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「マニュアル」という言葉を聞いて、みなさんはどんなことをイメージしますか?
おそらくみなさんのうちの少なくない方が、「マニュアル人間」を連想されるのではないでしょうか。マニュアル人間といえば、決まったことしかしない人、とっさの機転が利かない人、人間味が感じられない人。「そんなことなら機械でもできる」と揶揄する際に使われることが多いようです。
このようにとかく悪いイメージを持たれがちな「マニュアル」なので、実はマニュアルが自律自転する組織の現場づくりに大いに役立つと言っても、にわかには信じてもらえないかもしれません。
もちろん、多くの組織にありがちな、静的なマニュアルではダメです。静的とは、「初めに設定した状態や構成が、状況や局面が違っても変化しない」こと。変化しない、つまり、状況が変わっても一度作成したマニュアルを更新せずに、その時のマニュアルを使い続けること。これではうまくいきません。
今回ご紹介するのはその反対、「動的」なマニュアルです。動的とは、「状態や構成が状況に合わせて変化したり、そのつど再設定したりする」こと。つまり、変化し続けるということです。
時代や状況の変化に合わせて変化し続けるマニュアルのことを、私は「完成しないマニュアル」あるいは「進化し続けるマニュアル」と呼んでいます。
以降では無印良品、コープさっぽろ、そして私がかつてリクルートで担当していたスーモカウンターの3つを取り上げながら、「完成しないマニュアル」を実際に運用するとどんな効果が現れるかを見ていくことにしましょう。
無印から学んだコープさっぽろのマニュアルづくり
「いったん作ったら作りっぱなし」の静的なマニュアルは、時間とともに状況が変わっているにもかからずマニュアルの内容はそのままなので、やがて陳腐化していき、使えなくなってしまいます。
しかし「完成しないマニュアル」は違います。状況の変化に合わせて進化し続ける、文字どおり永遠に「完成しない」マニュアルです。具体的には、毎月、あるいは四半期ごとにマニュアルが更新されていくのです。
無印良品を運営する良品計画は、今でこそ多くのファンに支持され売上も成長を続けていますが、かつては38億円の赤字を出すほど低迷していた時期がありました。そんな同社のV字回復を実現した要因のひとつが「MUJIGRAM(ムジグラム)」だったと、当時会長を務めていた松井忠三氏は著書『無印良品は、仕組みが9割』で明らかにしています。MUJIGRAMはまさに、私の言うところの「完成しないマニュアル」そのものです。
実は、このMUJIGRAMを参考にしたのがコープさっぽろです。コープさっぽろといえば北海道を商圏とした生活協同組合ですが、1998年に実質的に経営破綻をした後にV字回復を果たしたことから、近年その経営に注目が集まっています。
コープさっぽろは、2008年と2014年の2回にわたってマニュアルを改善しようとしたものの、現場に定着しませんでした。しかし、2016年に上述のMUJIGRAMのノウハウが公開されたことを受け、良品計画の松井会長(当時)から直接指導を受けることに。こうしてコープさっぽろが「業務基準書」と呼ぶマニュアルの作成がスタートし、ついに運用を軌道に乗せることに成功したのです。
コープさっぽろは2023年現在、年17回もの業務改革発表会を実施しています。職種、階層、年次、雇用形態もさまざまな従業員が、現場の業務改善の発表を行います。その発表の場でどれが業務基準書に反映されるかが決まると、当該事業の責任者が期日までに業務基準書を改訂するのです。つまりコープさっぽろでは、年に17回、業務基準書が更新される仕組みになっているということです。
コープさっぽろの業務基準書は、マニュアルと聞いて私たちが想像する紙やテキストをベースにしたものではありません。2020年から動画化を進めて、すでに数千本の業務基準書動画が作成されています。動画であれば、従来テキストでは伝えられなかった手作業などのスキル向上も容易になります。
しかも上述のように、業務基準書は現場の従業員による発表会の情報が起点となって更新されます。自分のアイデアや工夫が、全従業員の生産性向上や顧客満足に貢献できるのですから、従業員にとっても大きなメリットがあります。
マニュアルの進化を止めない3つの仕掛け
これと同様の仕組みが、私がかつて担当していたリクルートのスーモカウンターにもありました。
そのマニュアルは、お客様からはなまる(〇の周りに花びらをつけた最高の称賛)をいただける状態を目指して「はなまる」と呼ばれていました。私自身は2006年から2012年までの6年間この部署の責任者を務めましたが、その間「はなまる」は現場からのアイデアを吸い上げて毎月更新されていました。
