日本は「魅力的な移住先にはなりにくい」。日本に暮らす外国人が語る日本の住みにくさ

観光客の写真

表参道には外国人観光客の姿が目立った。2023年6月撮影。

撮影:横山耕太郎

コロナも落ち着き、2023年4月の訪日外国人数はコロナ前の約7割まで回復、都内の観光地は外国人でごった返していると聞く。

外国人から見れば、日本は「生活コストが安くて、親切な国」。しかし「日本に移住したいですか?」と聞けば、話はまったく変わってくるのではないだろうか。

私はベルギーに留学中だが、ベルギーにこのまま住み続けることも視野に入れはじめている。その理由は、ベルギーに住んでいると、「移民と共に新しい社会を作っていく姿勢」を強く感じるからだ。

一方で、日本に暮らす外国人たちは、日本をどうみているのだろうか。

日本に住む友人たちに取材してみると、悩みながらも日本で生活する彼らの苦悩が浮き彫りになった。

亡命者から年商20億円の経営者に

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アシフさん(左)と筆者。2021年に撮影。

撮影:雨宮百子

「英語も通じないし、外国人への理解も少ない。日本を魅力的な移住先にするにはさらなる努力が必要だ」

2006年から日本に住む、パキスタン国籍のアシフさんはそう話す。

アシフさんとは記者時代の取材で知り合った。彼は中古車販売を軸に、IT分野にビジネスを拡大したサフラングループ(Saffran Group)の経営者で、最高年商20億円程度にまで成長させた。最近では中古車業界をDX化するためのスタートアップに注力している。

アシフさんが来日を決めた当時、パキスタンは独裁的な政治によって身の安全に不安を抱いたアシフさんは妻と一緒に日本に亡命申請をした。結果的に在留特別許可を得て、日本に滞在することになった。

アシフさんはロシアでMBAを取得し、言語も日本語を含めて5カ国語を話す努力家。『みんなの日本語初級』(スリーエーネットワーク)を使い、毎日16時間勉強したという。

そんなアシフさんでも、3年に1回のビザの更新手続きの際には、専門用語ばかりの膨大な紙の書類に今でも悩まされている。少しでも遅延があると、ビザは「ダウングレード」されてしまうという。数年前、手続きのトラブルがあり結果的に期間が短縮され、9カ月間になってしまったことがあった。 

「私が日本に来た2006年から、世界は大きく変わりました。例えば最近のパキスタンの優秀な若者は、自国でドルを稼ぎ、王様のような生活をしています。日本は欧米など、英語が通じ、移民しやすい他の選択肢と比較すると永住権をとりにくく、移民への理解も少ない。魅力的な移住先にはなりにくいでしょう」

彼は最近、米国のスタートアップビザを入手した。

日本は「父母両系血統主義」を採用しているので、日本で生まれ育った3人の娘はいまだに日本国籍を持つことはできていない。

ビザを「ダウングレード」された時の不安はとても大きかったといい、日本以外に住む道も探し始めている。

日本では「目立ってはいけない」

外国人の写真

アメリカ人の友人は「日本人を徹底的に観察した」と話す(写真はイメージです)。

shutterstock

「これまでに3度職務質問されました。『外国人の雰囲気』が出ていたんだと思う」

米国・ボストン出身の友人Kさんは、私の最初の言語学習のパートナーだ。

当時高校生だった私たちは、インターネットの掲示板で出会い、スカイプを使ってお互いの英語と日本語を教えあった。彼はその後、上智大学に交換留学生として来日。いったんアメリカに帰国したが、2015年に英会話教室で働くために日本に戻ってきた。

彼は「日本の生活で困っていることはない」と語るが、日本人の中で「目立たない」ための地道な努力が過去にはあった。

「外国人として特別扱いされたくなかった。だから、徹底的に日本人の仕草を観察したんだ。ジェスチャーを控え、日本人の歩き方をまね、話すときに相手の目をジッとみないようにした。徹底的に外国人の雰囲気をなくしていくことで、警察に職務質問をされることもなくなったよ」

Kさんの年収は300万円程度だが、米国の大学に返済する奨学金が年間72万円弱ある。しかも円安で、支払う価格はあがった。

それでも、「贅沢をしなければ生きていけるし、母国より日本のほうが国民性が自分に合っている」と感じているという。

2022年、Kさんは日本人と結婚し、日本の滞在もそろそろ10年になるので、永住ビザの申請を検討しているようだ。

彼の話を聞きながら、私はベルギーに引っ越しをした日を思い出していた。

引っ越しをすると、新しい住民を確認するために警察が訪ねてくる。しかし私がフランス語を話せないことを伝えると、「ここは英語が通じるから、何かあったらここに連絡しなさい」とガイドブックを渡してくれた。

もちろん、外国人だからといって疑われたり、身分を証明させられることはなかった。

Kさんの話を聞き、日本に馴染もうとここまでの努力をしていたことを知って、私は驚くと同時になんだか悲しくなった。

ベルギー「違いは当たり前」の精神

看板の写真

ベルギーのハッセルト(オランダ語圏)は看板もオランダ語だ。

撮影:雨宮百子

私が住むベルギーには、数多くの移民がいる。

公用語も3つあり、フランデレン地域ではオランダ語が、ワロン地域ではフランス語が、東部地域ではドイツ語が主要な言語として使用されている。首都であるブリュッセルは国際的な都市であり、フランス語とオランダ語が並立して使用され、英語も広く使われる。

多言語のコミュニケーションは一般的であり、多くの人々が複数の言語を話し、必要に応じて言語を切り替えてコミュニケーションする。

私が住んでいるワロン地域のアジア人は非常に少ないが、じろじろ見られることや、フランス語が話せなくて差別を受けることはない。「みんな違っていて当たり前」という精神が、文化に根付いている気がする。

ベルギーは住みやすく、この国の魅力に触れるなかで、住み続けることを視野にいれはじめた。

例えば教育費が安い。過去の記事「大企業を辞めて留学、円安が直撃。高い光熱費…ベルギーでの節約生活」にも書いたが、私の大学院の学費ですら年間約4000ユーロ、つまり約60万円程度なのだ。

しかもEU市民やアフリカなど一部の途上国出身だと、たった800ユーロ(約12万円)。選考費用や入学金はない。ちなみに東京大学の大学院の学費は、入学金をいれて81万7800円かかる。

当然、補っているものはベルギー国民の税金だ。所得税は平均して40〜45%と高額だが、その分学費や医療に還元されており、同世代の若者は将来に対して日本ほど不安を感じていないと感じる。

消費税しか支払っていない外国人の私にも、自国の日本より安く、素晴らしい学びを提供してくれるこの国の発展に、貢献したいと思うようになった。

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