「ニューロダイバーシティ」とは、Neuro(脳・神経)とDiversity(多様性)という2つの言葉が組み合わされて生まれた、「脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で活かしていこう」という考え方。
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発達障害という言葉で検索すると毎日のように新しいニュースが出るようになって久しい。
全国の小中学校を対象にした文部科学省の2012年の調査「通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査」では、6.5%の子どもに発達障害がある可能性が指摘された。この割合をそのまま日本の人口に換算すると、国内の800万人以上に発達障害がある計算になるとの報道もある。
2022年に実施された最新の調査では、この数字は8.8%に増加している。
野村総合研究所が2021年3月に発表した試算によれば、日本国内で何らかの発達障害をもつ「発達障害人材」に関連する経済損失インパクトは2兆3000億円になるという。
もともと「困った子供」が発達障害だったという文脈で語られることが多かったが、最近では「大人の発達障害」にフォーカスが当たることも多くなった。そうした人たちの中には、発達障害という診断名はつかないまでも、定型発達とも言い切れないグレーゾーンの人も多いとされる。
当事者や周囲の人々はこの特性にどう向き合うべきなのだろうか。大人の発達障害を支援する組織「Kaien」を取材した。
発達障害に特化した支援を行うKaien
Kaienで職業訓練を行う利用者たち。
撮影:杉本健太郎
私は2009年から全国で発達障害の強みを活かした就労・自立支援を行うKaienを訪ねた。代々木の事業所を訪問すると、広報の吉村穣さんが対応してくれた。
Kaien広報の吉村穣さん。
撮影:杉本健太郎
数ある就労移行支援機関のなかでもKaienは発達障害に特化している。過去10年間の就職実績は約2000人、就職率は80%だ。平均利用期間は9カ月で、就労移行支援、自立訓練(生活訓練)のそれぞれで原則最大2年間(行政が必要性を認める場合は例外的に3年間)利用することができる。
Kaienの誕生は元NHKアナウンサーの鈴木慶太代表が自身の子供が発達障害だと診断されたことがきっかけだった。鈴木代表はNHKを退職しアメリカに留学。MBAを取得し起業家精神を学ぶとともに、モデルになるようなビジネス(※)と出会ったことから、Kaienを起業したという。
※発達障害の人たちを雇用しているデンマークの企業「スペシャリスタナ」のこと。自閉症スペクトラムの人を雇用し、「集中力を持続できる」「細かなところに着目できる」などの特性を生かして、ソフトウェアのバグ発見などを業務に黒字経営を続けている。
Kaienをどのような人が利用しているのか?
Kaienは大人向けの就労移行支援、自立訓練(生活訓練) 、子供向けの放課後デイサービスの他に、大学・専門学校生が多く利用するガクプロ、人材紹介、コンサルなどの法人向けサービスを提供している。
大人向けの障害福祉サービスである就労移行支援と自立訓練(生活訓練)の利用者は18歳から65歳で、 20代が圧倒的に多い。ただ、なかには40~50代になってから自分の苦手なことに気づいて利用しに来る人もいる。
吉村さんによると、Kaienの門をたたく人たち全員が「発達障害」という診断がついているわけではないと言う。
「発達障害の診断はなく、他の精神疾患(うつ病や双極性障害、不安障害など)の診断のみの方はKaien利用者の中に一定数いらっしゃいます。その方たちの多くは、支援者目線で見て発達障害の診断はなくても、その傾向がある(いわゆるグレーゾーンに該当する)のは事実です。発達障害の傾向による生きづらさや社会での不適応が、例えばうつ病の要因の一つになっている、というケースもあると思います」(Kaien広報・吉村さん)
大人の発達障害と「就労支援」の効果とは
Kaienの就労支援では、上司役を立ててのロールプレイングなど、「実際に働いている環境」をリアルに再現する。
対応している職業訓練は、経理・人事・データ分析・伝統工芸・軽作業など100種類以上。プログラミング・デザインを極めたい人には専門コース(クリエイティブコース)もある。毎週違う会社での業務を体験しているようなものだ。
訓練を通じて、自身が力を発揮しやすい業務と環境を選べる力を身につける。「同時に、苦手なこと(努力しても変わらないこと)について、うまく避けて通るスキルや、最低限のパフォーマンスで乗り切るスキルを身に着けることを目指している」と吉村さんは言う。
職業訓練で上司役をロールプレイするKaien職員。
撮影:杉本健太郎
Kaienを訪れる大人の発達障害の当事者は、企業や組織になじめないなどの「困りごと」を抱えてやってくるケースが少なくない。当事者を長年見てきた吉村さんは、その原因の一つを「“自分を客観的に見ることが苦手”なことから生じているケースが多い印象がある」という。
