国際通貨基金(IMF)が4月11日に公表した春季の「世界経済見通し(World Economic Outlook)」。サブタイトルは「不安定な回復(A Rocky Recovery)」。
Screenshot of International Monetary Fund website
国際通貨基金(IMF)が春季の「世界経済見通し(World Economic Outlook)」を公表した。
リスクシナリオとして、昨今の金融不安の影響で信用収縮と株安が重なった場合、「1970年以降で5回(1973・1981・1982・2009・2020年)しか経験していない世界経済の成長率2%割れ」が「20%の確率で起こり得る」との見方が示された。
ただし、金融不安については、シリコンバレーバンク(SVB)破綻直後の混乱が一段落し、残るは「個別の金融機関の問題」との認識が広がっていることもあり、2023年通年の成長率は2.8%と1月時点の見通しから0.1%ポイントの下方修正にとどまった。
インフレ沈静化のために利上げが必要とされる一方、金融の安定が懸念される中で利下げへの期待が高まるという矛盾と葛藤に世界経済が苛(さいな)まれる中、「特に先進国にとって」ハードランディングシナリオが「より大きなリスク」になっているとIMFは指摘する。
これは比較的踏み込んだ言いぶりで、秘めたるリスクの大きさを感じさせる。
サブタイトルには「不安定な回復(A Rocky Recovery)」とあり、見通し全体を通して伝わってくるIMFの本音を、簡潔ながらも的確に表現しているように思える。
直接投資の「分断化」で世界は貧しくなっていく
筆者には、第4章「地経学的な分断と直接投資(Geoeconomic Fragmentation and Foreign Direct Investment)」の議論がとりわけ興味深く感じられた。
2019年以前から、米中貿易摩擦に象徴される西側諸国と中国の対立構図を背景に、グローバル規模で構築・最適化されたサプライチェーンに懸念が生じていたが、2020年のパンデミック発生でそのサプライチェーンが物理的に寸断され、さらにその終息と回復のプロセスでロシアがウクライナに侵攻。経済制裁や輸出制限が実施されたことで、商品市況に著しい制約が生じた。
パンデミックについては、懸念された深刻な感染再拡大の動きもなく終息に向かっていると思われるが、地政学リスクにはいまだ緩和の兆しが見られない。この3年間でサプライチェーンが被った甚大なダメージも、回復に向かっているとはいえ正常化にはほど遠い状況が続く。
こうした流れの中で、国境をまたぐ企業の経営判断も変化を強いられている。特に、ここ数十年の世界経済のトレンドとも言える海外直接投資の拡大を巻き戻し、対内直接投資に回帰させようという動きが勢いづいている。
海外直接投資は基本的に企業行動の話だが、最近では政治においても大きな関心事となっている。例えば、製造業を中心に企業の国内回帰を促したトランプ前大統領の「アメリカ・ファースト」政策はその象徴的な動きだった。
バイデン大統領も同じ路線を踏襲し、近年ではユーロ圏でも自国第一主義を掲げる国が出てきている。今回の世界経済見通しでも、フランスがアメリカに対抗して「メイド・イン・ヨーロッパ(Made in Europe)」戦略を提唱していることが紹介されている。
西側諸国対中国という大きな対立構図が存在しつつ、西側諸国の中にも政治・経済的な分断が見られる、そうした「直接投資の分断化現象」が世界経済全体にどのような影響を与えるのか分析したのが、本節の最初に挙げた(世界経済見通し最新版の)第4章だ。
近年、世界全体で海外直接投資が顕著に減速する一方、地政学的に見た友好国への直接投資の集中、さらには半導体など戦略分野への集中も進んでいる。
そのように企業が海外直接投資のリロケーション(再構築)の検討を進める中で、企業が本拠を置く国(多くは先進国)と政治的に距離がある国(多くは新興国)は、直接投資の流出に見舞われやすくなる。専門家でなくとも直感的に想像される展開ではないか。
結果として、海外直接投資が「流入」する国と「流出」する国の分断化が進み、世界全体として見た時にアウトプット(生産量)が減って貧しくなっていくというのが、第4章で展開されるIMFの問題意識だ。
加速する「スローバリゼーション(slowbalization)」
IMFが懸念する前節のような展開は、言ってみれば「グローバリゼーション(globalization)」の「スローダウン(Slowdown)」であり、今回の見通しでは「スローバリゼーション(slowbalization)」なる造語で形容されている。
