日本の美は「日常的な風景」にある。おもてなしの次をつくる観光のあり方

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「観光に、MBAの力を。」

この言葉を掲げ、立命館大学ビジネススクール(大学院経営管理研究科)では、2024年4月より「観光マネジメント専攻」の開講を予定している。2025年に大阪・関西万博を控え、コロナ禍からの復調で、インバウンド観光客の需要も高まる関西エリアに根を下ろす同校が、宿泊業や観光業といった領域で経営人材の育成にフォーカスしたカリキュラムを展開する。

では、それらの業界に、現状ではいかなる課題があり、また光明があるのだろうか? 今回、サービスマネジメントや観光マネジメントを専門分野とする、立命館大学の牧田正裕教授と、観光マネジメント専攻で客員教員を務める予定の金井良宮氏に、対談を願った。

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牧田正裕教授(写真左)はもともと会計分野の専門家だったが、自身が暮らした大分県・別府で観光領域にも携わるようになった。世界有数の温泉地であっても難しさのある観光業の課題を目の当たりにしてきたようだ。金井良宮氏(写真右)はモロッコ出身で、夫の家業が兵庫県・有馬温泉で旅館業を営んでいたことなどをきっかけに、マーケターから転身。現在は有馬温泉にある旅館「有馬山叢 御所別墅(ありまさんそう ごしょべっしょ)」のブランドディレクターを務めている。

価格競争から抜けられない、高付加価値化にも踏み切れない

牧田正裕教授(以下、牧田) 日本の観光業の課題を端的に言うならば、旅館やホテル、観光施設で働く人々の頑張りが、金銭的な面も含めて報われているとはいえない状況にあることでしょう。それぞれが価格競争をしていて客単価を上げられないがために、給料のアップも難しい、という問題が一つです。

金井良宮氏(以下、金井) 確かに、観光業界の給料問題は大きな壁ですね。日本社会全体で人手不足が叫ばれている中で、どうやって優秀な人材を観光業界に引き入れるかが課題となっています。私は主人の家業が旅館業で、ある意味では「何も考えていなかった」からこそ入れた、という特殊なケースだと思うんです(笑)。

でも携わるうちに、観光業界や旅館業は、経営や接客だけではなく、インテリアデザインやマーケティングといったクリエイティビティの要素が含まれていて、それが魅力的だと気づきました。私はその魅力を発見したからこそ、今もこの仕事に打ち込めています。

牧田正裕(まきた・まさひろ)氏

牧田正裕(まきた・まさひろ)氏/1969年福井県鯖江市生まれ、金沢で育つ。中学・高校時代を名古屋で過ごした後、立命館大学入学と同時に京都へ。立命館大学大学院博士課程中退後、小樽商科大学助手、立命館大学政策科学部専任講師を経て、2000年4月、大分県別府市の立命館アジア太平洋大学(APU)の開設と同時に専任講師として着任。APU時代には別府のまちづくり活動やアートプロジェクトにも参加。2019年4月より立命館大学ビジネススクール教授。専門:サービスマネジメント、観光マネジメント、コーポレートレートガバナンス、会計学。博士(経営学)。

牧田 新型コロナウイルス感染症の流行は、否が応でも観光業界のエコシステムを変える契機となりました。

金井 コロナ前は海外からの観光客が増え、みんなが対応に追われていた状況でした。しかし、コロナ中は旅館や店舗が閉鎖され、人々が収入や職を失い、それが多くの問題を引き起こしました

特に、人員削減で先立って解雇されたのは外国人スタッフたちです。私たちはその環境下で、逆に外国人スタッフを採用することにしたんです。経済的には厳しい状況でしたが、解雇されてしまった優秀な人材を採用するチャンスだと捉えたからです。

家族や友人との関係とも似ていますが、自分が困難な時期にサポートを受けたことや、チームとして挑んできた経験は、働くモチベーションにもつながります。観光客が回復傾向にある今は、すでに私たちも人材不足だと感じるほどです。この判断は、マネジメントとしても、宿としてのブランドとしても、良い戦略であったと思っています。

