小学5年生のエリンちゃんは、学校以外で英語を勉強したことは特にない。それでも、英語での受け答えはほぼ完璧だった。
撮影:井上陽子
北欧・デンマークに来て驚いたことの一つが、デンマーク人の英語力の高さだった。
以前、この連載で紹介した2人の日本人は、デンマーク語ではなく英語で仕事をしていたのだが、ビジネスの場で英語が使われる場面はかなり多い印象である。私が以前使っていたコワーキングスペースの場合、イベントの参加者にデンマーク語ネイティブでない人が混ざっていると、「じゃあ今日は英語にしようか」とイベント全体が英語に切り替わった。
外国人でも投票できる地方選挙では、聴衆に外国人が多い場合は、公開討論会が英語で行われていた。
地方選挙の公開討論会。聴衆にはデンマーク在住の外国人が多いとあって、候補者による討論も質疑応答もすべて英語で行われた。
撮影:井上陽子
私が暮らすのは首都のコペンハーゲンだが、英語が話せるのは都会の人に限ったことでもなさそうだ。田舎に住む夫の親戚も、60代くらいまでの人なら、程度の差はあれ英語でコミュニケーションができる。私の日常生活でデンマーク語が必須と感じるのは、3歳の息子と7歳の娘の友達が我が家にやってくる時くらいである(さすがに小さい子はデンマーク語しか話せない)。
そんな環境に甘やかされて、なかなか本腰を入れてデンマーク語を勉強するモチベーションが湧かなかったりするのだが、それは北欧全域の特徴でもあるようだ。
「フィンランド語、全然できません」と笑うのは、北欧のスタートアップ企業に投資するベンチャーキャピタル「NordicNinja VC」の代表パートナーで、2019年にフィンランドに家族で移り住んだ宗原智策氏である。
宗原氏は、欧州では数えるほどしかいない日本人ベンチャーキャピタリスト。
撮影:井上陽子
宗原氏はこれまで、英語が話せないスタートアップの経営者にも投資家にも会ったことがないと言い、英語だけで特に問題なく暮らしているそうだ。前職でメキシコに4年間駐在していた時に、日常生活でもビジネスの場でもスペイン語が必須だったのとは大きな違いを感じると言う。
実際、成人の英語力の高さを111カ国で比較した「英語能力指数」のランキング(2022年)では、ノルウェー、デンマーク、スウェーデン、フィンランドと北欧諸国はいずれも10位以内で「非常に高い」と位置付けられている(ちなみに、日本は「低い」にあたる80位)。
(注)EF EPI英語能力指数は、EFがオンラインで無料提供している英語テスト(読解力とリスニング力)の結果に基づきランキング化したもの。調査対象は英語を母国語としない国と地域のみで、2022年版は111の国・地域が参加。
(出所)EF EPI 英語能力指数ランキング(2022年版)より。
なぜ北欧にはこれほど英語が浸透しているのか。宗原氏は、中南米では周辺諸国もスペイン語を使うのに対し、北欧5カ国ではすべて現地語が異なるため、ビジネスの共通言語として英語が使われやすい、と指摘する。そして、もう一つ挙げる理由が「英語を使わないと、チーム作りで損をするから」である。
「スタートアップにしろVCにしろ、仲間作りが肝なわけですが、世界で勝負しようとすると、どれだけいい人材を集められるかが重要になる。その点、共通言語を英語にすれば、人材のプールが一気に増えるわけです」
北欧のスタートアップ企業は「ボーン・グローバル」と言われるように、初めから海外展開を視野に入れている。それぞれが小国で、国内市場の規模が小さいためだ。「解決しようとする課題の大きさはマーケットの大きさでもあり、課題が大きければ大きいほど、スタートアップが将来伸びる可能性も高い。北欧のスタートアップが気候変動やヘルスケアといったグローバルアジェンダに取り組むのは、そのためでもある」と宗原氏は解説する。
競争力のあるデンマーク企業の特徴として、ニッチに特化して高付加価値の商品やサービスをグローバルに展開しているという側面を連載で紹介したように、北欧の企業が国際市場を視野に入れているのは、スタートアップに限らない。
