アリババグループの次期会長に就くツァイ氏(右から3人目)は、創業時から財務部門のトップとしてアリババグループの資金調達やIPOを主導してきた。左から2人目はジャック・マー氏。
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中国のEC(電子商取引)最大手のアリババグループが6月20日にトップ交代人事を発表した。会長兼CEOの張勇(ダニエル・チャン)氏が9月10日付で退任し、後任の会長に蔡崇信(ジョセフ・ツァイ)副会長、CEOには傘下の淘宝(タオバオ)・天猫(Tmall)事業の会長を務める呉泳銘(エディー・ウー)氏がそれぞれ就任する。
チャン氏は今年春に実行された「創業以来最大の組織改革」を理由に挙げるが、後任者の顔ぶれには創業回帰への強い意志がうかがえる。
春の企業再編と連動
アリババは今春、グループを6事業に分割する組織再編を行った。アリババの枕詞は「中国最大のEC企業」だが、同社はECのユーザー体験向上に取り組む中で決済、物流分野に進出した。スマートフォン普及によってシェア自転車やデジタル地図、動画配信、フードデリバリーなど多様なサービスが生まれると、有望なスタートアップを傘下に収め事業を拡大していった。
2022年3月期の決算によると、アリババのアクティブユーザーは13億1000万人。従業員数はグローバルで20万人を超える。会社が膨張した結果、効率や社員のモラルが低下する大企業病も指摘されるようになった。EC事業を除く多くの事業は赤字で、“金のなる木”のEC事業も新興勢力の追い上げを受けている。
アリババは事業分割によって、非効率にメスを入れながら各事業が独立して成長を目指す体制に移行した。6事業グループにそれぞれCEOが着任し、取締役会を設立して、EC事業を担う「タオバオ・天猫事業」以外は資金調達やIPOも可能になる。アリババグループは持株会社のような役割となり、傘下の事業グループが上場した後は経営権を手放す選択肢もあるという。
チャン氏はAI、クラウド事業に全振り
2022年2月、アリババのクラウド技術を使ってバッハIOC会長とリモートで対談するダニエル・チャン氏。
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グループ会長兼CEOのチャン氏は組織再編によって6事業の一つであるクラウドインテリジェンス事業のCEOを兼務することとなった。
この時から、チャン氏が近くグループのトップから退くであろうことは予測されていた。
チャンCEOは米会計事務所プライスウォーターハウスクーパース(PwC)の上海拠点やゲーム会社のCFOを経て、2007年にアリババに入社した。最初はCtoCマーケットプレイス「タオバオ」のCFOだったが、その後タオバオやBtoCマーケットプレイス「Tmall(天猫)」の総裁を歴任する。
今や世界最大のネットセールに成長した11月11日の「独身の日」セールを2009年に始めたのも、日本の大企業が多く出店するTmallの立ち上げを担ったのもチャン氏だ。
2015年にはアリババグループのCEOを引き継ぎ、創業者のジャック・マー氏が会長を退任した2019年に、会長兼CEOに就任した。
もともとのスキルは「会計」「財務」だったが、アリババではCOOやCEOとして力を発揮しており、「プロ経営者」「堅実な実務家」として評価を固めている。
チャン氏が春にCEOに就任したクラウドインテリジェンス事業は、グループ内で売上高が急伸しているが、テンセントやファーウェイなど強力な競合がいるクラウドサービス、世界中が注目している生成AI技術を使った対話型AI「通義千問」、研究開発機関のDAMOアカデミー(中国語:達摩院)が属する。同事業の売上高に占める割合は8%前後だが、ECの次の収益源を育てる必要のあるアリババグループにとって最も重要かつ競争相手が強力な分野だ。
実務能力に突出する同氏が「持株会社」に役割を変えたグループのトップから退き、次の激戦地であるクラウドインテリジェンス事業に全振りするのは合理的な判断と言える。
ゴールドマン、ソフトバンクをつないだツァイ氏
では次のグループトップの人事にはどういう意図があるのか。ツァイ氏の会長就任は「元老の前線復帰」であり、大きなサプライズだった。
表に出ることを好まないツァイ氏は、日本では無名だが、米国と中国、そしてカナダでは高い知名度がある。台湾系カナダ人の同氏は、カナダの長者番付の常連であり、米国ではNBAチームのオーナーとして知られる。そして中国では、「アリババの福の神」「ジャック・マーの黒子」と呼ばれ、アリババの成長にとってマー氏と同レベルの重要な役割を担った人物と評価されている。
英語教師から起業家に転じたマー氏は1999年3月、後に「18羅漢」と呼ばれる創業メンバーから資金を集め、企業間取引プラットフォーム「Alibaba.com」を立ち上げた。金策に奔走するなか、面識を得たのがイェール大学で学び北欧の投資会社のアジア地区責任者を務めていたツァイ氏だ。
