決められた枠組みを進むのではなく、「自分らしく、社会にもやさしい選択」をしてキャリアやライフスタイルを大きくシフトさせた人にインタビュー。第一回はovgo Baker 溝渕由樹さん。
Business Insider Japan
甘い香りが漂う、ポップでカラフルな店内。ガラスケースには、さまざまな種類のアメリカンなクッキーやマフィンなど、たくさんの焼き菓子が並ぶ。
国内に7店舗を展開するovgo Baker(オブゴベイカー)のお菓子は、100%プラントベース(植物性)。卵や乳製品を使っていないため、ヴィーガンの人も安心して食べることができる。
「ヴィーガンの人もそうでない人も、すべての人にとってインクルーシブなお店にしたいんです」
そう語るのは、大手商社を辞めて、小学校時代の仲間とともにovgo Bakerを立ち上げた溝渕由樹さん。
今年30歳を迎える溝渕さんが歩んできたキャリア、新たな一歩を踏み出した理由、これから目指す世界とは。
「自分が好きなこと×社会のためにできること」って何だろう?
撮影:服部芽生
子どもの頃から、甘いお菓子が大好きだったという溝渕さん。
中学3年生の時、家族との初めてのニューヨーク旅行が決まると「本場のお菓子が食べられる!」とワクワクが止まらず、日本未上陸のベーカリー巡りをするため念入りに下調べをしてから行ったと笑顔で話す。
大学時代はロンドンに留学。そこで人権問題や発展途上国の支援に関心を持ち、セーブ・ザ・チルドレンのインターンに参加した後、日本を代表する大手総合商社に新卒で入社した。
「社会を良い方向に変えていく、そんなビジネスをつくる仕事がしたいと思ったんです」
撮影:服部芽生
溝渕さんが配属されたのは法務部門。興味のあった食糧や教育に関する案件を担当することもあり、充実していたものの、ひたすら契約書と向き合う日々……。
「もっと人の役に立っている実感がほしい」という思いが日に日に強くなっていった。
「私はもともと食やアートが好き。でもそれはあくまで趣味であって、仕事とは切り離して考えていました。
でも社会人になってみて、これからずっとハッピーに楽しく働き続けていくためには、自分が好きなことと社会のためになること、その両方を一緒に実現できるようなキャリアを歩みたいと思うようになったんです」
総合商社に約3年間勤めた後、本格的に食ビジネスを学びたいという思いから、食品会社への転職を決意。
「いつかフェアトレードに関わる仕事ができたらいいな」と漠然と考えていたが、転職前に出かけた一人旅で、思いがけない出会いがあった。
ヴィーガンクッキーが教えてくれた「真実」
撮影:服部芽生
約2カ月の間アメリカや南米を回り、将来につながるネタ探しをしたという溝渕さん。2019年頃は、ちょうど世界的にヴィーガンやプラントベースといった考え方が広まり、植物由来の代替肉などが流行り始めていた時期だった。
旅する中で出会ったのは、ヴィーガンやプラントベースの焼き菓子。おいしさに驚くと同時に、その背景にあるさまざまな問題を知り、大きく心を動かされる。
「それまでは『動物愛護や健康のため』という文脈でしか知らなかったヴィーガンやプラントベースが、実は環境問題や食糧問題の解決とも深くつながっていることを知りました。
今、世界で深刻化している気候変動の要因になっている業界の第3位が、食品業界と言われています。
例えば、畜産業を営む中での牛の飼育には、広い土地や大量の水が必要で、環境への負荷が高いとされています。
また、現在は畜産のために使われている穀物を人間が食べるために生産することができれば、飢餓から救われる人が大勢いるとも言われています。
そうした理由からヴィーガンやプラントベースの食べ物を選ぶ人がいることを知って、『それなら私は、大好きなお菓子を通じて課題解決に貢献できないかな?』と考え始めました」
帰国後、溝渕さんは気心の知れた小学校の同級生2人を誘い、ヴィーガンクッキーづくりへと動き始めた。
すべての人に「おいしい!」を体感してほしい
2019年10月に、はじめてのPOP UPショップを出店。
撮影:服部芽生
はじめは全員が兼業だったため、仕事の合間に集まって何度も試作を繰り返した。そうしてようやく納得のいく味にたどり着き、腕試しのつもりでフリーマーケットに出店してみることに……。
すると、「卵もバターも使っていないなんて信じられないくらいおいしい!」という声が多く寄せられ、手ごたえを感じたと言う。
一方、多くの人にとってヴィーガンやプラントベースは“味は二の次”というイメージがあり、「体や環境に良くても、味がおいしくないのでは……」と先入観を持たれてしまうことも。だからこそ溝渕さんは、原材料だけでなく、味にもとことんこだわってきた。
「まずは食べて『おいしい!』と笑顔になってもらうことが大切。
それをきっかけに、環境問題や食糧問題と密接につながっている、ヴィーガンやプラントベースへの理解を深めてもらえたらと思っています」
撮影:服部芽生
ovgo Bakerのお菓子は、卵や牛乳、バターなどの動物性の原材料は一切使っていないものの、ボリュームがあって食べ応えたっぷり。オーガニックや国産の食材を使用し、砂糖もヴィーガン仕様のものを使っている。
