井村屋の「あずきバー」が歩んだ50年。比類なき「硬さ」は、おいしさと進化の証

2023年、発売50周年を迎える井村屋の「あずきバー」は海外にも販路を広げ、世代・国境を超えて愛される氷菓に育った。

2023年、発売50周年を迎える井村屋の「あずきバー」は海外にも販路を広げ、世代・国境を超えて愛される氷菓に育った。

Business Insider Japan

井村屋の「あずきバー」が今年で発売50周年を迎える。2021年度にはシリーズ年間販売数が過去最高となる3億本を突破。近年は海外にも販路を広げ、世代も国境も超えて愛される氷菓に育った。

半世紀の節目を機に、13年ぶりとなるリニューアルも決断した。基本の原材料は砂糖、あずき、水あめ、食塩の4つのみ。「シンプルなつくりだからこそ、時代に合わせて様々なチャレンジを続けています」と、商品開発部の冷菓チーム長・嶋田孝弘さんは語る。

「不易流行」を重んじ、試行錯誤を続ける井村屋の「あずきバー」50年の歩みを聞いた。

井村屋のはじまりは「ようかん」だった。

創業者の井村和蔵と「山田膳流しようかん」

創業者の井村和蔵と「山田膳流しようかん」

史料提供:井村屋

── 井村屋は今年で創業126年を迎えます。はじめは和菓子屋さんだったそうですね。

もともと井村屋は「ようかん」の製造からはじまった会社でした。創業者の井村和蔵(いむら・わぞう)が1896(明治29)年、現在の三重県松阪市で菓⼦づくりをスタートしたのが井村屋のはじまりです。その延長線で、さまざまな菓子を手がけてきました。

今では扱っていませんが、戦後間もない頃は「乾パン」をつくったり、やがて事業を多角化する中で「ビスケット」や「キャラメル」などもつくったり。先輩方からは「チョコレート以外は何でもやった」と聞いています。

「ビスケット」と「キャラメル」

「ビスケット」と「キャラメル」。

史料提供:井村屋

── 冷菓事業もその一つで、東京オリンピックの前年(1963年)からはじまりました。翌年には肉まん・あんまんを発売し、夏・冬それぞれで売れる商品づくりを進めてきました。

和蔵から事業を継いだのが、井村屋を株式会社化した井村二郎です。冷菓事業に参入した当時、チョコレートをつくるか、アイスをつくるかで迷っていたと聞いています。

なにぶんかなり昔のことで詳細は分からないのですが、最終的には冷菓事業への参入が決まりました。

アイスクリーム事業立ち上げ初期の商品。「氷金時」「おにぎりモナカ」「バイバイバー」。

アイスクリーム事業立ち上げ初期の商品。「氷金時」「おにぎりモナカ」「バイバイバー」。

史料提供:井村屋

当時はすでにアイスクリームで先行する会社さんがありました。大手の乳製品メーカーさんがすでにアイスの市場で大きなシェアを持っていたので、なかなか普通のアイスだと市場に食い込んでいくことができなかったようです。

そこで、乳脂肪分を含む「アイスクリーム類」のようなものではなく、井村屋という和菓子屋がつくる「氷菓子」としてのアイスの開発に乗り出したそうです。

── 冷菓事業参入から10年。1973年に発売されたのが「あずきバー」でした。

当時の開発チームは「溶ける和菓子」のイメージで、井村屋の特色を活かしたアイスを作ったら売れるのではないかと考え、試行錯誤していたと聞いています。

もともと井村屋は「ようかん」から創業した和菓子屋です。「うちにはあずきがあるやろ」と。そこで「ぜんざい」を凍らせてアイスにする発想で生まれたのが「あずきバー」でした。

当時から、いわゆる「金時」のように「餡(あん)」がかかったようなアイスはあったようですが、ぜんざいをそのまま凍らせたような氷菓子は珍しかったのだと思います。

時代やニーズに合わせて試行錯誤「発売当時はもっと甘かった」

発売初期の「あずきバー」。

発売初期の「あずきバー」。

史料提供:井村屋

──「あずきバー」は発売から50年が経過しましたが、長く愛される秘訣(ひけつ)は。

時代の変化やお客様の嗜好に合わせて、絶えず試行錯誤をしてきたからだと思います。

「あずきバー」の原材料はとてもシンプルです。当時のレシピを掘り出し、発売当時の味を再現した「あずきバー」を作ってみたことがありますが、とっても甘かったですね。

昔は甘いものが好まれ、あずきバーも砂糖や甘さを引き立てる食塩の含有量が多かったんです。とても濃いあんこでつくったアイスバーとでもいいましょうか……。硬さも、今よりやわらかいものでした。

ただ、時代が下るにつれて、お客様からは「甘さや塩分を控えめにしてほしい」という嗜好が寄せられ、次第に砂糖と食塩の量を減らしていきました。

ただ、原材料の割合は変わっても、1本あたり100粒相当のあずきを使っているのは当時から変わらないこだわりです。あずきの味にこだわる芯はブレないよう、徹底して守っています。