また、観光地ごとのフレキシビリティ(柔軟性)が課題として浮き彫りになりました。例えば、有馬温泉は、過去につらい時期を経験しているからこそ、みんなで一緒になって発想を切り替えていけた。経済的には厳しかったですが、クリエイティビティは大きく上がりました。新たな価値を生み出すための改装や補助金の活用など、新たな取り組みも行いました。

牧田 フレキシビリティの観点は重要ですね。確かに、全国旅行支援は一時的な補助としては役立ちました。しかし、その支援を得て、余裕を持って次のステップを考えることができたのか、あるいは単なる資金として回してしまったのかが、大きな分岐点になるでしょう。

日本はずっと「すごく遅く、焦る」を繰り返してきた

金井良宮(かない・らみや)氏

金井良宮(かない・らみや)氏/有馬山叢御所別墅 ブランドディレクターときどき女将。1999年4月に来日。2005年、神戸大学 工学部 情報知能工学科卒業。2005年度、東京大学薬学大学院 薬化学研究室 研究生。2006〜2009年、スキンケアブランド 海外向け商品企画(アジア、アメリカ)。2010年、ESSEC PARIS, MBA in International Luxury Brand Management。2011年〜、有馬温泉 旅館 御所坊ブランドマネージャー(若女将)。2017年〜、クールジャパンアンバサダー。2019年〜、有馬温泉 旅館 御所別墅 ブランドディレクター(女将)。2021年〜、無ほう庵宗家(ポルトガルと日本で活躍した神戸のアーティスト綿貫宏介のアーティストエステートマネジメント) ブランドディレクター。

金井 日本の本来の良さは、丁寧に物事を進めていくことだと思います。あるガラス会社の社長さんに聞いた「ゆっくり、早く」という言葉が好きなんです。言い換えると、だんだん素晴らしいものを作っていけばいい、という考え方です。

でも、戦後日本はずっと「すごく遅く、焦る」を繰り返してきたように見えます。何であっても展開が遅く、しかし新しいコンセプトは焦って出してしまう……。そのように次々にアウトプットしていく、ファッション業界のようなトレンド戦略ができる人は限られていますし、もともと日本人のストラテジーには合っていないんだと思います。

牧田 特に、マスツーリズムの世界ではトレンドが話題になりがちですね。でも、日本には本来、湯治といった滞在型の観光文化がありました。ただ残念ながら、高度成長期の団体化の流れの中で、観光は1泊2日型で「宴会場と大浴場があれば良い」とパッケージ化されていってしまいました。おそらくそれも、ものづくり的発想からすれば効率的だったからでしょう。

金井 長期的視点が、日本の独特な部分ですよね。例えば、創業200年以上続く会社数は日本が世界でも一番ですから。日本は変化しながらも続けていくことが得意なはずです。でも、最近は急なブレイクと、トレンドを追って焦ってしまう。毎回、異なるカテゴリで焦ってゼロから何かを立ち上げようとしてしまうから、良くないのではないかと思うんです。

牧田 確かに日本人たちは今、とても焦っています。グローバル化の中で、どうにかしてスピーディーに世の中の変化へ対応していくことに囚われている。SNSでも毎秒のように様々な情報が流れてきます。生活を便利で快適にする一方で、全てが同じロジックで、スピーディーかつアジャイルに進む必要はありません。「それだけじゃない世界」が実際にある。

良宮さんの話から考えるに、「揺るぎない何か」こそが一番強くて持続すると思うのです。むしろ、焦らずに進むべきもの、変える必要のないものが存在します。捨てなくてもよいものまで捨てられてしまうような現状を憂慮しています。

観光客が、息をするように土地ごとの良さが感じられる体験を

金井 私が御所坊で働き始めたとき、特に歴史には興味を持っていなかったんです。でも、この地が豊臣秀吉に愛されていていたこと、谷崎潤一郎や与謝野晶子といった文学、有馬にある寺院、昭和戦前期に生まれた「阪神間モダニズム」という生活様式など、それらの歴史も含めて調べてみるうちに、さまざまなことがつながっていくように感じました。