購入者の大半はヴィーガンではないが、そのおいしさに魅了され、リピーターになる人も多くいるそう。
「ヴィーガンの方が食べられるのはもちろん、乳製品アレルギーのある方や、宗教上の制約がある方にも安心して食べていただけます。
1つのものをみんながおいしく食べられるって、すごく素敵なことですよね。『おいしいから食べ続けたい!』という共感の輪を、少しずつ広げていけたらいいですね」
「想定の2倍以上の速さ」で駆け抜けた4年間
2023年3月には、日本橋エリアに新店舗「ovgo Baker Edo St. EAST」をオープン。通りからは赤い外装が一際目を引く。店舗デザインも監修し、細部までこだわって作り上げた。
撮影:服部芽生
2019年のフリーマーケット初出店に始まり、EC販売スタート、会社設立、クラウドファンディング、東京での路面店オープン、関西進出……最近では1.3億円の資金調達と、4年足らずで着実に成長を遂げてきたovgo Baker。
これまでの歩みを、溝渕さんはこう振り返る。
「実は独立した後、お店を出すのは3年後くらいかな、なんて考えていたら実際には1年後に1号店をオープンしていて(笑)。
10年くらいのスパンで考えていたことが、この4年くらいで一気に進んでいます」
「とにかくみんなでおいしく、たのしく、社会にやさしく」が活動のモットーだと話す。
撮影:服部芽生
そんな目まぐるしい日々を駆け抜けるうえで、商社時代の経験も生かされている。
というのも、法務部門で担当した契約書の作成業務は、まずはじめに起こり得る事柄をすべて洗い出すことが出発点となる。
そこからリスクをいかにつぶすか、あるいはリスクを取ってでも挑戦するか、という思考回路が培われ、それが今も溝渕さんのベースになっているそうだ。
「この4年間の出来事も、事前に想定していたことを一つひとつ通過してきた感覚がありますね。ただし想定以上のスピードではありますが(笑)」
撮影:服部芽生
2023年1月には、環境や社会に配慮した企業であることを証明する国際的な認証制度「B Corporation認証(B Corp)」を取得したことも話題に。
環境負荷の低いオーガニックやローカルの原材料を使用していることなどが評価され、日本では16社目、飲食店では国内初となる快挙。
実はこの認証取得も、創業当時から目指していたものだった。
「近いうちにアメリカに進出したいと思っていて、BCorpはその足がかりとなる重要なものだと考えています。
かなり早くから準備してきたのですが、取得までに約2年かかりました。長い道のりでしたが、これからは3年ごとにアップデートの時期が来るので、もっと高い評価を得られるように取り組んでいきます」
リスクを超えられる自信があるなら、絶対にやるべき!
撮影:服部芽生
会社員から経営者への転身、そして短期間での事業成長と、順風満帆に見える溝渕さん。これまでに壁はあったのだろうか。
「もう大変なことしかないです(笑)。資金のこと、人のこと、店のこと、考えることがいっぱいあって!
でも自分にできることは限られているし、一人で全部やるなんて到底ムリ。
私は助けを求めることに躊躇しないタイプで、いつも仲間たちや経営者の先輩たちに意見を求めて、それを取り入れながら少しずつ前に進んでいる感覚です」
起業してからは選択の連続。やるかやらないか、迷った時の判断で、大切にしていることは?
「選択した上でのリスクを洗い出した上で、『そのリスクを超えられる』と思うのなら絶対にやったほうがいいと思います。
無鉄砲に聞こえるかもしれませんが、十分に考え抜いたうえでの判断ならば、やりたいことはとことんやったほうがいい。
私、これからまだまだやりたいことだらけです」
撮影:服部芽生
そう語る溝渕さんが今思うこと、そしてこれから目指すこととは。
「私は、ビジネスはお金を生み出してより良い世界をつくっていくための手段だと考えています。
ヴィーガンやプラントベースは一つの選択肢であり、これを選ぶ人が増えることで、さまざまな問題が良い方向へと変わっていく、そんな世界が来ることを願っています。
以前、生まれてからずっとヴィーガンの方が『今まで食べたもののなかで一番おいしい!』ってうちのクッキーをほめてくれて、すごく嬉しかったんです。
ヴィーガンやプラントベースを誰にとっても身近なものにできたら、もっと楽しくて、おいしくて、やさしさに溢れた世界になれるはず。フラットでフェアな社会を目指し、私たちだからできることにチャレンジしていきます」
1993年、東京都生まれ。大学時代に留学したロンドンで、人権問題や食糧問題に関心を持つ。2016年三井物産に新卒で入社し、法務部で契約書業務などを担当。その後、アメリカや南米を旅するなかでヴィーガンやプラントベースと出会う。DEAN&DELUCA勤務を経て、2020年にovgoを創業。2023年にはアメリカ進出を目指す。最近ハマっていることは、料理とSUP。日課にしている朝の散歩は、思考を巡らせたりアイデアを考えたりする貴重なリフレッシュタイム。
撮影:服部芽生