セールスフォース(Salesforce)のマーク・ベニオフ創業者兼最高経営責任者(CEO)。
Roy Rochlin, Mike Windle / Getty Images; Arif Qazi / Insider
2021年後半、セールスフォースはマーク・ベニオフ共同創業者兼最高経営責任者(CEO)の言うところの「ビジネスにおける涅槃(悟りの境地)」にたどり着いたように見えた。
パンデミックでリモートワークや在宅勤務が急速に浸透し、クラウドベースのソフトウェアに需要が殺到したことで、セールスフォースは成層圏を目指すロケットの如き勢いで成長を遂げた。
2020年夏以降、同社の株価は過去最高を繰り返し更新し、なお高止まりを続けた。
ベニオフは年間売上高が5年以内に現状の倍となる500億ドルを突破するとの見通しを語り、セールスフォースはいまや史上最速の成長を遂げたソフトウェア企業になったと豪語した。
2021年8月、セールスフォースは経営幹部数十人をハワイに招いた。ハワイアンシャツにビーチサンダルという出で立ちのベニオフが自ら出迎え、1万ドルのカルティエの高級腕時計を配る毎年の恒例行事だ。
集まった経営幹部の中には、自ら創業したスラック(Slack)を277億ドルという途方もない金額でセールスフォースに売却した(買収合意は2020年12月)スチュワート・バターフィールドの姿もあった。
これほど決定的な成功を収めれば、ベニオフはもはや経営の最前線から身を引くことも可能なように思われた。
実際、ベニオフはその年の11月、彼の右腕として最高執行責任者(COO)を務めていたブレット・テイラーを共同CEOに指名。その就任後、ベニオフ自身は毎月の全社会議にもハワイのオフィス兼自宅からオンラインで参加するくらいになった。
背景に12本のウクレレが並ぶ部屋から会議に顔を出す時も、ベニオフは個別のビジネスに触れることはなく、企業におけるバリュー(価値観)について長々と語ったりした。
このある種の講話は、従業員の間で「ベニオフ・リフ」と呼ばれ、ベニオフの友人であるメタリカのメンバーが登場したり、ダライ・ラマとの瞑想経験が語られたりした。
しかし、そうしたセールスフォースの「涅槃」は長続きしなかった。2022年に入って景気後退の影が忍び寄ると、状況は一変する。
共同CEOに就任したテイラーがベニオフとの「決戦」に敗れて会社を去り、それをきっかけに経営幹部の大量流出が始まった。
経営陣の揺らぎと前後して、複数のアクティビスト投資家によるセールスフォース株の大量取得が相次ぎ、同社はいわゆる「物言う株主」からの厳しいコスト削減要求にさらされるようになっていく。
1月には従業員総数の10%を対象とするレイオフ(一時解雇)に踏み切った。
委任状争奪戦を通じてアクティビスト投資家と全面対決するのは不利と判断したのか、ベニオフはコスト削減要求を受け入れる方向に舵を切り、目下、営業利益率の引き上げに取り組んでいる。
3月1日に発表した2022会計年度通期決算では、調整後営業利益率が過去最高の22.5%を記録し、今期は27%を目指すとした。
それ以前にInsiderが独自入手した2023会計年度向けの事業計画草案には、同利益率を「いますぐ」「30%台以上」に引き上げる計画が盛り込まれており、今後も収益性を重視した経営が展開される可能性は高い。
「思いやり重視」から「成果主義」へ?
Insiderは近ごろ、2度にわたってベニオフへのロングインタビューを敢行し、その際にこの厳しい時期の舵取りについて、経営者としての自己評価を尋ねている。その回答は次のような表現で返ってきた。
「直近半年間が『あらゆるステークホルダーの要求に応える経営手法』をテーマにしたマスタークラスの授業でなかったのなら、私はしくじったことになるでしょうね。
と言うのも、まさにやろうとしたことを実現できたのがこの半年間だったからです。お手本のような出来栄えでした」
しかし、ベニオフはそんなことのために「オハナ(ハワイ語で家族もしくは血縁のない家族のような仲間を指す)」を見捨てたのか?