ただ本来は、努力せずとも、観光者がその土地ごとに持つ良さを、息を吸うように感じられる環境に整えることを目指すべきなのだと思います。日本には長い歴史と独特な文化があり、どの地域にも魅力があります。その地域を訪れ、何も考えずにただその場にいるだけでも、何か新しいことに気づくはずです。その体験は、まさに付加価値といえるものの一つです。

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牧田 現代人は「場所の価値」を忘れてしまっているのでしょう。「場所」とは単なる空間ではなく、その人が何かを感じ、何かを経験する場です。それが旅行をすることの一つの価値であり、究極的な体験と言ってもいいはずです。

御所別墅は元々はお寺だったと聞きました。そういった歴史や背景を、良宮さんたちがいかに「宿」として表現しようとしたのか。その思いをどのように従業員に伝え、お客様の接客にも反映しているのか。それらを含めて、まさに「ブランディング」や「デザイン」と呼べるものでしょう。私が「旅館経営とはアートである」と考えているのも、それが価値提案として大事だと思うからです。

こういった発想で作られる「場所」に対応できていないのが、日本の観光や旅行がまだ成熟していないと感じられる理由なのかもしれません。

「夢を創り、育むビジネス」としての矜持

牧田 付加価値化について、良宮さんの考えをさらに聞かせてください。観光業に携わる人々が心理的な障壁を打ち破っていくためには、どういった考えを持つべきなのでしょう?

金井 私たちは基本的には「夢を創るビジネス」をしているのだと思います。服は、それがよくできた一例です。基本的な「着る」という機能を超え、自動的に、理由も説明も要らずに私たちに価値を感じさせ、それゆえに価格を上げても購入する人がいます。

温泉地や旅館も、その場所や建物が持つ歴史と価値を活かし、夢を創り出し、売り出すことが求められていると思います。できるだけ美しいものを作り上げ、お互いに夢を見てもらうことです。だからこそ、夢を創るための戦略やブランディングが必要なんです。

牧田 夢という観点から考えると、日本全体の問題として、海外からのお客さんに対して、「一体何を提供しているのか」が問われてもいるのだと感じました。

例えば、ある観光地でタクシーの運転手が「この街には何もない」と言ってしまったら、観光客はその街をつまらないと感じてしまうかもしれない。そもそも論として、地元民たちが自分たちの住んでいる地域を楽しみ、日々の生活に面白さを感じていることが、ベースになるべき価値観なのでしょう。それが観光客に伝わることで、地域の価値も向上していくんです。

海外から称賛を受けた、日本の日常的な風景

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金井 高付加価値化は、高級化がすべての答えではありませんが、ピラミッドのような形である程度の差別化は必要かもしれません。怖がらず、価格を問わずに良いものを作り上げることが重要で、それを欲しい人が適正な価格で買えるようにするだけです。

牧田 確かにラグジュアリーやハイエンドは必要です。頂上が高くなれば、広がる裾野から新たなニーズやウォンツが生まれますから。一方で、金額面だけでないラグジュアリーも考えたいですね。

ある人から、こんなエピソードを聞きました。岐阜県のある地域で、外国人観光客が「ランドセルを背負った女の子が田んぼのあぜ道を歩いている」という景色を見て、「ビューティフル!」と発したそうです。そのような平和な光景は、海外では決して当たり前なことではないからです。日常的な風景が、人によっては美しさを感じる。これも大切な観光資源ですね。

金井 絵や花を鑑賞するときも同じですが、自分の目で見て、感じとることが大切ですからね。だから日本人自身が、日本の美しさにまず気づくことが大切です。それを価値として打ち出していくことは、海外からも注目を集めるはずです。

牧田 美しさに気づくためには、自分たちで褒め合うことが第一歩でしょうね。そして、教育の世界でもアクティブラーニングにおいて、他者の見方を通した理解が重視されているように、顧客から学ぶことも重要です。地域の素晴らしさに気づき、活用していくことが観光資源を磨くことにもつながります。自分自身の生活を豊かにするとともに、訪れる人々にとっても具体的かつ心地良い体験になるはず。

