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このゴールデンウィークを、たまたま日本で過ごした。
2023年はマスク着用のガイドラインも緩和され、行動制限もなく、出入国もほぼ完全に平常運転に戻り、2019年以来やっとコロナ禍前に近い状態で迎えるゴールデンウィーク、しかも最大で9連休という大型連休だった。事前から予想されていた通り、多くの人が日本国内外に旅行に出かけ、連日、羽田空港の長蛇の列や、乗車率100%超えとなった新幹線の自由席車両、渋滞する高速道路などの映像が報じられていた。
私自身も東京駅から新幹線に乗ったが、広く報道されていたとおり凄まじい人混みで、子ども連れやお年寄りにとってはこのような状況下での長距離移動は、肉体的にきついばかりでなく、危険ですらあるのではないかと思った。
コロナ禍で忘れていたが、今回久しぶりに、常日頃感じていた疑問を思い出した。「日本では、なぜみんな『いっせーのせ!』で一緒に休まないといけないのか」という疑問だ。これはゴールデンウィークだけでなく、お盆休みやシルバーウィークといった大型休暇にも共通する。
当たり前のことだが、みんなが一斉に休めば、その分交通機関や観光地は混雑するし、値段も吊り上がる。どこも混んでいるので、遊園地や行楽地に行っても列に並んでいる時間の方が長く、存分に楽しめない。
全国的な集団同時休業によって、仕事は一時停止する。何より、休みのために出かけたはずが、リフレッシュどころではなく、かえって疲れてしまう。みんなが同時に休むのではなく、各自が好きな時に好きなように休みをとった方が、自然にタイミングがずれて仕事も回し続けられるし、集中的な混雑も生まないのではないだろうか。
もちろん年末年始や春夏の休暇シーズンなどにある程度混雑が生まれるのは仕方ない。でも、それ以外の休みは、国が決めるよりも、個々人が自分の意思と裁量で好きな時にとるほうがいいのではないだろうか? 以前から抱いていたこの疑問を、今回改めて感じた。
祝日は多くても、有休消化率は高くない
ヨーロッパやアメリカの同僚たちからしばしば「日本はどうしてこんなに公休日が多いのか」と聞かれる。日本には「国民の祝日」が年間16日あるが、祝祭日の国際比較をするとたしかにこれは(特に先進国の間では)多い方に入る。例えば、アメリカの連邦公休日は年間10日だが、9割以上の企業が休業するのはそのうち6日(元旦、メモリアル・デー、独立記念日、レイバー・デー、感謝祭、クリスマス)のみだ。これ以外に州が定めた休日がある場合もあるが、それも多くはない。
イギリスの公休日は年間8日のみだ。アイルランドやスコットランドでは、これら以外に独自に設けた祝祭日がある。イギリス以外の欧州の国々も、公休日は多くない。フランスは11日、イタリアも11日、ドイツは連邦制で州によって祝祭日が異なるが、ほとんどの州で休みになる日は9日、オランダも9日だ。
公休日が多い国々のランキングを見ると、香港の17日、タイの18日などが目につく。日本の16日もこれらの国に近い。
かたや有給休暇の日数となると、話は逆転する。
旅行会社エクスペディアは、毎年「世界16地域 有給休暇・国際比較調査」を行い、各国の有休消化率の比較や、そのパターン、傾向について分析している。
2021年版の同レポートによると、日本の有休消化率は6年ぶりに改善し、60%に達している(2015年と同レベル。2010年~2014年は38~56%、2016年~2020年は45~50%を推移していた)。日本では2019年の労働基準法改正により、5日の年次有給休暇取得が義務付けられた。これがトレンドの変化に多少は影響しているのかもしれない。
(出所)エクスペディア「エクスペディア 世界16地域 有給休暇・国際比較 2021発表!」(2022年3月28日)をもとに編集部作成。
それでも他の先進国と比較すると、60%(有休20日、12日消化)は決して高い数字とは言えない(下図参照)。
(出所)エクスペディア「エクスペディア 世界16地域 有給休暇・国際比較 2021発表!」(2022年3月28日)をもとに編集部作成。