── 嶋田さんは入社以来20年以上にわたって「あずきバー」を含め、アイスの製造に携わってきたそうですね。時代の移り変わりやお客さんの嗜好の変化を感じますか。

そうですね。味についても原材料についても、お客様がこれまで以上に関心を持たれているという話を聞きます。

アイスであれば、甘さはどの程度か、濃厚さはあるのか、原材料は何を使っているのか、どのくらい乳脂肪が入っているのか。パッケージの裏の表記も詳しく見られていると感じています。

でも逆に言えば、井村屋にとっては真価を発揮できる時代になってきたとも感じます。

「あずきバー」は素材にも製法にもこだわっています。あずきは農作物ですから、採れる場所や採れる年度によって品質も変わってくる。皮が硬い年もあれば、色が黒い年もあり、大きさのバラつきが大きい年もあります。さらに原材料がシンプルなので、「ごまかし」は効きません。

ものすごい技術革新みたいなものは起こりにくいのですが、良いものを作る製造方法は、先人たちの経験や歴史を経て確立されています。

品質にムラを生まないよう、あずきを徹底的に選別し、工場では熟練した職人があずきによって炊き方を変えています。他社ではやってないようなことを色々とやっています。

── ルーツが和菓子屋さんというアイデンティティは、今のものづくりにも受け継がれているんですね。

50周年を迎えるにあたって、井村屋ではさらに“あずき度”にこだわりたいと考え、今年3月に13年振りとなる「あずきバー」のリニューアルに踏み切りました。

リニューアル前の原材料は砂糖、あずき、水あめ、食塩の4つとコーンスターチでした。コーンスターチで「とろみ」をつけることで、あずきが沈んでしまうことを防ぎ、1本あたりのあずきの量を均一にする役割がありました。サラサラの状態だと、凍るまでの間にあずきが沈んでしまい、「あずきバー」の先端部分にあずきが集まってしまうんですね。

ただ、リニューアルをするなら“あずき度”をさらに高めたい。そこでコーンスターチの代わりに、あずきをパウダー化したものを使うことにしました。ほんの少しの変化ですが、さらに“あずき”のおいしさを伝えることができると思います。

これまで姉妹品だった「宇治金時バー」「ミルク金時バー」もリニューアルしました。「あずきバー ミルク」「あずきバー 抹茶」として、味も中身もパッケージも変えたことは大きな挑戦です。

原材料のコーンスターチを「あずきパウダー」に変 更し、使用原料を減らすことでクリーンラベル化(食品パッケージの表示内容が明確でわかりやすいこと、またはその表示の仕方が簡潔であることを望むこと)も実現した。

原材料のコーンスターチを「あずきパウダー」に変 更し、使用原料を減らすことでクリーンラベル化(食品パッケージの表示内容が明確でわかりやすいこと、またはその表示の仕方が簡潔であることを望むこと)も実現した。

出典:井村屋

井村屋の「あずきバー」は、なぜ硬いのか?

「あずきバー」製造ラインのようす。

「あずきバー」製造ラインのようす。

提供:井村屋

── 発売当時は、今よりやわらかいものだったという話がありました。現在のように「硬さ」が特徴になった背景は。

「あずきバー」が硬くなったのは、時代の変化に合わせて、甘さを控えめにしてきた副産物なんです。

砂糖が減る分、水分が増え、水が氷になり、硬さが増した。わざと硬くしたわけではなく、時代にあわせて原材料の使い方や割合を吟味してきた結果でもあります。

「あずきバー」の硬さは、50年の進化の証と言えるかもしれません。

── 硬さといえば、2017年に「あずきバー」でつくった日本刀がありましたね。

刃物の製造で有名な関市とのコラボでやらせていただきました。関市の鍛冶師の方にご監修いただいたのですが、マイナス25度の冷凍庫の中で「あずきバー」の塊を5時間かけて60cmぐらいの刀身に整形しました。

入社して今年で20年。井村屋の冷菓をずっとやらせていただいていますが、あれはなかなか苦労しまして……(笑)。でも、幅広い年代の方に「あずきバー」への関心を持っていただくきっかけになったのは良かったです。

「あずきバー」は特に60〜70代のお客様が主要層になりますが、10代〜30代の若年層の方にもおいしさを知っていただけるよう工夫を続けています。毎年7月1日は「井村屋あずきバーの日」と定めて、今年も東京・大阪・名古屋で「あずきバー」の無料配布を予定しています。

食育的なアプローチでも何かできないかと考えて、全国の保育園や幼稚園であずきの絵本や生豆を配布したり、莢(さや)からの収穫体験などを行っています。有機砂糖や有機小豆を使ったオーガニックあずきバーなどもつくっています。

