2013年、海南省のボアオフォーラムで対面したビル・ゲイツ氏と習近平氏。2015年にも会談しており、今回の対面は8年ぶりとなる。
Reuters
米マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ氏が15日、習近平国家主席と北京で会談した。ブリンケン米国務長官がバイデン政権の閣僚として初めて訪中する前に、対話に向けた“地ならし”の役割を担ったとの見方もある。
中国で人気が高く、政府との結びつきが強い米国の経済人は他にもいるし、テスラのイーロン・マスクCEOを筆頭に中国を重視する経営者が続々と訪中している中で、習主席は「今年になって北京で会う最初の米国の友人」になぜマイクロソフトの経営の第一線を退いて15年が経つゲイツ氏を選んだのだろうか。
「人類」「社会」を語る3人の共通点
突出した成功を収めた米国の経済人は数多くいるが、その考えや生活習慣に強い関心を持たれるトップ3は、日本と中国とで顔ぶれが変わらず、マスク、ウォーレン・バフェット、ビル・ゲイツの3氏に集約される。「夏休みに読みたい。ビル・ゲイツのお勧めする5冊」「バフェット氏のモーニングルーチン」などは日中両方のメディアでしばしば見かけるが、主語がアマゾンCEOのジェフ・ベゾス氏、フェイスブックCEOのマーク・ザッカーバーグ氏だったら、読者をそれほど引き付けないだろう。
マスク氏、バフェット氏、ゲイツ氏の3人に共通するのは、彼らの行動や発言の随所にロマンや哲学が感じられることだ。ベゾス氏、ザッカーバーグ氏にそれらがないわけではないが、前者3人は自分たちのビジネスを超えて、社会や人類に関する発信と行動が多いため、国を超えて関心を持たれるのではないか。
マスク氏はEVや宇宙ベンチャーなど、巨額の投資を必要とする革新的な事業で成果を上げ、Twitter買収とそれに伴うリストラなど騒動、衝突も厭わない。TwitterなどSNSで活発に発言し、何を考えているのか直接アプローチしやすい。
2010年の訪中時にBYDのセレモニーに参加したゲイツ氏(右)とバフェット氏。
Reuters
バフェット氏の発言は、投資に関心がある人の道しるべになっている。最近まで行われていた慈善オークション落札者に与えられる権利「バフェット氏とのランチ」は、起業家にとって最良のプロモーションだった。
ゲイツ氏は50代でマイクロソフトの会長を退き、貧困や病気などの解決に莫大な私財を投じている。マイクロソフトという企業はグーグルやアップルの成長で以前ほど輝きが見られなくなったが、彼が現役のときに披露していた“テクノロジーの預言”は次々に的中し、その生き方は後進の起業家のロールモデルになっている。
とはいえ、マイクロソフトのフルタイムの会長を退いて15年経っており、彼が経営者として世界の表舞台に出てくる機会は減った。2021年に長く連れ添ったメリンダさんと離婚し、過去の不倫も発覚した。今の20代にとっては名前くらいしか分からない人物かもしれない。
習主席にとってゲイツ氏は、今年最初に会ったアメリカ人というだけでなく、コロナ禍以降数年ぶりに対面した外国人企業関係者でもある。なぜゲイツ氏だったのか、中国との付き合いの深さを知るために、報道で確認できたゲイツ氏の訪中履歴をまとめた(中国と米国のメディアを調べたが、各報道でも過去の訪中回数にばらつきがあり、全ては網羅できていないかもしれないが、ご容赦いただきたい)。
1994年:長者番付で初めて首位、中国を初訪問
筆者作成
ゲイツ氏は1994年3月、39歳の時に中国を初めて訪問した。米フォーブス誌の世界長者番付で初めて1位になった年だ。同氏はアマゾンを創業したジェフ・ベゾス氏に1998年に抜かれるまで、24年連続で世界長者番付の首位を維持した。
中国メディアによると、北京に到着したゲイツ氏はジーンズ、スニーカー姿で飛行機を降り、荷物はノートPCなどわずかだった。
ゲイツ氏の訪中の目的は2つ。一つは翌年に発売を控えていたWindows 95のプロモーション。もう一つは中国の2人の研究者と面会することだった。
ゲイツ氏の初訪中はWindows 95のプロモーションが目的だった。
Reuters
翌年の中国訪問は、前年に結婚したメリンダさんも一緒だったため、新婚旅行だと言われている。この時は、父や「投資の神様」ウォーレン・バフェット氏など十数人が同行、ゲイツ氏は政府高官と面会したほか、故宮や頤和園、西安の兵馬俑、敦煌なども訪れたようだ。
