2007年に自ら運営する不動産投資信託(REIT)を390億ドル(4兆4000億円、当時)で売却して世界を驚愕させた伝説の投資家、サム・ゼル氏。
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商業用不動産のディストレスト(経営不振で財務内容が悪化した状態)を投資機会とすることから「墓場のダンサー(Grave Dancer)」の異名を取り、辛辣な物言いで知られる資産家のサム・ゼル氏だが、その厳しいイメージとは裏腹に、登壇の依頼は喜んで引き受けることが多い。
4月第4週、ゼル氏は米ニューヨーク大学シャック不動産研究所からの依頼を受け、マンハッタンの中心にあるセントラルパークからほど近い高級ホテル「ザ・ピエール・ア・タージ」の豪華なダイニングルームで、大勢のファンを前に演説をぶった。
そして少なくとも、今日の商業用不動産市場では誰もがあまり触れたがらない話題、つまりリモートワークの普及拡大で見捨てられかけたオフィス物件に話が及んだ時の彼には尊大さが満ちていた。
「在宅勤務に関する議論は、基本的に何もかもデタラメだよ」
ゼル氏がそう語ると、彼が登壇すると聞いて集まった約250人の参加者から笑いの声が巻き起こり、続いて万雷の拍手が送られた。
デタラメだとする論拠は、別にゼル氏だけのものではなく、オフィスで勤務するほうが在宅勤務より高い生産性を得られると主張する大企業経営者にありがちな考え方だ。
ゼル氏はなぜ「オンラインではモチベーションを高めるのが難しい」のかを説明した上で、取締役会メンバーから社会人になりたての若い従業員まで誰にとっても役立つ個人同士の交流を、リモートワークで置き換えることは全くできないと指摘した。
2007年に600件弱のオフィス物件から成る不動産投資信託(REIT)「エクイティ・オフィス(Equity Office)」を、当時のレバレッジドバイアウト(LBO、企業買収に際して対象企業の資産や将来キャッシュフローなどを担保に資金調達する手法)としては最大規模となる390億ドルで大手投資会社ブラックストーン(Blackstone)に売却したゼル氏。
伝説の不動産投資家は、壇上でさらに次のように語った。
「近頃のハイテク企業による相次ぐレイオフの中身を精査してみれば、在宅勤務をしている従業員はオフィス勤務の従業員よりも解雇の対象になりやすいことが分かるはずだ」
会場の参加者たちは皆また大きくうなずいた。
商業用不動産市場の現状
企業テナントがスペースを縮小したり、賃借契約を更新しなかったり、大規模オフィス物件の価値はいま極めて不安定な状態にあり、その厳しい状況が可視化されつつある。
ロイター報道(4月17日付)によれば、カナダの不動産運用大手ブルックフィールド(Brookfield)は4月、首都ワシントン周辺の複数のオフィスビル物件について、商業用不動産ローン約1.6億ドルのデフォルト(債務不履行)を起こしている。ロサンゼルスの複数のオフィスビルに続いて今年2度目のデフォルト。
また、ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長「肝煎り」の出資先として知られ、一時はコワーキングスペースブームのけん引役となったウィーワーク(WeWork)は、ニューヨーク証券取引所から6カ月以内に取引所規則の遵守状態を回復できない場合、上場廃止になる可能性があると警告を受けた。
そうした緊迫した状況を受けてか、ウィーワークのサンディープ・マスラニ最高経営責任者(CEO)はゼル氏の登壇したのと同じシャック不動産研究所主催のカンファレンスで講演する予定だったが、直前にキャンセルしている。
そんなひどい市況にもかかわらず、ゼル氏はカンファレンスで良い仲間に出会えたことになる。
登壇した他の商業用不動産関係者たちは、市場の厳しい現実を認めつつも、口を揃えて「オフィス物件(の需要減退でビジネスが成立しなくなる)終末論は何もかも間違っている」と強調した。
オフィス不動産投資信託(REIT)最大手ボストン・プロパティーズ(Boston Properties)のオーウェン・トーマス会長兼CEOは次のように発言した。
「近頃オフィス市場にかかる下押し圧力は、リモートワークの普及拡大ではなく、あらゆる産業で苦悩の種になっている(金利上昇を受けた)資金調達コストの上昇こそが原因。
確かにオフィススペースへの需要は減っているものの、それは企業が足元でリセッション(景気低迷)に見舞われているからであって、それでも消費者はお金を使っており、経済がストップしたわけではない」
トーマス会長兼CEOは「在宅勤務は市況と一切何の関係もないと言っているわけではなく、関係は確かにある」とした上で、それでも(シリコンバレーのようにハイテク企業が集中する)西海岸以外のエリアではほとんどの企業が従業員に週数度のオフィス勤務を求めており、パンデミック期とは状況が大きく変化していることを指摘した。
ボストン・プロパティーズでは、在宅勤務やリモートワークが続いていた2022年も、オフィススペースの賃借契約については「例年とさほど変わらない」状況だったという。
また、同社は2023年の見通しについて、オフィス勤務の再開によるスペース需要は増えるものの、景気後退入りにより経済全体の不振が想定されることから、より厳しい経営を強いられるとしている。
なお、パンデミックによるオフィス市場への打撃を回避できた不動産市場のプレーヤーには、足元で「勝ち組」感があるようだ。ゼル氏から390億ドルでオフィスREITを買収したブラックストーンも、実は勝ち組側にいる。
同社の米国不動産事業責任者を務めるナディーム・メグジ氏は、シャック不動産研究所のカンファレンスで次のように発言した。
「かつて当社の手がけるビジネスの半分以上を占めていた米国における従来型オフィス賃貸事業は、もはや当社のグローバルビジネスにおいては2%を占めるにすぎない」