カーボンニュートラル社会の実現へ向けて、トヨタの高級ブランド「レクサス」が力を入れる初のバッテリーEV専用モデル「RZ」。さまざまな最先端技術が搭載される中、注目を集めたのがデンソー製の「SiCパワー半導体」の採用だ。耳馴染みがないデバイスかもしれないが、EVのモーターを制御するインバーター部分に組み込まれ、カーボンニュートラル社会の実現に寄与する重要な要素のひとつとして「グリーンデバイス」とも呼ばれている。
このSiCパワー半導体に欠かせないキーマテリアル、「SiCエピタキシャルウェハー(以下、SiCエピウェハー)」の外販で世界No1シェアを誇るのがレゾナック。ここ数十年、日本の半導体メーカーが凋落した一方、世界で勝ち残ってきた半導体材料の大手メーカーのひとつだ。
レゾナックは、SiCパワー半導体でも最先端のBEVや鉄道など高付加価値分野で技術力を発揮しているが、それによってどう社会に貢献しようとしているのか、その強さはどこにあるのか。デバイスソリューション事業部 事業部長の真壁保志氏と技術分野を統括する金澤博氏の話からひもとく。
電力ロスを大幅に削減。次世代のキーデバイス「SiCパワー半導体」とは
パワー半導体は、EVだけでなく、太陽光発電設備や最新型の鉄道車両などに使われている。
半導体といえば、スマートフォンやPCの内部の計算処理やメモリを担うイメージが強いが、パワー半導体はそれとは異なる。
真壁保志(まかべ・やすし)氏/レゾナック デバイスソリューション事業部長。1992年に三菱化成(現・三菱ケミカル)に入社、2004年三菱化学のハードディスク事業譲渡に伴い昭和電工(現・レゾナック)に移籍。シンガポール工場での勤務、国内事業所の工場長を経て、2019年SiC統括部長に就任。2023年より現職。世界的にも競争力のあるハードディスクメディア、SiCエピウェハーの2つの事業を「ベスト・イン・クラス」をモットーにリードする。
「例えばEVに充電された電気をモーターの動力として使用する過程では、ノイズの除去や周波数や電圧の変換、直流から交流への変換などが必要です。これらの役割を担うのがパワー半導体です」(真壁氏)
このパワー半導体のチップの材料がウェハーだ。現状、パワー半導体の大半には、「Si(シリコン)ウェハー」が使われており、これらは「Siパワー半導体」とも呼ばれる。
しかし、シリコンウェハーを使ったパワー半導体は開発から50年以上が経過し技術的には成熟している。昨今はEVや再エネ発電用コンバーターなど高電圧・大電流を必要とする機器類が増え、シリコンウェハーを使ったパワー半導体の性能向上による課題解決には限界が見えてきた。そのひとつが、高電圧に対応するとエネルギーロスが増え、消費電力が大きくなってしまうというものだ。
金澤博(かなざわ・ひろし)氏/レゾナック SiC事業のCTO(技術統括責任者)。1995年に昭和電工(現・レゾナック)に入社。2014年よりSiCエピウェハーの事業に携わり、2023年より現職。製造の難易度の高いSiC製品の技術責任者として、さらなる品質改善に取り組む。
「SiCパワー半導体はSiパワー半導体と比べて秀でている特性がいくつかありますが、そのひとつがSiCの高電圧特性、つまり同じ耐圧であれば抵抗が低くなる材料特性です。これにより、直流から交流への変換で発生する電力損失を1/2〜1/10に削減し、省エネルギーを実現します。また、200℃以上の高温動作に耐えられること。高温環境でも電力の制御が可能なため、冷却装置を簡素化できる可能性があります」(金澤氏)
一般にEVの場合、搭載するパワー半導体をSiCパワー半導体に切り替えることで、航続距離を約5%伸ばせるという。つまり、「電費」(ガソリン車なら「燃費」に相当)がよくなるのだ。さらにSiに比べて半導体チップを小型化することができ、車の設計の自由度が上がるなど、EVの進化にも寄与できる。
そうした背景を知ると、レクサス初となるバッテリーEV専用モデルである「RZ」に「SiCパワー半導体」が搭載された意味がわかるだろう。
レゾナックが世界No.1シェアを誇る3つの理由
とはいえ、すぐにSiCパワー半導体がSiパワー半導体にすべて取って代わるかといえば、それほど単純な話ではない。それは製造の難易度が高いからだ。
SiCパワー半導体に使われる「SiCエピウェハー」は、SiC(シリコンカーバイド)の基板の表面上にSiCの結晶を薄い膜(通称、エピ膜)状に成長させたもの。金澤氏は、製造の難しさをこう語る。
提供:レゾナック
「Siウェハーは、シリコンという単一の元素なので、きれいな単結晶基板をつくるのも比較的簡単です。しかし、SiCはシリコンと炭素という二種類の元素を化合させて単結晶をつくるため、どうしても欠陥が生じてしまいます。さらに単結晶をつくる際に必要な温度は2,000℃以上。まず、この時点でSiと比べて格段に難しい。
