岸田政権が打ち出した「骨太の方針」では、いわゆる「日本版ジョブ型賃金」の導入が明記された。
REUTERS/Shohei Miyano/Illustration,Hiro Komae/Pool via REUTERS
6月に閣議決定された政府の骨太の方針(経済財政運営と改革の基本方針2023)に「職務給の導入」が盛り込まれた。職務給とはいわゆるジョブ型賃金だ。
岸田首相は以前から「日本に合った職務給」への移行を目指すとしており、日本でも「ジョブ型」を推進しようと躍起になっている。
だが、そもそも岸田政権がいう「日本版のジョブ型」とは一体どういうものなのだろうか?
長らく新卒一括採用と終身雇用を続けて日本企業の社員にとっては、むしろ「日本版ジョブ型」は、「賃下げのリスク」にもなり得ることも解説したい。
「構造的に賃金が上昇する仕組み作る」
まずは、なぜジョブ型賃金が必要なのかを考えたい。
その理由は岸田首相が議長を務める「新しい資本主義実現会議」が打ち出した「三位一体の労働市場改革の指針」(5月16日)に示されている。
「リ・スキリングによる能力向上支援、個々の企業の実態に応じた職務給の導入、成長分野への労働移動の円滑化、の三位一体の労働市場改革を行い、客観性、透明性、公平性が確保される雇用システムへの転換を図ることが急務である。これにより、構造的に賃金が上昇する仕組みを作っていく」
つまり、個人に対して時代が求めるスキルを修得するリスキリング(学び直し)を支援する(編注:全12ページの文書のなかに、リ・スキリングという単語は約30回登場する)。
企業に対しては求めるスキルを明確にしたジョブ型賃金の導入を促し、学んだスキルと企業が求める職務をマッチングさせることで転職を促進し、賃金が上がっていく仕組みをつくっていく。
これが政府の「三位一体の労働市場改革」の狙いだ。
欧州の「ジョブ型」を礼賛しているが……
gettyimages
言うまでもなくジョブ型賃金(職務給)は欧米の主流の賃金制度だが、この指針では日本の年功型賃金制度を目の敵にしている。
年功型賃金制度について、以下のように批判する。
「職務(ジョブ)やこれに要求されるスキルの基準も不明瞭なため、評価・賃金の客観性と透明性が十分確保されておらず、個人がどう頑張ったら報われるかが分かりにくいため、エンゲージメントが低いことに加え、転職しにくく、転職したとしても給料アップにつながりにくかった」(前出の「三位一体の労働市場改革の指針」より)
その上で「職務給の個々の企業の実態に合った導入等による構造的賃上げを通じ、同じ職務であるにもかかわらず、日本企業と外国企業の間に存在する賃金格差を、国ごとの経済事情の差を勘案しつつ、縮小することを目指す」と言っている。
欧米の職務給を礼賛し、職務給に変わればまるで賃金が自動的に上げられるかのような書きぶりだ。
ジョブ型には「昇進」という概念はない
撮影:Business Insider Japan
だが、実際は職務給を導入することと、賃金が上がることはまったく関係がない。
まず、ジョブ型雇用の原則は、職務に必要なスキルや資格など定義した職務記述書(ジョブディスクリプション)に基づいて採用し、雇用契約を結ぶ。
賃金も担当するジョブで決定し、基本的に人事異動や昇進・昇格の概念がない。
会社の都合で職務の変更や配属先の異動・転勤を行う場合は本人の同意を必要とするなど会社の人事権を大幅に制限している。
また、採用も新卒・中途に関係なく、必要な職務スキルを持つ人をその都度採用する「欠員補充方式」が一般的だ。
ノースキルの学生をポテンシャル(潜在能力)だけで卒業と同時に新卒を大量に採用し、入社後も会社が強大な人事権を持つ、命令一つでさまざまな職場や職種に異動させる日本のいわゆるメンバーシップ型とは違う。
「仕事基準」ではなく「人基準」
日本のメンバーシップ型雇用では、仕事の経験年数を重視することが多い。
撮影:今村拓馬
特に大きく異なるのが給与制度だ。
賃金も担当する職務(ポスト)ごとに決まる「仕事基準」であり、職務が変わらない限り、賃金も固定されて変わらない。
賃金を増やすには、自ら高いポストに必要なスキル修得が求められる。この賃金制度を「職務給」あるいは「職務等級制度」と呼ぶ。
職務給が仕事に人を当てはめる「仕事基準」であるのに対し、日本は人に仕事を当てはめる「人基準」といわれる。
人が有する「職務遂行能力」を等級ごとに定義し、等級の能力要件を満たしているかで賃金が決まる。これを「職能給」あるいは「職能資格制度」と呼ぶ。
ノースキルの新人を長期に育成する以上、身につけた能力を基本に毎年上がる定期昇給と職能給によって給与が積み上がっていく。
本来、職能給は能力要件をクリアしないと昇給しないが、保有能力を客観的に測る指標がなく、仕事の経験年数を重視するようになる。
当然ながら身につけた能力はよほどの事情がない限り落ちることがないために「降格」が発生せず、自ずと年功的賃金にならざるをえない面がある。
欧米の「ジョブ型」導入は難しい
「第18回・新しい資本主義実現会議」に参加する吉野友子・連合会長(左)。
