提供:編集工学研究所
「山路を登りながらこう考えた。
知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」ー 『草枕』夏目漱石
先日、通っていた高校から同窓会の案内が回ってきた。高校生だったのはもう15年も前。卒業以来会っていない友人がほとんどという中で、同窓会に出席するかどうか悩む。しばらく会っていないからこそ、この「つながり機会」を大事にした方がいいようにも思うし、けれど行ったら行ったで、結婚はしたか子どもはいるか稼ぎはどうか魅力的な大人に育ったかという品評会は避けられない。結局、面倒だなという気持ちが勝って行かないことに決めてしまった。
「つながるべきか、つながらないべきか」というジレンマは、コミュニケーションテクノロジーの多様化や社会の流動化で「つながろうと思えば、つながれる」ようになったことでいっそう重圧を増している。一方、いつでも簡単に誰とでもつながれるからこそ、薄っぺらな接続ばかりに囲まれていないかと不安にもなる。心理学者のシェリー・タークルは、今の「常時接続の時代」において私たちは「Connected, but alone(つながっていても一人ぼっち)」になっていると言った。
つながっているのにつながれないという逆説は、なにもスマホ時代に初めて現れたわけではない。ハンナ・アーレントは、伝統的な共同体が失われた都市では「寂しさ」から逃れられず人々が他者依存を強めると考えたし、ディヴィッド・リースマンは1950年ごろのアメリカ社会を分析して、他人志向型になった大衆を「孤独な群集」と呼んだ。
人は一人では生きていけない社会的動物なのだから、私たちにとってつながりが重要であることは間違いない。それなのに、どうして時々息苦しさを感じてしまうのだろう。行き過ぎた「つながりやすさ」は、何をもたらしているだろう。さまざまな「つながりっぱなし」が常態化した今だからこそ、改めて「つながる? つながらない?」を問い直してみたい。
編集工学で「つながり」を多様に捉える
「ほんのれん」では、毎月設定する問いに対して30冊以上の本を集め、本の視点を借りながら思考する。「つながり」は身近でありながら、意味やイメージを掴もうとすると指の間からするする流れ落ちてしまうようで、捉えどころが難しい。どこから切り込めばいいか悩んだ「ほんのれん編集部」では、まずは編集工学の方法を使って「つながりとは何か」をほぐしてみることにした。
編集工学では、「編集=関係の発見」と捉える。情報と情報の間に新しい関係を発見し、その関係性をたぐりながら情報同士を組み合わせて、新しい見方や意味を立ち上げる。シュンペーターの「新結合」や、ロジェ・カイヨワの「対角線の科学」という考え方とも通じる。
情報同士の関係を発見する際の秘訣が、物事を多面的に見ることだ。あるものの見方を多様に広げることで、そのまわりに広がる情報や意味のネットワークを呼び込める。
そこで活躍するのが、情報を「地」と「図」で捉えながら「連想ネットワーク」を広げるという方法だ。情報は、その情報の背景や文脈となる「地(ground)」の上に、その情報の図柄や意味となる「図(figure)」が乗った構造で成り立っている。連想ネットワークを広げて発想を柔らかくするときには、情報の「地」をいろいろに切り替えながら、「図」を動かしていく。
例えば「つながり」は、「家」を地にすれば「家族」や「ご近所付き合い」が図として浮かび、「会社」を地にすると「職場の人間関係」や「いまの仕事と10年後のキャリア目標の関連性」が浮かび、「スマホ」という地には「SNS」や「IoT」が連想される……というように、情報を構造的につかむことで、連想を広げるとっかかりが見つかりやすくなる。
こうして広げた連想ネットワークから、ほんのれん編集部では今回考えたい視点として「人と人をつなげる共感や利他」や「経済をつなぐ貨幣や贈与」「ソーシャルメディアのつながりすぎ問題」「人間以外の生物のつながり方」「未来のつながりテクノロジー」などを選んだ。この観点を考えるために、借りるべきは本の力。さまざまな領域から35冊が集まった。
収集した35冊の本をマッピング。一つのテーマを考える上で、関連する本を30冊ほど集めて並べることを編集工学研究所ではconfiguration(コンフィギュレーション)と呼んでいる。 ※画像をクリックすると大きな画像を表示します
イラスト:須山奈津希、デザイン:MIDORIS
デジタルなつながり:スマホ時代の閉塞感はどこから?
