北京大学で開かれたプレミアム上映には、スラムダンクファンだけでなく、純粋なバスケ好きも多く集まった。
北京大学
4月20日に中国で公開された日本アニメ映画『スラムダンク』が、歴史を塗り替える大ヒットとなっている。背景には、日本以上にバスケが人気の中国で同作品が1990年代から人気を集めていたことや、北京大学の体育館を活用した巧みなマーケティングがある。
『THE FIRST SLAM DUNK』は前売り券の販売だけで約1億1560億元(約22億5000万円、1元=19.5円換算)を突破し、中国で上映された海外アニメ映画の前売り最高額を更新した。4月20日0時の公開前に多くの映画館で行列ができ、現地メディアによると、同日だけで中国本土で約13万回上映された。
週末に上海市のシネマコンプレックスに同作品を観に行った男性は、「『スラムダンク』は30分おきの上映スケジュールで、(新海誠監督の)『すずめの戸締まり』も上映されていたので、シネコンが日本作品で埋まっていた」と話した。
中国での封切りに合わせ、原作者の井上雄彦氏も中国のファンに向けたツイートを投稿している。
出だしからこれほど大ヒットしたのは、主に3つの理由がある。
バスケ人気沸騰の90年代に流入
調査会社によると、中国で映画『スラムダンク』の鑑賞を計画している人は30代が約半数を占め、学歴別では「大卒以上」が85.5%だという。
『スラムダンク』の漫画の連載は『週刊少年ジャンプ』で1990年に始まった。アニメは1993年に放送が始まり、漫画、アニメともに1996年まで続いた。日本バスケットボール協会によると1990年の競技者登録数は約81万人だったが、アニメが始まった1993年に87万人に増え、1995年、1996年は100万人を超えた。連載・アニメが終わった1997年には93万人に減少し、2000年には50万人を割っている。『スラムダンク』が日本のバスケに与えた影響の大きさが分かる。
私事だが、1980年生まれの夫も、中学まで野球部に所属し高校でバスケ部に鞍替えしている。『スラムダンク』の映画には昨年12月の封切り初日に足を運び、しばらくしてもう一回観に行っていた。
『スラムダンク』がバスケ人気に火をつけた日本に対し、中国ではバスケ人気が急激に上昇した1990年代後半から2000年代にかけて『スラムダンク』の漫画とアニメが流入してきた。
姚明選手(右)の出現が、中国でのバスケ人気を沸騰させた。
Reuter
中国では1995年にバスケのプロリーグが発足、同じころNBAの試合中継も始まった。1997年には姚明(ヤオ・ミン)が17歳で中国プロチーム入りし、2002年のNBAドラフトで全体1位で指名された。NBAで主力として活躍する中国人選手が出現したことで、バスケ人気が沸騰している時代に『スラムダンク』がはまったわけだ。
今も中国ではバスケ人気が非常に高い。NBAには巨額の中国マネーが流れ込んでいるし、大学のキャンパスには屋内、屋外を問わずバスケットボールのリンクが設置され、休み時間に学生たちがゲームに興じている。
夫は中国で働いていたころ、日本人と中国人混成のバスケサークルに参加し、大学の体育館で練習していた。中国でWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)はほとんど話題にならなかったが、『スラムダンク』は30~40代の日本人と中国人にとって、共通言語にもなりうる作品だし、アニメに出てくる「鎌倉高校前の踏切」は『スラムダンク』を見たことがない中国人Z世代の間でも「聖地」として知られている。
日本で鑑賞した中国人がレビュー投稿
『スラムダンク』に限らず、日本のアニメやドラマは中国で軒並み人気が高い。コロナ禍では外出が制限され、特に映画館は営業の制約を大きく受けたにもかかわらず、日本作品は安定して供給された。『すずめの戸締まり』と『スラムダンク』に話題が集中しているが、4月14日には『ちょっと思い出しただけ』の上映が中国で始まり、先行上映会でのトークイベントには主演の伊藤沙莉と松居大悟監督がオンラインで参加した。
中国の映画・ドラマレビューサイトには、中国で公開される前に日本で作品を観たユーザーの口コミが多数投稿され、それが作品のプロモーションになる。映画の『スラムダンク』は日本で公開された昨年12月に万単位のレビューが投稿され、上映前の平均レビューが9.1~9.2(10点満点)と極めて高かったことも、前売り券の販売を押し上げた。
ちなみに、NHK総合で今年3月3日に放送されたテレビアニメ『「進撃の巨人」The Final Season完結編(前編)』は、中国での放送予定はないが、レビューサイトに1万件以上のコメントがついている。日本で暮らす中国人の口コミが、中国のアニメやドラマファンにかなりの影響力を持っていることが分かる。
体育館での「没入型」プレミア上映
『スラムダンク』はバスケ人気が高い中国で長年にわたって認知を広げてきたため、ヒットは確実だったが、4月15日の北京大学でのプレミア上映で駆使したマーケティング戦術が、前売り段階での“記録的な”大ヒットを後押しした。
欧米の著名起業家や政治家が訪中した際には、北京大、清華大でスピーチを行うことが多いが、これら名門大学は最近は映画の話題作りでも活用されており、北京大では3月17日に『すずめの戸締まり』のプレミアも開催された。
通常、北京大での大きなイベントは百周年紀年講堂で行われる。『すずめの戸締まり』も同様だ。だが、『スラムダンク』のプレミアは体育館に巨大スクリーンを設置し、試合会場を再現する“没入型”スタイルで実施された。
4000人の来場者にはコンサートやスポーツの試合で使われるスティックバルーン(応援棒)が配られ、「流川命」「全国制覇」と書かれた横断幕やうちわも投入された。上映前には北京大学と各SNSでのフォロワー数が計5000万人を抱えるバスケチームがダンクシュート対決をし、チアガールのパフォーマンスが行われ、観客は上映中も劇中の登場人物やチームに大声援を送った。上映後にはアニメ時代にアテレコを担当した声優も登場し、場を盛り上げた。
熱戦を再現したプレミアは会場の熱気を高めるだけでなく、SNSでの拡散を促した。通常の試写会に比べると盛り上がっているように見える演出になっているし、メディアが撮影して放送したくなるような仕掛けが随所に散りばめられていた。
プレミア上映で凝りに凝った演出を行い注目を集めるマーケティングは、SNSが普及した2010年代に映画の宣伝手法として一般化した。2019年に公開された『中国機長(邦題:フライト・キャプテン 高度1万メートル、奇跡の実話)』のプレミア上映は北京から重慶へ飛行中の機内で行われ、制作メンバーが乗務員に扮して盛り上げた。
SNSやレビューサイトに投稿を集中投下して「皆が関心を持っている」「注目されている」空気を醸成し、スタートダッシュを成功させるのは、映画に限らず中国のマーケティングの王道的手法でもある。『スラムダンク』はプレミア上映がなくても大ヒットしただろうが、北京大学体育館を使ったプレミアがあったからこそ、日本のメディアが「中国で大人気」と報じるための“画”“材料”を撮影することもできたわけだ。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