また、そのSiC基板上にエピ膜を成長させる際にも、1,600℃の高温が必要です。高温環境を管理するためセンサーなどを設置すると、そのセンサー自体の影響を受けて品質に変化が生じるケースもあります。機械的にコントロールすることも現時点では難しく、装置があれば簡単に高品質のSiCエピウェハーがつくれる訳ではありません」(金澤氏)
そのような状況で、レゾナックはなぜ高品質のSiCエピウェハーを製造し、外販シェア世界No.1を実現できているのか。その背景には、3つの理由があるという。ひとつは、長年積み重ねてきた製造ノウハウだ。
「当社は20年以上前からSiCに関する研究開発に取り組んでいるので、これまで費やしてきたリソースが競合より多いと自負しています。これまでほぼすべての国内外の大手メーカーと取引し、どういったエピウェハーが求められているかを正確に捉え、その内容をすぐに製造プロセスに反映していました。そういったことを地道に何年も続け、自社独自の製造ノウハウを確立させてきたことで、品質を高めてきたのです」(金澤氏)
提供:レゾナック
2つ目の強みは、計算科学の活用だ。計算科学とは、一言でいえば数学的モデルや定量的評価法を使ったシミュレーション。レゾナックの計算情報科学研究センターには、データサイエンティストと技術者が約70人在籍しており、原子・分子レベルのシミュレーションや構造・流体シミュレーション、AIによる解析などをしている。計算科学を用いて高温環境の製造設備内部をシミュレーション、解析することで、SiCエピウェハーの低欠陥化を実現している。
そして、3つ目の強みが社外との「共創」を可能にするビジネスモデルだ。SiCパワー半導体メーカーの中には、自社でエピウェハーを製造し、それを他のパワー半導体メーカーにも供給する企業もある。社外からエピウェハーを調達するパワー半導体メーカーは、ライバルであるSiCパワー半導体メーカーに技術的な相談はしにくい。一方、レゾナックはエピウェハー専業メーカーなので、エピウェハーを社外から調達するパワー半導体メーカーは、レゾナックに対して細かい技術のすり合わせをしやすい。レゾナックも顧客の詳細なフィードバックを得ることができ、お互いの技術向上につながる。
「エピ膜の形成は最終的な製品仕様を見据えて、デバイスメーカーの設計に合わせたデザインに調整します。つまり、デバイス設計の肝となる情報に触れることになる。そういった背景から、パワー半導体も手掛けるメーカーよりも、エピウェハーを専業としている当社の方がお互いの技術のすり合わせをしやすい関係性にある。この共創から得た技術力は、我々の大きな強みです」(真壁氏)
これらの強みによって、レゾナックはさまざまな大企業から信頼を得ている。例えばSiCパワー半導体でグローバル最大手の一角であるドイツ企業インフィニオンや国内最大手のロームとSiCエピウェハーの複数年の供給・協力契約を締結。また、レクサス「RZ」に搭載されたデンソーのパワーモジュールへの採用もその一例だ。
提供:レゾナック
今後、SiCパワー半導体の市場は急拡大が見込まれ、年平均成長率は30%と予想される。主要素材であるSiCエピウェハーの市場も同様の規模で拡大する見込みだ。真壁氏も「世界的にEVへのシフトが加速する中で、SiCパワー半導体の需要拡大は間違いなく、引き合いも強い」と期待を寄せる。
カーボンニュートラル社会に向けて、さらなる技術革新を
カーボンニュートラル社会の実現に向けて、さらなる需要増が見込まれるSiCエピウェハー。レゾナックが供給量を増やすために取り組んでいる施策の一つが、円盤状のエピウェハーの直径を広げ、1枚当たりの面積を拡大させる大口径化に向けた開発だ。面積が広くなれば、一枚のウェハーから切り出せるチップの数も増え、製造の難易度は上がる。しかし、技術が確立すれば供給量を増やせるだけでなく、面積当たりの価格を現在より抑えられる可能性が高い。
「現在レゾナックが供給しているSiCエピウェハーの主流は直径6インチ(約150mm)ですが、昨年国内メーカーで初めて8インチ(約200mm)のサンプル出荷を開始しました。我々の8インチSiCエピウェハー開発は、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)の『グリーンイノベーション基金事業』にも採択されています。すでに、世界最高レベルの水準だと自負していますが、さらに技術を突き詰め、圧倒的な品質優位性を維持していきたいです」(金澤氏)
左が8インチSiCエピウェハーで、右が6インチのもの。
最後に、真壁氏は「カーボンニュートラル社会の到来は我々人類共有の目標。その実現に貢献し得る有望な素材であるSiCエピウェハーを積極的に展開していきたい」と未来を見据える。
「具体的には、5年以内に2022年比で5倍の売上げを目指しています。カーボンニュートラルに貢献するには、一定の規模は必要だと考えます。とはいえ、Siウェハーと比較すれば高価なのも事実。まずは、高い品質、性能、信頼性が求められる分野、EVや鉄道、産業分野などに注力し、電力効率の向上によってカーボンニュートラル社会の実現に寄与していきます」(真壁氏)