ベニオフは20年以上の時間をかけて、セールスフォースをスタートアップから世界を代表するソフトウェア業界の巨人にまで育て上げた。
一方で、2004年刊行の自著タイトルに掲げた『思いやりのある資本主義(compassionate capitalism)』のアンバサダーとして、セレブさながらのセルフブランディングにも成功している。
セールスフォースは、莫大な利益を生むビジネスを推進しつつも、社会貢献活動を通じて地域社会に「還元」し続ける姿勢をアイデンティティの中核に据えてきた。
ハワイ語で家族を意味する「オハナ」を座右の銘とするベニオフは、2019年刊行の回顧録的著書『トレイルブレイザー:企業が本気で社会を変える10の思考』にも書かれているように、従業員や顧客と「最も近い親戚に接するような」態度で向き合う、慈愛に満ちた経営者として振る舞ってきた。
ところが、最近では「オハナ」や「思いやりのある資本主義」はあまり聞かれなくなり、一方で「成果重視のカルチャー」が語られる場面が増えてきた。例の全社会議恒例の「ベニオフ・リフ」も、時に憤懣(ふんまん)やる方ない従業員から反発を食うありさまだ。
また、以前はベニオフが「ビジネスにおける涅槃」といった大上段に構えたフレーズを口にしても反発が起きることはなかったが、いまや景気低迷の影響で批判の声が際立ち、注目を浴びたりする状況がある。
ベニオフが1月に人員整理計画を発表した際、Insiderが独自のルートで確認したセールスフォース社内のスラックチャンネルでは、ある従業員が「もはや『オハナ』のフレーズもお役目御免にすべき時が来たのでは?」と投稿していた。
ただ、一部の社員が何と言おうと、今年59歳になる大物経営者のベニオフにとって、セールスフォースは創業以来24年間変わらない存在のままだ。
「(経営批判の声を上げる従業員たちは)オハナを理解していないのです。セールスフォースは成果主義のカルチャー。これまでもそうだったし、これからもそうであり続けるでしょう。
私の仕事ももちろん、高い成果を出すソフトウェア企業の経営者であり続けることです」
ベニオフ本人へのインタビューに加え、セールスフォースの現役・元経営幹部および従業員数十人への取材を重ねていくと、この苦難に満ちた1年半の実情、そしてそれは同社とカリスマ経営者のベニオフにとってどんな季節だったのか、高い解像度をもってその実像に迫ることができた。
従来と異なる資本主義のあり方
ハワイでイルカと泳いでいる最中にセールスフォース起業のアイデアをひらめいた、というのはベニオフが好んで繰り返し口にしてきたエピソードだ。
それは1996年のことだった。
当時のベニオフはソフトウェア大手オラクルのセールス部門のエースとして活躍、創業者で大物経営者のラリー・エリソンに可愛がられていた。二人のイメージは全く重なるところがない感じもするが、その間柄は相当に親密だった。
ハワイアンシャツ姿で出勤することで知られるベニオフは天性のマーケターであり(大衆を沸かせるのが得意な)ショーマン。一方、ミニマリストのエリソンは強引で無作法な人物として知られた。
エリソンがかつてチンギス・ハーンの言葉を借りて語ったとされる、次のひと言は象徴的だ。
「我々が勝者になるだけでは足りない。他の全ての競合を敗者にせねばならない」
マーク・ベニオフのメンター役を務めてきたオラクル(Oracle)のラリー・エリソン共同創業者兼最高技術責任者(CTO)。
Getty/Justin Sullivan / Staff
オラクル在籍10年を経て、ベニオフは燃え尽き、働き続ける目的を失った。
『トレイルブレイザー』の冒頭で、彼は当時エリソンに「どうしようもない倦怠感」について相談したと書いている。その回答はこうだった。
「サバティカル(長期有給休暇)を取ったらいい。3カ月休んで、あちこち見て回るんだ。それで立ち直ってくれ」
ハワイ島で借りた小屋で、インターネットビジネスの最初のアイデアが浮かんだ。
ベニオフは次に、憧れだったスティーブ・ジョブズの足跡をたどって(それが理由だったことは後年セールスフォースの経営幹部に語っている)インドに向かった。
ヒンズー教の精神的指導者「抱きしめる聖者」マータ・アムリタナンダマイとの邂逅(かいこう)を通じて、ベニオフは「思いやりのある資本主義」を構想する。テック企業は収益増大を実現しながら、同時により良い社会づくりに貢献できるのではないか、というわけだ。