そんな組織を引っ張るトップも、英語力の高さは当然と目されているところがあり、国際会議などで積極的に発言して存在感を強めている。「デンマーク人は英語をストレスなく扱うので、ビジネスの幅が海外に広がりやすい」とは、現地企業で働く日本人の声だ。
で、英語がビジネスに有利なのは分かるものの、長年、英語に四苦八苦している日本人にとっては、どうやったらそんなに流暢になるのかが一番聞きたいところではないだろうか。
今回、1977年にデンマークに移住した米国人にも話を聞いたのだが、当時のデンマーク人は、英語で電話を受けると「少々お待ちください」と言って慌てて英語を話せる人を探していたそうなのである。
英会話教室に通わなくても喋れるようになる小学生
エリンちゃんに初めて会ったのは、彼女が7歳の時だった。私がエリンちゃんの母親と友達になり、自宅に夕食に招かれた時のことだ。その後もたびたび家族ぐるみで会い、大人同士で英語で会話をしていたのだが、10歳になった頃から、エリンちゃんも英語で会話に飛び込むようになってきた。
以来、会うたびに英語力はめきめきと上がり、今回も英語で取材してみたのだが、よどみなく答えるので目を見張った。それでいて、英会話教室などに通っているわけでもないのである。
エリンちゃんは、英語で分からないことがあると「これって英語でなんて言うの?」と親に尋ねている。ただ、親の側が特に英語を教えたことはないそうだ。
撮影:井上陽子
エリンちゃんは公立の小学校に通っており、英語を学び始めたのは1年生の時から。デンマークの英語教育は1970年代には5年生からだったが、段階的に前倒しとなり、2014年からは1年生まで開始時期が早まった。デンマークの幼稚園では文字の読み書きを教えないので、母国語であるデンマーク語と英語とを、ほぼ同時に学校で習い始めるわけだ。
ただ、エリンちゃんの英語力は小学校で培われたのかというと、そうでもない。
「学校の英語の授業のレベルは低過ぎて、新しいことは何も学ばない」と肩をすくめるので、じゃあどこで英語力を身につけたのかを聞いてみると、YouTubeやSnapchatの動画、映画やテレビといったエンタメを通じてなのである。
エリンちゃんが例に挙げたのが、ハリーポッターだった。「ハリポタの映画は全部で8本あるけど、最初の数本しか吹き替えになってなかったから、途中からは英語で聞くしかなかった」。
実際デンマークでは、小さな子ども向けの映画以外は、デンマーク語吹き替えにならない。英語の映画には字幕がつくのだが、文字が消えるのが早くて読むスピードが追いつかないことも多いといい、エリンちゃんは結果的に、言っているそばからすべて理解するようになったのだそうだ。
たしかに、エリンちゃんの英語能力のうち、断然に強いのは実用度の高いリスニングとスピーキングである。リーディングはそれほどでもないらしく、文章を読むのは学校の教科書くらいだそうだ。実用的な英語力を重視するのは、デンマーク人に一般的に見られる傾向である。
最近では、YouTubeなどの動画もよく見ている。「一時期ハマった」と言って見せてくれたのが、猿の赤ちゃんを保護して育てる英語圏の女の子のYouTuber。「デンマークって小さい国だから、面白い動画もないし、面白いYouTuberもいない。だから英語のYouTuberのを見てるの」
エリンちゃんの両親はともにデンマーク人だが、私のようなデンマーク語ネイティブではない友人が訪ねてくると、会話は英語に切り替わる。エリンちゃんが英語に慣れたのは、大人の英語での会話を聞いていたことも理由の一つだそうだ。
もう一つは、海外旅行。デンマークでは小学校に上がると、2カ月に1度くらいの頻度で、約1週間の休暇がやってくる。デンマークは国が小さく、旅行と言えば周辺国も含めた海外旅行になることも多い。エリンちゃんは旅先で、親に「これって英語でなんて言うの?」と聞きながら、自分のスピーキングを試していったそうだ。
そうやって少しずつ自信をつけ、今では、空手教室で知り合ったイタリア人やウクライナ人の友達と英語で話したり、メッセージを交換したりしているとのこと。
エリンちゃんは、同級生の間でも英語を話せる方だというが、それは「ミスを恥ずかしがるかどうかの違い」だと言う。
