研究者だけじゃない、博士のキャリアパス。VCで「博士投資家」が増加中

若手VC

取材に応じた若手VCの3名。Beyond Next Venturesの矢藤慶悟さん(左)と松浦恭兵さん(右)、ANRIの川口りほさん(真ん中)。

撮影:三ツ村崇志

科学技術立国を目指す上で欠かせない博士人材。しかし、日本では博士の採用に積極的な企業は多くはない。

博士のキャリアパスはどこにあるのか。最近じわりと増えているのが、VC(ベンチャーキャピタル)での博士人材の採用だ。

日本では、岸田政権が成長戦略の一環として、宇宙や量子技術、AIや創薬といった長期にわたる研究開発が必要な、いわゆる「ディープテック系」のスタートアップの創出を掲げており、ここ数年の間に注目が集まってきた。この領域を支援するVCの間で、中途・新卒に限らず、自然科学の専門知識を持つ「博士持ち」の投資家が増加しつつある。

「技術への嗅覚」ディープテック時代に必須

Beyond Next Venturesの松浦恭兵さん(左)と矢藤慶悟さん(右)

Beyond Next Venturesの松浦恭兵さん(左)と矢藤慶悟さん(右)。

ディープテック系のスタートアップに特化したVCのBeyond Next Ventures(以下、BNV)には、3名の博士号(Ph.D)取得者がいる。

松浦恭兵さんと矢藤慶悟さんは、2022年入社の「新卒博士」2年目だ。現在は、メンターとなる社員と共に、投資先となるスタートアップ企業の調査や投資判断をしたり、事業戦略について起業家と議論したりと、いわゆる「博士」や「研究者」のイメージとはかけ離れた「投資家」としての業務を担う。

資金調達や事業戦略など、ビジネスまわりの知識は「学んでいる最中」だ。ただ、博士としての専門性や研究者として培ってきたノウハウはVCで生きている

松浦さんは大学院への進学時に早稲田大学から東京大学の医学系研究科に所属を変更。博士課程では、腎臓結石について研究する日々を過ごし、Ph.D(医学博士)を取得。現在はBNVで医療機器やデジタルヘルスなどのヘルスケア系のスタートアップを担当している。

一方、矢藤さんは東京理科大学に所属しながら、国立感染症研究所でC型肝炎などのワクチン開発などの研究に携わり、Ph.D(工学博士)を取得。同じく創薬やバイオテクノロジーを用いた農業領域のスタートアップを担当しているという。

共に自身の専門と近い領域を中心に、投資家として活躍している。

ただ、博士としての強みは「専門的な技術への嗅覚」を持っていることだけではない。

「研究者の技術をキャッチアップする早さに自負はあります。専門領域がある一方で、(研究者としてのキャリアの中で)自分の専門とは違う業界に知識を広げていくことも基礎スキルとして備わっているため抵抗がない。『研究者として対等』というと言い過ぎかもしれませんが、技術に対する自分の仮説を踏まえて起業家と話せるのは強みだと思っています」(矢藤さん)

松浦さんも、

「研究では、『ここが解明されるとインパクトがあるだろうな』ということを考えます。その考え方はビジネスでも応用可能だと思うんです。『この技術シーズであれば、こういう社会課題を解決できるかもしれない』と目を付けるところに博士人材がVCに携わる価値があるんじゃないかと思っています」

と、自らの専門性を起点に知見を開拓していける点や、技術を評価する力が大きな強みではないかと指摘する。

「博士」と言えば、どうしても「特定の領域についての専門知識を有している人」というイメージがつきものだ。ただ、それは博士の価値の一端に過ぎないわけだ。

切っても切れない「研究」と「金」の現実

東大

撮影:今村拓馬

矢藤さんは、

「僕が研究を始めた理由は、薬のシーズ(種)を作りたいという思いからです。一方で、研究の中では論文を書く必要性が高くなり過ぎている感覚がありました。『この研究が社会にどのくらいつながっているんだろう』という部分が、クリアに見えてこなかった。だから一度、現場を見てみたいと思うようになったんです」(矢藤さん)