セールスフォースは1999年に創業、2004年にニューヨーク証券取引所に上場を果たした。エリソンも200万ドルを出資した。
同社は世界で初めてクラウドベース(インターネット経由)のソフトウェアサービスを提供した企業の一つ。セールスパーソンが顧客関係管理(CRM)ツールにいつでもどこでもアクセスできる環境を実現した。
約3兆ドル(2022年7月時点、マッキンゼー調べ)規模におよぶSaaS(ソフトウェア・アズ・ア・サービス)グローバル市場を切り拓いた先駆者と言える。
革新的な製品の売上を伸ばしただけでなく、ベニオフは自分自身を売り込むことにも同じくらい成功した。
彼にとって見せ場の一つが、サンフランシスコ本社ビルのすぐそばで毎年開催される「ドリームフォース」だ。ネバダ州の砂漠地帯で開催される世界的巨大イベント「バーニングマン」の企業版とでも表現したらいいだろうか。
社内では「マーク・ショー」と呼ばれ、ベニオフはセールスフォース絡みのモチーフをあしらったクリスチャン・ルブタンの特注スニーカーをこれ見よがしに履いて、この晴れの舞台に臨むことが多い。
ある経営幹部によれば、この恒例行事の開催費用は約1億ドルに上る。一方、セールスフォースの広報担当に聞くと、費用の大部分はスポンサーシップと参加登録費でまかなわれるという。
ベニオフは買収を通じてスピード感のある成長を実現するエリソンの戦略をセールスフォースでも踏襲したが、その一方、それ以外のさまざまなやり方で、過酷な競争を求めるオラクルとは対照的なカルチャーを作り上げた。
ベニオフは同時代を生きる他のテック企業経営者たちと同様、自分や仲間たちのアイデア次第で世界は変えられると信じてきた。
「いいですか、我々はステークホルダー資本主義(企業は株主だけでなく従業員や顧客、地域社会などあらゆるステークホルダーの利益を追求すべきとの考え方)の手本にならなければなりません。我々がその旗印を掲げているのは全世界のためなのです」
セールスフォースの成長につれ、家族に接するように会社組織を運営したいと考える善良な人間としての側面と、最高の業績を叩き出すソフトウェア企業の経営者だと喧伝するビジネスパーソンとしての側面が、ベニオフの中で共存しているとの人物評が浸透し、当の本人もそれをセルフブランディングに活用するようになっていった。
2005年、サンフランシスコで行われたニューヨーク証券取引所のセレモニーでクロージングベルを鳴らすマーク・ベニオフ氏。
Paul Chinn/The San Francisco Chronicle via Getty Images
後継問題
セールスフォースの歴史は常にベニオフ氏とともにあった。
企業規模が大きくなるにつれ、その後継者計画の注目度合いも当然高まったが、ベニオフ氏自身はいつの間にかその手の質問には取り合わず、受け流すことが多くなっていった。
それでも、現実として計画は進められていた。2021年11月にブレット・テイラーが(最高執行責任者から)共同CEOに昇格したのは、禅譲の試みが一度挫折した後のことだった。
ベニオフと最初に肩を並べた共同CEOは、オラクルで25年間にわたって経営幹部を務め、2013年に最高執行責任者(COO)としてセールスフォースに移籍したキース・ブロックだった。
関係者の証言によれば、当時の後継者計画では、2018年夏にジョインしたブロックはベニオフと二人三脚の共同経営を18カ月間続け、その後ベニオフがCEOを退任してブロックが単独CEOに就任する筋書きだった。
しかし、ベニオフは自分に集中した権限をなかなか手放せなかった。関係者によれば、ベニオフは一部の経営幹部をブロックではなく、自分直属のままにするよう求めた。
結果として、ブロックは経営トップでありながら一部に経営権が及ばないという、どうにもならない状況に放り込まれることになった。
そして、内情に詳しい関係者によれば、ブロックの我慢の限界を超える事件が起きたのは、共同CEO就任の翌2019年のことだった。
ベニオフはブロックに相談することなく、彼の後任となる新たな最高執行責任者(COO)にブレット・テイラーを指名したのだ。
グーグルマップの生みの親の一人として知られる(当時はグーグルのグループプロダクトマネージャー)温厚な性格のテイラーは、自ら起業した生産性プラットフォームのクイップ(Quip)をセールスフォースが買収したことに伴い、2016年に同社にジョイン。翌17年からはプレジデント兼最高プロダクト責任者(CPO)を務めていた。