「多分みんな、話そうと思えば話せるけど、みんなの前で間違えるのが嫌な子は話さないだけ。私も語彙が見つけられなくて困ることはあるけど、ほかの言葉で言い換えられるはず、って思って話している」(エリンちゃん)
ちなみに、英語以外の外国語教育としては、5年生でドイツ語かフランス語を選択する。エリンちゃんはフランス語を選択したものの、それほど得意というわけでもないらしい。また、周辺国のスウェーデン語やノルウェー語はデンマーク語に近いので、やろうと思えば習得は英語よりも簡単なはずだが、こちらも学校で数週間学んだ程度であまり分からないのだという。
デンマークとスウェーデンの間にかかる橋を舞台にした北欧ミステリードラマ『The Bridge』では、デンマーク人警官はデンマーク語で、スウェーデン人警官はスウェーデン語でと、異なる言語が混ざった状態で会話をしているのだが、実際に私も時々、こういった複数言語での会話を耳にする。ただしそれは、30〜40代以上くらいの年齢層の人の話で、若い世代では英語で会話する傾向になってきている。エリンちゃんも、スウェーデン人やノルウェー人と会った時には英語で話すのだそうだ。
デンマーク人の英語力は1993年に転機を迎えた
ただ、デンマーク人が昔からずっと英語が話せたわけではなさそうだ。「デンマーク人の英語力は飛躍的に向上した」と証言するのは、結婚を機に1977年にデンマークに移住した米国人のチャールズ・フェロウ氏である。
デンマーク在住は46年になる米国人のフェロウ氏。
撮影:井上陽子
移住当初、フェロウ氏は、首都周辺の公立学校の「ゲスト・ティーチャー」という立場で、英語の授業をネイティブスピーカーとしてサポートしていた。担当していたのは、公立学校の小学校5年生から10年生までの生徒たち。当時のデンマーク人にとって、英語とは学校で学ぶイギリス英語のことであり、単語も「elevator」(米国英語)ではなく「lift」(イギリス英語)という具合だった。英語教師の発音も「100%、イギリス英語だった」と言う。
ただ、英語の先生といえども会話は苦手だったそうで、デンマーク人の英語教師は、同僚の前でフェロウ氏と話すのを嫌がったらしい。フェロウ氏は、夕方にはビジネスパーソンにもプライベートレッスンで英語を教えていたが、レベルは決して高くなかったという。
コペンハーゲンで暮らしていると、今でこそ英語だけで問題なく買い物ができるし、英語しか話せないウェイターにも会うくらいなのだが、フェロウ氏の移住当時は、首都でも生活していくのにデンマーク語は必須だったらしい。
1980年代に入ると、ヒップホップ音楽など米国文化の人気の広がりとともに、英語も浸透していった。1970年代までデンマークのテレビ番組は公共放送「DR」一択だったのだが、1980年代後半からはケーブルテレビの普及により、米国や英国の番組が見られるようになったことも大きかったという。
特にフェロウ氏が、デンマーク人の英語力の転換点だったと振り返るのが1993年。この年の1月、デンマークを含む欧州の12カ国による単一市場が始動して「4つの自由(人、物、資本、サービスの移動の自由)」が認められ、同年11月にはEUが発足。加盟国で取得した学位が自国でも認められるという互換制度も始まり、海外で学ぶ人も増えた。ビジネスも国際化が進むとともに、大人の英語力の伸びも加速していった。
もともと、デンマーク人は言葉に関して、「自分の方が、相手に合わせる必要がある」という姿勢を身につけている。多くの人が同じように説明するのだが、「こんな小さな国の言葉(デンマーク語)を、外国人に話してもらえることを期待していない」という感覚がある。これは、英語圏やスペイン語圏など、メジャーな言語圏の国に住む人とは大きく異なるのだろう。
英語がまったく話せない人は5%のみ
デンマーク人が英語力についてよく言うのが、「デンマーク人の英語力が高いのは、吹き替えがないから」という理由である。そして、吹き替えがあるドイツと比較しながら「だからドイツ人は英語がうまくない」と付け加える。
