サウジアラビア政府との太いパイプを武器に、数々のビッグディールをまとめ上げたマイケル・クライン。
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6月6日、ゴルフ界に激震が走った。米男子プロゴルフのPGAツアーとサウジアラビア政府系ファンドを後ろ盾とする新興ツアーのLIVゴルフが突如、合併を発表したからだ。
互いを公然と非難し、訴訟合戦を繰り広げ、「不倶戴天」の間柄だったはずの両者が合併する展開を誰が予測し得ただろうか。
ゴルフ界のレジェンドの一人、グレッグ・ノーマンが最高経営責任者(CEO)を務めるLIVは、オイルマネーをバックに巨額の契約金でPGAからフィル・ミケルソンやバッバ・ワトソンとったトッププロを次々と引き抜き、2022年に華々しくツアーをスタートさせた。
賞金額も破格で、ツアー創設1年目の年間王者となったダスティン・ジョンソンが稼いだのは「3563万7767ドル(約50億円)」という途方もない金額だった。
選手の引き抜きを食い止めるために、PGAが所属する選手のLIVツアーへの参加を禁止すると、LIVは反トラスト法(独占禁止法)違反でPGAを提訴。PGAも負けじと、LIVが選手を不当に勧誘して契約違反させたとして反訴した。
だが、両者がこのたび合併に電撃合意したことで、この訴訟合戦にも終止符が打たれることになる。
そして、このビッグディールの背後にいるバンカーの一人が、中東の大富豪を顧客を持つ投資銀行家、マイケル・クラインだ。
ブルームバーグ(6月6日付)の報道によれば、クラインは今回のディールで英投資銀PCPキャピタル・パートナーズ(PCP Capital Partners)のアマンダ・ステーブリーCEOとともに、LIV側のアドバイザーを務めた。
PGA側のアドバイザーは、毎年夏にアイダホ州サンバレーで超大物経営者や投資家を集めたプライベートカンファンレンスを開催することで知られるブティック型(専門分野に特化し、少数精鋭でディールを遂行する)投資銀行のアレン・アンド・カンパニー(Allen & Company)だ。
クラインは今年初め、信用不安と資金流出で経営危機に陥ったスイス金融大手クレディ・スイス(Credit Suisse)の投資銀行部門をスピンアウトさせ、新たに投資銀行を設立して自らそのトップに収まる計画を進めていた。
ところが、同じスイス金融大手のUBSがクレディ・スイスを救済合併することが決まり、ディールをロストした。今回のPGAツアーとLIVツアーの合併はその直後にクラインが実現させたビッグディールだ。
LIVとPGAの電撃合併の糸を引き、クレディ・スイスの投資銀行部門を手に入れる寸前までいっていたクラインとは、どのような人物なのか。
めったにメディアには登場しない、彼の実像を紹介しよう。
シティグループではCEO候補の一人だった
クラインはソロモン・ブラザーズでキャリアをスタートし、シティグループではCEOの有力候補にまで駆け上がった。
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クラインは、金融業界に多くの人材を輩出してきた有力ビジネススクール、ペンシルベニア大学ウォートン校を卒業。1985年に入社したソロモン・ブラザーズ(Salomon Brothers)とその後移ったシティグループ(Citigroup)で、バンカーとしてのキャリアの大半を過ごした。
彼のキャリアは、金融業界の激しい動きを象徴するものと言っていい。
新卒でソロモン・ブラザーズのM&A(合併・買収)チームに加わると、KKR、アポロ(Apollo Global Management)、ブラックストーン(Blackstone)といったバイアウトファンドやプライベート・エクイティ・ファンドを顧客とするビジネスの拡大で力を発揮した。
ソロモン・ブラザーズが1997年にトラベラーズ・グループ(Travelers Group)に買収されてソロモン・スミス・バーニー(Salomon Smith Barney HD)となり、さらに翌98年にトラベラーズとシティコープ(Citicorp)が合併してシティグループとなった後も、クラインは投資銀行部門で最高幹部の役割を担った。
クラインはグローバルバンキング部門の責任者として、ヨーロッパ・中東・アフリカ(EMEA)を対象とする投資銀行業務とマーケット(金融商品取引)業務を統括し、最終的にシティグループの副会長まで務めた。
一時は、当時のサンディ・ワイルCEOの有力後継候補と目された。
しかし、モルガン・スタンレーの元投資銀行部門トップのビクラム・パンディットが、自身の経営していたヘッジファンドをシティグループに売却して同行の経営陣に加わった(2007年7月)ことで、クラインの運命は変わった。
パンディットはシティ入りから半年もしない2007年12月に同行のCEOに就任。そのわずか数カ月後にクラインはシティを去り、リーマン・ブラザーズの破綻を契機とする世界金融危機を経て、波乱の人生を過ごすことになる。
サウジ政府と強固な関係を築く
サウジアラビアの国王後継者、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子。
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クラインはサウジアラビアの王室や政府と太いパイプを築いてきた。