アメリカの有給休暇日数が少ない(有休10日、8日消化)ことに気づいた方もいるだろう。欧州の人々は、よく「アメリカ人は働きすぎだ」と言うが、たしかに国際的に比較するとアメリカ人も休まない部類に入る。しかもアメリカは先進国の中で唯一、法定有給休暇が設定されていない国であり、民間の雇用主が連邦の公休日を順守する義務すらない。それ以外の有給休暇の付与についても各企業の裁量に任されている。
よって平均値を出すと上記のような低い数字になるわけだが、アメリカの場合、職場の性質や職業によって福利厚生に大きく格差があるので、「これが平均」と言うのが難しい部分がある。私が過去に経験した職場では、公休日とは別に年間15~20日くらいの有給休暇が与えられ、毎年使い切ることを奨励されていた。私自身、ほとんど100%消化していた。
20年以上ニューヨークで仕事をしてきて、周囲を見て思うに、アメリカでも特にたくさん稼ぐ人たちは、その分激しく働いている。ただそのやり方を見ていると、メリハリがあるのだ。ダラダラと長時間デスクに座っているということがない。できる人ほど「やるときはやる、休むときは休む」という線引きができているように思う。休暇も、夏やクリスマスの時期には1~2週間とまとめてとる人が私の周りには多い。
アメリカは感謝祭からホリデーモードになり、12月も半ばになると多くの人が2週間程度のクリスマス休暇に入る。この間はメールを送ってもほぼ返信は来ないし、重要な会議などは行われない(写真はニューヨーク・ロックフェラーセンター前のクリスマスツリー。2022年11月30日撮影)。
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よく知られているとおり、アメリカでは朝型の人が多く、朝7時から仕事を始める人もいる(しかもその前にジムに立ち寄ったりする)。16時か17時までガーッと働いて、さっさと帰り、子どもを迎えに行ったりジムに行ったりし、夕飯は基本的に家で食べる。
夜の付き合いも、日本ほどはない。同僚同士の親睦ドリンクなども、1〜2杯飲んだら帰る人が多いし、顧客とのディナーも頻繁ではなく、ビジネス会食は朝か昼の方が一般的だ。昼間の方が頭もシャッキリしているし、終わりの時間が決まっているため、短時間で集中して話ができ、効率的でもある。
アメリカでも、仕事が終わらなければ持ち帰って家でやることはもちろんあるし、休み中でも、どうしても外せない会議には電話やZoomで参加する。いまどき、やろうと思えば携帯電話一つで仕事はいつでもどこでもできるし、隙間時間を使ってメールや電話をするだけでもけっこう仕事は片付けられる。「オフィスにいる=仕事をする」ではないし、本人の意思で、いつどこで仕事をするかをかなり裁量できるようになった。コロナ下のリモート勤務の普及でますますこの傾向は強まった。
社用PCのパスワードを忘れるほど休んだことがあるか
エクスペディアのレポート(2022年版)によると、日本で働く人の38%が「休暇中に連絡を遮断しない」と答えており、これは対象国中1位かつ突出して高い(シンガポール15%、ドイツ14%、フランス12%、イギリス12%、アメリカ11%)。要は、休暇中とはいえ仕事のために捕まる可能性を受け入れているということだ。
欧州やアメリカでは、個人差こそあれ、休暇中の同僚や上司に連絡をするのはよほどのことがない限り遠慮する。一度アメリカで、何かを確認したくて休暇中の同僚に連絡しようとしたら、別の同僚から「That’s unfair.(そういうのはフェアじゃない)」と言われ、確かにそうだなと思い、やめたことがある。
私自身、休暇中はなるべく仕事のメールを見ないようにしていた。たまたまメールを見て、急ぎの問い合わせがあったりするとつい答えてしまったりするものだが、私の過去の上司にはその私の返答を見て「休み中なんだから返信しなくていい。休暇を楽しみなさい」と、むしろ「仕事を無視しろ」「休み中は思い切ってデジタル・デトックスしたほうがいい」などと言ってくれるような人たちが多かった。
「休暇から帰ってきた時に会社のコンピューターのパスワードを覚えているか、忘れているか? 忘れていたら、それはいい休暇だったと言える」という言葉を聞いたことがある。私は実際、少し長めの休みから帰ってきた時、オフィスのエレベーターのパスコードを忘れていたことがある。1年のうちに少なくとも1度か2度、そのくらい完全に仕事から離れることが、誰にとっても必要なことではないだろうか。
