日本の半導体戦略はどこで道を誤ったのか。『半導体戦争』著者クリス・ミラー氏に聞く

半導体戦争

『半導体戦争』の著者、クリス・ミラー氏。

ダイヤモンド社、クリス・ミラー氏提供

私たちは、日常生活の中で、石油については比較的よく考える。油価は毎日報じられるし、地政学やマクロ経済によって変化する。ガソリン価格は消費者の財布にモロに影響する。

だが半導体はどうだろう。そもそも半導体という言葉は知っていても、それがどんな形をしたもので、どんな工程で作られ、どのような仕組みで機能するものなのか、きちんと説明できる人は少ないのではないだろうか。

半導体は、携帯電話、PCはじめハイテク製品はもちろんのこと、テレビ、洗濯機、食洗器まで、私たちが日常触っているほとんどの電化製品の中に多かれ少なかれ埋め込まれている。自動車1台には1000個以上の半導体が使われていることもあり、その中の1つが欠けただけでも、自動車は出荷できなくなる。

半導体の致命的な重要さが広く認識されたのは、2020年以降に起きたいくつかの出来事によるところが大きいだろう。パンデミック中に起きたグローバル・サプライチェーンの混乱、中国有数のテクノロジー企業がアメリカの半導体技術へのアクセスを禁じられたことによる影響、世界中で起きた半導体不足などで、「半導体」という言葉を耳にする頻度が急に増えた。

半導体

プリント基板に取り付けられた半導体。サイズは小さいが、これをめぐって今や国家間で覇権争いが繰り広げられるほど重要な意味を持つ。

REUTERS/Florence Lo/Illustration

そんな背景もあってか、『半導体戦争(原題:Chip War: The Fight for the World’s Most Critical Technology)』は出版直後から注目を集め、アメリカではニューヨーク・タイムズ・ベストセラーとなり、英国ではフィナンシャル・タイムズが選ぶ「2022年のビジネスブック・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。現在21カ国語に版権が売れており、日本でも2023年2月に翻訳が出版されて以来、500ページを超える大著にしては異例の3万部超えの売れ行きを記録している。

本書の著者であるクリス・ミラーと私とは、歴史学者ニーアル・ファーガソン率いるコンサルティング会社Greenmantleで共に働く同僚だ。ロシア・ユーラシア地域を専門とする研究者の彼は、コンサルティング業と並行して、ボストン郊外のタフツ大学フレッチャー法律外交大学院の国際歴史学准教授として教鞭もとっている。

ロシア研究者がなぜ半導体産業をめぐるグローバルな競争についての本を書いたのか?と思われる方もいるだろう。私も疑問だった。

クリスはこの本を書くために100人以上の人たちにインタビューをしたそうなのだが、彼が当初リサーチしようとしていたのは、冷戦時代の米ソの軍事競争についてだった。だがリサーチをするうちに、半導体がいかに戦いの性質を変えたか、またそれがいかにアメリカの軍事的優位性を決定づける要因になったかということに気がついたのだという。

この本を読むまで、「テクノロジーの専門家でもない人がよく半導体の本を書けたものだ」と思っていたが、読んでみて考えが変わった。テクノロジー専門家ではなく、経済史家だからこそ、彼はテクノロジーが世界経済や地政学をいかに動かしてきたかということを俯瞰的に捉えることができた。テクノロジー・オタクではないからこそ、さまざまな技術的革新がどんな時代や市場環境を背景に起きたかということを、素人にも理解できるような語り方で解き明かすことができたのではないかと思う。

そこで以降では、クリス本人へのインタビューを交えながら、『半導体戦争』を私たちはどう読み解き、半導体をめぐる歴史から何を教訓とすべきかを考えてみたい(聞き手・筆者)。


1990年代に凋落した日本の半導体産業

DRAM

1994年、サムスン電子が世界で初めて256メガバイトのDRAM開発に成功。この頃から半導体産業における日本の落日が色濃くなる。

Yun Suk Bong/Reuters

この本を手にした日本人なら誰でも、まず、本書の「第三部:日本の台頭」という章に目が行ってしまうのではないだろうか。

日本は1970年代以降、高品質な半導体を超効率的に生産し、1986年にはチップの生産数でアメリカに追いついた。1980年代末には、日本が世界のリソグラフィ装置の70%を供給(アメリカは21%)するまでになっていた。

ただ、その優位性は1990年代に入ると崩れ、日本の市場シェアは1980年代終盤の90%から、1998年には20%にまで下落してしまう。

その凋落がなぜ起きたのか、この本は淡々と解き明かしてくれる。

——日本は1980年代までメモリーチップの生産で世界首位のシェアを誇り、半導体産業の先頭を走っていました。しかしその優位性は1990年代以降失われ、今日では半導体業界における日本の存在感は40年前とは比較にならないほど薄れてしまっています。日本はどの時点で国家的な半導体戦略を誤ったと思われますか?

クリス・ミラー氏(以下、ミラー):1970年代から1980年代にかけて、日本企業は技術と品質の高さという意味で半導体産業のリーダーでした。しかし多くの日本企業は、収益を上げるということにおいて非常に苦労していました。

1980年代、日本企業はメモリーチップの生産に注力していました。しかし、メモリーチップは「コモディティ産業」です。「コモディティ化」とは、製品やサービスが日用品化し、性能・機能・品質などの面でブランド間の大差がなくなり、差別化が困難になる状況を指しますが、メモリーチップはまさにそのような道を辿りました。

1980年代、多くの日本企業は、収益性の高いビジネスを築くことよりも、自分たちの市場シェアを拡大することに熱中していました。その甲斐あって、彼らは巨大な市場を勝ち取りましたが、それには膨大な経費がかかり、利益は実のところ少なかったのです。

——いま振り返って考えると、当時、日本はどうするべきだったと思われますか?

1990年代、韓国企業がDRAM市場(ディーラム:Dynamic Random-Access Memory)に参入し、日本よりも低価格の製品を打ち出すと、彼らはあっという間に日本からシェアを奪ってしまいました。日本製であろうが韓国製であろうが、チップ自体は既にコモディティ化しており、顧客の目には大差なく思われたからです。 それでも日本企業は戦略を変えることなく、メモリーチップへの過剰投資を続けました。

このような日本企業の経験から導ける教訓は、「テクノロジー企業は、収益性、そして、自分たちの製品が長期的に技術的優位性を保てるような(容易にコモディティ化しない)分野に注力するべきである」ということではないでしょうか。

半導体産業における日本の衰退について考えるとき、日米半導体摩擦(それを受けてのアメリカの産業界によるロビイング)や、サムスンをはじめとする韓国勢の台頭(その裏にはアメリカの応援があった)が、日本の成長を抑えつけたと考えている人は少なくないと思う。そういう部分は確かにあっただろう。ただ、この本を読んでみると、日本のやり方にも問題があったことに気づかされる。

まず一つに、日本は1980年代に築いた優位性や影響力を活かしてイノベーションを促進するべきだったのに、それをしなかったこと。もう一つは、「PC革命」を見逃したことだ。

テクノロジーの分野における変化のスピードは速い。流れの変化を察知し、方向転換できる敏捷性と、 大胆に素早く舵を切る決断力がなければ、あっという間に置き去りにされてしまう。日本の半導体業界は、そのような激しい競争環境の中で、十分にスピード感をもって、十分に柔軟かつ戦略的に、先の先を見て意思決定を行っていたと言えるだろうか。

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