アメリカの保守州ではドラァグに対する締め付けが厳しくなりつつある。
REUTERS/Karen Pulfer Focht
今年に入ってから、テネシー州、カンザス州、テキサス州など15の保守州の議会で、「アンチ・ドラァグ法」と総称される法案が提出されている。細かい違いはあれど、異性装のパフォーマンスを禁止する内容だ。
共和党議員が過半数を占めるテネシー州議会では、未成年の前、または公共の場における「アダルト・キャバレーのパフォーマンス」を禁止し、罰則者を2500ドル(約3万3800円、1ドル=135円換算)の罰金または禁錮1年の処罰の対象にする法案が通過した。
しかし連邦裁の判事は、法案の定義が広すぎること、表現の自由を保障する憲法修正条項1条に抵触する恐れがあるとして一時的にこれを差し止めた。他州の同様の法案もあわせ、今後の裁判所の判断が注視されている。
マイノリティたちの表現手段
一連の「アンチ・ドラァグ法」は、トランスジェンダーの人々に認められてきた医療へのアクセスを削減する法案同様、過去に認められてきたLGBTQの権利拡大の動きを差し戻そうとする、共和党と宗教右派による運動の一環である。
アメリカの宗教右派は、LGBTQのアイデンティティを表現することや、ジェンダーや性的指向の多様性を教育に取り込むことを、子どもたちに対する「グルーミング」として攻撃しており、ドラァグの文化もまた標的になった格好だ。
男性が女性の装いをしたり、女性が男性の装いをするドラァグは、もう何世紀も舞台芸術や文化表現の中で存在してきたが、ドラァグ弾圧もまた歴史が長い。1863年にサンフランシスコ市が異性装を禁じる法律を成立させたのを皮切りに、アメリカ各地に広がった。
異性装を禁じる法律によって弾圧されてきたのが主にLGBTの人々だったことは言うまでもないが、逮捕によって前科がつくことで、社会から排斥され、雇用の機会が奪われたり、医療のアクセスが妨げたりといった実害があった。
ドラァグクイーン文化の長い歴史は、弾圧との戦いの歴史でもある。
REUTERS/Karen Pulfer Focht
1920年代のニューヨークで、黒人やラティーノのLGBTの人々を中心に、美やパフォーマンスを競う「ボール」(舞踏会の意)というアンダーグラウンドカルチャーが生まれた。その中でドラァグは、LGBTや人種マイノリティの集うコミュニティの表現方法として花開き、また権利拡大を目指す抵抗運動の象徴になっていった。
1960年代以降はニューヨークの有名ドラァグ・クイーンが、アンディ・ウォーホルのスタジオ「ファクトリー」周辺の表現活動やルー・リードの楽曲に登場し、少しずつ認知されるようになっていった。1990年代にはマドンナの『ヴォーグ』の大ヒットで一気に周知され、近年は2009年にスタートしたリアリティ番組『ル・ポールのドラァグ・レース』がロングヒットになったことで、一気にメインストリーム化した。こうした流れの中で、LGBTQの権利拡大運動とともに多様性への理解が進み、「ドラァグ」は子どもたちにも支持されるコンテンツになった。
2015年には、クィアのアーティストをサポートすることを目的として設立されたサンフランシスコのRADARプロダクションという文学団体が、多様性の促進の一環として、ドラァグクイーンたちが図書館や学校で子どもたちに本を読む「ドラァグ・ストーリー・アワー」というプロジェクトを開始し、ジェンダーの多様性を教えながら読書の魅力を伝えるコンテンツとして各地で人気を博してきた。
「子どもたちを守る」という大義
「ドラァグ・ストーリー・アワー」で本の読み聞かせをするドラァグクイーン(2023年1月16日撮影)。
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ところが最近になって、これが宗教右派や武装組織の標的にされ始めた。昨年から、各地で行われるドラァグ・ストーリー・アワーのイベントに、武装したプラウド・ボーイズのメンバーや覆面の極右組織のメンバーたちが押し寄せるようになったのだ。
平和に本を読むドラァグクイーンよりも、「子どもたちを守る」などと書かれた旗とともに銃を持った覆面姿の男たちのほうがよっぽど怖いと思うのだが、SNSのTelegramなどの掲示板では、こうしたイベントを妨害するために人を募る情報が共有されている。
これと並行して起きてきたのが、アンチ・ドラァグ法案の推進だ。
テネシーのケースでは法案が通過した際、署名したビル・リー知事の学生時代の女装写真が流出した。かつては異性愛の男性であってもカジュアルに異性装を楽しんでいた時代があったにもかかわらず、今は「子どもたちを守る」という大義のもと、表現を規制する動きが進んでいる。
『ル・ポールのドラァグ・レース』を観たことのある人なら分かると思うが、ドラァグのカルチャーは、長きにわたり抑圧されてきた性的マイノリティたちが、自分たちのアイデンティティをポジティブに捉えるための表現方法として愛されてきた。
番組に登場するクイーンたちのライフストーリーに耳を傾ければ、生まれ育った地域で、または家族に理解されなかった悲しみ、痛みがその表現につながっていることは明らかだ。
ニューヨークなどのリベラルな場所では、ドラァグのイベントを妨害する動きに対するカウンターとして、レインボー旗を持った市民やドラァグのパフォーマーが集結して踊ったり歌ったりするほか、地元議員が現場に来て脅迫行為を非難するなど、連帯の動きが頼もしい。しかし保守地域では、安全のためにイベントが中止されるケースも出てきた。
そんな中、最近はミュージシャンのリゾが、テネシー州ノックスビルで行われたコンサートで、ドラァグクイーンたちを連れてパフォーマンスをした。
リゾはショーの中で、次のように発言している。
「最近起きた悲劇的な出来事を受けて、インターネット上の人々から『テネシーのショーをキャンセルしろ』『テネシーに行くな』と言われてきた。
その理由は正当なものだけれど、このメッセージを一番聞く必要がある人たちがいる場所に出かけない理由は? ドラァグのエンターテイナーと、私たちが持つ違いを祝福することのできる安全な場所を、テネシーに作らない理由はなかった」
確かに、テネシーの法案通過を受けて「テネシーには二度と足を踏み入れない」といったコメントをSNS上で多数目にした。LGBTQが排斥される場所にわざわざ出向くより、そうした場所をボイコットしたいという気持ちは理解できる。
けれどリゾの言葉は、保守が多数派を占める地域にも、排斥されながら生きている人たちが多数存在しているということ、そして、かつてのつらい歴史が今また繰り返されようとしているという重い事実を思い出させてくれるものだった。
佐久間裕美子:1973年生まれ。文筆家。慶應義塾大学卒業、イェール大学大学院修士課程修了。1996年に渡米し、1998年よりニューヨーク在住。出版社、通信社勤務を経て2003年に独立。カルチャー、ファッションから政治、社会問題など幅広い分野で、インタビュー記事、ルポ、紀行文などを執筆。著書に『真面目にマリファナの話をしよう』『ヒップな生活革命』、翻訳書に『テロリストの息子』など。ポッドキャスト「こんにちは未来」「もしもし世界」の配信や『SakumagZine』の発行、ニュースレター「Sakumag」の発信といった活動も続けている。