インタビューに応じた直木賞作家の西加奈子さん。
撮影:稲垣純也
圷歩(あくつ・あゆむ)とともに、自分の人生を取り戻す旅に出た『サラバ!』、不器用でも真っ直ぐな愛に揺さぶられた『漁港の肉子ちゃん』……。
2004年のデビュー以来、読者を励ますような小説を発表し続けてきた西加奈子さん。
デビュー10周年で発表した『サラバ!』は直木賞を受賞し、西さんは名実共に日本を代表する作家となりました。
そして直木賞から約10年後、2023年4月に発表した新刊『くもをさがす』では自身のがんを告白。当時住んでいたカナダでの過酷ながん治療の日々を綴ったノンフィクションとなりました。
治療のため両乳房を切除し、再発リスクを抱えながら生きることになった45歳の人気作家はいま、何を思うのでしょうか?(聞き手・横山耕太郎)
小説が終わっても「登場人物は生きていく」
「執筆のペースは落ちると思う」と話す西さん。
撮影:稲垣純也
── デビューしてから約20年。新刊『くもをさがす』では、がんの告知や治療を詳細に記録しました。小説を書くにあたって影響はあると思いますか?
がんが小説に与える影響は絶対にあると思います。
今後も定期的な検査がありますし、私の場合はがんの遺伝子型の影響で卵巣がんになりやすいので、近いうち切除する予定です。
『くもをさがす』には、抗がん剤治療と手術を終えてキャンサーフリーになったものの、本当のクライマックスは術後にあったと書きました。
「治療のあとでも人生が続いていく」と、そう自分で書き進めていった時に、この作品はきっと、私の今まで書いたものと違うものになると感じました。
これまで作家として、登場人物を創作して、物語を終わらせてきました。だけど、物語の後も、その登場人物たちは生きていくんだと思いました。
その感覚が、今後の小説に影響すると思っています。
── デビュー以降、1年に1冊以上のハイスピードで作品を発表されてきました。今後、執筆のペースにも影響はありますか?
執筆ペースは絶対に落ちると思います。
2019年末に家族でカナダに移住したんですが、バンクーバーに行って「のんびりやろう」と思えるようになりました。仕事しすぎてたな、と。
「小説の登場人物たちは、たとえ小説が終わってもその先に人生が続いていく」とさっき言いましたが、このペースで書き続けていると、登場人物に責任が持てなくなると感じています。
すでに過去の作品の登場人物で忘れてしまっている人もいるし、それはちょっと寂しいなって。
自分がちゃんと覚えていられる範囲のことをしていきたいです。自分の手の届くもの、規模感で作品を書いていきたいと思っています。
「私に向けて書いてくれる」読むことの救い
『くもをさがす』には外国人作家の小説など、多くの引用が散りばめられている。
撮影:稲垣純也
──『くもをさがす』では、がん治療の日々で「間違いなく救いであったと言えるのが読むことだった」と書いています。
『くもをさがす』を書く前から、「文章にすることが私を救ってくれる」という予感があり、この作品を書こうと思いました。
そして同時に、読むことでも本当に本当に、救われました。
小説を読んでいたときに、「今の私に向けて書いてくれてる」って思うことが何度も何度もありました。
『くもをさがす』には小説や音楽の歌詞を多く多用していますが、がん治療のときに、ちょうど読んでいた作品を引用していることもあるし、「今のこの感情、どこかで経験したことあるな」と思ったら、「違うわ、小説やった!」と、過去に読んだ小説を読み返して引用している部分もあります。
当時の私は、読者としてすごい力があったんです。
小説から、自分にとって必要な言葉、そのときの感情に寄り添ってくれる箇所を、選び取る力にすごく長けてた時期だったと思います。
── 読者の力とは?
私はずっと小説を書いてきましたが、自分が勝手に決めたキャラクターを動かして、死に追いやったり、幸せにしたりします。
その結果、読者を得て、読者の方からの思いがけない感想に出会う。中には「力をもらいました」って言ってくださることもあります。
でも、圧倒的に力があるのは作者ではなく読者なんです。
作品は作家がただ全力で書いたものであって、本屋に並んでる1冊の本に過ぎない。
そこから何を得るか、何を思うかは、圧倒的に読者に委ねられている。読者に力があるんです。
私はガン治療というピンチのとき、感性が全開になっていて、「いまの私には読者としての力がある」と感じていました。
帰国して感じた「東京の狭さ」
撮影:稲垣純也
── バンクーバーで手術を終えて2年ぶりに日本に帰国したとき、最も印象に残ったのは「日本の狭さ」だったと書かれています。
特に東京に限定して感じることなんですけど、それぞれのスペースがないと感じました。
でもそれは誰のせいでもありません。企業も資本主義というシステムの中で、この狭さの中でパイを奪い合わないといけないんですよね。
タクシーに乗っても、目の前に動画広告が出る。消費し続けなければいけない、というプレッシャーには、常に晒されていると感じます。
日本の物理的な狭さは、カナダ人の思うところの「豊かさ」を、私たちから奪う要因にもなっている。自分のスペース、居場所を確保するために、日々努力を続ける企業や店のおかげで、私たちは低価格で素晴らしいサービスが受けられ、美味しい食事にありつける。だが、一方で、それを提供するために、人は多大な、そしておそらく過剰な努力を強いられる。(中略)
KAROUSHIという言葉が国際的に認知されるほどの労働時間、どれだけ働いても30年以上景気が回復しない国で、私たちはそれぞれのスペース、居場所を守るために、必死で生きている。他者のスペースを尊重出来なくなるほど、追い詰められているのだ。 『くもをさがす』より引用
── 前作『夜が明ける』(2021年10月発売)では、母子家庭の貧困の連鎖、払いきれない額の奨学金、ハラスメントや過重労働など、若い世代が直面する日本の暗部を描きました。日本に生きる若い世代は、どう社会と向き合えばいいでしょうか?