翌2020年2月、新型コロナウイルスの感染拡大を受けてセールスフォースが世界各地の拠点オフィスを閉鎖する数週間前、ブロックはベニオフの後継者としての経営者人生を捨て、退任する道を選んだ。
Insiderは当時、ブロックの退任発表からわずか数時間後に、同社ウェブサイトのリーダーシップページに掲載されていた彼の略歴が削除されたことを報じている。
また、ベニオフは2021年のイベント登壇時に、ブロックは「引退した」と説明している。実際のところを確認すべくブロックにコメントを求めたが返答はなかった。
年次イベント「ドリームフォース(Dreamforce)」登壇時のキース・ブロック元共同CEO。
Business Insider
さて、話は2021年11月に飛ぶ。
売り上げは絶好調、株価は史上最高値を更新。飛ぶ鳥を落とす勢いのセールスフォースは大量採用に乗り出し、結果として2020年10月から2023年1月までの2年4カ月で従業員総数は2万5000人以上増えた。均せば毎月900人弱を採用し続けたことになる。
同社の未来がかつてない輝きを放って見えたその時期に、ベニオフは会社の切り盛りに力を貸してくれる経営人材が欲しいと繰り返し口にしていた。
そして、セールスフォースはテイラーに白羽の矢を立てた。
同社が(ブロックの前例にもかかわらず)共同CEOを置く双頭体制に固執したことは驚きをもって受けとめられたが、そのポジションにテイラーが選ばれたのはある意味自然な流れで驚きはなかった。
多くの従業員の目には、COOを務めるテイラーがその時点ですでに日々のオペレーションをすっかり引き受けているように映っていたからだ。
本記事の冒頭で触れたように、テイラーの共同CEO昇格後、ベニオフの本業への関与は、当時(パンデミックに対応して)毎週開催されていた全社会議にハワイの広大な自宅兼オフィスから時々オンライン参加する程度になっていた。
Insiderがフライト追跡ウェブサイトを使って確認したところ、同時期にベニオフの使うプライベートジェットは頻繁(ひんぱん)にハワイとサンフランシスコの間を往復している。
全社会議でのベニオフは、テイラーや他の自分直属の幹部たちを「エンパワーしたい」とよく口にし、サンフランシスコの学校への寄付、ネットゼロ(温室効果ガス排出量実質ゼロ)早期達成を目指す事業、2030年までに1兆本の樹木を保全・再生・育成するプロジェクトなど、セールスフォースの社会貢献の取り組みに関する情報共有に力を入れた。
会議に参加したある人物はこう語る。
「マークは間違いなくスポークスパーソン寄りの存在、要するに、現場で陣頭指揮を執るCEOではなく、愛社精神に満ちたチアリーダーのようなCEOになりました」
ところが、テイラーは1年もしないうちに共同CEOの任務を放棄することになる。
巨額買収が「宝の持ち腐れ」化
2020年、21年と記録的な成長が続いた後、2022年前半にはベニオフの足元で地盤沈下が始まった。
ベニオフが予想した「年間売上高は5年以内に現状の倍となる500億ドルを突破する」展開どころか、売り上げの鈍化が急速に進んでいった。
セールスフォースはイノベーティブな新製品を自社開発できておらず、買収を通じて「成長を買っている」だけじゃないか、そんな陰口も聞こえてきた(同社は事実と異なるとして、リアルタイムCRM製品「データクラウド」を自社開発の直近例として挙げる)。
セールスフォースは2006年からの15年間で合計60社を買収した。
しかも、2013年のイグザクトターゲット(ExactTarget)が25億ドル、18年のミュールソフト(MuleSoft)が65億ドル、19年のタブロー(Tableau)は157億ドル、そして21年のスラック(Slack)が277億ドルと、年を追うごとに買収金額は膨れ上がっていった。
内情に詳しい関係者は、同時期のベニオフについて、ドリームフォースのような大型イベントの目玉として発表できるような新製品や機能拡張への期待に心を囚われすぎていたと語る。
本当に必要とされていたのは、セールスフォースのあらゆる製品がユーザーには不可視のバックエンドでシームレスに連携できるようにする地味でテクニカルな仕事だった。
関係者によれば、競合する他社製品はセールスフォースが買収した製品より速いピッチで改善とアップデートが進んでいるのに対し、セールスフォース傘下ではデータ分析プラットフォームのタブローのように低迷を感じる製品が少なくない。
