ポール=ロワイヤル通りの発掘現場から出土した埋葬物。ここは2世紀ごろのルテティア南部にあった大規模な共同墓地と見られている。2023年、フランス・パリで。
Nicolas Warmé, Inrap
- 2000年前の骸骨が、ノートルダム大聖堂近くの墓地で見つかった。
- 50人以上の男女、子どもの遺骨が、鉄道敷設のための掘削の際に発掘された。
- 約半数の墓にカップや水差し、皿などが遺体とともに収められていた。
2000年前の共同墓地が、ノートルダム大聖堂(Notre Dame Cathedral)付近で行われていた掘削で見つかった。
鉄道を拡長するための掘削で、かつてのガリア地方(Gallo-Roman)にあった町、ルテティア(Lutetia)南部に相当する場所で発見された墓地から、50人以上の男女と子どもの遺骨が見つかった。ここは現在、パリの象徴である大聖堂が建っている場所のすぐ近くだ。
エル・パイス(El Pais)紙によると、プロジェクトを主導したフランスの国立予防考古学研究所(INRAP)の所長、ドミニク・ガルシア(Dominique Garcia)は「この街で過去を知る手がかりが得られたのはかなり珍しいことだ」と述べている。
2世紀には、生きる者たちは死者とは距離を置いていた。愛する人たちを手の込んだ大きな墓地に埋葬していたのだ。死者を称賛するために共同墓地が作られ、生きる者たちの街から切り離された。
ポール=ロワイヤル通りの発掘の様子。ルテティア南部にあった大規模共同墓地だと思われる。
Camille Colonna, Inrap
「埋葬の様子から、2世紀にパリで暮らしていた人々の一般的なビジョンが分かる」とガルシアは付け加えた。
半数以上の墓にカップや皿、ガラス製品などの人工物があったとINRAPのプレスリリースは伝えている。衣服や宝石、ピンやベルトが入っていた墓もあったという。
エル・パイスによるとガルシアは「当時、死後には別の人生があると考えられていたため、死者が死後の世界で生きていくのに役立つよう、墓にはいろいろな物を入れていたようだ」と述べている。
「そのため、日用品や食べ物が入っていた可能性の高い容器などが見つかっている」
ポール=ロワイヤル通りの発掘で出土した2つの墓。
Camille Colonna, Inrap
いくつかの墓では、棺の中や遺体の口にコインが入っていた。「この習慣は、古代では一般的で、おそらく冥界の渡し守、カロン(Charon)のためのオボル銀貨だ」とINRAPは伝えている。
研究者らが発掘した穴の1つには、豚丸1匹の骸骨があったが、その目的は不明だ。
Insiderはコメントを求めたが、INRAPからの回答は得られなかった。
セラミックのゴブレットも発見された。
Nicolas Warmé, Inrap
『スミソニアン・マガジン(Smithsonian Magazine)』によると、サンジャック(Saint-Jacques)と名付けられたこの共同墓地を研究者らが発掘するのは、初めてではないという。
1800年代、この墓地の発掘した人々がいた。彼らは骸骨そのものよりも、遺体とともに埋められていた人工物にした関心がなかったのでその場所を埋め戻した。その結果、さらに2世紀の間、誰にも見つからないままだった。
2019年に火災が起こったノートルダム大聖堂の周辺のこのエリアは、近年、考古学的発掘の対象となっている。2022年には、研究者が大聖堂の地下で発見された謎の人型鉛石棺を発掘 して開封した。
内部には人間の遺体があり、その後、1710年に83歳でこの世を去った司祭、アントワン・デ・ラ・ポート(Antoine de la Porte)であることが確認された。『スミソニアン・マガジン』によると、考古学者らは、棺に記されていた内容から身元と年齢を突き止めたという。