撮影/YUKO CHIBA
AIが浸透し、小学校でのプログラミング教育の必須化や中高での本格化など、これからの社会ではITスキルが必須だと言われる今、進路選択に悩む若者の新しい未来地図となるような書籍が刊行された。
タイトルは『わたし×IT=最強説 女子&ジェンダーマイノリティがITで活躍するための手引書』(リトルモア)、著者はIT分野のジェンダーギャップの解消を目指すNPO法人「Waffle(ワッフル)」だ。性別も文系理系も関係なく、「ITに興味があるけれど、自信がないな」と感じている人を励まし、ワクワクする未来のイメージを抱かせる一冊となっている。
この本でWaffleが10代に伝えたかったメッセージや、IT分野のジェンダーギャップがもたらすリスクについて、WaffleのCo-Founder & CEOである田中沙弥果さんに聞いた。
「わたし×IT」で輝くロールモデル16人を紹介
田中沙弥果(たなか・さやか)/Waffle Co-Founder & CEO。1991年生まれ。2017年NPO法人みんなのコード入職。文部科学省後援事業に従事したほか、全国20都市以上の教育委員会と連携し学校の先生がプログラミング教育を授業で実施するための事業を推進。2019年にIT分野のジェンダーギャップを解消するために一般社団法人Waffleを設立(現NPO法人)。2020年には日本政府主催の国際女性会議WAW!2020にユース代表として選出。内閣府 若者円卓会議 委員。
撮影/YUKO CHIBA
「愛情深く、そして論理的に女性をエンパワーメントしたい。むずかしく捉えられがちなテクノロジーを、お菓子のワッフルのようにポップに」
そうした思いから、「Women AFFection Logic Empowerment」を略して「Waffle」と名づけた非営利法人を田中さんたちが立ち上げたのは、2019年11月のこと。
プログラミングを学びたいけれど、男子の輪に入りづらい。身近に聞ける人がいない——そんな中高生の背中を押すべく、女子&ジェンダーマイノリティ向けのIT体験プログラム・イベントを開催し、わずか4年目で政府への政策提言も行う団体へと成長を遂げてきた。
本書をつくるにあたり、田中さんたちが特にページ数を割いたのが、IT分野で活躍する16人へのインタビューだ。
「これまで中高生たちと出会う中で、ITがすごく狭く捉えられていることが気がかりでした。どこか暗いイメージがあったり、理系の“できる人”がやるものというイメージが強かったり。
そこを払拭して、ITの楽しさや可能性をポジティブに捉えられるようにしたかった」
中高生が共感できるロールモデルを見つけ、将来や進路を考えるときの参考にできるようにと、「わたし×IT」のパワーで輝く16人のバックグラウンドは実にカラフルだ。
高校生、大学生、社会人と年齢層は幅広く、社会人の職種はさまざまな分野のエンジニアや、VR、AI、コンピュータグラフィックスの研究者など多岐にわたる。
本では、ITエンジニアや研究者を含む16人のインタビューを収録。「一口にITといってもその職種は多様。自分に合うロールモデルがきっと見つかるはず」と田中さん。
撮影/YUKO CHIBA
高校3年生の「ゆう猫」さんは、高1のときにWaffleがサポートするコンペティション「Technovation Girls(テクノベーション・ガールズ)」に参加したことが、大きな転機になったという。
「ゆう猫」さんがコンペで発表したのはSNSのアプリで、発言者が意図せずセクシュアルマイノリティに対して発してしまう攻撃的、差別的な言動を減らせるような機能が実装されていた。
このアプリは日本マイクロソフト賞を受賞し、その後もバージョンアップした企画で複数の賞を受賞。経済産業省の有識者会議にも参加し、セクシュアルマイノリティの立場から意見を届けている。
数学が得意な人だけではなく、「自分は文系だ」と思っていた人が、エンジニアとして活躍している例もある。学生時代は赤点を取るほど数学が苦手だったと話す、ソフトウェアエンジニアの仁ノ平和奏さんのエピソードも興味い。
仁ノ平さんはコンピュータサイエンスやテクノロジーに興味があったものの、文理選択時には迷わず「文系」と書いて提出。しかし、先生の「考え方が理系寄りじゃない?」という言葉に背中を押され、最終的にはアメリカの大学でコンピューターサイエンスを専攻することにしたそうだ。
中高生の未来を狭める「ステレオタイプの脅威」
「女性は理工系が苦手」という周囲の大人たちの思い込みによる「ステレオタイプ脅威」が、女子の進路を狭めている、と田中さん。
撮影/YUKO CHIBA
そもそもなぜ、日本の理工系にはこんなにも女性が少ないのだろうか。本書ではその理由のひとつとして、「理系は男性が多い」「女子は理系科目が苦手」という思い込みがあることを挙げている。
「Waffleのイベントに参加した高校生たちも、まわりの大人から『女子は数学ができない』『女の子なんだから文系』『女性は体力がないから理工系に向いていない』と言われたことがある、と話してくれました。
でも“女性は数学ができない”なんて単なる思い込みだということは、データが証明しています」
PISAの国際的な学力調査によると、日本の女子の成績は、77カ国の女子の中で数学が7位、科学が6位と世界トップレベル。
画像提供/リトルモア(『わたし×IT=最強説 女子&ジェンダーマイノリティがITで活躍するための手引書』より抜粋)
国際的な学力調査(※)によると、日本の高校1年生女子の成績は、調査した77カ国の女子の中で数学が7位、科学が6位と世界トップレベルなのだ。ところが、OECD加盟国の工学部の女性比率を示したデータでは、116カ国の中で日本は109位となっている。
※15歳を対象とした国際的な学習到達度テストPISAの理数科目の学力調査結果(2018年)
