ニューヨークを象徴するフラットアイアンビル(中央)。今、このビルをはじめ数々の商用ビルが“ゾンビ”化している。
Mario Tama / Getty
フラットアイアンビル(Flatiron Building)は、ニューヨークを象徴する高層ビルで、その名を冠した地区があるほどだ。しかし、この物件には4年前からテナントがほとんど入っていない。
2019年に出版大手のマクミラン(Macmillan Publishers)がこのビルを明け渡した時点では、ニューヨークのオフィス市場はまだ熱かった。しかし、マクミランが抱える1100人の従業員がいなくなったことは、歴史的なこのビルにとって致命傷となった。それは、22.7%という記録的なレベルにまで上昇したニューヨークのオフィス空室率をめぐる問題の、象徴的な出来事だった。
“ゾンビ”ビルがあちこちに出現
フレキシブルオフィス企業のノーテル(Knotel)にビルを丸ごと賃貸し、大規模な改修工事を行うというオーナーの当初の計画は、訴訟の中で破綻した。訴訟の焦点のひとつは、予定されていたアンカーテナントに対する談合疑惑だった。一方、ノーテルはその後倒産しており、仮にビルに入居していたとしても家賃の支払いに問題が発生していた可能性がある。
それから3年以上が経過し、オーナーの一社であるGFPリアルエステート(GFP Real Estate)が率いるグループが、2023年3月に行われた最初の競売(最終的に落札はされなかった)での入札価格を15%下回る1億6100万ドル(約233億5000万円、1ドル=145円換算)でこの空ビルを取得した。
BNPパリバ・リアルエステート(BNP Paribas Real Estate)によると、この2度目の落札価格は、2022年にマンハッタンのオフィスに支払われていた平均価格に近い坪単価だったという。
GFPの計画では、このビルの少なくとも半分をアパートメントに改装し、再び使えるようにするという。しかし、古い建造物に新しいパーツを取り付けるには特別な工法が必要になることが多く、これは言わば、『フランケンシュタイン』の怪物を作り出すようなものだ。
しかし、このビルはまた別の映画のモンスター、ゾンビも連想させる。ニューヨークのオフィスビルにはよく見られることだが、このビルもまた、過去10年間で全米中に乱立して今は絶望的に困窮しているショッピングモールと同様、歩く死体なのだ。
ニューヨークの不動産業界で40年以上のキャリアを持ち、ウィリアムズ・エクイティーズ(Williams Equities)の代表を務めるマイケル・コーエン(Michael Cohen)は、「ゾンビビル」は街のあちこちに出現していると語る。
フラットアイアンビルやそれに類するビルは、かつての超低金利時代でこそ高い評価額をつけていたが、今ではその評価額が下がり、また所有者のエクイティが減少したために賃貸できなくなった結果、息の根を止められてしまった。コーエンによれば、今日の低い賃貸料では、(このゲームに参加する資金を持っていない)オーナーはコストを正当化することができないという。
「パンデミック以前の5年以内に購入されたビルは、ゾンビ候補です。いや正直に言うと、実際には過去10年以内かも」(コーエン)
ゾンビ物件の増加は、金利上昇と空室増加という二重苦に見舞われている商業オフィス不動産の危機の、最新かつ悲惨な一事例である。大きな負担となるオフィス負債、信用力の低下、リモートワークなどが生み出すプレッシャーから、ビルオーナーは必要な賃料を要求できない窮地に追い込まれている。オーナーには、空いたスペースを貸す余裕がないのだ。
フラットアイアンビルの場合、オフィス市況の悪化により拍車がかかったであろうオーナー同士の内紛が、棺桶にまた別の釘を打ち込んだ。
ゾンビビルはなぜ広がるのか?
数十年にわたり、ヌビーン(Nuveen)やSLグリーン(SL Green)など洗練された投資家にとって信頼できる投資先であったオフィス市場は、今やゾンビの温床となっている。
その一因は、オフィス契約を結ぶのにも費用がかかることだ。コーエンの試算によると、テナントのためにスペースを改装・改善する費用や、仲介手数料、弁護士費用などを合わせると、ニューヨークでは1平方フィートあたり200ドル(約2万9000円)もかかるという。ビルオーナーはこれらのコストをカットすることはできない。
しかも、ビルの価値は暴落している。事業用不動産サービスのJLL(ジョーンズ・ラング・ラサール)によると、マンハッタンのオフィスビルの4棟に1棟は、前回売却時の価格を下回った評価を受けている。この損失は380棟以上のビルにわたり758億ドル(約11兆円)となっており、この状況はまだ終わりそうにない。
ゾンビからの復活なるか
映画とは違って、ゾンビビルは永遠にゾンビのままではない。
アパートメントへのリノベーションは救世主かもしれないが、家主が安い物件価格で建設費を相殺できなかったり、物理的な構造に制限があったりすると、実現は難しい。ゾンビビルを復活させるもうひとつの方法は、ビルオーナーがビルの持ち分を増やすことだ。ローンが満期を迎え、借り換えが必要になる数カ月後には、このような要求が一般的になるかもしれない。
しかし、手練の投資家の中には、「サンクコストの誤謬(ごびゅう)」を意識して、保有ビルを手放すことをためらわない者もいる。ブラックストーン(Blackstone)やRXRのような家主は、テナントが逃げ出した後、特定のオフィス用物件を担保にしたローンをデフォルトさせ、建物を直接貸主に明け渡している。
債権者もビルを欲しがらない可能性があるため、貸主に鍵を返すことは、より良い条件で交渉するための抜け目のない戦略となりうる。あるいは、貸し手は、このような不利な状況でもうまくやる道を見出すかもしれない。
2023年3月、チェトリット・グループ(Chetrit Group)は850サード・アベニューを貸し手のHPSインベストメント・パートナーズ(HPS Investment Partners)に2億6600万ドル(約385億7000万円)で売却した。チェトリットは2021年10月、HPSから2億2000万ドル(約319億円)の優先債(シニア債)を借り入れ、3億2000万ドル(約464億円)でこのビルを借り換えていた。
この件に詳しい関係者によると、HPSは、通勤のハブであるグランドセントラル駅に近いというロケーションとリノベーションにより、従業員をオフィスに呼び戻そうとしているテナントにアピールするという賭けに出ているという。このスペースを自ら借りて、投資を無駄にはしないという挑戦だ。
もしHPSの賭けが吉と出れば、このゾンビは死から蘇ることになるだろう。