「どんどん接続しながら、私たちは孤独から逃避している。そのうちに、隔絶して自己に意識を集中する能力が衰えていく」
ー シェリー・タークル
まずは最も身近なところ、手のひらの中のスマホから考えてみたい。『スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険』(谷川嘉浩 著)は、インスタントで断片的な刺激に取り巻かれた現代人のあり方に警鐘を鳴らす。「刺激がないと退屈」という傾向が人々に広がると、社会の前景は直感的に共感されやすいものばかりで覆われる。理解や消化に時間のかかる情報は取り残されて、複雑な世界は極度に単純化されてしまう。
マルチタスキングによって注意の分散が続くと、何かにじっくり集中する能力は徐々に影を潜める。最も深刻なことは、その結果、私たちが自分自身と向き合うための「孤独」を失ってしまうことだ。
ハンナ・アーレントは、「一人でいること」を「孤立(isolation)=物理的な隔絶状態」「孤独(solitude)=沈黙の中で心静かに自分自身と対話し思考している状態」「寂しさ(loneliness)=人々に囲まれているのに自分は1人ぼっちだと感じて、そんな自分を抱えきれず他者を依存的に求める状態」の3つに分けた。スマホ時代には「孤独」が急速に失われ、その結果「寂しさ」が膨れ上がる。
「孤独(自己との対話)」を手放して「寂しさ(他者への依存)」に身を委ねると、何が起こるだろう。他者の目がある場所では、私たちは無意識のうちに、「他者の承認を得られやすい自己像」に自分を調整してしまう。自己像を「加工」してシェアし、得られた報酬(「いいね!」の数)に応じて自己像を調整する行為は、他者から見た「私」のイメージや、自分についての認識にゆがみを生む。
「私たちがソーシャルメディアにやみつきなのは(中略)、私たち人間に生得的な行動、すなわち、さまざまなバージョンの自己を呈示しては、他人がどう思うかをうかがい、それに応じてアイデンティティを手直しするという行動を手助けしてくれるからである」
ー クリス・ベイル『ソーシャルメディア・プリズム』
スマホやSNSとの付き合い方を改めて問い直す2冊。『ソーシャルメディア・プリズム』はアメリカの政治分断におけるSNSの影響を社会科学的に分析する。
撮影:編集工学研究所
「〇〇な自分」というシンプルなアイデンティティは、デジタルプラットフォーム上での帰属感という快感や安心をもたらす。『ソーシャルメディア・プリズム SNSはなぜヒトを過激にするのか?』(クリス・ベイル著、松井信彦訳)は、固定化された自己像がエコーチェンバーやフィルターバブルを構築・強化し、時として帰属の異なる他者への攻撃行動を助長すると明らかにした。ソーシャルメディアは、自己像を歪める装置であると同時に、アイデンティティ強化装置にもなっている。
自分がどんなふうに自己像を調整しているか気になるときは、「SNSで何をシェアしないか」を思い起こしてみると分かりやすい。不特定多数と無防備に共有したくない、そんな自分の一面と、「孤独」の中でじっくり向き合ってみることも時には大事かもしれない。
気持ちのつながり:「共感」は感情伝染か相互理解か?