夢を創ろうとするとき、夢になる資源はすでにそこにある、と思うことですよね。あるものを顕在化していき、それを積み重ねていく。

金井 そこにある資源は変えられないけれど、映画を撮るような感覚で、カメラを向けてみるといいのだと思います。同じように思える風景でも、ズームしたり、遠くから撮ったりすると違った風景が見えてくるものです。歴史も、マクロな視点だけでなく、マイクロな視点でも見てみる。同じストーリーでも、人物や場所といった注目する点を変える。それがクリエイティビティなのだと思います。

でも、それと同時に、文化的な建物があっさりつぶされるなど、私からすると意味のわからないことがよく起きて驚きますね。大事なのはバランスです。すべてが古いとクリエイティビティが発揮できずにつまらなくなりますが、すべてを新しくするとインスピレーションを与えるような歴史が消えてしまう。

だから今回、立命館大学の観光MBAでブランディングを教える依頼が来たとき、こういった観点を伝えるプログラムの必要性を強く感じて、参加を決めたんです。

脱・おもてなし。日本の観光産業を変革させる原動力へ

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牧田 立命館大学の観光MBAで、私はホスピタリティマネジメントの講義を担当するのですが、そこで一つの挑戦をしようと考えています。観光業や宿泊業を営む方が受講生に多いとも思うのですが、「おもてなし」という言葉を使わずに、自分たちのビジネスを見直してみませんか、と。

なぜなら、おもてなしは日常生活で自然に行われ、それを提供することが当たり前となっていますが、それが実際に価値を生んでいるのか、あるいは価値として認識されているのか、一度立ち止まって考えてみてほしいからです。これが、日本の観光産業を変革させる原動力になるかもしれません。

金井 確かに「おもてなしとは何か」を定義することは重要ですね。それはアートのようなもので、茶道や剣道など、特定のプロセスを経て完成されるものです。一部分を取り出しておもてなしと名付けるのは、やや誤解を招くかもしれません。

牧田 まさに大切なポイントです。日本には「型」の文化があり、その中には茶道など、私たちが学ぶべきものが多くあります。しかし、私たちは無批判におもてなしを「良いもの」と認識していて、現場もそれに縛られているのであれば、一旦は外してみて、提供されている価値について深く考える機会があったほうがよいと思うのです。

金井 なるほど。おもてなしで、見失ってしまった本来的な良さに気づかないといけない。

牧田 そうですね。その良さを魅力として顕在化させ、お客様に届けるように努めると、日本の景色はまた変わるでしょう。今回の観光MBAでは、オンラインで全国から参加できる状況を作り出したいと思っています。普段なら競争相手かもしれないような人たちとの「横の連携」を生み出して、自分の悩みを共有し、成功例をシェアする場を作ることも目指しています。

特に、これからは2025年の「大阪・関西万博」を控えており、また、IR(統合型リゾート)といった大型プロジェクトも進行中です。これらがきっかけとなって、今まで大阪をはじめ関西に訪れたことのない人々が訪れることになるかもしれません。私たちは、これらのプロジェクトを世界から学ぶ機会と捉えてはどうでしょうか。

かつての関西は、イノベーションの街でした。工業製品だけでなく、即席麺、割烹文化など、さまざまな革新的なアイデアが生まれたのも大阪・関西です。いろんな人たちが交流し、学びあい、教えあう中でイノベーションが生まれ、独自の都市の生活文化、そして経済が発展してきたのだと思います。

だとすれば、これからの大規模なプロジェクトを単なるイベントに終わらせることなく、積極的に参加することによって世界から大いに学び、他方では、私たちが本来的に備えている創造性を再発見することを通じて、関西の未来を構想していく、そういう機会にしないともったいないと思います。

私たちは関西に拠点を置く大学として、学ぶ機会の提供を通じて、人々が輝くための様々なお手伝いをしてきました。2024年4月スタートの「観光マネジメント専攻」においても、「観光MBA」の輩出を通じて同様の役割を果たしていきたいと思っています。


撮影協力:御所別墅


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