と、VCというキャリアを選択した経緯を語る。

矢藤さんは、キャリアに悩んでいた博士の2年目の中頃にインターンとしてBNVに加入し、博士号を取得したあと、正式に入社した。

BNVでは、投資部門やインキュベーション業務のサポートをする人材として、ある程度研究や業界に対する知識がある博士のインターンを定常的に募集しているという。

矢藤さんは博士論文に向けて研究に取り組む傍ら、週に2日フルタイムでインターンをした。当時の日々は「かなりキツかった」というが、それでも続けられたのは科学技術と社会の結びつきをつくるプレイヤーとしてのVCの立ち位置に魅力を感じたからだ。

「VCは、起業家と一緒にエコシステム全体を巻き込んで技術を社会に結びつける仕事です。一個人として、そこで何かをやってみたいという気持ちは強かった」(矢藤さん)

研究者の道に未練がなかったわけではない。矢藤さんの中には、いつか没頭できる基礎研究に取り組みたい気持ちも残っているという。ただ、「今はそこにお金がつかない状況」だと指摘する。

「政府系のお金を基礎研究に回して、応用研究にはもっと民間のお金を投入していかないといけない。ただ、今はそのサイクルがうまく回っていない。そこを回すのは投資家です。僕はその環境作りをやりたいんです。VCはその手段としてすごく重要なポジションになるのだろうと考えています。そういう環境を生み出したら、自分の好きな研究をやってみたいですね(笑)」(矢藤さん)

研究者のキャリアパス「何かがおかしい」

ANRIの川口りほさん。

ANRIの川口りほさん。

撮影:三ツ村崇志

「研究者が社会的に意味があるものだと思ってもらいたい。それこそ一攫千金を狙って研究者になるというくらいでもいいと思うんです。そういうロールモデルを生み出したいというモチベーションも根幹にはあります」

こう話すのは、2023年春にVCのANRIに入社した投資家の川口りほさんだ。ANRIでは、11名の投資家のうち4名が博士号取得者だという。

川口さんは東京大学で博士号を取得。当時は、人や車などあらゆる“つぶつぶ”の動きを研究する研究室に所属しており、博士論文では大阪の水族館・海遊館の群集の混雑の最適化や渋滞のメカニズムについての研究をまとめた。

研究室への配属直後から博士課程への進学を考えていた川口さんだが、修士課程の頃に同期や後輩が大企業へと就職を決めていく中で、将来に対する「違和感」を感じたことが民間就職を考えるきっかけになったという。

「学部の時はお金がなくても好きな研究をできれば幸せだろうと思っていたんですが、 周囲を見回したときに、何かおかしいぞと気がつきました。

研究者になりたいと思って博士課程まで進学すると、研究を一生懸命やってもお金を稼げない。ここにすごい違和感を感じたんです

そこで当時の川口さんは、研究室の先輩と起業を目指した。事業に携わりながら、Ph.Dを取得しようと考えたという。

「やりたい研究で社会的にも意義があることをやりつつ、お金を稼ぐ。スタートアップは一つの手法だと思いました」

ただ、事業はすぐにうまくいかなくなり、チームは解散となった。

その後、民間就職を考える中で、ANRIが博士人材の新卒採用を実施していることを知った。博士課程の1年目だった川口さんは、まずはインターンとしてANRIに加入。約2年間のインターンを経て、この春正式に入社した。

博士の3年間を「ショートカットに」

オフィス

撮影:今村拓馬

川口さんが所属していた研究室では、コンサルやリサーチャーなど、研究活動から離れたポジションで就職をする人材が多かったこともあり、川口さん自身も研究から離れた立場で民間就職することには抵抗はなかった。

ただ、就職先としてVCを選んだのは、インターンしていたからという以上に「博士課程の3年間を評価してもらえている」と感じたからだ。

「せっかく博士としてやってきたので、博士課程の3年間を(キャリアの)ショートカットに使いたいなと」(川口さん)

ディープテック領域が日本でも盛り上がり始めていたことも、VCへの就職を後押しした。

「日本では、ディープテック領域の連続起業家(シリアルアントレプレナー)はまだほとんどいません。この5年、10年で日本のディープテックスタートアップが立ち上がるかどうかというタイミングでその領域に入れるのは、すごく大きいことだと思っています」(川口さん)

日本でディープテック領域のスタートアップが続々と立ち上がるような未来は訪れるのか。その未来が訪れなければ、川口さんのキャリアも開けない。

「私は、その未来にベットしているんです。ただ、うまくいかなかったとしても、私のスキルがこれから生きるところはいくらでもあると思っています」(川口さん)

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