OECD加盟国の工学部の女性比率。116カ国の中で日本は109位と低迷している。
画像提供/リトルモア(『わたし×IT=最強説 女子&ジェンダーマイノリティがITで活躍するための手引書』より抜粋)
「日本の女子高校生は他国と比較しても数学と科学が強い。苦手意識がある人が多いけれど、実はトップパフォーマーが日本女子には多いのです。
それなのに大学の理工系学部に進む女子が少ないのは、おそらく社会側、大人側に問題がある」
社会や集団に存在する「女性は数学に弱い」「男性はケア職に向いていない」といった思い込みは、無意識のうちに心に刷り込まれ、進路選択の可能性を狭めてしまう。
こうした「ステレオタイプ脅威」が、一見、平等に見える学校教育の現場にも影響を及ぼしていると田中さんは指摘する。
「今は小学校でもプログラミング教育が必修になりましたが、教える側の先生が男性に偏っている。私も前職でプログラミング教育に携わっていましたが、感覚的には、教員向けの研修会などの参加者は、9割が男性教員だったと思います。
でも小学校の教員は7割が女性なんです。どうしてだろうと思って話を聞いてみたら、『君は若いしパソコンとか得意そうだから』という理由で校長に指名されたという男性教員の話や、同じように『家庭科は女性の教員が主任でしょう』といった選ばれ方もあると聞きました」
学校現場でプログラミングを教える側のジェンダーバランスに偏りがあることに加えて、中高生を見守る周囲の大人、親たちのなかにもステレオタイプがあるかもしれない。
エンジニアの仁ノ平さんのように、大人のエンカレッジがあるかどうかというのは、中高生の進路選択において極めて大きな要素なのだ。
日本の社会構造を変えるため、政府への政策提言に挑戦
Waffleなどの提言により、IT分野及び理系分野における女子学生を増やす仕組みについて、国も本腰を入れ始めた。
撮影/YUKO CHIBA
2019年にWaffleを法人化してからの数年間で、ITと女子・ジェンダーマイノリティをめぐる環境はかなり変化したと田中さんは語る。
「創業時は、『IT分野のジェンダーギャップ』があるという話をしても、理解を得るのがなかなか難しいこともありましたが、今は『やらなきゃいけないよね』という空気が日本の社会でも醸成されつつあることを感じます。
協賛企業も当初はCSRに注力している外資系企業が多かったのですが、2021年からは日系企業も増えてきました」
少子高齢化時代の危機感から、国の政策としても意識が高まってきていると言う。
「これまでは女性活躍の文脈のなかで、“理工系の女性”として捉えられてきましたが、今はデジタル分野でのジェンダーギャップを解消するという方向に変わってきています。
2021年に内閣府が設置した『若者円卓会議』では、私も委員を拝命し、IT分野及び理系分野における女子学生を増やす仕組みについて提言しました」
田中さんたちの活動が実り、2021年・2022年の「骨太の方針(経済財政運営と改革の基本方針)」には、Waffleを中心とする個人・法人による、理工系分野におけるジェンダーギャップ解消のための政策提言が記載された。
「このままいけば、2030年には約80万人のIT人材が不足するというデータもある」と田中さん。
今後、確実に雇用が増え、かつ収入も高いIT分野に多くの女性やジェンダーマイノリティが入っていくことは、個人の経済的自立だけでなく、国にとっても企業にとっても大きな恩恵をもたらすはずだ。
人間のバイアスはそのままAIに反映される
「技術を使って社会課題を解決する人を育てる」という目標について話す田中さん。
撮影/YUKO CHIBA
Chat GPTのような生成AIが爆発的な進化を遂げるなかで、IT分野への女性やジェンダーマイノリティの参加がますます重要になっている。
「ITの作り手に多様性が保たれなければ、公正で包括的なAIを開発することは難しくなる」と田中さんは話す。
「人間のバイアスはそのままAIに反映されるので、さまざまな人種や、日本であれば従来の男性社会だけではない観点からAIのトレーニングデータやアルゴリズムを設計していく必要があります。
AIはこれから社会の色々な場所で使われていきますが、公平性が保たれ、マイノリティに不利益が生じない形で社会基盤になっていくことがとても大事です」
Waffleの今後の活動としては、技術的なスキルを身につけるだけでなく、リーダーシップを発揮すると同時に、さまざまな人を巻き込みながらプロジェクトを成功に導く「テックリーダー」の育成に力を入れていきたい——と田中さん。
「文部科学省『令和2年度学校基本調査』によると大学の1学年の電気通信系の女子学生は、約2,500人しかいないので、Waffleはその5倍、年間で1万人を輩出できたら、かなりのパワーになるのではないかと思います。
私たちの目標は、テクノロジーを活用して社会課題を解決する人を育てること。そのためにはジェンダーの知識は必須ですし、自分が入った会社や社会でリーダーシップを発揮する、どうやって社会を変える人間になるかという視点が必要です」
画面上に自分が書いたコードによって、何かが動き出す。
ITの楽しさを知り、自分で世界を変える面白さを知った人々の声は力強い。10代をとうに過ぎた大人にも、「ワクワクする道」を選ぶ勇気を思い出させてくれた。
撮影場所/WeWork日比谷パークフロント
MASHING UPより転載(2023年5月18日公開)
(文・取材)田邉愛理
田邉愛理:ライター。学習院大学卒業後、センチュリーミュージアム学芸員、美術展音声ガイドの制作を経て独立。40代を迎えてヘルスケアとソーシャルグッドの重要性に目覚め、ライフスタイル、アート、SDGsの取り組みなど幅広いジャンルでインタビュー記事や書籍の紹介などを手がける。