ブルームバーグは2016年4月、サウジ政府が国営石油会社サウジアラムコの新規株式公開(IPO)に向けて、米金融大手JPモルガンとともにクラインが経営するMクライン・アンド・カンパニー(M Klein & Co.、以下Mクライン)をアドバイザーに選定したこと、さらにクラインがサウジの政府系ファンドにも戦略的な助言を行っていると報じた。
また、ウォール・ストリート・ジャーナル(2022年12月4日付)によれば、先述のクレディ・スイスの投資銀行部門をめぐるディールが頓挫する前、サウジ首相で国王後継者でもあるムハンマド・ビン・サルマン皇太子が、クラインが率いる計画だった新たな投資銀行CSファースト・ボストン(CS First Boston)に5億ドルの出資を検討していたと報じている。
クラインは、サウジ政府系投資ファンドの投資を受けた電気自動車(EV)スタートアップ、米ルーシッド・モーターズ(Lucid Motors)が特別買収目的会社(SPAC)との合併を通じて上場する際も、支援に回っている。
クラインが関わった大型案件
クラインは特別買収目的会社(SPAC)との合併スキームを使い、ルーシッド・モーターズを上場させた。写真は、最高出力1050ps、時速60マイル(約96.56キロ)までの加速時間が2.6秒という同社のハイエンドモデル「ルーシッド・エア・グランドツーリング・パフォーマンス」。
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クラインはシティグループを離れた後、2012年に世界の大企業や投資家向けのM&Aアドバイザリー、先述のMクラインを設立した。
同社は設立直後から多くのディールを成立させてきた。
ブルームバーグが2019年に報じたところによれば、同社が2010年代に関わった主なディールには次のようなものがある。
- 2013年:スイスの資源大手2社、グレンコア(Glencore)とエクストラータ(Xstrata)の合併。
- 2017年:米化学大手2社、ダウ・ケミカル(Dow Chemical)とデュポン(DuPont)の合併。クラインは米金融大手ラザード(Lazard)、モルガン・スタンレー(Morgan Stanley)とともにダウ・ケミカル側のアドバイザーを務めた。
- 2019年:カナダ産金大手バリック・ゴールド(Barrick Gold)による米産金大手ニューモント・マイニング(Newmont Mining)への買収提案。バリックは後に買収提案を取り下げた。
クラインはロイター(2016年1月14日付)のインタビュー取材に応じた際、自身のMクラインについて、一般的なブティック型のM&Aアドバイザリーとは異なり、企業内部に深く入り込んで、M&Aにとどまらずコーポレートガバナンスやアクティビスト投資家(いわゆる「物言う株主」)対策、危機管理などさまざまな面で助言を行う「エンベデッド(組込型)アドバイザー」だと称している。
パンデミック下の金融緩和による資金余剰が火を付けたSPACブームも、クラインはうまく活用した。Mクラインが立ち上げたいくつかのSPACの中で最もよく知られるのは、チャーチル・キャピタル・コープIV(Churchill Capital Corp.IV、CCⅣ)だろう。
なお、英フィナンシャル・タイムズ(Financial Times)の報道によれば、2020年7月時点のMクラインの従業員数はおよそ20人だった。
クレディ・スイスとの合併は幻に
先述のように、Mクラインは今年2月、クレディ・スイスの投資銀行部門と合併することで同行と合意した。
クレディ・スイスがMクラインを2億1000万ドルで買収し、投資銀行部門とセットでスピンアウト(分離・独立)させる計画だった。新たに創設される投資銀行には「CSファースト・ボストン」の名を冠することも決まっていた。クライン自身が同行のCEOに就任することも内定していた。
クレディ・スイスの投資銀行部門は、2021年に破綻した英金融サービス会社グリーンシル・キャピタル(Greensill Capital)や米投資会社アルケゴス・キャピタル・マネジメント(Archegos Capital Management)との取引で巨額損失を計上、人材の大量流出を招くなど危機的状況にあった。
その投資銀行部門のリスクを本体から切り離し、立て直しをクラインに委ねるのがこの合併の目的だった。クラインは早ければ2025年にも新設の投資銀行CSファースト・ボストンを上場させ、巨万の富を手にするはずだった。
ブルームバーグ報道(3月28日付)によると、クラインはクレディ・スイスのバンカーらに対し、自分は1ドルの給料で働き、年間150日を新規顧客の獲得に費やし、事業を成長させることを約束していたという。
また、クレディ・スイスの幹部数十人がCSファースト・ボストンにパートナーとして出資し、IPOを通じた一攫千金を狙っていたようだ。
だが、この計画は結局幻と消えた。3月に入って米銀シリコンバレーバンクとシグネチャーバンクが相次いで破綻すると、信用不安がクレディ・スイスにも飛び火。同じスイスの金融大手UBSが同行を救済合併する結末が待ち受けていた。
クレディ・スイスによるMクライン買収は立ち消えとなり、クラインの夢は潰えたのだった。
今回突如判明したPGAとLIVの合併は、クラインの潰えた夢のその先で動き出した新たな物語の始まり、なのかもしれない。