確かに、英語力ランキングではトップの常連であるオランダや北欧諸国に特徴的なのは、テレビや映画などの英語音声を吹き替えにせず、字幕をつけて放映してきた点である。英語音声を自国の言語に吹き替えするかしないかが、その国の英語力に関連するという研究もある。
青少年向けメディア団体などによると、デンマークで音声吹き替えされるテレビ番組や映画はだいたい7〜10歳向けくらいまで。それ以上の年齢層を対象としたコンテンツは、字幕で十分と判断されるそうだ。
なぜ吹き替えがされないのか。コペンハーゲン大学のドーテ・ルンスマン准教授は、小国ではマーケットが小さく、吹き替えのコストに市場規模が見合わないことが一因と説明する。
デンマーク人の英語力について解説するコペンハーゲン大学のルンスマン准教授。
撮影:井上陽子
そして、吹き替えという習慣がなかったため、外国語のコンテンツはそのまま聞くのが自然、という感覚が身についているそうだ。例としてルンスマン氏が挙げたのが、2021年に行われた米国のバイデン大統領の就任式である。
就任式は、デンマークのテレビ局でも生中継されたのだが、公共放送「DR」はデンマーク語の同時通訳者の声をかぶせる形で放送したため、「なぜオリジナルの音声を聞けないのか」という不満の声がテレビ局に殺到。批判を受けてDRは、「次の大統領就任式では視聴者が同時通訳なしでオリジナル音声を聞ける選択肢を用意します」と表明するに至った。それほど、吹き替えへの拒否感が強いらしい。
ルンスマン氏によると、デンマークで英語力に関する大規模な調査が初めて行われた1995年の時点で、「最寄りのバス停への道順とバスの行き先について、英語で説明できるか」という質問に「まったくできない」と答えた人の割合は17%だけだったという。どこで英語に触れているかを尋ねたところ、ほとんどの人が「字幕付きの英語の映画やテレビ」と答えたそうだ。
ちなみに、2022年に同じ質問をしたところ、この数字は5.5%まで減った。つまり、デンマーク人の約95%は、程度の差こそあれ、バス停への道案内と行き先の説明が英語でできるというわけだ。「まったくできない」と答えた人の多くは、地方に住む高齢者だったそうである。
ちなみに、英語力を年齢層によって測ったグラフがこちら。若ければ若いほど英語力が高い傾向があるが、1995年の時点と比べると、2022年では、20代と60代前半までの差がかなり縮んだことが分かる。田舎の親戚でも、60代くらいまでならだいたい話せる、という私の肌感覚を裏付けるようなデータである。
(注)英語力に関する7つの質問に1(まったくできない)から4(かなりできる)のレベルで回答した調査結果。
(出所)コペンハーゲン大学の「デンマークにおける英語とグローバル化」調査。
「デンマークで英語が浸透したのは、英語が『価値ある言語』としての地位を築いたことが大きい」とルンスマン氏は指摘する。
英語を学ぶ動機は、その昔は、ポップ音楽やコンピューターなどサブカルチャー的な文脈だったが、これがビジネスにも広がり、今の子どもたちにとってはYouTubeやSnapchatといったソーシャルメディアやオンラインゲームも大きい、とのこと。「学校で学ぶ英語は依然として重要ですが、英語の社会的な地位と人気の理由を考えると、学校教育という“公式ルート”以外の存在が大きい」と指摘する。
確かに、現在のデンマークでは、イギリス英語をほとんど耳にしない。これも、エンタメやビジネスといった、国際共通語としての英語が普及している証拠なのだろう。
というわけで、読者のみなさん。子どもに英語を身につけさせたいなら、まずは英語圏の面白いYouTuberを見つけるところから……。
井上陽子(いのうえ・ようこ):北欧デンマーク在住のジャーナリスト、コミュニケーション・アドバイザー。筑波大学国際関係学類卒、ハーバード大学ケネディ行政大学院修了。読売新聞で国土交通省、環境省などを担当したのち、ワシントン支局特派員。2015年、妊娠を機に首都コペンハーゲンに移住し、現在、デンマーク人の夫と長女、長男の4人暮らし。メディアへの執筆のほか、テレビ出演やイベントでの講演、デンマーク企業のサポートなども行っている。Twitterは @yokoinoue2019 。noteでも発信している(@yokodk)。