「共感とは、私が他人の表情の中で生き、また他人が私の表情の中で生きているように思うという、その単純な事実のことです」
ー メルロ・ポンティ
人の心と心がつながるとき、そのあいだを媒介するのが「共感」だ。共感は、感情や経験の共有を通じてつながりを育み、助け合いのきっかけをつくる。一方で他者の苦しみや悲しみに共感しすぎることは、苦しみや疲労感を生みもする。『共感の正体』(山武伸二著)は、科学と哲学の両方のアプローチで共感の本質に迫る。
共感が生じる経験は、大きくは(1)「情動的共感(emotional empathy)」と(2)「認知的共感(cognitive empathy)」の2つに分けられる。(1)「情動的共感」は感情の伝染に近く、多くの哺乳類にもみられる共感だ。英語ではエンパシー(empathy)ではなくシンパシー(sympathy)という表現を当てることも多い。これに対して、(2)「認知的共感」は相手の表情や態度から内面を想像することで自分も同じ感情を抱くもので、言語による認知や自他の区別の認識が必要なため、人間にしか生じないと言われる。
感情伝染的な共感は、ともすると衝動的な感情の波に人々を巻き込んでしまう。相手や状況に対する深い理解がないままの共感は、味方にばかり共感して相対するグループへの理解を妨げることや、感情に訴えかける強い言葉に感化して理不尽な従属を受け入れてしまうことにつながりかねない。ポール・ブルームの『反共感論』(高橋洋 訳)は、この危険性を指摘し、共感力が称揚されすぎる風潮に反発する。
「共感」を考える3冊。ビジネスや政治、ケアの現場で、「共感」や「エンパシー」の役割はますます注目を集めている。
撮影:編集工学研究所
ブレイディみかこは著書『他者の靴を履く』で、このような形でエンパシー(共感)を「闇落ち」させないために、アナーキー(あらゆる支配への拒否)とセットでエンパシーを訓練することが重要だと見る。
共感は根源的で強大な力であるからこそ、飲み込まれすぎると苦しみをもたらすこともある。私も、コロナ禍で「寂しい」友人間でのデジタルコミュニケーションが氾濫した時期に、HSP(Highly Sensitive Person)という言葉が頭をよぎった。
他者の感情に対する感受性が強いHSPの人は、実際に共感を司る脳の領域が一般の人よりも活発らしい。共感が力を持ちすぎていると感じる時は、感情から距離をおいて、思考的に他者理解を試みることが処方箋になるかもしれない。あるいは、アナキズムに相談してみることが。
これからの心地いいつながり方は?
「私たちの持っているもので、人から受けていないものがあるだろうか?」
ー アウグスティヌス
ここ数十年で急速に変化したデジタルのつながりと、人間が数百万年にわたって付き合い続けてきた共感によるつながり。その狭間で、私たちはいつになく右往左往している。ポストコロナのスマホ時代に探究すべき、居心地の良いつながり方ってなんだろう。世界が画一化していく傍らで、これからのつながり方を実験する動きも増えてきた。
ドイツの社会学者フェルディナンド・テンニースは、20世紀初期を境に、コミュニティという語が示すものがゲマインシャフト(共同社会)からゲゼルシャフト(利益社会)へ転換したと分析した。以前は一定の価値観を共有して支え合っていた共同体が、利益追求の競争フィールドになってしまったのだ。
「共同社会」で人々をつないでいた絆や信頼は、「利益社会」への移行で金銭のやりとりに取って代わられた。無味乾燥な貨幣経済のつながりから抜け出すべく注目を集めるのが、「贈与」や「利他」の概念だ。
社会の中での人と人とのつながり方を捉え直す4冊。グローバル資本主義の大きな流れから逸れたところに、今一度スポットライトを当ててみたい。
撮影:編集工学研究所
ナタリー・サルトゥー=ラジュは『借りの哲学』で、貨幣による等価交換を絶対視する資本主義経済の暴走を止めて、社会に「借り」の概念を復活させるべきと説いた。誰かから受けた贈与によって得られる「借り」の感覚が、別の誰かへの贈与へとつながり、社会の中で贈与がめぐっていく。時間をかけて回る経済は、ワンクリックのネット通販やSNSのインスタントな相互承認とは違う絆をもたらしてくれるだろう。