そして、同社にとって創業以来最大の買収案件、スラックをめぐる問題もある。
スラック買収で主な仲介役を果たしたのはテイラーだった。
同案件に詳しいセールスフォースの元経営幹部によれば、交渉プロセスで幾度も行われたバターフィールドCEO(当時)とのミーティングにベニオフが参加したのは、ズーム(Zoom)経由の一度きりだった。
ベニオフとテイラーはともに、スラック買収を体裁よく見せようと躍起(やっき)になった。
例えば、ある元経営幹部の証言によると、2021年のドリームフォースは「最初から最後までスラック一色だった」。基調講演を担当した経営幹部たちは、テーマや内容と噛み合うかどうかを問わず、否応なしにスラックの話題を講演内容に盛り込むよう求められたという。
「イベントをスラック一色にした目的は、サービスや機能の統合にとどまらず、スラック効果で早くも社内イノベーションが始まっているとアピールすることにありました。が、そうした動きは実際、マークの期待したほどのスピードでは起きていなかったのです」
スラック(Slack)のスチュワート・バターフィールドCEO。2019年4月、セールスフォースに買収される前の同社主催イベントにて。
NOAH BERGER/AFP via Getty Images
米ウォール街のアナリストらは、セールスフォースの一部の幹部たちと同じように、スラックの買収費用に277億ドルはいくら何でも高すぎるし、リモートワーク普及を追い風にユーザーを増やしたマイクロソフト(Microsoft)の生産性ツール「チームズ(Teams)」に対抗する必要などそもそもないと考えていた。
ある元経営幹部は歯に衣着せずこう語る。
「スラックの件はとにかく馬鹿げています。手を出したのは、マイクロソフトにはチームズがあるというそれだけの理由でした。買収してみたら、カルチャーが噛み合わなかったと」
別の元経営幹部も違う視点から批判する。
「改良したり、自社製品に組み込んだりできないのに、何でスラックを買ったんでしょうか?」
セールスフォースの広報担当に聞くと、2022年だけで90件のイノベーションを発表しており、スラック買収により同社の技術革新は強い加速を見せているとの反論が返ってきた。
なお、上記のようにスラック買収で中心的な役割を果たすなど、COO時代から共同CEO昇格後まで含めてテイラーが特定のプロジェクトに関して主導権を握るケースはあったものの、会社の手綱はベニオフがしっかり握ったまま、というのが一般的な認識のようだ。
経営チームに近い複数の関係者によれば、テイラーが利益率の改善を重視してコスト削減を優先するスタンスだったのに対し、ベニオフは売上高の拡大に重きを置いていたという。
セールスフォースの広報担当に事実関係を確認してみたところ、成長と収益性の適切な組み合わせを常に模索し続けるのが同社のストラテジーであるとして、テイラーとベニオフの方針にズレがあったという関係者の見方には同意しなかった。
経営幹部に高級車を充てがう慣行
SaaS市場の先駆者として着実に成長を遂げ、パンデミックを追い風に爆発的な飛躍を見せたセールスフォースだったが、そうした圧倒的な成功は乱雑な支出の温床にもなった。
関係者によれば、同社では長年にわたって経営幹部に10万ドル以上する高級車を充てがう慣行が続いてきた。最高マーケティング責任者(CMO)のサラ・フランクリンにはアストンマーチン、最高戦略責任者(CSO)のアレックス・ダヨンには電動モデルのBMWといった具合だ。
同社が規制当局に提出した開示資料を読むと、2019年は当時共同CEOだったキース・ブロック用に21万1703ドルの自動車、8万6423ドルの時計を購入。その前の2017年には、共同創業者兼最高技術責任者(CTO)のパーカー・ハリス用に27万1439ドルの自動車を購入したことが分かる。
そんな贅沢な支出ももはやいつまで続けられるか分からない。
2022年5月、セールスフォースの株価は年初来38%という大幅下落に見舞われていた。ロシアのウクライナ侵攻などの影響で景気低迷が続き、その直撃を受けた顧客企業がクラウドソフトウェアへの支出を抑制する動きを強めたからだ。
セールスフォースは新規人材採用の見送りを決め、予定していたオフサイトイベントのいくつかをキャンセルした。
