英語を公用語化した企業や、アメリカ企業を買収した日本企業の社員に「AI時代に英語は必要か?」について聞いた。
撮影:横山耕太郎
オンライン会議では英語の字幕を簡単に生成でき、翻訳AIを使えばかなりの精度で翻訳できる。生成AIを使えば、文法の誤りや適切な表現も教えてくれる ——。
そんな時代に英語を学ぶ必要はあるの?そう思ったことがある人も少なくないだろう。
人材不足を背景に、IT企業で外国人エンジニアの採用が増え、社内で英語が必要になるケースも少なくない。
今回は、2024年にはエンジニア部門で英語を公用語する金融系IT企業・マネーフォワードや、約10年前に英語を公用語とし外国人採用を進めるSaaS企業・HENNGE(ヘンゲ)、そして米国企業を買収したベンチャー企業・ビザスクの3社を取材。
取材した4人の社員が共通して語ったのは、「英語でのコミュニケーションはAIでは決して代替できない」ということだった。
ブレストに英語力は不可欠
HENNGEの土居俊也さん(左)は、入社した直後に英語が公用語化されたという。
撮影:横山耕太郎
「自由なアイデアを出し合うブレスト(ブレインストーミング)では、本人の言葉でないと伝わらない。AIでは代替できないと思います」
セキュリティーに関するSaaSなどを展開するHENNGEでクラウドサービスの開発マネージャーを務める土居俊也さん(34)はそう話す。
HENNGEは2016年、英語を公用語に切り替え、現在約270人の従業員(アルバイト含む)のうち、22%を外国籍が占める。開発職で見れば、約40人の従業員のうち、日本人は9人で圧倒的にマイノリティーだ。
土居さんは英語が公用語になる直前の2015年に、エンジニアとして新卒入社した。当時は990点満点のTOEIC(L&R)が480点ほどで「全然話せなかった」という。
今ではTOEICが960点というハイスコアの土居さんだが、英語力を伸ばすためには地道な努力の連続だったという。
「一番苦痛だったのがリスニングできないこと。ミーティングで何でみんなが笑っているのかわからない。最初は死ぬほど頭を使って聞くことに集中して、分からないときには分からないと伝えることを目標にしました。
聞くことができるようになってきてからは、次は自分の意見を伝えること。そうやって一歩ずつ少しずつ進んできました」
管理職にとっては不可避
外国籍のHENNGEの社員。オフィスでは英語が聞こえてくる(2022年6月に撮影)。
撮影:横山耕太郎
現在はチームを束ねる管理職でもある土居さんだが、「外国籍の社員のマネジメントでも英語力は欠かせない」という。
「立場上、ネガティブフィードバックや今後のキャリアについてチームメンバーと話す際などは特に、言葉を選びながら言えないといけません。
AI翻訳した文章をそのまま送ったり、話したりするのは誤解を生むリスクが高い。そんな無味乾燥なコミュニケーションでは、マネージャーとしての役割をはたせていないのではないかと思います」
AIに頼ると「致命的な誤訳」も
マネーフォワードの西村由佳里さん。英語だけで業務するチームに自ら手を挙げた。
撮影:横山耕太郎
約20カ国以上の従業員がおり、エンジニア組織の約4割は外国籍が占めるマネーフォワードで、クラウド会計サービスのエンジニアを務める西村由佳里さん(34)もAIの限界を指摘する。
「『この設定を変更しないといけない』というアドバイザー側の発言を、AI翻訳は『I need〜』と訳していました。
この場面では、正しい翻訳は『You need〜』か『Someone needs〜』でした。細かい例ですがこうした仕事に致命的な誤訳が多く、AIを頼り切ることはできません」
大学で情報工学を学んだ西村さんは、2019年にマネーフォワードに転職した。
マネーフォワードでは2024年から、エンジニア部門での英語公用語化を決定。その準備として2021年に英語だけで業務する国内チームを初めて発足させることになり、西村さんはその社内公募に手を上げた。
「社内に外国人エンジニアも急激に増えていたこともあって、将来のキャリアを考えた時に英語が必要だと思いチームに飛び込みました。
また、外資系企業には多くの女性シニアエンジニアが働いている一方で、日本企業にはキャリアを積んだ女性エンジニアは多くありません。それもあってマネーフォワードに転職する前から、日本語圏だけに留まることに不安を感じていました」
