『コンビニ人間』の芥川賞作家・村田沙耶香に聞く、いま読むべき1冊。「刷り込まれた幸せ」の外側へ

村田さん

芥川賞作家・村田沙耶香さんにインタビュー。文藝春秋の屋上で撮影。

撮影:稲垣純也

「この手も足も、コンビニのために存在していると思うと、ガラスの中の自分が、初めて、意味のある生き物に思えた」 『コンビニ人間』より引用

2016年に芥川賞を受賞し、発行部数100万部超えの大ヒットを記録した『コンビニ人間』。18年間コンビニでアルバイトを続けた主人公を描いた小説は、当時大きな話題になった。

『コンビニ人間』から約7年。日本で働く私たちは、非正規雇用の増加や終身雇用の崩壊など、激しい環境の変化にさらされている。

そんな日本において、作家・村田沙耶香さんは、私たちが「普通」と信じている価値観を揺さぶるような小説を次々に発表し、国内外で多くの読者を惹きつけてきた。

「読書によって、こうあるべきと思っている価値観から解放された」と語る村田さんに、人生に小説がどう役立つのか、そして「今読むべき1冊」について聞いた。(聞き手・横山耕太郎、撮影・稲垣純也)

母から言われた「かわいい女の子になって」

村田さん写真

「刷り込まれた幸せに苦しさを感じていた」と村田さんは言う。

撮影:稲垣純也

──『コンビニ人間』はもちろん、『丸の内魔法少女ミラクリーナ』などの多くの村田作品では、一般的な価値観から外れた自分が登場します。「幸せ」に生きるために、何が大切だと感じますか?

何が幸せかは、その人その人によってすごく違う上に、幸せの「刷り込み」もあると思います。

例えば、親の影響や、読んだ本とか漫画から「これが幸せ」というものを刷り込まれていることもあります。

私の幼少期がそうだったのですが、母から「男の人から見初(みそ)められるような女の子になってほしい」と言われていました。家事ができて女の子らしく、子供を産む道具としても優秀な、家のために尽くす存在になることを世界中から要求されているような感覚を自然に抱いていました。

幼稚園のアルバムに将来の夢を絵に書くように言われたとき、そのイメージでピアノを弾いている女の子に男の人がプロポーズする絵を描きました。

親も幼稚園の先生もすごく喜んだのですが、私は喜ぶってことがわかって描いていました。

親や幼稚園の先生にすり込まれると、子供ってそういう行動をして、自分の意志を見失ってしまう。うまく言えないんですが、あとからそう言う幼少期の自分を怖いなと思いました。

刷り込まれた通りの幸せを手に入れて、幸福感を得ることも、一種の幸せな人生だと思います。それでしんどくないなら、良いのではないかと思います。

ただ私はしんどい側の人間だったので、苦しみました。

自分が本当に見たいもの、喋(しゃべ)りたい友達、過ごしたい時間、そういうことを大事にしていた方が幸せなタイプの人間なんだと思っています。

小説で気がついた「自分の肉体は自分のもの」

村田さん写真

村田さんは小説を読むことで、「自分の肉体は自分のものだと思えるようになった」という。

撮影:稲垣純也

──「刷り込まれた幸せ」に疑問を感じたとき、小説を読むことが役に立つのでしょうか?

自分の場合はそうでした。

両親は古い人なのでごく自然に、お見合いに出しても恥ずかしくないような女の子になってほしい、料理もできるようになってほしいというごく自然に考えていた様子でしたし、世界からなんとなく摂取している情報の中でも「理想の女の子」とはそういう存在でした。

「自分の体を自分のもの」と思ったことがずっとありませんでした。

それが、高校生かそのちょっと前に山田詠美さんの小説を読んで、自分の肉体は自分のもので、性愛も生き方の選択も一方的に与えられるものではなく、自分の性愛は自分のものなんだと、初めて思えました。

自分の価値に気が付いたり、がんじがらめになっていたものの外側の世界を見たりできるのは、漫画だったり映画だったりすると思うのですが、私の場合は本でした。

本が何かを導いてくれたり、教えてくれたりすると言うよりは、本を読むことで自分の根底を取り戻すとか、「刷り込まれた幸せ」など、こうあるべきと思っていることが崩壊して解放される感覚が、自分の場合はあったと思います。

「ある種の生きづらさ」を感じるひとへ…いま読むべき1冊

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村田さんがすすめる1冊は『コドモノセカイ』。

撮影:稲垣純也

── 今の時代におすすめの小説を1冊、教えてください。

いろいろな場所でも紹介している小説なのですが、岸本佐知子さんの『コドモノセカイ』です。

生きていくにあたって子供時代の記憶ってすごく大事だという気がしています。

自分にとって子供時代の記憶は、つらいこともたくさんあったのですが、でもそれに支えられて、いま生きているという部分があります。

この本は、子供時代を美化していない短編も集められていて、子供の頃見ていたこと、感じていたことが蘇ってくるような感じがします。

もしかしたら、大人として生きていくには都合の悪いような記憶まで蘇ってくる感覚があるかもしれません。

でも、ある種の生きづらさを抱えている人にとって、子供の世界を思い出すことが力になるのでは、と勝手に思っています。

「都合のいい小説」は書かない

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村田さんは「小説は予感みたいなものが言語化されている部分がある気がする」と話す。

撮影:稲垣純也

── カルト宗教と知りながらも、その教えを信じたいと切望する『信仰』や、亡くなった人の肉を調理して食べる『生命式』など、異質な現実を描いた作品を多く発表されています。小説家として大切にしていることはどんなことでしょうか?

