(※2021年8月25日に掲載した記事を加筆・編集したものです)
Getty/Astrid Stawiarz
- ロレックスはその歴史の大半を、どのような状況にも耐える頑丈な時計を作ることに注力してきた。
- ロレックスの精度と品質はかつてないほど上がっているが、愛好者が高額を支払う理由はそこにはない。
- ロレックスが、プロフェッショナル向けのツールウォッチから、ラグジュアリーの象徴へと変貌を遂げた経緯を紹介しよう。
ロレックス(Rolex)は年間100万本近い腕時計を製造しているとされており、広告も至るところで見かけるが、実際に購入しようとしても、なかなか手に入らないのが現状だ。
精密な製造工程、特別な素材、卓越したクラフトマンシップを誇るロレックスの腕時計は決して安いものではない。しかし1960年代、腕時計に正確さと革新的技術を求めるプロフェッショナルにとって、手の届かない製品というわけでもなかった。
すなわち、20世紀半ばのロレックスは、現在のような貴重なコレクターズアイテムというよりは、Apple Watchに近い存在だったわけだ。それが今では、最も低価格の「デイトジャスト(Datejust)」でさえ5000ドル(約67万5000円)はする。
ロレックスのコレクターであり、『Rolex Wristwatches, An Unauthorized History(ロレックスの腕時計:認定されない歴史)』の共著者であるジェフリー・ヘス(Jeffrey Hess)によると、現在の希少性と価格設定は、販売店が豊富な在庫を持ち、交渉可能な価格で販売していた1970~80年代とは大きく異なっているという。
「当時は、誰でもロレックスを買うことができた」とヘスはInsiderに語っている。「私は(デイトナ[Daytona]を)3000ドル(現在のレートでは約40万5000円)で買い漁っていた。今では、転売市場で5万ドル(約675万円)もの値が付いている」
転売市場の価格がここ1年の下落傾向から再び上昇し始めた今、実用的な腕時計のメーカーだったロレックスが、現在のようなラグジュアリーの象徴へと進化してきた経緯を振り返ってみるのは興味深い。すなわち、巧みなマーケティングと、コレクターの関心の高まりによって、需要が新品の供給を大きく上回るようになった経緯だ。
1980年代がロレックスのブランドイメージの転換期となった、とヘスは述べている。プロフェッショナルや冒険家に必須の精密なツールから、現在のようなラグジュアリーの象徴に変貌したというのだ。
「この腕時計はもともとファッションウォッチではなかった」と彼は話す。「つまり無骨な時計だった。スイマー、潜水艦乗組員、探検家のための時計だったのだ」
この件に関してロレックスにコメントを求めたが、回答は得られなかった。
初期のロレックスは、高級感より実用性をアピールしていた
実際、20世紀の大半を通じて、ロレックスは創業者ハンス・ウィルスドルフ(Hans Wilsdorf)の下で、腕時計の技術革新の最先端を走っていた。ドーバー海峡を横断したり、エベレストへ登頂したり、自動車の速度記録を樹立したりといった場面で装着されたロレックスは、世界の冒険家にとって最も実用的で信頼できる腕時計ブランドの地位を追求した。
1960年にウィルスドルフが亡くなると、ロレックスのマーケティング・ディレクターだったアンドレ・ハイニガー(André Heiniger)が後継者になった。彼は数十年に渡り、ロレックスをラグジュアリーの代名詞として定着させるための努力を続けた。
ハイニガーは、「ロレックスは腕時計ビジネスではない。我々はラグジュアリー・ビジネスを営んでいるのだ」と語ったという。
1970年代のプロダクト・プレイスメントでエクスクルーシブ感を演出
Dr. No
ロレックスは、ハリウッド映画での使用、スポーツイベントへの協賛、慈善団体への寄付など、お決まりの手法でブランドの知名度を高めていった。同時に、サプライチェーンと流通ネットワークを厳しく管理することで、品質を高め、魅力的なエクスクルーシブ感を維持した。
1970年代に入ると、信頼性と安定性のイメージを打ち出す努力が実った結果、経済が不安定ななかで、ロレックスは安全な投資先としての地位を得た。この時代には、1971年に米国がドルの金本位制を放棄し、1972年にはイタリアがリラの管理を強化し、1973年はオイルショックで市場が混乱するといった出来事があった。
ロレックスはイタリア市場で急成長、コレクターズアイテムに
ヘスによると、ヴィンテージ・ロレックスを最初にビジネスにしたのはイタリア人だった。この時代の腕時計は、通貨に代わる、安定して持ち運びしやすい資産だったからだ。
業者は、スイスで高級腕時計を仕入れ、国境を越えてイタリアで売った。イタリア人は、ロレックスやオーデマ・ピゲ(Audemars Piguet)、パテック・フィリップ(Patek Philippe)などを身に着けて米国などに行き、持込可能な現金の何倍もの値段で販売した。こうしてコレクターズマーケットが誕生した。
1997年にハイニガーが引退した後も、同社は彼が完成させた戦略を守り続けている。ロレックス製品に取って代わる、より精密で多機能で、手頃な価格の代替品が出てきているにもかかわらずだ。
むしろ、この数十年にこのカテゴリーの成長は加速した。非公開企業である(と同時に秘密主義で知られる)ロレックスは財務状況を公表していないが、モルガン・スタンレー(Morgan Stanley)は2019年の売上高を、52億スイスフラン(現在のレートで約7880億円)と推定している。
品薄で中古価格が高騰
新品のロレックスは需要が高いため、特定モデルを小売店で購入するための待ち時間は数年、あるいは数十年にも及ぶ。ロレックスは2021年に珍しく公式声明を出し、現在の品薄状態は「当社の戦略ではない」と述べている。
品薄の結果、中古品価格は定価をやすやすと超え、値段が2倍、3倍に達することさえある。
スイスの一流ブランドが転売市場で大きく値下がりした波乱の2022年にあっても、ロレックスの価格上昇率は、それぞれ問題含みだった株や不動産を上回った。
こうした評判のおかげで、ロレックスは高級腕時計市場の4分の1を占め、2番手のオメガ(Omega)の2倍以上のシェアを獲得し、他社を圧倒している。ロレックスの優位性は、さらにその優位性を強める働きをしているとヘスは言う。
「ロレックスは、すべての成功者が買う腕時計だ」とヘスは述べる。「彼らは皆、最初はロレックスに追随するブランドの時計を買い、最終的に成功を収めたときにロレックスを買う」
つまり、ロレックスを持っていなければ、まだ成功者とは言えないということだ。ロレックスは、ラグジュアリーの象徴であるだけでなく、その入口でもあるのだ。