)。
福原氏は、アメリカの一部の州で反ESGの動きが出ているものの、「ESG対応力が低い企業はリスクが高くなる」との研究報告もあると指摘。今回の研究会の考察としては、世界でESGと連動した資金調達などが活性化し、SDGs対応力の高い企業は資金調達に伴うコストが減少、リスクが低下していることが分かったとしている。
今回の研究成果について、福原氏は、従業員一人ひとりの能力という人的資本の質によって、企業価値を説明できる可能性を持つ画期的な示唆になったと捉えているという。
「人的資本を高めることが、企業がこれまで以上にリターンを生み出すことになるという可能性、つまり企業価値に影響を与えるという可能性を見出すきっかけになったのではないか」(福原氏)
さらに、サステナブル経営にとって最もインパクトのある人的資本のデータを企業が戦略的に開示できれば、より社会善に基づいた選択的な投資行動を引き寄せ、企業価値も高まるだろうとしている。
【図3】2023年に目指す「人的資本ESG指標(仮称)」
出所:人的資本理論の実証化研究会 2022年度研究成果
研究会は2023年度、対象企業数を50社以上に拡大する見込み。人的資本の財務価値を表す指標として欧州で注目されている社員のESG対応力についても注目しており、サステナブル経営を支援する金融機関での活用も視野に入れ、定量的に測定可能な「人的資本ESG指標(仮称)」の提示を目指す(図3)。