贈与や利他のように、近代以降に薄れてしまったつながり方を再発見する動きがある一方で、新たな「つながりテクノロジー」の開発も熱を帯びる。ほんのれん編集部が特に注目したのは「BodySharing」と呼ばれる領域。身体的な感覚をデジタルデータ化し、インターネットを介して共有することで、他者やアバターとの間で体験を相互共有できる技術だ。
これが実装されていけば、私たちは自分の身体を超えて別の身体を手にし、「自分の体験」と「自分以外の体験」を同時並列的に送る「マルチスレッドライフ」も可能になる。
例えば、病院で寝たきりになってしまった人が試合中のプロテニスプレイヤーの身体感覚を体験したり、現実世界で生きながら、バーチャル空間で飛び回るアバターの体験を自分のものとして生きたりもできる。急速に実装されつつあるこれらの技術開発の現在地を、玉城絵美著『BODY SHARING 身体の制約なき未来』は分かりやすく紹介している。
日々研究が進む「つながりテクノロジー」は、BodyShaingの他にも、脳とAIをつなぐ技術や脳と脳をつなぐ技術などさまざま。つながり方が刷新される未来は予想以上にすぐ近くかもしれない。
撮影:編集工学研究所
この技術は当然新たな「つながりモンダイ」を引き起こすだろうけれど、一方で、玉城は特に障害や身体的な制約によって自由に生き方・暮らし方を選択できない人にとってはあらゆる可能性を切り開くものになるだろうと期待する。デジタルな体験共有技術の発展と引き換えに身体や知性の進化が止まってしまっても、逆に人間の心や共感能力は高められていくと見る。
身体感覚ごとつながれてしまう未来はワクワクするけれど、共感にはマイナスの側面も「闇落ち」のリスクもあると知ってしまうと、未来の技術に楽観一辺倒でいるのは難しそうだ。体験すべてがデータ化された時に、そのデータを誰が管理するかという問題もある。
次々に登場する新技術に押し流されてしまう前に、今のうちに改めて「つながる? つながらない?」を問い続けておくことが必要そうだ。未来を見据えながら何を考え、何を選択していこう。あなたは「つながる? つながらない?」の狭間で、何を思いますか?
【付録】「つながる?つながらない?」を考える書籍リスト
そもそもを問う
つながりってなんだろう?
- 『つながりの人類史 集団脳と感染症』田村 光平 (著)/PHP研究所(2023)
- 『愛するということ』エーリッヒ・フロム (著), 鈴木 晶 (訳)/紀伊國屋書店(2020)
- 『つながり過ぎた世界の先に』マルクス・ガブリエル (著), 大野 和基 (編集), 髙田 亜樹 (訳)/PHP研究所(2021)
人はなぜつながるの?
- 『共感の正体』山竹伸二 (著)/河出書房新社(2022)
- 『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』ブレイディ みかこ (著)/文藝春秋(2021)
- 『ヒトはなぜ協力するのか』マイケル・トマセロ (著), 橋彌 和秀 (訳)/勁草書房(2013)
ウラ側を見つめる
つながっていないと寂しい? つながっていても寂しい?
- 『孤独の科学 人はなぜ寂しくなるのか』ジョン・T・カシオポ (著), ウィリアム・パトリック (著), 柴田裕之 (訳) /河出書房新社(2018)
- 『孤独と居場所の社会学 なんでもない“わたし”で生きるには』阿比留 久美 (著)/大和書房(2022)
つながりから逃げたくなる時もある?
- 『草枕・二百十日』夏目 漱石 (著)/KADOKAWA(1968)
- 『人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方』鶴見 済 (著)/筑摩書房(2022)
- 『反共感論 社会はいかに判断を誤るか』ポール・ブルーム (著), 高橋洋 (訳)/白揚社(2018)
メカニズムを探る
つながりをつくるものって?
