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今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
朝日新聞が5月から購読料を値上げしました。入山先生は「極めてリーズナブルな打ち手」と評価しつつ、ただしこれは「すでに衰退している新聞が最後に取りうる戦略」と釘を刺します。もしも先生が新聞社の経営者なら、どんな戦略で立て直しを図るのでしょうか?
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「値上げは正解」と言い切れる理由
こんにちは、入山章栄です。
みなさんは新聞を購読していますか? 僕が子どものころは毎朝、各家庭に新聞が配達されるのが当たり前でしたが、いまや新聞をとっている家はむしろ少数派かもしれません。
BIJ編集部・常盤
少し前に、朝日新聞が値上げをすると発表しました。朝刊と夕刊のセットでは500円上がって月額4900円になります。
でもいま新聞社はどこも購読者数が減っていますよね。原材料の高騰など諸事情はあるとはいえ、売上が下がっているなかで価格を上げるとさらなる解約を招きかねません。値上げは自らの首を絞める戦略なのではないでしょうか。入山先生はどうご覧になりますか?
うーん、僕は値上げはむしろ極めてリーズナブルな打ち手だと思います。ただし、この打ち手は購読者数減を加速させる可能性すらありますよね。それでも僕が朝日新聞の経営者だったら、同じことをすると思いますよ。
BIJ編集部・常盤
とれるところからとる、ということですか?
はい、そうですね。例えば、実は人気の東京ディズニーランドも長い間、値上げを繰り返しているのです。そして僕はこれも戦略としては正しいと思う。なぜ正しいかは、この連載の第121回でも取り上げましたが、「需要の価格弾力性」という考えで説明できます。
価格弾力性とは、直感的に言えば、「お客さんが価格変化にどれくらい敏感か」を表すものです。
例えばある商品の価格を10%上げたとき、お客さんの数が10%以上減ったら、その商品のお客さんは値上げに敏感だということです。これを「価格弾力性が高い」といいます。
一方、価格を10%くらい上げてもお客さんの減りが4~5%で済んでいるなら、お客さんは、それほど値上げに動じていないということになります。これは「価格弾力性が低い」ということになります。
そして一般的には、価格弾力性の高い商品は価格を下げたほうがいいのです。なぜなら少し価格を下げるだけでも多くのお客さんが飛びつくので売上が上がり、トータルの収入の増加が見込めるからです。逆に、価格弾力性の高い商品の価格を1%上げたら、お客さんが5%くらい減ってしまうかもしれない。そうなるとトータルで儲けが減ってしまう。
では反対に、価格弾力性が低い商品はどうすればいいかというと、もうお分かりですよね。弾力性が高い場合の逆で、価格を上げるのが正しい戦略となります。例えば価格を10%上げても、お客さんが5%しか減らないのであれば、価格を上げたほうがトータルの収入が増えるわけです。
一方、価格弾力性が低い商品は、価格を下げてもそれほどお客さんは増えません。値段を10%下げているのにお客さんが3%くらいしか増えなければ、トータルの売上が減ってしまう。
つまり、「価格戦略は価格弾力性に依存すべき」なのです。
BIJ編集部・常盤
それでいうと、東京ディズニーランドは価格弾力性が低そうですね。
その通り。東京ディズニーランドの価格弾力性はめちゃめちゃ低いはずです。ロイヤリティを持ったファンがものすごくたくさんいますから。こういう人たちは、ディズニーランドの価格変更に敏感ではないことが多い。
東京ディズニーランドは1年間に何回も来園する「ディズニーランドマニア」のおかげで経営が成り立っている部分がある。そういう方々は多少値上がりしたくらいでディズニーランドに行くのをやめたりしません。あるいは海外からわざわざ来た方は、10%や20%値上がりしても、ディズニーランドを訪れるでしょう。
東京ディズニーランドはコロナ前からじわじわ値上げをしていますが、おそらくコロナを機に全体的な戦略を見直したのではないでしょうか。値上げをしても、それほどお客さんが減らないことは、もう分かった。それにあまり混雑するとお目当てのアトラクションに乗れなかったりして、顧客の体験価値が減ってしまう。それなら来場者数を適正に抑えるためにも値上げをしたほうがいい。おそらく戦略的に、このように考えたのだと思います。