昔からなんとなく思っているのは、小説の言葉も物語も小説のためだけに存在していてほしい、自分にとって都合のいい小説は書かないようにしていたい、ということです。

私の場合、人間としての自分と、小説家としての自分が分離されて存在しているのですが、書いた小説が、人間としての自分にとって都合が悪かったり、人間としての自分を裏切るような小説になったりすることがあります。それでも、小説のことは裏切らないようにしようかなと考えています。

それが私にできる唯一のことなのと、そこから外れると苦しくてたぶん生きていくことができないだろうな、と子供のころ感じたので。そこだけは守っていこうかなって、そう思っています。

── 小説を書いていて苦しいことはありますか?

人間としての自分にとってはすごく苦しい言葉が、小説から発生してしまうということがあります。

そういうときは書き終えてから「人間としての村田」に戻ったとき、読み返して苦しくなるときがあります。

人間の自分としては、「苦しくて読みたくない」と思うのですが、小説がそうなった以上は、人間の自分の都合でコントロールはしないようにしたいと思っています。

書き続けることで「深く掘った言葉に辿り着く」

村田さんの写真

小説では「無意識」を大事にするという。「意識から小説を出してきても、完全に理解できる物語にしかならず、大したものは出てきません」

撮影:稲垣純也

── 今後、挑みたいテーマはどんなテーマでしょうか?

ずっと書きたいテーマがあるんですけれど、それを徹底的に書いたら、たぶん自分が崩壊してしまうだろうなと思っています。でもいつかは書きたいです。

先日クローズの場でそのテーマについて話したら、その後で、具合が悪くなってしまって、吐き気が止まらなくなってしましました。

それでもその時は、具合が悪い中で、ものすごく一生懸命に書いていました。

遺書みたいに、「追い詰められて、極限で書いた作品がすごい、ということが起きてほしい」「場合によってはそれを書き終えて死ぬ人間を見て感動して楽しみたい」、という幻想があるような気がするのですが、もちろん人によると思いますが、私の場合は、精神的に危うい状態で書いた文章がとてもつまらなかったんです。

極限で書いた文章って、こんなに支離滅裂で、書きたいことを突き刺すようなことはなかなかできないんだなあ、と思いました。

自分にとって本当に辛いことを書くには、もっと健康で、心も丈夫でないといけないと思いました。

── 「ずっと書きたい」というそのテーマを書ききるためには、何が必要になるのでしょうか?

書き続けることかなと思っています。

これからずっと書き続けていたら、どんどんどんどん、今の自分では書けないような、もっと深く掘った言葉に辿(たど)り着くのではないか、となんとなく思っています。

精神的に丈夫になればなるほど、本当に自分が崩壊するような、極限の直前まで書けるような気がしています。

私はこれまで、自分自身が抱えている痛みを、言葉の世界で再発見するような感覚で書いていました。書いた後で一瞬は粉々になるんですけど、その後は不思議と心が整理されて元気になります。

自分の中の何か危うい部分とか、弱い部分とかを、言葉でがんがん叩くみたいなことを繰り返してるうちに、痛みを冷静に分析することができて、その先の世界を探せるようになっている気がします。

── なぜ小説を書き続けるのでしょうか?

苦しいと同時に、幼少期から書くことで生きてこられたからです。なので、書かないということがそもそもあまり想像できないんです。

あと、うまく言えないのですが、子供のときからこれまで書いてきた作品は、全部繋がってるような感覚があります。

同じことを書いていても、何か変化したり進化したりしてるような感覚がずっとあります。

別々の作品ではあっても、どこかで書き残した感覚が次の作品に違った形で存在していたり、角度を変えて言語化されていたり、いろいろな形で繋がっていると感じます。

今は長編小説を書いています。短編も3つ引き受けていて、その後にもまた長編を約束しているのですが、今書いている長い物語も、たぶん次の小説に繋がっています。

20年後、30年後、今とは違う人間や、違う風景とかを書いていると思います。それがどう繋がっていくんだろうって、今からずっと楽しみにしています。


村田沙耶香…1979年、千葉県生まれ。2003年に『授乳』が群像新人文学賞優秀作を受賞、2016年には『コンビニ人間』で芥川賞を受賞した。『コンビニ人間』は発行部数が100万部を超え、現在38の国と地域で翻訳されている。『地球星人』と『生命式』も英訳が発行されており、海外でも注目を浴びている。2022年10月に発売された短編集『信仰』に収められた作品のうち5つは、イギリスやアメリカ、ドイツの雑誌や美術館図録のために書き下ろされた。

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