- 『縁食論 孤食と共食のあいだ』藤原辰史 (著)/ミシマ社(2020)
- 『人はなぜ握手をするのか』エラ・アル=シャマヒー (著), 大川 修二 (訳)/草思社(2022)
- 『未来をつくる言葉』ドミニク・チェン (著)/新潮社(2020)
- 『チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学』小川 さやか (著)/春秋社(2019)
- 『コミュニティデザインの源流 イギリス篇』山崎 亮 (著)/太田出版(2016)
利他がつながりのエンジン? つながりが利他のエンジン?
- 『利他とは何か』伊藤 亜紗 (著), 中島 岳志 (著), 若松 英輔 (著), 國分 功一郎 (著), 磯崎 憲一郎 (著)/集英社(2021)
- 『親切の人類史 ヒトはいかにして利他の心を獲得したか』マイケル・E・マカロー (著), 的場知之 (訳)/みすず書房(2022)
- 『思いがけず利他』中島岳志 (著)/ミシマ社(2021)
視点を転じる
つながりの大きな単位・小さな単位は?
- 『孤立する都市、つながる街』保井 美樹 (著, 編集), 全労済協会「つながり暮らし研究会」 (編集)/日本経済新聞出版(2019)
- 『図説 人新世: 環境破壊と気候変動の人類史』ギスリ・パルソン (著), 長谷川 眞理子 (監修), 梅田 智世 (訳)/東京書籍(2021)
- 『宇宙船地球号 操縦マニュアル』バックミンスター・フラー (著), 芹沢 高志 (訳)/筑摩書房(2000)
人間以外のつながり方は?
- 『「つながり」の進化生物学』岡ノ谷 一夫 (著)/朝日出版社(2013)
- 『ゴリラからの警告』山極 寿一 (著)/毎日新聞出版(2022)
これまでを辿る
つながり方の経済はどう変化している?
- 『贈与論』マルセル・モース (著), 吉田 禎吾 (訳), 江川 純一 (訳)/筑摩書房(2009)
- 『借りの哲学』ナタリー・サルトゥー=ラジュ (著), 高野優 (訳), 小林重裕 (訳)/太田出版(2014)
- 『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』近内悠太 (著)/NewsPicksパブリッシング(2020)
- 『プラットフォーム資本主義』ニック・スルネック (著), 大橋 完太郎 (訳), 居村 匠 (訳)/人文書院(2022)
現在を考える
スマホやデジタル技術がつながりにもたらす影響は?
- 『スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険』谷川 嘉浩 (著)/ディスカヴァー・トゥエンティワン(2022)
- 『ソーシャルメディア・プリズム SNSはなぜヒトを過激にするのか?』クリス・ベイル (著), 松井信彦 (訳)/みすず書房(2022)
- 『つながりっぱなしの日常を生きる ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの』ダナ・ボイド (著), 野中モモ (訳)/草思社(2014)
- 『弱いつながり 検索ワードを探す旅』東 浩紀 (著)/幻冬舎(2016)
これからを思い描く
- 『世界2.0 メタバースの歩き方と創り方』佐藤 航陽 (著)/幻冬舎(2022)
- 『脳と人工知能をつないだら、人間の能力はどこまで拡張できるのか 脳AI融合の最前線』紺野 大地 (著), 池谷 裕二 (著)/講談社(2021)
- 『BODY SHARING 身体の制約なき未来』玉城 絵美 (著)/大和書房(2022)
山本春奈:編集工学研究所 エディター。編集工学研究所は、松岡正剛が創始した「編集工学」を携えて幅広い編集に取り組むエディター集団。編集工学を駆使した企業コンサルティングや、本のある空間のプロデュース、イシス編集学校の運営、社会人向けのリベラルアーツ研修Hyper Editing Platform[AIDA]の主催など、様々に活動する。同社のエディターを勤め、問いと本の力で人と場をつなぐ「ほんのれん」のプロジェクトマネジャーおよび編集部員として奔走中。