エクスペディアのレポート(2019年版)では、日本の休暇取得の特徴の一つとして、他国に比較して「複数回の短い休暇」を取得する人の割合が高いということが指摘されている。1週間、2週間のまとまった休みをドカッととるのではなく、毎月1日とか2日とかいう短い休みをとりたい人が多いというのだ。
でも、1日や2日休んだところで、どの程度の気分転換になるだろうか。せいぜいゆっくり寝て目先の疲労をとるくらいのものだろう。また、このようなコマ切れの休みの場合、「有休」といっても本格的な「バケーション」ではなく、昼間会社に行っているとできない家の周りの雑用や、通院や役所手続き、子どもの用事や親の世話をしたりするために充てている人も少なくないのではないだろうか。それは正確には「休み」とはいえない。
興味深いのは、エクスペディアの調査(2022年版)の中の「休み不足を感じていない」と回答した割合ランキングだ。日本で働く人の約6割(57%)は「休み不足を感じていない」と答えている。調査対象となった他の先進国の多くでは、過半数が「休み不足を感じている」と答えているのと対照的だ。また、週休3日制度についてネガティブな人が多いのも面白い傾向だ。日本で働く人で「仕事の日に長時間労働をすることになるから導入してほしくない」と回答したのは11%。調査対象国で最も多い割合となっている。
でも、「休み不足を感じていない」のは、休まない状態にあまりにも慣れすぎているから、そしてガッツリ、どっぷり休んだ経験が一度もないからではないだろうか。私は日本に出張に行くたびに、「日本人はもっと休まないといけないのではないか」と感じることが多い。
日本人は疲れている
日本では電車で爆睡している人を見かけることもしばしばだ。
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日本に行くたび、「ああ、日本に来たなー」と実感する光景の一つは、電車の中で(本格的に)眠っている人の多さだ。朝晩に限らず、昼間でもわずかな時間を惜しむかのように眠っている人が少なくない。電車のみならず、昼間に丸ビルなどに行くと、ソファでしっかり熟睡しているサラリーマンが目につくし、会議中に居眠りしている人も珍しくない。
電車や公共の場での居眠りは、日本の治安の良さがあってこそ可能なことだと思うが、外国人の同僚たちはこのような光景を見るたび、「日本人はなぜみんなそんなに疲れているのか?」と聞いてくる。
一つの理由は慢性的睡眠不足だろう。日本人の睡眠時間は、男女ともに世界標準より短い。2021年のOECDの調査によると、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、これはOECD加盟33カ国の中で一番短く、OECD平均値より約1時間も少ない(ただしコロナ禍の間、在宅勤務が浸透したこともあってか、今年2月のNikkei Asiaの記事によると、この数値は改善し〔7時間42分〕、日本人の平均睡眠時間は1976年以降初めて伸びたと報じられている)。
また、世界的に見ると、女性は男性よりも睡眠時間が長い傾向があるのだが、日本は逆だ。日本女性の平均睡眠時間は男性よりもさらに短く、よってOECD内で最も睡眠時間の短い人口グループとなっている。
日本に派遣される外国人駐在員向けの「日本で働くための心構え」的なマニュアルなどを見ると、もれなく「なぜ日本人はそんなに長時間働くのか」という項目がある。また、「過労死」という言葉は、今やそのまま「Karoshi(death by overwork)」という英語になっている。それに相当する現象が英語圏では一般的ではないからだ。
過労死事件の社会問題化もあり、日本でも近年、残業時間の上限規制が施行されているが、仕事量が減っておらず、仕事の進め方を劇的に変えたわけでもないのに、残業時間にだけ制限をかけ、辻褄を合わせようとしても無理があるだろう。本当に必要なのは、労働時間をいかに短くするかよりも、限られた時間内で生産性をいかに上げるかの施策ではないだろうか。