ウォール街はいま、パンデミック回復期の景気が今後どこまで落ち込んで、SaaS市場にどれくらい深刻な打撃を与えるのかを測る一種のバロメーターとして、セールスフォースの動向を注視している。
そして、事態は悪化の一途をたどることになる。
群がるハゲタカ
2022年夏、セールスフォースの経営状態はさらに悪化した。株価はパンデミック発生直後の水準が見えてくる150〜160ドル程度で推移し、8月には業績見通しを売上高・利益ともに下方修正した。
同じころ、ハゲタカが物色の眼差しでベニオフの周りを舞い始めた。
アクティビスト投資家、いわゆる「物言う株主」として知られる投資助言会社スターボード・バリュー(Starboard Value)が足音もなく近寄ってきて、もっと積極的にコスト削減策を実施するよう、経営陣に圧力をかけ始めた。
投資家たちはコスト削減による利益率の改善を重視するテイラーのスタンスに同調し、セールスフォースに財務引き締めを要求した。そして間もなく、同社は最大の支出項目である人件費、すなわちベニオフの「オハナ」(広義の家族を指すハワイ語、前出)の削減に舵を切ることになる。
9月、セールスフォースは利益率に関して新たな目標を発表し、投資家に「野心的な」数字だとアピールした。具体的には、2023会計年度に20%と見込んでいた調整後営業利益率を、2026会計年度に25%まで引き上げるとした。
ところが、スターボードの反応は「十分に野心的とは言えない」というものだった。
セールスフォースの成長は利益率を犠牲にして成り立っている状況で、同業他社と比較した時、「業界リーダーとしてのポジションに期待される利益率を実現していない」とスターボードは指摘した。
セールスフォースとスターボードの攻防は間もなく世間の知るところとなった。
10月、スターボードはセールスフォースの発行済み株式302万株、4億ドル相当を取得したことを明らかにした(2023年2月の開示資料に記載のある2022年末時点の数字)。
スターボードは営業利益率30%台以上という極めて意欲的な目標設定を求めた。同月の投資家サミットで同社が求めた調整後営業利益率は31.7%。売上高成長率も加味して考えると、マイクロソフトやオラクルなど同業他社に近い水準だった。
そして、その後わずか数カ月という短期間に、世界中の企業がその名を聞いて震え上がるエリオット・マネジメント(Elliott Management)を含む、アクティビスト投資家4社がセールスフォース株の大量取得を表明することになる。
「物言う株主」たちはいずれも、ベニオフに実績と信用のある大企業の経営トップにふさわしい行動を取るよう求めていた。
共同CEO同士の「最終対決」
従業員たちの目にベニオフは呑気な人物と映っているかもしれないが、外には見えないだけで、ベニオフが会社経営の手綱を緩めたり手放したりしたことはただの一度もない、と元経営幹部たちは口を揃える。
ベニオフとテイラーは共同CEOとして対等な関係だったが、それはあくまで書類上の話にすぎない。
ある元経営幹部はInsiderの取材にこう語った。
「ベニオフは支配権を手放したくなかったんです」
Insiderが独自に確認したセールスフォースの社内組織図を見ると、最高幹部13人のうち10人がテイラー直属の部下となっている。にもかかわらず、ベニオフは引き続きテイラー直属の経営幹部の業績査定まで行っていた。
また、テイラーの共同CEO昇格後も、経営会議での主導権は手放さなかった。
高い解像度で全体像を把握するため、あえて幹部たちの対立を煽って議論させるのがベニオフの会議における常套手段だった。
売り上げが落ちれば、製品・販売・戦略の各部門を担当する幹部を会議に呼び出し、誰(の部門)が悪いからそうなっているのかを徹底究明させることもあったようだ。
セールスフォースの広報担当は次のように説明する。
「(テイラーが共同CEOだった時代も)当社のあらゆる従業員は、たとえ直属の上司はブレットであっても、もう一方の共同CEOであるマークの部下でもあることに変わりはありません。
CEOの一人として、健全な議論を通じて最良の結果を得ようとすることは別に珍しいことでも何でもありません」
テイラーは不吉な前兆を感じた。
四方八方からアクティビスト投資家に包囲されたセールスフォースは、これから大幅なコスト削減と数千人単位のレイオフを余儀なくされ、当面の間はイノベーションも遠のくだろう。自分は経営トップなんだという幻想にしがみついて、嵐の過ぎ去るのをひたすら待つというのか?
