人工知能(AI)システム開発企業アンスロピック(Anthropic)の共同創業者で、ニュースレター「Import AI(インポートエーアイ)」の発行人、ジャック・クラーク氏。
Jack Clark
ジャック・クラーク氏は2015年12月のある日、カナダ・モントリオールで開催される人工知能(AI)関連のカンファレンスに向かうフライトでUCバークレーの教授と偶然乗り合わせ、世間ではまだ注目されていない、ある新進気鋭のスタートアップを紹介してもらうことになった。
それこそが、いま世界中の話題を集める対話型AI「ChatGPT(チャットジーピーティー)」の開発元として知られるAI研究開発企業、OpenAI(オープンエーアイ)だった。
「世界で最もスケールの大きな、とんでもないことが起きているんだと直感しました。そして、その時点でそこにいる(=OpenAIの存在に注目している)のはおそらく自分だけだと思ったのです。
家に帰ってすぐ、妻に『ジャーナリズムをやっている場合じゃない、いますぐAIを仕事にしないと』と切り出しました。よく覚えています」
数カ月後、クラーク氏は勇気を奮い起こしてブルームバーグ(Bloomberg)を辞め、フルタイムでAIに関わっていくことに決めた。以来、彼は一度も後ろを振り返っていない。
OpenAIの戦略・コミュニケーション部門、公共政策部門を経て独立し、同団体の元スタッフらとAIシステム開発企業Anthropic(アンスロピック)を創業したクラーク氏の人生は、記者時代とは全く違うものになった。
3万4000人超の読者に向けて
ただ、変わらず定期的に続けてきた取り組みが一つある。それが広い読者を獲得しているAI専門ニュースレター「Import AI(インポートエーアイ)」の発行だ。
クラーク氏は現在、2021年に創業したばかりのAnthropicの仕事と並行してニュースレターの執筆を続けている。
同社はすでに10億ドル以上の資金調達に成功しており、テクノロジー専門メディアのインフォメーション(The Information)によれば、著名ベンチャーキャピタルのスパークキャピタル(Spark Capital)から3億ドルを獲得した直近のラウンドでは、調達前の評価額が41億ドルだった。
クラーク氏のニュースレターはサブスタック(Substack)経由で配信されており、現在の登録読者数は3万4000人超。高位の政治家や政策立案者、企業の経営幹部らが購読者に名を連ねる。
AIをめぐる画期的なテクノロジーの進歩やワクワクするようなトレンドを余すところなく取り上げ、一時的なブームとは一線を画する内容との評価を確立し、AIコミュニティから絶大な支持を集めてきた。
発行形態はウィークリー(週1回)で、AIに関する研究論文の詳細な分析、時事問題に対するクラーク氏自身の考え、AIをテーマとするショートフィクションを掲載する。
クラーク氏がImport AIの執筆を始めたのは、彼の(パブリッシャーに属する)担当編集者たちが過去に「世間に公開するのは難しい、あまりに風変わりな内容」と評したニュースレターを形にするという彼の夢を実現し、AIの世界でいままさに起きている最先端の発見を学ぶことが目的だったという。
実際、知性に訴え、学術研究を並外れて重視するImport AIの振り切った個性は、他の関連ニュースレターとの決定的な差別化ポイントとなっている。
「ニュースレターは、誰にとっても敷居が低くて、分かりやすい内容を目指すのが普通です。でも、僕のニュースレターでそれをやると、自分が本当に大事にしている部分が丸ごと失われてしまう。
つまり、僕自身がAI分野の最先端を学びたいからこそこれをやっているので、そこはどうしても譲れないわけです」
クラーク氏の読者の大部分は博士課程の学生で、新たな情報や論点を徹底的に掘り下げたニュースレターの特性を評価して購読しているのだという。
また、ニュースレターは政策立案者向けの啓発チャネルとしても役立っている。一読者としてニュースレターを購読している政策立案者ももちろんいるし、クラーク氏がAnthropicで担う政府関係者とのパイプ役の立場で面会する際にニュースレターを紹介するケースもある。
「政府関係者と話す時、僕は『AIに特化したウィキペディアだと思ってください』と自己紹介したりします。
なぜあえてそんなことを宣伝するのかというと、ニュースレターを書く理由の一つはそれなのですが、AI分野で今週何が起きたか、誰が何をしたのか、状況を把握するための情報を常に頭の中に置いておきたいからです」
当初はサイドビジネスのような気持ちで始めたニュースレターも、いまやクラーク氏にとって全力全情熱を注ぎ込むプロジェクトに変わった。
執筆のために彼はこれまで4000本以上の学術論文を読み込んできたし、執筆の際にはラテを何杯も飲まないとどうしても筆が進まないので、それだけで累計6000ドルは使ってきたと冗談交じりに語る。
これから何を目指すのか
ニュースレターが重視するものと、クラーク氏がAnthropicで担う役割は重なる部分が相当に多いものの、彼自身はできるだけそれぞれを別の取り組みとして線引きしようと意識している。
「Anthropicというブランドとニュースレターの内容が紐付いているのだと、はっきりと自分の意見を言ったり、本質とも言える奇天烈な表現もできなくなってしまいます。
そういうエッジの効いた部分を削らないからこそ、Import AIは他のニュースレターと差別化ができているし、読者も興味を持ってくれるんだと思うので」
とは言え、クラーク氏がこれからニュースレターで取り上げようと考えているトピックの多くは、Anthropicを含むAI分野の関係者がここ数カ月、ここ数年格闘してきたものばかりだ。
彼が特に強い興味関心を寄せるのは、AIモデルのディベロップメントおよびデプロイはOpenAIやAnthropicなどごく一部のプロバイダーの手に集中するのか、それとも分散化してオープンソース化されるのか、そのあたりの今後の展開だという。
この問題は、政策立案にAIを活用していこうと考える時、特に重要な意味を持ってくるとクラーク氏は語る。
また、クラーク氏は「リバタリアン(自由至上主義)的AI」と「ウォーク(問題意識の高い)AI」の問題、言い換えれば、エンドユーザー側と研究・開発側のどちらがあるAIモデルの価値をコントロールすべきなのか、という問題にも目を背けず向き合ってきた。
その文脈において、Anthropicは「合規的(constitutional)AI」の手法にこだわってきた。
人間側が作成したAIの動作に関する明文としての基本原則、規範を学習時にあらかじめ読み込ませることで、AIモデルの透明性を確保し、不快もしくは有害なアウトプットを生成しないようにするやり方だ。
クラーク氏はAIの研究開発を手がける他の研究組織などにも、それぞれ独自の「生真面目で風変わりなニュースレター」を発信するよう勧める。彼にとってはそれが、研究開発側と社会の人々の側の心理をどちらも覗き込みつつ、より広い範囲の変化を実現していく方法だからだ。
「瓶に入った小さな秘密のメッセージを海に流して世界に届けるようなやり方ではありますが、人々は時にそれを拾い上げるものなのです」