撮影:千倉志野
日本の海藻とその技術でドリンクを開発し、米市場に挑戦している三木アリッサ(31)は、アメリカでの成功の1歩となった琥珀糖(こはくとう)の和菓子「MISAKY.TOKYO」(ミサキトウキョウ、以下MISAKY)のことを愛情を込めて「この子」と呼ぶ。
「この子のおかげで、アメリカで認めてもらえて会社も成長できた。何より今私たちが手にしている海藻の加工技術は、この子の開発の過程で発見できたものなんです」
MISAKYの原材料はテングサという海藻から成る寒天の粉だ。ある日、レシピ通りに作っていても全く固まらなくなった。
このままでは、せっかく売り出せたのに生産が継続できなくなる—— 。三木は焦った。
そのときに使っていた材料はアメリカのものだったが、メーカーに問い合わせたり、別の袋を開けて試したり、水の量を変えたりしたが固まらない。
寒天はその日の温度や湿度など天候によって影響を受ける繊細な食品だが、何度も試すうちに海藻を収穫した日の天候によって性質が変わるのではと気づいた。だから同じメーカーのものでも袋が変われば同じように固まるとは限らない。
「その時思ったんです。なぜこんなに繊細な食品なのに、日本にはこれだけ寒天を利用した食品があるのかって。調べていくうちに、日本の寒天の材料の質や加工技術が優れていることに気づいたんです」
この海藻を日常的に食べる文化と加工技術を世界に広めれば、日本で海藻に関わる企業を海外に紹介できるのではないか。そして商品も世界に広められるのではないか—— 。
「楽しそうに働く」姿に共感され
三木がどうしても取引したいと望んだ伊那食品は、日本国内で「いい会社」として数々の賞を受賞している。
伊那食品工業公式サイトよりキャプチャ
三木の会社は今、寒天では日本市場の約8割を扱う伊那食品工業から原材料の寒天の粉を仕入れている。
伊那食品工業といえば創業以来毎年増収増益を続ける優良企業で、その経営に私淑する経営者も多い。さらに社員の幸せを追求する「年輪経営」を掲げ、グッドカンパニー大賞を受賞するなど「いい会社」の代名詞とされることも多い。
その日本を代表する優良企業がなぜ三木との取引を決めたのか。
奇策があったわけでもない。有力な紹介者がいたわけでもない。三木がとったことは、伊那食品のホームページのお問合せ窓口にメールを送るという、極めてシンプルな行動だった。
コロナ前から伊那食品が海外進出を考えていたというタイミングの良さもあった。最初に応対してくれた担当者が海外進出に関心が高かったことも奏功した。だが、実際に経営層が取引を決めるまでには1年以上かかった。三木は日本に帰国するたびに長野県の伊那食品に足を運び、社長や会長に会い、思いを伝えた。
なぜ起業したのか。寒天の加工にどう向き合ってきたのか。海藻の加工技術を世界に広めることが自分の使命だと。
「私だったらそのパワーもネットワークもあると訴えました。その時の私にあったのは、熱量とアメリカでの人脈だけだったので。伊那食品の寒天のクオリティが素晴らしすぎるので、ここと取引できなければ会社が終わると必死でした」
伊那食品社長の塚越英弘は、社員から「面白そうだから会ってみてください」と言われ、三木と会った。
「第一印象は強烈でした。取引を決めたのは、彼女が楽しそうに働いているからです。僕たちはたくさん売ることを目指しているわけではない。
大事にしていることは一緒に働く人たちが幸せになること。幸せになるには楽しく働くことが大事です。聞けば三木さんは相当苦労もしているけど、それも含めてすごく楽しそうだった。それが1番の決め手でした」
1週間で8種類の新作を用意
女優キム・カーダシアンは、米タイム誌が選ぶ「世界で最も影響力のある100人」にも選出されている。
ANDREW KELLY / REUTERS
MISAKYがアメリカで一気に知られるようになった一つのきっかけは、女優のキム・カーダシアンのキャンペーンで使われたことだが、その時も特別なルートがあったわけではない。
ある日、三木の会社のinfo@のアドレスにキムの会社のCMOからいきなり問い合わせがあったのだ。三木は最初スパムメールかと思ったという。
「でも、アドレスのドメイン見たら本物そうだし。とりあえずテレカンしましょうと言ったんですけど、本人か確かめるために、事前にそのCMOの声をYouTubeで確認しました。彼女自身もアメリカでは著名人だったので」
頼まれたのは1週間後のキャンペーンに合わせてMISAKYを100個。まだ量産する体制も整っていなかった時期に、キムのキャンペーンに合わせた8種類の新作のフレーバーを用意した。家のキッチン一面をネバネバにしながら連日深夜まで新作作りに没頭した。この新作がキムを感動させた。
当時はMISAKYを正式ローンチしてから約半年が経った頃。まだアメリカでは無名に近い存在だった。それがなぜキム・カーダシアンの目に止まったのか。
「心当たりがあるとしたら、当時うちの動画がTikTokでちょっとバズっていたんです。
それともう一つ、創業まもなくキックスターターで小さくクラウドファンディングをやった時に、アメリカでは誰もが知るフィギュアメーカーの社長が『君のところの商品面白いね』って興味を持ってくれたことかな」
「和菓子ではない」と言われて
イスラエルの専門商社に勤務していた頃の三木。2018年にはイスラエルから女性の働き方改革のヒントを探る「イスラエル女子部」を設立して話題になった。
提供:Cashi Cake Inc.