もともとシステムの仕様書や新サービスの情報を英語で読むことには慣れていた西村さんが、実際に英語だけで仕事を進めるとなると困難の連続だった。
日本人だと雰囲気で通じるような「暗黙の常識」は通用せず、英語スクールで学んだ英語はすぐに出てこなかった。
翻訳AIを活用していたが、その表現が正しいのか判断する英語力が必要なことに変わりはなかった。
「AI技術はどんどん進歩していますが、それを待っている間にエンジニアにとって日本語のプレゼンスは低くなっていくと思います」(西村さん)
「圧倒的にキャリアの幅が広がる」
HENNGEの今泉健さんは「特に開発の現場では英語を話せる人材のニーズは高い」と話す。
撮影:横山耕太郎
外国籍の社員と働く経験は、キャリア戦略でも価値があるという。
「海外エンジニアを採用するIT企業が増えるにつれて、彼らと一緒にプロダクト企画をしたり、マネジメントしたりする職種は、圧倒的にニーズが広がってきていると感じます」
HENNGEでプロダクト企画部門のマネージャーを務める今泉健さん(34)はそう話す。
日本のIT企業はベトナムなどの企業に、サービスの開発を委託するオフショア開発を広く採用してきた。しかし近年は、自社の開発拠点を海外に設けたり、外国人エンジニアを採用し、日本国内で開発を進めたりする企業も増えている。
そのため社内コミュニケーションのための英語の必要性が高まっているという。
「ビジネスと開発を分かった上で、かつ英語が話せることは武器になると感じています。
具体的に転職を考えているわけではないですが、例えばアメリカのSaaSの最前線の企業で働くという選択肢も含め、英語の壁を越えることでキャリアの幅が出せると感じています」(今泉さん)
英語で伝えたいのは「感謝」
ビザスクの法人事業部の小西さん。
撮影:横山耕太郎
日本企業で働いていても、突然、英語が必要になることもある。
スポットコンサルのマッチングサービスを運営するビザスクの法人事業部の小西慶治さん(30)は、現在約2割の案件で英語を使っている。
ビザスクは2021年に同業のアメリカ企業・コールマンを112億円で買収。英語でコミュニケーションする機会が急増している。
大学院卒の小西さんは2021年に新卒でビザスクに入社。国内外の知見者に対して、アンケートを実施する「エキスパートサーベイ」事業を担当しているが、買収後にはアメリカや欧州などの知見者へのアンケートの引き合いが増えている。
「日本の顧客からの調査の場合は、私がアンケートの原案を作って、コールマンの現地社員に意見を求めます。『このニュアンスだと伝わらない』『この質問だと趣旨が伝わらない』などフィードバックをもらいながら英語と格闘しています」
小西さんが英語力を伸ばしたい理由は「海外で働く社員に対して感謝を伝えたいから」だという。
「もともとコールマンで働いていた社員にとっては、ビザスクに買収された形ではありますが、合併後は両社で連携し業績を伸ばせています。
僕にとっては仕事のチャンスが広がったし、彼らと一緒に働けることを嬉しく思っていて、その気持ちを伝えたいと思っています」
「今はまだ Thank you を連呼することも多いですが、英語力を高めて、もっと深いコミュニケーションが取れればと思っています」
「英語力」にどれだけコストをかけるか?
HENNGE社員のTOEIC平均点は800点を超えている。
出典:HENNGEのウェブサイト
ただし、社員の英語力を伸ばすためには、企業側の負担も少なくない。
前出のHENNGEでは「英語力の育成」に多額のコストをかけている。オンライン英会話費用やTOEICの受験費用の全額補助、セブ島での語学留学費用の全額補助などに加え、英語力に応じて「年間12万〜108万円」の手当も支給している。
加えて、英語化を打ち出すことは、外国籍人材の獲得にはプラスに働く反面、英語が苦手な日本人の採用においてはマイナス影響もあるという。
「採用面では英語が敬遠されるケースも少なくない。ですが、多様性こそが企業が成長する原動力だと考えています。
『グローバルITカンパニーになる』という目標のためにも英語公用語を続けており、英語力に対して大きなインセンティブを設定しています」(HENNGE人事部門副マネージャ・新井めぐみ氏)
AI時代に英語とどう関わっていくのか。
社員はもちろん、会社側の覚悟も問われている。