まず、現時点でもう十分頑張ってます。そう伝えたいです。
特に若い方は、もう頑張りすぎてるぐらい頑張ってると思います。40代、50代の方もそうです。
もうこれ以上、自分を追い込まないで欲しい。まずは自分をめちゃくちゃ褒めて欲しいです。例えばあなたが35歳だったら5歳からずっと不景気です。そんな中でよくやってきた、よく生き延びたって、まずは本当に自分を褒めてほしい。
社会の理不尽に向き合うことも大切ですが、まずは自分自身と向き合うことが大切だと感じます。
そして、自分がどれだけ頑張ってるか、どれだけ尊いか、どれだけ愛されるべき、尊重されるべき存在かということを感じてほしいです。本当にそれは何度言っても言い足りないです。
自分のことをそう思えるなら、当然、他者もそうですよね。
自分がしんどいのに、自分でも命からがら生きてるのに、他者を思いやれってやっぱり無茶な話ですよ。
自分がどれだけ尊い存在なのか、尊敬を受けるに値すべきなのか、本当に言い聞かせ続けること。そうじゃないと、社会みたいな大きいものに立ち向かえないと思います。
──言われてみれば、自分を褒めることには慣れていない気がします。自分の生を肯定するために、どんなことから始めるといいでしょうか?
いやもうこれ以上やらんでいいって(笑)。
あほみたいなこと言うと、本当に息してるだけでもやっぱりすごいんです。
ただ、自分の体を絶対に誰かに明け渡さないことです。そして、誰かから何かを奪おうとしないこと。
その人の体はその人のもの。それは自分の子供であってもそうです。例えば私が授乳してた時、自分の体が、赤ん坊のためにある気がする瞬間があって、冗談で「ミルク製造機やみたいな」って言ってたんです。
でも、言うまでもなく、私の身体は私のものだったんです。逆もそうで、たとえ命を他者に委ねないといけない赤ん坊であっても、赤ん坊の命は赤ん坊のもの。赤ん坊の体は、親の所有物では絶対ないし、他者の所有物にはなり得ないんです。
それは例えば重い障害のある方もそうです。ご自身で動けなくても、その人の人生の大半を他者からのヘルプに頼らないといけないとしても、その人の体は、その人のものです。誰かの所有物ではあり得ない。そのことは、いくら考えても、考えすぎということはないと思います。
出し惜しみせず、正直な作品を
デビューから約20年。今後も「出し惜しみせずに描きたい」と言う。
撮影:稲垣純也
── 直木賞受賞作の『サラバ!』からは約10年が経ちました。今後どんな作家でありたいと思っていますか?
デビューから20年はあっという間でした。『サラバ!』から約10年というのは言われて気がつきましたが、まだ5年くらいの感覚でした(笑)。
これから書くものはもちろんフィクションではあるんですけど、自分が書きたいことよりも、出たがってるものを書きたい。そこは変わらないです。
正直でありたいと、これまでも思い続けてきましたが、これからも出し惜しみせずに正直な作品を書いていきたい。
インタビュー取材を終えて:作品を支えた編集者の存在
撮影:稲垣純也
『くもをさがす』の後書きには、担当した編集者の名前が出てきます。
河出書房書新社の坂上陽子さんには、たくさんの本を送ってもらった(私はそれを、ヨーコ・コレクションと呼んでいた)。その本たちに、私は本当に救われた。 『くもをさがす』より引用
坂上さんは2019年に季刊文芸誌『文藝』の編集長に就任後、『文藝』の大幅な刷新を進め、大きく売り上げを伸ばしたことでも知られています。
西さんは坂上さんについて、次のように話していました。
「信頼する編集者で私と同世代。彼女がバンクーバーに送ってくれた本は、私の魂を揺さぶってくれるものが多かった」
西さんは、書き溜めた『くもをさがす』の原稿を、説明なしにいきなり坂上さんに送ったといいます。
「彼女にまず客観的な意見を聞こうと。私はこの文章たちと寄り添いすぎていたので、世に出しうるものなのか、お金をもらっていいものなのかっていうのを判断してほしかった」
原稿を送ると、坂上さんからはすぐにLINEで連絡がきたといいます。
「彼女からは『やばいです』って(笑)。その正直な反応がすっごい嬉しかった」
坂上さんは『くもをさがす』について、こう話しています。
「物語を紡ぐ作家が自分自身、しかもその弱さを公にさらけ出すことには勇気がいるはず。西さんの小説を読むときと同じ読後感だったことに驚きました」
普段はあまり意識することはないですが、私たち読者が作品を読むずっと前に、作家から作品を受け止める編集者がいます。その存在の大きさを、改めて感じました。