1997年には清華大学で講演した。この時の学生の歓迎ぶりに感銘を受け、インドに開設予定だったアジアの研究拠点を北京に変更した。また、「大学に入り直せるなら、1980年代初めのスタンフォード大か、1990年代末の清華大を選ぶだろう」と語ったとされる。
1999年、香港訪問の後に深センに立ち寄り、中国の一般家庭に手の届く値段でインターネットが利用できるように設計された、新しいOS「Venus OS」を発表した。同年はECのアリババが創業するなど中国のインターネット黎明期だったが、ネット人口は極めて低かった。Venus OSは画期的な取り組みだったものの成功はしなかった。
2010年:バフェット氏と「慈善活動の旅」「BYD視察」
筆者作成
2000年代は経済分野で中国の存在感が急速に高まった。ゲイツ氏の役割も、マイクロソフトの会長から、経済人、公人へと移っていく。
2001年、アジア太平洋経済協力会議(APEC)が上海で開催。中国で初の開催となった同会議にゲイツ氏も出席した。
2007年の訪中時には、「次のゲイツはどこで現れるかと聞かれるが、次の偉大な成功はアジアから生まれるだろう」「グーグルのせいでよく眠れない」「次の夢は慈善事業」などの言葉を残している。
2008年7月にマイクロソフトの常任会長を退任して以降は、メリンダ氏と設立した慈善団体「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」の活動が中心となった。また、ゲイツ氏は2006年に原子力ベンチャー「テラパワー」を創業しており、中国の原子力開発への興味も強めていく。
2010年にはバフェット氏と、資産家に資産の半分以上を公益事業に寄付するよう呼びかける活動を始め、その一環として訪中した。ゲイツ氏とバフェット氏から北京での晩餐会の招待を受けた複数の中国人資産家が、寄付を嫌がって参加を辞退したと報じられ、中国内で「なぜ中国で寄付文化が根付かないのか」が大きな議論になった。この時の訪中では、バフェット氏が2008年に初めて投資したEVメーカー「BYD」の深センの研究開発施設も視察した。
2013年:習近平氏と初対面
筆者作成
2010年代に入るとゲイツ氏は一層、ビル&メリンダ・ゲイツ財団会長としての活動に専念するようになった。
習主席とは2013年春、海南省で開かれたボアオフォーラムで初対面したようだ。この時は挨拶しただけだが、2015年の同フォーラムで2人は公衆衛生活動や、健康水準の向上、貧困撲滅の課題について意見交換をした。同年秋には李克強首相(当時)とも面会している。公益活動に比重を移す中で、同じ問題意識を持ち、ゲイツ氏の影響力や財力に期待する中国政府との協業が深まっていった。
ゲイツ氏は習氏の妻である彭麗媛氏(左)とも面識がある。
Reuter
2017年には中国の工業・技術分野における最高研究機関である中国工程院の会員「院士」に選ばれた。
2018年はゲイツ財団が主催した途上国における公衆トイレの整備を考えるフォーラムに登壇、糞便を手にスピーチを行い大きく報じられた。フォーラムは習近平が中国の悪名高い不潔なトイレの環境を改善する「トイレ革命」に連動する形で行われた。
コロナ前最後の訪問は2019年。ゲイツ財団が中国で設立した結核予防基金の10周年を記念しての訪中だが、習主席の妻で歌手の彭麗媛氏とも面会している。
ゲイツ氏は世界長者番付で首位に立った1994年を皮切りに、2019年までに筆者が確認できただけで20回以上訪中している。海外の企業家としては、最も早く中国市場を重視した1人だろう。
だが中国政府との関係は、マイクロソフトの会長を退任してから本格化している。私財の多くを慈善事業に投じ、貧困や衛生の問題に取り組むゲイツ氏は習政権が推進する共同富裕の理念に一致するし、ゲイツ氏が経営者として大成功を収め、起業家としてなお絶大な知名度を持ちつつも、会長を退任して長い日が経ち、米中対立など経済のデリケートな問題との関わりが薄れていることも、習政権にとって米中を取り持つ「クッション」として最適な人物に映ったのかもしれない。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。