睡眠不足で、死にそうなほど働いている人がこれほど多いのに、生産性を国際比較すると日本の順位はかなり低い。「時間当たり労働生産性」は、より短い時間でどれだけの価値を生み出せているかを定量化した指標として使われているものだが、日本生産性本部の「労働生産性の国際比較2022」によれば、OECDのデータに基づく2021年の日本の「時間当たり労働生産性」は、49.9ドル(5006円/購買力平価換算)で、米国(85.0ドル/8534円)の6割弱に相当し、OECD加盟38カ国中27位。なお、この順位は1970年以降で最も低い。
どんな優秀な人でも代わりはいる
ドイツ人やフランス人が年間30日も休んでいるのに、日本人が同じだけ休めないのはなぜだろう。それは、仕事というものへの考え方、その進め方に、何か違いがあるからではないだろうか。
一つには、構造的な問題があるだろう。欧米では雇用にあたって、一人ひとりの仕事内容が「Job Description」という形で規定されるのが基本だ。各自が雇われている根拠となるスキルも明確だし、達成するべきゴールも設定される。
自分に割り振られた仕事さえちゃんと回せており、求められた結果が出せていれば、自分の裁量で1時間早く帰ろうが、休暇をとろうが、たまに家で仕事をしようが、基本的に文句は言われない(もちろん業務の種類、社風、上司のスタイルにもよるが)。
それに比べて日本企業では、(職種にもよるだろうが)各自の仕事や責任の線引き、達成すべきゴールがそれほど明確には決められていない場合が多いのではないだろうか。
また、アメリカのように人的流動性が高い社会では、組織の中でしょっちゅう人が入れ替わることに慣れている。どんなに仕事ができる人が突然いなくなっても、組織がそれによって潰れることはない。どうにかなる。口には出さないが、根底には「どんな優秀な人でも代わりはいる(Replaceableである)」という割り切った考え方があると思う。
日本のサービスクオリティの高さは海外でもよく知られるところだが、その完璧主義が休みをとりづらくする一因になっていないだろうか。
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もう一つは、日本人の完璧主義と責任感の強さだ。たしかに日本に行くたびにサービスの質の高さ、間違いのなさには感心するけれども、同時に私が思うのは、常に最高のクオリティを求めるのではなく、多少の質の低下を大目に見る寛容さも必要なのではないかということだ。
「長い休暇をとってしまって、自分が留守の間に何かあったら……」と思うのは自然なことだが、そこはもう諦めて、留守中の判断を周りに任せ、仮に結果が80~90点でもよしと割り切る、ということも時には必要なのではないだろうか。
そうでないといつまでも休めない。そして、上の人間が休まなければ、日本の場合、部下も休みにくく、それが全体として休みにくいカルチャーを作ってしまう。
1カ月休暇をとる上司から学んだこと
私自身は、思い切って休むこと、定期的にリフレッシュすることの大切さを自分の上司から学んだ。
私が約12年間働いていたユーラシア・グループの創業社長であるイアン・ブレマーは、誰もが認めるワーカホリックで、週末だろうが夏だろうが関係なく、とにかく常に働いていた。
それが、ある時を境に変わった。「毎年8月は、丸々1カ月マサチューセッツの島にこもり、その間は一切仕事をしない」というポリシーを打ち出したのだ。その期間は、メールを打っても返事はないし、よほどのことがない限り、秘書も電話をつないでくれない。顧客には「社長は今月いっぱい休みで、基本的に連絡がとれません」と言う。
仕事をしない1カ月の間、イアンは普段できないことを思いっきりやる。読みたかった本を読み、書きたかった本のためにリサーチや執筆をし、テニスをし、走り、友達を呼び、料理をし……という感じだ。
そんな生活を1カ月続けた後、9月にオフィスに戻ってくる彼は、日に焼けて、見違えるように元気になっており、見るからに仕事をする気満々だ。まさに「充電完了」という感じで。それを見るたび、しっかり休むことはこれほどまでに人間をいきいきと生まれ変わらせるものなのかと思った。
また、彼ほど忙しい人が1カ月休んでも支障ないなら、それ以外の人だって休んで大丈夫なはずだとも思った。「1カ月も休めない」というのは思い込みであり、自分がいなくても回るシステムを日ごろからちゃんと整え、留守中に判断を委ねられるチームが育ってさえいれば(ここが大事なところなのだが)、1人が1カ月くらい抜けても問題ないはずだと。