マニュアルが静的なものになってしまう最大の要因は、更新する手間にあります。組織のメンバーはただでさえ日々の業務で忙しいもの。「時間が余ったら更新しよう」という程度のコミットメントでは、たちどころにマニュアルは使い物にならなくなってしまいます。
そこでスーモカウンター事業では、3つの仕掛けで「はなまる」が最新化されるようにしていました。
まず1つめは、すべてのメンバーに「イノベーションミッション」を付与したことです。新人、ベテラン、そして雇用形態を問わずすべてのメンバーは、常にカイゼン活動をすることが仕事だと設定したのです。
2つめに、何かカイゼンのアイデアがあれば毎月のナレッジコンテストにエントリーする仕組みを作りました。
ナレッジコンテストとは、業務改善のアイデアをメンバー同士で出し合い、発表する毎月恒例の場です。エントリー項目を極力減らし、簡単にアイデアをエントリーできるよう工夫しました。
さらに、ナレッジコンテストにエントリーすると少額のインセンティブを付与するようにしました。これが3つめの仕掛けです。
私が責任者を務めていた当時は、スーモカウンター事業の従業員は300人強でした。そしてナレッジコンテストに出されるアイデアは毎月500件前後。年間で5000件以上にもなります。砂場で高い山をつくろうとすればすそ野を広くしなければならないように、良いアイデアを見つけるにはできるだけ多くのアイデアを集める必要があります(私はこれを「砂場の山理論」と呼んでいます)。
たくさんのアイデアが出てくると、その中にきらっと光る素晴らしいアイデアが見つかるものです。実際、毎月500件のアイデアのうち、ピカピカのアイデアが毎回数件は含まれているものです。
そんな素晴らしいアイデアは「フロー賞(全メンバーが行動を変えるに値するアイデアに贈られる賞)」として表彰するほか、必要なメンバーがシーンに応じて活用できそうなアイデアには「オプション賞」を授与。これが数百個ほどにもなります。と同時に、こうして得られたアイデアの数々を「はなまる」に反映させる、という作業を繰り返しました。
それだけではありません。当時のスーモカウンターは組織が拡大していたので、毎月メンバーが増えていました。その新メンバーにもミッションを課していました。
新メンバーは、多くの拠点を訪問しながら業務を習得するという育成方式だったので、各拠点の先輩メンバーと接する機会があります。先輩メンバーが実践している行動などで「はなまる」に記載されていない良い内容は、他薦でのエントリーも可能にしたのです。
これらの促進策が功を奏したこともあって、「はなまる」は毎月更新され、現場で実際に活用され続けていきました。スーモカウンターの場合も上述のコープさっぽろの事例と同様、現場での発信が起点となってマニュアルが更新され、自律自転する組織づくりに寄与していました。
現場が主導して更新されたマニュアルですから、そこには成果が出るヒントが詰まっています。成果が出るのに使わない理由はありません。静的なマニュアルは「更新されない」というだけでなく「現場で活用されない、顧みられない」ものですが、これに対して完成しないマニュアルは現場主導で更新され、徹底的に活用されるというわけです。
ザ・リッツ・カールトンが顧客の期待を上回り続ける理由
先日、ザ・リッツ・カールトンの方のお話を伺う機会がありました。同社は、地域を超えて顧客情報を共有し、顧客の期待を超える高いサービスレベルを実現していることでよく知られています。
ザ・リッツ・カールトンのサービスに感銘を受けた顧客は、期待をどんどん高まらせていきます。そのプレッシャーはないのか?と質問をしたところ、
「その顧客からの高い期待が、我々のサービスレベルをさらに向上させるのです」
との回答でした。
まさに完成しないサービス、進化し続けるサービス。ラグジュアリーサービスであってもコンセプトは同じだと感じました。
良い(完成しない)マニュアルがあれば、採用や異動で新しく入ってきたメンバーが短期のうちに強力な戦力として育ちます。そして、現場の声を活かしてマニュアルを作ることそのものが人材育成にもなるのです。ということは、マニュアルを悪く言う人の大半は、良いマニュアルで働いたことがないということなのかもしれません。
ぜひみなさんの会社でも「完成しないマニュアル」を作成し、自律自転する組織づくりに役立ててみてください。
中尾隆一郎:中尾マネジメント研究所代表取締役社長。1989年大阪大学大学院工学研究科修了。リクルート入社。リクルート住まいカンパニー執行役員(事業開発担当)、リクルートテクノロジーズ社長、リクルートワークス研究所副所長などを経て、2019年より現職。「旅工房」、「LIFULL」、「ZUU」社外取締役、「LiNKX」非常勤監査役も兼任。新著に『リーダーが変われば、チームが変わる』がある。