有機小豆・砂糖を使用した「オーガニックあずきバー」。

有機小豆・砂糖を使用した「オーガニックあずきバー」。

提供:井村屋

── PR戦略としても面白い取り組みですね。

シンプルな原材料を評価していただき、お子さんが生まれて初めて食べる「ファーストアイス」に選んでいただく例もあると聞いています。

お子様からおじいちゃん、おばあちゃんまで、誰でも楽しめるのが「あずきバー」の良さだと思います。

私の実家は大阪なのですが、昔から冷凍庫には必ず「あずきバー」が入っていました。親が好きなアイスなんです。少しやんちゃな青春時代を過ごしたこともあって……。親孝行の一つでもできればと思い、親が好きなアイスを作る井村屋に就職し、今に至ります。

── ご両親は、さぞ喜ばれたのでは。

とても喜んでくれました。新商品もよく買ってくれて、今でも「新しい井村屋のアイス、売ってたよ」と連絡が来るんです。一番身近なファンで、本当にありがたいですね。

私も家の冷凍庫には「あずきバー」を常備しています。自分の子どもも喜んで食べてくれます。ちょっと硬いので、子供にあげる時は袋の上から叩いて割って、一口サイズにしてあげています(笑)。

── 一口サイズですか。面白い食べ方ですね。

皆さまにも、自由に「あずきバー」を楽しんでいただければ嬉しいです。カチカチの状態はもちろん、食べられる硬さになるまで少し待っても、少しずつ舐めながら適度なやわらかさで楽しむのも良いと思います。

最近では、「あずきバー」を使ったさまざまなレシピが生まれています。一般のお客様もレシピサイトに投稿されていて、私たちもヒントを頂いています。

個人的に好きなのが「お赤飯」ですね。炊飯器にお米と「あずきバー」を入れて炊くんです。最初にレシピを聞いたときは「嘘やろ……?」と思ったのですが、冗談半分で作ってみたら、これがおいしかった。ほんのり甘い、おはぎのような味になります。ぜひ試してみてください。おいしいですよ。

── 親子3代、4代と愛されるロングセラーをずっと作り続けるプレッシャーは感じますか。

今回は50周年を機に13年ぶりのリニューアルを決めましたが、かなりのプレッシャーでした。

「あずきバー」は井村屋のアイスの目玉であり、主力商品でもあります。多くのお客様にも親しんでいただいていますし、社内でも並々ならぬ思いを持っている人もいます。これからも色々な方の思いを大切にしていきたいと思います。

2021年度には、コロナ禍でありながらシリーズ年間販売数が過去最高の3億本を超えました。他社さんには年間5億本を販売している商品もあるとのことなので、負けないよう頑張りたいと思います。

── コロナ禍でも「あずきバー」が売れた背景は、どう分析していますか。

一つは、コロナ禍のスーパーでは買い物をできるだけ早く済ませたい、なるべく他の人と接触したくないという空気があったと思います。

そこでブランドの指名買いと言いますか、新商品を試すよりも食べたことがあるもの、安心できる慣れ親しんだブランドとして「あずきバー」を選んでいただいたのは大きかったのかもしれないと思います。

加えて、コロナ禍のタイミングで、あずきにポリフェノールや食物繊維が多く含まれていることなどがメディアで続けて取り上げられました。あずき自体が健康素材として注目されたと考えております。

「あずきバー」の世界戦略、マレーシアではハラル認証を取得

井村屋の社屋。

井村屋の社屋。

提供:井村屋

── 世代を超えて愛されている「あずきバー」ですが、最近は海外でも売れていると聞きました。

おかげさまで海外でも認知度が広がり、ご好評いただいています。

「あずきバー」シリーズ全体としての輸出売り上げは、2022年度で前年比約1.4倍。2019〜22年の直近3年では約6倍に増加しています。

海外展開では国内から生産・輸出しているものと、マレーシアの現地工場で製造している2つのパターンがあります。

日本から輸出する「あずきバー」シリーズは、特にアメリカや香港、アジア圏で売れていますね。

マレーシアで生産しているものは基本的な製法は同じですが、甘さを増すなどローカライズをし、マレーシア国内や他のイスラム圏へ輸出・販売しています。

マレーシアは東南アジアのゲートウェイとして大きな存在感があります。そして、世界的に見てもイスラムの方の人口が多い。マレーシアで生産している「あずきバー」シリーズは、マレーシアのハラル認証を取得しており、他のイスラム圏にも輸出しています。

── 時代に合わせて味や製法の試行錯誤を続け、海外輸出にもチャレンジしています。「あずきバー」50年の歩みは、まるで時代や日本経済の映し鏡ですね。

私どもは「あずきバー」は和風アイスではナンバーワンだと自負しています。ですが慢心せず、傲慢にならず、これからも時代に合わせて進化していきたいと思います。

先日も、50年後には日本の総人口が8700万に減少し、65歳以上の高齢者が人口の4割を占める見通しだというニュースがありました。時代の状況や世界の状況に応じて、まだまだこれからできることはいっぱいあると思っています。

井村屋では「不易流行」という言葉を、会社の考えとして大切にしています。 変えてはいけないところは変えず、時代に合わせて進化するべき点はちゃんと変えていく。この言葉を忘れず、これからもチャレンジを続けていきたいと思います。

(了)

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