テイラーが社を去る前の最後の数カ月間について、ある元経営幹部はこう語る。
「自分の置かれた場や状況を変えられないと、大きなフラストレーションを感じますよね。ましてテイラーは共同CEOです。経営の最高責任者の一人として会社を変えている実感を持てず、苛立ちを募らせていたに違いありません」
セールスフォースのブレット・テイラー元共同最高経営責任者(CEO)。
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その後間もなく、テイラーは単独CEOのポジションを獲得するための行動に出た。当時の経緯に詳しい別の元経営幹部はそれを「突然のこと」だったと語る。
「まさに天王山、最終決戦でした」と同幹部は続けた。しかし、ベニオフの回答は「テイラーはまだ(単独CEOになる)準備ができていない」というものだった。
テイラーは言った。
「もういい、終わりだ」
ベニオフは先述の二度にわたるロングインタビューで、これら一連の出来事について直接言及しなかった。彼はテイラーの退社について短くこう語った。
「私を含め、誰も予想していませんでした。失望しました。それがすべてです。彼の離脱を受けて、私たちはピボット(経営における方向転換)の必要に迫られました」
ベニオフは、テイラーを共同CEOに指名した日からちょうど1年後の11月30日、決算説明会の場で彼の退社を発表した。
台本原稿にないイレギュラーなコメントで、起業家としてのテイラーを称賛した上で、ベニオフはこう語った。
「彼を自由にしてあげなければならないし、それは分かっている。それでも私は嫌だ。ブレット、君はこれからも私たちの兄弟だ。心から愛している。君の家はここだし、私たちも何とかして帰ってきてもらおうと頑張るつもりだ。生きて出られるなんて思うなよ、無理だから」
テイラーだけでは終わらなかった。数日後、セールスフォースとその傘下から、傑出した5人の経営首脳もしくは経営幹部が去った。スラックのスチュワート・バターフィールドCEO、タブローのマーク・ネルソンCEOもそこに含まれていた。
テイラーは2023年1月、正式にセールスフォースを去った。
ベニオフの講話は「議事妨害」
アクティビスト投資家からの厳しいコスト削減圧力が続く中、ベニオフの「オハナ」カルチャーへの疑念が高まっていった。
セールス部門の従業員からは、マイクロマネジメントや営業成績へのプレッシャーの高まりに対する嘆き節が聞こえてきた。2022年11月には同部門で数百人規模のレイオフが行われたが、その理由は営業成績に基づくものだった。
ベニオフはパンデミックの最中、相次いでオフィス復帰の義務化を発表した他社を批判し、積極的に反対した稀有な経営トップだった。しかし、そうした時代はいつの間にか過ぎ去り、同社は従業員に対しすでに週数日の出社を義務づけている(例えば、顧客対応に関わる従業員は週4日など)。
2022年12月半ばの金曜日の夜、ベニオフは全従業員が参加する社内のスラックチャンネルにある質問を投げかけた。
「当社従業員の生産性を向上させるにはどうすればいいのか?」
Insiderが独自ルートでその投稿を確認したところ、ベニオフは他に「パンデミック中に採用された新たな従業員は生産性の大幅な低下に直面しています」と指摘した上で、「これは私たちのオフィスポリシーが生んだ結果なのでしょうか?」と書いていた。
1月4日、セールスフォースは従業員総数の10%に相当する約7000人をレイオフすると発表した。
翌日、ベニオフは人員整理計画に関する全社会議に遅刻して参加した上、2時間近くしゃべり続けた。
本記事の前半で何度か触れたように、全社会議でのそうした一種の講話は、かつて「ベニオフ・リフ」と呼ばれたものだ。
しかし、いまや従業員はそれを「フィリバスター」(議事進行を意図的に遅延させる行為、議事妨害とも呼ばれる)とまで表現する。
当時、Insiderが確認したセールスフォースの社内スラックチャンネルにはこんな投稿があった。
「マークがいまやってることは、堂々巡りの話を繰り返して目の前の(人員削減という)問題から目を背ける、4万7600人超の従業員に対するフィリバスター行為じゃないのか?」
ロングインタビュー時にこの全社会議と従業員からの批判的な声について尋ねると、ベニオフは毅然とした態度で、困難な状況の中でベストを尽くしたつもりだと語った。
「私は常に心を開いて(従業員に)接し、自分の気持ちを正確に伝えるようにしています。
同じテック業界でも、企業によって(従業員への)アプローチはそれぞれ。例えば、マイクロソフトは1万人規模のレイオフを発表する直前の夜、ダボス会議に際して同社の最高幹部を含む近親者を集め、世界的ミュージシャンのスティングをゲストに招いたイベントを主催しましたが、全社会議(を通じた説明)すら開いていません」
ベニオフの弁解はさておき、この全社会議は従業員の士気に大きな打撃を与えた。
同時に、ベニオフが座右の銘とし、セールスフォースの企業カルチャーを示す言葉と位置づけられてきた「オハナ」にもますます反感が募る。
なお、同社内で「オハナ」への違和感が高まったのは、必ずしもこれが初めてではない。