だが、MISAKYと三木のアメリカでの評価が日本に伝わり始めると、反発も強くなった。ある時、1通の匿名のメールが届いた。
「貴殿のは和菓子とは言いません。世界に発信するならば、和菓子としての自覚と伝統を守ってください。これ以上日本の恥にならないようにしていただきたいです」
三木は王道の和菓子作りの修行をしてきたわけではない。MISAKYを完成させるまでの1年余りは、YouTubeが“先生”だった。王道でないことは自分自身が1番分かっている。
三木は大学時代からブリザードフラワー専門のブランドの立ち上げに参画し、楽天でNo.1ブランドに成長させた。そうした経験が買われ、新卒で就職した外資系メーカーでは、すぐにマーケターとして顧客との関係構築の担当にも抜擢されている。
その後働いた日本酒ベンチャー企業や藤巻百貨店などでの経験から、職人が作る伝統工芸など「日本のいいもの」がそのままでは海外でなかなか広まらないことも感じてきた。だからこそアメリカで勝負をするなら、アメリカの市場に受け入れやすいものを、と考えたのだ。
アメリカでもブームになったMACHA。さまざまな食品に混ぜ込まれることで広がった(写真はイメージです)。
gettyImages/Ivan
参考にしたのが、アメリカでブームになった抹茶(MACHA)。抹茶そのものを飲み物でなくアイスクリームやケーキなど他の食品と掛け合わせたこと、そして鮮やかな緑色がアメリカ人の心を捉えたと分析した。そして何より抹茶の粉自体の賞味期限が長く、クール便がない常温主体のアメリカの物流に乗りやすいこともポイントだった。
「日本とアメリカでは手に入る材料も違えば、水や気候も違う。そもそも豆を煮て食べる文化がないので、あんこが受け入れられるかどうか難しいと思いました。さらにお菓子と言えば色鮮やかなものを想像するので、味も見た目も日本の和菓子のままではアメリカ人にはインパクトを残せないんです」
何人かの和菓子職人には、一緒にやってくれないかと相談したこともある。しかし、そこまでアメリカナイズしたものに振り切ってくれる人はいなかった。
「日本の伝統はこうだから、こうすべきという思いが強かったので、無理強いするわけにもいかない、ご迷惑をかけるわけにはかないと思いました。だったら自分で作るしかないと」
そうして出来上がったMISAKYについて、三木はこう話す。
「日本の伝統的な和菓子業界の方に申し上げているのは、我々が作っているものは皆さんのような数百年の伝統があるものとは違うものだということ。
むしろ私は、皆さんがアメリカに進出する時の土壌を作る存在だと思ってもらいたいんです」
MISAKYは1粒で9ドルもする。日本の和菓子と比べると相当高い。でも、それも三木なりの考えがあってのことだ。手間暇と技術を詰め込んだものが、日本では安すぎるのではないかと考え、アメリカでは最初からその中身にふさわしい値段をつけようと思ったという。
「そうすれば、他の方がアメリカに進出する時に我々の値段がベンチマークになるからです。それぞれの会社が健全な経営体制になるためにも値段は大事です」
投資家が泊まるホテルにいきなり出現
起業当初の三木(写真右端)。ファーマーズマーケットでMISAKYを販売していた。
提供:Cashi Cake Inc.
まだMISAKYを本格的に販売していなかった頃から投資してくれていた1人が、香港在住の起業家で投資家の山内一馬だ。共通の知り合いを通してつながった。
ある日山内は、三木からもらったメールに「今LAにいて、〇〇ホテルに泊まっている」と何気なく返事をした。すると、翌朝エレベーターの扉が開いた先に三木の姿があったという。
その時は予定があるからと“塩対応”すると、和菓子を手渡された。そのあと改めて会った時には、知人の家に居候して生活費をギリギリまで節約して事業の立ち上げに集中する姿にいい印象を持ったという。
自らも起業し、多くの起業家を見てきた山内からすれば、投資が得られれば起業するという態度の人も少なくない。だが、三木はデジタルが全盛の時代に、「日本のいいものを世界に」といって、ものづくりの世界に飛び込んだ。山内には「茨の道」に映る。
「それでもあえてそこに飛び込んでいこうとする。起業家に必要なのはこうした使命感や覚悟、そして突破力です。彼女にはそれがあります」
山内はまた三木のマーケターとしての能力も買っている。
三木の会社は創業から4年弱でTikTokのフォロワー100万人を達成し、累計で動画の再生回数は4億3500万回を超えている。広告は一度も打っていない。山内はこうしたSNSの活用のうまさを評価するだけでなく、こう話す。
「この色、と彼女が言ったミモザ色やグリーンがその後流行したりと、マーケットを見る直感力がある。それはMBAなどで学べるものでなく、彼女独自の能力です。さらに海藻がCO2の吸収に寄与しているなどストーリーテリングにも秀でている。これらはアメリカ市場で挑戦するのに、とても重要な能力なんです」
世界は今、食だけでなくアニメなどのコンテンツまで「日本大好き」で溢れている。だが、人気のある日本食レストランなど外国人が経営しているものも多い。アメリカに刺さる方法で挑戦すれば、可能性は大きいと山内は感じている。
これほど評価される三木だが、かつてはこの社会に自分の居場所はないと感じるほど自己肯定感が低かったという。その三木がなぜアメリカで起業をするまでに至ったのか。
(敬称略、明日に続く)
浜田敬子:1989年に朝日新聞社に入社。週刊朝日編集部などを経て、1999年からAERA編集部。副編集長などを経て2014年から編集長に就任。2017年3月末で朝日新聞社を退社し、4月よりBusiness Insider Japanの統括編集長に。2020年12月末に退任し、フリーランスのジャーナリストに。「羽鳥慎一モーニングショー」や「サンデーモーニング」などのコメンテーター、ダイバーシティーや働き方改革についての講演なども行う。著書に『働く女子と罪悪感』『男性中心企業の終焉』『いいね!ボタンを押す前に』(共著)。
衣装協力:Desigual、ABISTE