言ってみれば、「自己評価と他者評価のズレ」だ。
自己評価が高すぎると、実際の仕事の成果が伴わず、評価してもらえない。逆に低すぎると、失敗を過大に捉えがちで、落ち込みが大きくなることもある。いずれも、人間関係のこじれにつながりやすいことは想像できる。
Kaienでは、週替わりで提供する職業訓練プログラムの結果(評価)を、あえて本人にも見せている。具体的には、原則隔週の定期面談で、上司役の職員からの評価と自己評価をすり合わせる時間を持つ。そのため、本人がどのような評価をしようと、(比較的記憶が鮮明なうちに)客観的な評価が明らかになる。
すべてのプログラムが定量評価されるわけではないが、上司の定性的な評価も含めた、他者からの客観評価を本人にフィードバックすることを大切にしている。
例えば、
- データ入力であれば入力件数(スピード)、セルフチェックで見つけたミス件数、他者やシステムによるダブルチェックで見つけたミス件数(正確性)
- 企画/調査して発表/報告資料にまとめる業務であれば他の利用者からのフィードバックや投票
などだ。
自己評価の高すぎる人には「あなたは自己評価4と言っているけど、この結果では2ですよ」。自己評価の低すぎる人には「あなたは自己評価2と言っているけど、全体成績3位だから自信を持っていいですよ」といったフィードバックを返していくことで、本人の中でずれた自己評価を客観評価に合うようにしていく。
このように、自分を客観的に見る力、相対化する力を身に着けられることがKaien最大の特徴だ。
「PCやITの専門知識といったハードスキルを身に着ける機会もありますが、本質は自分を客観視したり、経験したことのないことに想像力を働かせたりすることが苦手な方が、実践的な職業訓練を多数経験することを通じて気付きを得ることができる場だと思っています」(Kaien広報・吉村さん)
就労移行支援を受けて就職、4年でチームリーダーに
Kaienは、ブログでこんなエピソードを紹介している。
西村さん(仮名)の前職は雑誌編集者だった。仕事にやりがいは感じていたが、日を追うごとに、苦しさと疲労が蓄積した。
「徐々にマルチタスクのコントロールが困難になりました。周囲の期待に応えたいと思って無理をして頑張りましたけど、最終的には体調を崩して兼業の契約社員として3年、その後正社員登用から1年ほどで退職に至りました」(ブログより引用)
西村さんには編集者以外にも職歴はある。ただ、どれも1、2年程度で退職しているという。西村さんはどの職場でもある程度「何でもできる人」に見られ、その期待に沿うように無理をしては限界を迎える。そんな苦労を重ねてきた。
退職後、医師から「不注意優勢型ADHD」の可能性を指摘されたという。
「ADHDの人の中には、頭の中にアイデアが思い浮かぶとコントロールが効かなくなって注意力が散漫になったり眠れなくなってしまう人がいるね」(ブログより引用)
西村さん自身、確かに心当たりもあった。
主治医から診断や障害者手帳について一通り説明を受けた上で、西村さんは熟慮の末、障害者手帳を取得することにした。いわゆる発達障害のグレーゾーンだった。
それから約1年間、Kaienの就労移行支援を受けて、西村さんはサザビーリーグHRの本社オフィス立ち上げと同時に、DTPオペレーターとして勤務を開始。入社4年目でDTPチームのリーダーとなった。
働いている人は公的支援を受けることができない
大人の発達障害の当事者には徐々にKaienのような取り組みの認知は広がっているが、一方、社会の側の「大人の発達障害」への対応はどうなっているのだろうか。
2021年3月に野村総合研究所が発表した資料では、これから拡大していくデジタル社会において、発達障害人材をどのように生かしていくか、発達障害人材が活躍する社会をどうやって作って行くかが、今後の日本の経済発展に大きな課題となっていくことがうたわれている。
吉村さんは「現状の国の制度的な課題もある」とも言う。
現在、「働いている」発達障害グレーゾーンの人は公的支援を受けることが難しいのだ。「現在働けているなら福祉サービスは必要ない」ということで役所の許可が下りないことが多いという。
厚生労働省の障害福祉課の担当者は、Business Insider Japanの取材に対し、「(対応は)市区町村によって判断が異なる」としたうえで、2022年12月に障害者総合支援法を改正したので、法律が施行される2024年4月以降は「就労中の就労系障害福祉サービスの一時利用」が可能になると返答した。
ただし、法改正後もあくまで判断は市区町村に委ねられる。「今、企業で働いているが、働きづらさを感じて、理解のある職場に転職するために支援を受けたい」という人が公的支援を受けられるかは、問い合わせてみるまで判然としない現状は続く。
Kaienもこうした制度の穴に対応すべく、オンラインで誰でも利用できる発達障害の人向けアプリ提供やYouTubeチャンネルでの発信をしている。
少子化社会のなか、働き手の確保は重要課題だ。「発達障害」を積極的に個性の一つと捉えていくことは、日本企業と社会が向き合うべき問題ではないだろうか。