新聞社の最後の戦略
それでは、朝日新聞はどうか。ディズニーランドと違い、残念ながらいま朝日新聞は発行部数が落ちている状態です。でも、僕の見立てでは、朝日新聞の購読者は価格弾力性がものすごく低い。こういう人たちは、多少値段が上がっても「じゃあ、もう読むのをやめよう」とはならないはずです。
理由はいくつかあります。まず、新聞というのは定期刊行物ですから、サブスクリプションと一緒で解約手続きが面倒くさい。だから10%や20%値上げしても、購読を停止する人はそれほど多くないはずです。
加えて、いま紙の朝日新聞をとっている方は、おそらく年配の方が多い。この世代は長年購読してきた朝日新聞というブランドに強いロイヤリティを持っているし、経済的にもそれなりに豊かな方々も多いです。もちろん年金で生活している方もいるでしょうけれど、新聞代が500円上がっても払えるくらいの余裕はある。怒られるかもしれませんが、いまの朝日新聞はそういう方々に惰性で購読されている側面もあるわけです。
つまり、今の朝日の読者で残っている人たちは、価格弾力性が低いはずなんですよ。だったら先のロジックで、どう考えても価格を上げたほうが、売上が伸びて購読者減をカバーできる。もちろん価格を上げることで、部数は若干減るでしょう。しかし購読をやめるのは価格に敏感な一部の層だけで、そういう層は朝日の購読者にはそれほど多くないはずです。
BIJ編集部・常盤
なるほどよく分かりました。でもやはり500円も値上げすると、購読を検討していた人でも「やっぱりやめよう」となってしまいますよね。サービスというのは既存の顧客も大事ですが、新規顧客が入ってきてくれないと成長しません。となると、朝日新聞がこれから伸びていくのはイメージしづらくなりますね。
はっきり申し上げて、この先、伸びていくとは考えがたいですね。ですから今回の朝日新聞の値上げは、忖度せずに言えば、すでに衰退している新聞が最後に取りうる戦略です。
例えば「学生割」とか、「20代以下は価格を半額にします」というようなキャンペーンをして若年層だけへの割引を行えば、新たに購読する人もいるかもしれない。でもそれでは他の年代から反発されるでしょう。基本的に一つの商品には一つの価格しかつけられないのです。
あとはその真逆で、「朝日新聞は富裕層のための高級紙です」と位置付けて、思い切り価格を上げて高級感を出していく戦略もありえます。しかしそれをしてもこれ以上マーケットそのものは伸びないので、残るはやはりデジタル化しかないでしょうね。
アメリカではニューヨークタイムズ、ニューストゥデイ、ウォールストリートジャーナルなどの新聞が、早々にデジタルシフトに成功しました。日本では日本経済新聞が比較的早くデジタルシフトに着手したけれど、その他の主要全国紙はデジタル化に乗り遅れた。日本の高齢層はiPadのようなデジタルデバイスをあまり使わないという事情もありますが、やはりデジタル化の遅れは致命的でした。
よく「新聞がダメになった」といいますが、僕から見ると新聞がダメになったのではない。新聞社の経営の失敗だと思います。
BIJ編集部・常盤
今後、新聞社が生き残るにはどうすればいいでしょうか。
「言うは易し」で気楽に言わせてもらえれば、僕なら日本国内だけでなく、アジアに向けたデジタルメディアをつくります。これからはChatGPTのようなAIツールを使えば英語の記事がつくりやすくなりますし、アジア全体で見れば、日本は衰退はしていても、経済的・文化的にまだ見るべきものがあると思われているので、そこをうまく訴求しながら東京発のハイクオリティ・デジタルメディアを目指しますね。
いまならまだアジア圏に強い新聞社(もしくは新聞のようなメディア)はそれほど存在しません。ヨーロッパならフィナンシャル・タイムズがあるし、世界的にはウォールストリートジャーナルとかニューヨークタイムズとかワシントンポストがあるけれど、アジアのポジションが空いているので、ここにうまく乗り込む。僕なら、朝日新聞を、アジアのニューヨークタイムズのように高級紙と位置付けて、デジタル化で全アジアを対象としていくと思います。
BIJ編集部・常盤
ハードルは高いと思いますが、もう後がないのも確かです。新聞社がどう活路を開いていくのかに注目ですね。
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。