ロシア軍による「虐殺」から1年…ウクライナ・ブチャの復興を写真で見てみよう

 ロシア侵攻の最盛期だった2022年3月のブチャ(左)と2023年5月に同じ場所を撮影した写真(右)。

ロシア侵攻の最盛期だった2022年3月のブチャ(左)と2023年5月に同じ場所を撮影した写真(右)。

Serhiy Nuzhnenko/RadioSvoboda.org/RFE/RL/Insider

  • ロシア軍がウクライナのキーウ州の都市ブチャに侵攻してから1年以上が経過した。
  • セルヒイ・ヌジネンコは、侵攻されているブチャにいち早く入ったフォトジャーナリストの一人だ。
  • ヌジネンコの撮影したビフォーアフターの写真には、その驚くべき復興ぶりと住民のたくましさが写し出されている。

ラジオ・フリー・ヨーロッパおよびラジオ・リバティー(Radio Free Europe:RFE、adio Liberty:RL)のセルヒイ・ヌジネンコ(Serhiy Nuzhnenko)は、ロシア軍侵攻後にウクライナの都市ブチャに入った最初のフォトジャーナリストの一人だ。彼は2023年にブチャを再び訪れ、その変化を撮影した

2022年3月1日、戦闘の一時停止している時に撮影されたブチャの大通り(上)と、1年以上経った2023年5月に再び撮影された同じ場所(下)。

2022年3月1日、戦闘の一時停止時に撮影されたブチャの大通り(上)と、1年以上経った2023年5月の同じ場所(下)。

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彼は1年前に戦争の惨状を撮影した場所とまったく同じ場所を撮影するために戻ってきた。

アメリカのニュースメディア、ポリティコ(Politico)によると、市当局は、ロシアの侵攻後に、市民450人以上の遺体をブチャで回収したと述べた。


ヌジネンコは住民のナタリヤ(Natalya)とルステム(Rustem)から話を聞いた。彼らは外で戦闘が激化したため、自宅の地下に隠れていたという

2022年3月1日にブチャに住むナタリヤとルステム(上)。2023年2月、再建途中の自宅敷地の前でポーズを取る二人(下)

2022年3月1日にブチャに住むナタリヤとルステム(上)。2023年2月、再建途中の自宅敷地の前でポーズを取る二人(下)。

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「私たちは安全地帯にいると思っていたが…。どうなったかは知っているだろう」と、この夫婦はRFE/RLに話した。

写真には、彼らの飼い猫がかなり元気になっている様子も写っている。


ロシア軍は2022年3月5日までブチャを制圧し、3月30日までブチャにとどまった

 2022年3月1日、黒焦げになった団地の中庭に立つブチャの市民(左)。右は2023年2月の同じ建物を撮影した写真。

2022年3月1日、黒焦げになった団地の中庭に立つブチャの市民(左)。右は2023年2月の同じ建物を撮影した写真。

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ロシア軍に解放された直後、ブチャに到着した外国人ジャーナリストは恐怖の光景を伝えた。

あるイギリス人の救急医療隊員は、死体が木にぶら下がっているのを見たという。

「こんなにひどい目にあってしまって何も話したくない。あれはひどいものだった。マスコミが発表した写真を見たが、それをひどいと思ったなら、そのひどさを10倍にしてみてほしい。それをまた10倍にし、さらに10倍にしたくらいひどいものだった」と彼はinewsに語っている。


ブチャに住むオルハ(Olha)は、2022年3月に自宅の外で見た光景は「まるでハルマゲドンのようだった」と語った

2022年3月、装甲車の前を歩くブチャの住人のオルハ。下は、2023年5月に同じ場所に立つオルハ。

2022年3月、装甲車の前を歩くブチャ市民のオルハ。下は、2023年5月に同じ場所に立つオルハ。

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「父が家を建てたときに地下室を作り、『何かあったら、ここが防空壕になる』と言っていた」とオルハはRFE/RLに語った。

「(侵攻が)起こったとき、外を見ると、すでに戦車が庭で発砲していた。私たちは急いで地下室に駆け込み、7時間じっと座って耐えていた」

「私たちはすでに人生に別れを告げていた…。その後、私たちは外に出て、恐ろしい光景を見た」

2023年5月の写真では、残骸がなくなり、彼女の住む地域は元通りになっている。


住民たちは死や拷問、レイプの恐怖に怯えながら生活していた。上の写真は、ブチャのヴォクザルナ通りの惨状。下は2023年5月に撮影された同じ通りだ

2022年3月のブチャのヴォクザルナ通りの惨状(上)と2023年5月に撮影された同じ通り(下)。

2022年3月のブチャのヴォクザルナ通りの惨状(上)と2023年5月に撮影された同じ通り(下)。

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「幸運にも、ロシア人は私たちの家に入ってこなかった」と、ある住人は2022年、Insiderにその体験を語っている。

「彼らの頭の中は誰にもわからない…娘はパーカーを頭からかぶって男の子のように見えるようにし、女の子がここにいることをわからないようにした」


同じ通りで撮影した2枚の写真には顕著な違いが見られる

2022年3月1日(上)、荒れ果てたボツァルナ通りにバス停が写っている。2023年5月(下)の写真にも同じバス停が見える。

2022年3月1日(上)、荒れ果てたボツァルナ通りにバス停が写っている。2023年5月(下)の写真にも同じバス停が見える。

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ボツァルナ通りは、2022年、ウクライナ軍がロシア軍の装甲車の隊列を待ち伏せしたことで世界的に注目された。

 その結果、多くの家屋が破壊されたが、最近、街路と住人たちの生活を再建するための作業が始まっている。


ロシアがブチャで行った攻撃の規模はまだわかっていない

2022年3月、黒く焦げているブチャのアパートのビル(上)と、2023年5月の同じ建物(下)。

2022年3月、黒く焦げているブチャのアパートのビル(上)と、2023年5月の同じ建物(下)。

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国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)によると、ブチャでは「その場で殺された」市民もいれば、処刑される前に数週間拘束された市民もいたという。

ある村では、男性、女性、子どもの切断された遺体18体が発見されたという。


ブチャの復興活動はウクライナの人たちに希望を与えている

上は、2022年3月1日のボツァルナ通り。破壊されたロシア軍の装甲車が見える。下は1年後に同じ場所で撮影された再建された家。

上の写真は、2022年3月1日のボツァルナ通り。破壊されたロシア軍の装甲車が見える。下は1年後に同じ場所で再建された家。

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だが、その道のりは長い。世界銀行によると、ウクライナの復興・復旧に必要な費用は4110億ドル(約57兆3497億円)に達している。

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