ユーラシア・グループでは、勤続7年を超えた人には、「サバティカル(Sabbatical)」と称して1カ月の有給休暇が与えられるシステムがあった。希望者は、休みの間で自分がやりたいことを決め、事前申請しないといけないのだが、休暇の間は、本来の自分の業務と直接関係ないことでもやっていいことになっていた。
1カ月のサバティカル中に訪れた万里の長城。実際に訪れると中国の尋常ならざるスケールの大きさに圧倒される。サバティカルとは大学教員などの「特別研究期間」の意味で使われることが多いが、もともとは旧約聖書のラテン語「Sabbaticus(安息日)」が語源だ。
筆者提供
私もそのシステムを利用して、2014年の夏に丸1カ月の有給休暇をとった。そんなに長い期間仕事から離れるのは、社会人になって初めてのことだった。その間に行った先が中国だったこともあり、結果的に、私は1カ月の間ほとんど仕事のメールを見ずに過ごした。電話もしなかった。
私のチームのメンバーがしっかりしていたから可能だったことだが、結局1カ月私が留守にしても困ったことはほとんど起きず、あっけないほど平和に過ぎた。私たちが思いたがっているほど「自分がいないと大変だ(チームや顧客に迷惑をかける)」ということは、実はないのだ。たいていのことは、どうにかしようとすれば、どうにかなる。
この人生初の1カ月休暇を経験してみて、私は本当に休むということがどういうことか初めて分かった気がした。1週間や2週間の休みでは、仕事のことが100%頭から抜けることはない。疲れが芯からとれることもない。1カ月休めば、仕事のことを考えないことに慣れるし、心身ともにしっかりリフレッシュすることができると知った。
私は前職を辞めた後の2018年、1年間のサバティカルをとることにした。それは、この1カ月のサバティカルで感じるものが多かったからだ。自分をリセットし、心身ともにじっくり休め、普段やりたいのにできずにいることをやり、自分を充電するためにまとまった時間を作らなくてはと思った。私の場合、そうしないと自分が擦り切れていくような感覚があった。
今振り返っても、これは自分の人生の中で最高に贅沢な1年間だったし、仕事や生き方について見直す節目にもなった。フリーランスとして執筆を始めたのも、この時期だ。
サバティカルのベネフィットについては、そのうちどこかにしっかり書きたいと思っているのだが、1年間の完全休業は難しくとも、3カ月でも6カ月でも、仕事と仕事の合間にあえて思い切った白紙の時間を設け、まとまった時間を自分のために使うことは是非お勧めしたい。
息は吸ったら吐かなくてはならない。吸い続けることはできないし、吐き続けることもできない。同様に、人間、アウトプットばかりでインプットが欠乏すると、消耗し、疲弊していく。気持ちをリフレッシュし、新しい世界の見方、新しい興味を見つけ、新たなことを学び身につけるには、それ相応の時間を意図的に設けることが必要だ。
23歳から働き始めて40年以上もの間、ろくに休むこともなく、途中で給油することもなく、ただひたすら走り続けるというのは、あまりにもきつすぎる。「人生100年時代」というのであれば、100歳まで元気に走れるような、サステナブルな走り方を考えるべきなのではないだろうか。
そのためには、「やるときはやり、やらないときはやらない」というメリハリ、インプット期間とアウトプット期間をバランスよく繰り返すこと、個々人の意志で働き方・休み方を決め、人生をデザインするということがこれまで以上に必要になってくると思う。
そして、そういう人が増えれば増えるほど、究極的には、現在停滞している日本の生産性やクリエイティビティが向上するのではないかという気がしている。
渡邊裕子:ニューヨーク在住。ハーバード大学ケネディ・スクール大学院修了。ニューヨークのジャパン・ソサエティーで各種シンポジウム、人物交流などを企画運営。地政学リスク分析の米コンサルティング会社ユーラシア・グループで日本担当ディレクターを務める。2017年7月退社、11月までアドバイザー。約1年間の自主休業(サバティカル)を経て、2019年、中東北アフリカ諸国の政治情勢がビジネスに与える影響の分析を専門とするコンサルティング会社、HSWジャパンを設立。複数の企業の日本戦略アドバイザー、執筆活動も行う。株式会社サイボウズ社外取締役。Twitterは YukoWatanabe @ywny