実は、スローバリゼーションは今に始まったものではなく、リーマンショック以降、一部の国々で進んできた現象だ。
例えば、下の【図表1】に示すように、2000年代に世界の国内総生産(GDP)の3.3%を占めるまで増加していた海外直接投資は、2018~2022年の間に1.3%まで落ち込んだ。
【図表1】世界の貿易・サービス収支(青色)と直接投資(橙色)の推移(対GDP)。
出所:国際通貨基金(IMF)「世界経済見通し 2023年4月」より筆者作成
10年ほどかけて徐々に進んできたスローバリゼーションが、昨今の地政学リスクの高まりを受けてさらに加速している、というのが実情だろう。
IMFは今回の世界経済見通しの中で、海外直接投資の分断化は世界経済に負の影響をもたらす「新たな要素」だと指摘する。
企業も為政者も、自国もしくは政治的利害が一致する友好国に生産拠点を移す戦略に軸足を移しつつ、地政学的な緊張に対して耐久性のあるサプライチェーンの構築に腐心しており、その影響を最も受けるのが、先進国からの直接投資を多く受け入れてきた新興国だ。
上の【図表1】で見たように、世界経済における貿易・サービス収支の比重はほとんど変化していないのに、直接投資の勢いだけが落ちている。
主に先進国からの直接投資は、「持たざる者」としての新興国に経済成長機会をもたらす役割を果たしてきた面がある。そのため、現状のような構図が続けば、国境を越えた商取引の恩恵を受ける国・地域がこれまでより狭く限られてくる可能性があり、それは新興国ひいては世界の経済成長にネガティブな影響をもたらすことになるかもしれない。
なお、今回の世界経済見通しでは、海外直接投資の分断化の影響を国・地域別に試算した結果が示されている。
アメリカが中国の拠点を引き揚げて世界各地に分散させる動きが顕著に見受けられ、程度の差こそあれ、欧州にも同様の動きが見られた。一方の中国は、世界各地から海外直接投資を引き揚げ、自国への集約を進めている様子が見て取れた。
とりわけ、このような動きは半導体のような戦略分野ほど顕著で、アメリカも欧州も自国域内での生産拠点構築に向けて動いている。
下の【図表2】に示すように、中国への直接投資は2018年以降、顕著な減少傾向にある。一方、欧米ならびに中国を除くアジアへの直接投資は2020年以降、明確に増加している。
【図表2】国・地域別(アメリカ・欧州・中国・中国除くアジア)の直接投資(半導体)件数の推移。2015年第1四半期を100とした場合の相対値。
出所:国際通貨基金(IMF)「世界経済見通し(WEO)2023年4月」より筆者作成
グローバリゼーションもスローバリゼーションも、端的に言えば、中国を軸とする企業の離合集散だったと結論できるのかもしれない。
「スローバリゼーション」は悪?
前節で詳説した第4章は、現在の潮流が続けば世界は貧しくなる、と警鐘を鳴らして終わる。
ただし、ここで注意したいのは、第4章の分析はあくまで海外直接投資の分断化に伴うスローバリゼーションのデメリットに注目したもので、メリットは見ていないということだ。IMF自身がそう認めている。
世界経済見通しにおける分析は、最適化されたグローバルサプライチェーンが破壊されたことで、世界の経済成長がどれほど失われるのか、そのコストに重きが置かれている。
同じ文脈で、世界経済のより大きな成長を目指す観点から見れば、スローバリゼーションは(国際取引が減速するわけなので)デメリットしかない。
しかし、政治的な観点から見れば、世界の経済成長率鈍化というコストを支払わねばならないとしても、海外直接投資の国内および友好国へのリロケーションによって、経済安全保障を強化したり、技術流出を防いで競争上の優位を確保したり、国益に対する「強固な守り」が実現されるのだから、それは「合理的な」コストとも言える。
実際、サプライチェーンが寸断されて戦略的な資材を確保するのが困難になれば、一国経済の成長に甚大な影響が及ぶにとどまらず、社会不安にまでつながりかねないことを、我々はパンデミック時に経験している。
そうした見方もあるため、スローバリゼーションは何もかも間違っているというのはあまりに乱暴な議論だ。
世界経済は当面このスローバリゼーションという大きな流れに支配され、従来よりコストのかかる状況が続くと思われる。
世界各国の政府・中央銀行は金融引き締めによるインフレ沈静化に躍起になっているが、実はこの「従来よりコストのかかる」新たな世界のあり方を踏まえると、インフレの根は(一時的な供給制約といった要因より)もっと奥深いところにあるのでは、という気がしてくる。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。