マー氏のリーダーシップに惹きつけられたツァイ氏は、年収70万ドル(約1億円)のポジションを辞して、創業間もないアリババのCFOに加わる。マー氏が当時提示した報酬は月額500元(1万円)。アリババはサービスをローンチしていたが、企業登記はしておらず、資金調達も40回近く失敗し、いつ倒産してもおかしくない状態だった。
ツァイ氏は2010年代後半以降、NBAへの関与を強めている。
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マー氏とアリババは、ツァイ氏を得たことで創業期の「死の谷」を越えることができた。
同年10月、ツァイ氏の旧友を通じ、ゴールドマン・サックスを筆頭に日本の投資企業やツァイ氏が数カ月前まで籍を置いていた投資会社などから500万ドル(約7億円)の出資を受けた。「ゴールドマン・サックスが出資した中国の有望ITベンチャー」というブランドを獲得したアリババは、アジアで有望な投資先を探していた孫正義率いるソフトバンクグループの目にも留まることとなる。
ツァイ氏はその後も米ヤフーとの提携、Alibaba.comの香港上場を主導した。グループの現会長兼CEOのチャン氏をアリババに招いたのもツァイ氏だと言われる。マー氏がアリババグループのCEOを退任した2013年、ツァイ氏もCFOを退いたが、副会長兼戦略的投資部門のトップとしてアリババのアメリカ上場などを手掛けた。
次期CEOは側近中の側近
次期CEOに就くウー氏は、マー氏がアリババを創業する前から行動を共にしていた。
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ただ、マー氏と一心同体でアリババを支えてきたツァイ氏は、マー氏の会長退任後は経営の一線から退き、NBAに所属するブルックリン・ネッツを買収するなど米国のスポーツビジネスへの関与を強めていた。
アリババの経営陣としては半引退状態にあったツァイ氏が復帰したのも、やはり事業分割が深く関係している。
今年5月、グループの物流事業を手掛ける「菜鳥(ツァイニャオ)事業」の会長にツァイ氏が就くことが発表された。同部門は分割された6事業の中で最も新規株式公開(IPO)に近いとされ、アリババグループもIPO検討を承認している。同部門以外も外部からの資金調達やIPOを目指せるようになり、アリババグループ全体で「福の神」ツァイ氏の手腕が再び必要になったと見られている。
もう一つの理由として、創業精神回帰を図りたいマー氏の意志があるのかもしれない。
これまではチャン氏がアリババグループの会長兼CEOを務めてきたが、9月からはツァイ氏が会長、エディ・ウー氏がCEOと双頭体制になる。ツァイ氏がマー氏の「黒子」であるなら、ウー氏はマー氏の側「近中の側近」だ。彼は創業メンバーの「18羅漢」だと伝えられているが、マー氏がアリババ創業前の1996年に立ち上げたHP作成会社「イエローページ(中国黄頁)」時代から行動を共にしている。マー氏が翌1997年に中国政府の公務員に転職したときも、一緒に北京について行った。
アリババ創業メンバーの中では貴重なエンジニアでもあり、創業時はCTOを務めた。その後、決済システム「アリペイ」など重要事業の最高技術責任者(CTO)を歴任し、2015~2019年はアリババグループの主席特別秘書として会長のマー氏を支えた。
以降はアリババを離れ投資会社のトップに就いていたが、今回の事業分割でウー氏は祖業であるEC「タオバオ・天猫事業」の会長に就任した。ツァイ氏と同様、「創業以来最大の再編」にあたって呼び戻されているのだ。
ちらつくジャック・マー氏の影
各事業の運営から一線を引きグループ全体の投資戦略や調整を担う会長・CEO職は、創業時から在籍しそれぞれ財務、技術のスペシャリストである2人が適任であるとの声は少なくない。適材適所の評価の一方で、2人の背後に2019年に会長を退任したジャック・マー氏の影がちらつくのも確かだ。
グループのトップ交代が発表される直前、中国メディアの「晩点 LatePost」がスクープとしてマー氏の社内での発言を報道した。報道によるとマー氏は5月下旬、「タオバオ・天猫事業」の幹部を集め、小規模の交流会を開いた。
同氏は居並ぶ幹部に向かって、「アリババのこれまでの成功の方程式はもう通用しない。捨て去らなければならない」と指摘し、今後の方向性として「タオバオに戻る、ユーザーに戻る、インターネットに戻る」と3点を挙げたという。
2020年秋に中国当局との関係が冷え込み長らく沈黙を続けてきたマー氏は、今年に入って公的な活動を再開しつつある。とはいえこの数年の当局との確執を考えると、表立ってアリババの経営に介入することは難しいだろう。
今回の事業分割では、ツァイ、ウー両氏以外にも、アリババから離れていた創業メンバーが幹部に復帰している。その後ろには、マー氏の見えざる手があるのかもしれない。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。著書に『新型コロナ VS 中国14億人』。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。