出典:内閣官房ウェブサイト
いずれにしても岸田文雄首相は「メンバーシップに基づき年功的な職能給の仕組みを、ジョブ型の職務給中心のシステムに見直す」と発言している。
ただし、日本のすべての企業の賃金制度を欧米のように各産業・職種別横断の職務給体系に再編するのかといえば、極めて困難であり、労使の合意なく政治主導でできる話ではない。
事実、新しい資本主義実現会議の委員でもある労働組合の中央組織である連合の芳野友子会長は「企業の人事制度は産業を取り巻く情勢、労使慣行や職場実態に即して、労使が主体的に検討すべきである」とし、職務給の導入は「企業規模や業種によってなじまない場合があることからも、慎重な検討が必要である」(第18回新しい資本主義実現会議議事要旨)と、クギを刺している。
そうなると、すでに職務給を導入している企業をモデルに“日本版職務給”の導入を後押しすることになる。
では現在、一部の日本企業で導入されている「日本版職務給」とはどういうものか。
「日本版ジョブ型」3つの特徴
「日本版職務給」は大きく集約すると、以下の3つの特徴がある。
- 上位の職務等級に自らキャッチアップしなければ、給与は固定されたまま上がることはない
- 降格など職務変更が発生し、給与が下がるリスクもある
- 定期昇給制度の廃止(個人別の評価昇給・降給への移行)、家族手当・住宅手当等の諸手当の廃止
職務給は今のポストに留まるかぎり給与が上がることはなく、本人の自発的な上位等級へのチャレンジが重視される。
職務給導入企業の中にはポスティング(公募)方式でチャレンジできる仕組みを設けている企業もある。だが、自分はポストにふさわしいスキルがあると思っても、1つのポストに10人が応募すれば、不合格となり、必ずしも就けるわけではない。
また日本版職務給の場合、人事異動で上のポストに就く余地も残されているが、会社が希望するポストを用意してくれる保証はない。
そうなると年を重ねても現在の等級内に留まり、いつまでたっても給与は固定されたままとなる。
昇給・降格が頻繁に?
「日本版ジョブ型」の場合、降格のリスクも少なくない。
撮影:今村拓馬
さらに日本版職務給では、「特徴2」の降格・昇格が頻繁に発生する。
職務給は職務(ポスト)の対価であるが、逆に職務を果たせない、あるいは必要とされる職務がなくなるとポストオフ(降格)も発生する。
したがって従来のメンバーシップ型の職能給制度では起こり得なかった降格による給与減が容易に起こりやすくなる一方、若くても職務スキルが高いとみなされれば、等級が2段階上がる“飛び級”も発生する。
ビジネス環境によって会社が求めるスキルが変われば、職務変更によってポストオフを余儀なくされる。
挽回するには新しい専門性を常に磨いてキャリアアップすることが求められる。職務等級制度に詳しい人事コンサルタントはこう指摘する。
「職務給は自ら仕事を掴んでキャリアアップしていかない限り、給与は上がらない。若いときに専門職として給与の高い仕事に就いても、40代になって専門性が陳腐化し、専門職としてキャリアアップできなければ給与が増えない。給与を上げるには管理職になる道もあるが、それも難しければ転職するしかなくなってしまう」
職務給制度になると、現在の地位や給与に安住することは許されなくなる。
一律の定期昇給は廃止
また「特徴3…定期昇給制度の廃止」にあるように、従来のメンバーシップ型の職能給では存在した一律に昇給する年功型の定期昇給制度も廃止される。
大企業には勤続年数を1年重ねるごとに一律5000~6000円程度の定昇がある。
脱年功を基軸とする職務給導入企業の中には、定昇を廃止し、等級のレンジ(例えば基本給30~35万円)の範囲内で給与が増減する「評価昇給」に変えたところもある。
その場合、人事評価結果がS〜Dの5ランクであれば、B評価以上が昇給あり、C評価は昇給なし、D評価は減給される減額される仕組みを設けている。
「家族は自己選択」。手当も廃止
さらにジョブ型という仕組みが「仕事基準」である以上、仕事と関係のない家族手当などの属人手当も廃止される。
職務給導入企業の多くが家族手当、住宅手当、皆勤手当などの属人手当も廃止し、基本給一本に統一している。
2021年に職務給を導入した大手精密機器メーカーの人事担当者は次のように語る。
「基本的に担当する仕事の大きさのみで処遇を決めるというが職務給の考え方だ。
家を買う、配偶者を持つことは自己選択でしかなく、本人が自己選択で得た属性によって報酬が上がる・または下がるような手当を設けることは正しくない」
日本版職務給になると、担当する職務・職責が厳しく問われ、そのまま給与に跳ね返る厳しい世界といえそうだ。
こうみてくると、政府の「三位一体の労働市場改革」が狙う、リスキリング→職務給の導入→労働移動の円滑化→賃金の上昇、の実現は壮大な夢物語に思えてくる。
職務給一つとっても、仮に転職者が発生するとすれば、職務・職責を果たせずに降格された人、あるいは給与がいつまでも上がらない人だろう。
その人たちが転職すれば賃金が上昇するとはにわかに信じられない。