内情に詳しい関係者によれば、2019年、同社のダイバーシティ(多様性)担当およびPR担当の幹部が集まり、社内用語としてハワイ語が混在して使われていることについて、ベニオフとの間で議論があったという。
結果、その議論の後でいくつか用語の変更が行われた。例えば、年次ボーナスはそれまでハワイ語で「助け」を意味する「コクア(Kokua)」の名で呼ばれていたが、英語の「感謝(gratitude)」に置き換えられた(直近の2022会計年度、同社は「感謝」ボーナスを3割カットしている)。
それでも、ベニオフは「オハナ」だけは手放そうとしなかった。社内用語に関する議論に詳しいある関係者は、ベニオフが「オハナ」を放棄することに「断固反対」だったという。
ところが、そうも言っていられない状況変化がその後も続いていく。
すでに触れたように2023年1月以降、レイオフが繰り返し実施されるようになると、「オハナ」の言葉は聞かれなくなり、代わりに「成果重視のカルチャー」が幅を利かせるようになっていった。
ある元経営幹部はこう語った。
「『オハナ』をその本来の意味通り『家族同様の存在』と認識していたのは従業員のほうで、経営陣はそこまで重い約束と受けとめていなかったのです」
セールスフォースの「新たな1日」
セールスフォースのマーク・ベニオフ創業者兼CEO。
Justin Sullivan / Getty Images
売上高・利益とも市場予想をはるかに上回る第4四半期(2022年11月〜23年1月)決算を発表した後、ベニオフはご満悦の様子で、複数のアクティビスト投資家から経営変革の圧力受けている状況を、良い学びの機会だと表現した。アナリストや投資家たちの前では「素晴らしいことだ」と語った。
ウォール街の求めてきた好業績を実現し、ベニオフが躍進の喜びに浸り、会社としてもその好転を「New Day(新たな1日)」の始まりと表現したハレの日に、かつてのメンターから最初の祝福メールが届いた。
ベニオフは上述の決算説明会で利益率の改善についてアナリストらの質問に答えつつ、こんなことを口にした。
「私のメンターであるラリー・エリソンにはとても感謝しています。ラリーはたっぷり時間をかけて私にオラクルの戦略を手ほどきしてくれました。そして、今日この決算を発表した直後にメッセージをくれた最初の人物でもあります」
ベニオフはかつて、著書『クラウド誕生 セールスフォース・ドットコム物語』の中でエリソンの戦略をリスト化して紹介している。その最後のポイントは「持てる権力を他者に渡すな、絶対に」だった。
セールスフォースの第4四半期決算には、ウォール街やビジネスメディアが大きな期待を寄せていた。ベニオフが相当なプレッシャーにさらされていることを誰もが知っていた。
決算発表の直後、「物言う株主」エリオット・マネジメント(前出)のマネージングパートナー、ジェシー・コーンは同社の公式声明をツイート。セールスフォースには「まだ大きな仕事が残っている」ものの、ひとまず「投資家の信頼を回復する前進を見せた」と評価した。
しかし、一部のセールスフォース従業員にとっては、自社がオハナ(家族)より収益性を優先する姿勢に転換したように感じられ、また、企業カルチャーもベニオフがかつて薫陶を受けたオラクルの厳しい環境に似てきたように感じられたようだ。
起業以来20年間にわたってエリソン流の経営を否定してきたベニオフだが、少なくとも企業カルチャーについては、かつてのメンターと同じ路線に回帰したということだろうか。
ベニオフ自身にエリソンとはどう違うのか訊くと、こんな返事だった。
「私たちは誰もが自分自身で自分の全てを決めねばなりません。私はいま58歳。日々を生きてきて、ここに来てようやく『これが私なんだ』と言えるようになったのです」
ベニオフは「the-airing-of-grievances」という社内スラックチャンネルを定期的にチェックし、従業員の不満の把握に努めているという。そこでの投稿の多くは、所属していた企業の買収を経てセールスフォースにジョインした従業員たちで、いまだに企業カルチャーに馴染めていない可能性があるとベニオフは見ている。
ベニオフはまた、従業員の経営批判を報じる「Business Insiderの記事タイトル」が、従業員の士気を下げる原因になっているとも語った。「冗談ではありません、本気で言ってるんです」。
また、セールスフォースは明確な後継者計画を策定できないのではないかとの懸念や批判について、ベニオフは2人の共同CEOが相次いで去った今日でもなお、双頭体制は良いものだと語る。
「共同CEOモデルはうまくいっていました。私は素晴らしい経営モデルだと思います」
それでも、ベニオフに近い人々は、彼が本当に権力を後継者に譲ってCEOの地位を離れることができるのかどうか疑っている。
長年セールスフォースの経営幹部を務めたある人物はこう強く語る。
「セールスフォースはマークであり、マークはセールスフォースそのものなんです。マークが経営から離れることは決してあり得ません。誰かに代わりが務まるとも、私には思えません」
Insiderはベニオフに直球で尋ねた。経営トップの座から降りるつもりはあるのか?
「分かりません。とにかく、私はまだセールスフォースを経営しています。もしそうでなくなる日が来たら、お話しするでしょう」
(敬称略)