コペンハーゲンの朝のラッシュ時間帯の様子。子どもの送迎にカーゴバイクを使う人も多く、幅広の自転車専用レーンがしっかりと整備されている。
撮影:井上陽子
デンマークの首都コペンハーゲンに住むようになって感じたことの一つが、生活のしやすさだった。
気持ちよく過ごせる緑の空間や公園が多く、ベビーカーで街中を移動する時もバリアフリーでストレスがない。圧倒されるような高層のビル群がなく、生活者の目線で街がデザインされているように感じる。子どもを乗せたカーゴバイクも縦横に走れる幅広の自転車専用レーンがしっかり整備されていて、車よりも自転車が多いために人の表情が目に映りやすいことも、街に優しい印象を与えるのだろう。
暮らしのさまざまな場面で、人々のニーズや動きがよく考えられた街だなと感じるのだが、それを実現しているのが、デンマークで浸透してきた“人間中心のデザイン”と呼ばれる考え方である。
北欧デザインの美しさという意味にとどまらない「デザインの深い意味」については、改めてしっかり書きたいと思っているが、今回は、その象徴的な存在でもある自転車インフラについて取り上げてみたいと思う。
“東京〜横浜間”を7歳がラクラク自転車走行
ダウンジャケットがようやく手放せるようになった5月の半ば、自転車で走るのが気持ちいい季節になったねと言って、7歳の娘と夫と3人で自転車で出かけることになった。住まいのあるコペンハーゲン中心部から出発したのだが、気づけば3時間半、合計34kmも走っていた。東京駅から横浜駅ほどの距離である。
この間、自転車を降りて押さないと進めないような状況がまったくなく、主要道路沿いの自転車専用レーンや、そこから少し入った緑地帯のサイクルロードを気持ちよく走っている感覚だった。
幹線道路の代替ルートになるようなサイクルロードは、近道としても使えるので、移動は自転車の方が早いと感じることが多い。子どもの足でも30km以上を安全に気持ちよく走れたのは、オランダと並んで世界トップと言われる自転車インフラを象徴しているように思う。
こちらは、主要道路沿いに設けられた自転車専用レーン。分離帯によって車道と自転車レーンが分かれているタイプだ。
撮影:井上陽子
デンマークでは、自動車レーンの両側に、それぞれ一方通行(車と同じ進行方向)の自転車専用レーンを設けるのが基本である。娘は5歳の時から自転車で小学校に通っているが、私と娘がゆっくり並走していても、その横を通り抜けられるくらいの幅(自転車3台分)が一般的である。
車道、自転車レーン、歩道はしっかりと分かれていて、車道よりも一段高くなっているので安心感がある。ちなみに、自転車が歩道を走ると罰金対象(700DKK=約1万5000円)だ。ヘルメット着用は任意ですが。
……と、言葉でいろいろと説明するよりも、私もよく通るこちらの「サイクルスネーク」の動画をご紹介したい。運河を行き交う船を眺めながら、晴れた日には気持ちいい風を感じられる、自転車専用の高架レーンである。水面からの高さは約7メートル。緩やかに蛇行するため、自然とスピードが落ちる設計にもなっている。ちなみに、この動画の先にも橋がかかっているが、こちらも自転車と歩行者専用で車は通れない。
「サイクルスネーク」を自転車で走ると、こんな風景が広がる。
ClassicCopenhagen
コペンハーゲンでは2000年代から、政治的なリーダーシップによって自転車の街づくりが推進されるようになり、10年計画などに沿って自転車インフラを充実させてきた。そこで掲げられているのは、「世界一の自転車の街を作る」という明確な目標である。
自転車で時速約20kmで走っていると、信号で停まらずに進めるよう、信号を自転車優先に調整する「グリーン・ウェーブ」という取り組みもその一つ。通勤ラッシュ時間帯には、自転車の大集団が近づいてくるのを探知し、青信号を延長して集団が進めるように自動調整する交差点もある。
自転車通勤がスムーズになるよう、自転車用の信号(小さい方)が、車よりも少し先に青信号に変わる交差点。
撮影:井上陽子
「自転車スーパーハイウェイ」と呼ばれる計画も、またすごい。郊外からでも短時間で快適に自転車通勤ができるよう、約30の自治体が協力し、30年以上をかけて総計850km以上の自転車専用高速道路を整備する計画である。直線にすれば、東京−広島間以上という距離だ。
自転車スーパーハイウェイは、2012年に最初のルートが開通して以来、着々とルートを延ばし、2023年は240km超まで整備が進むそうだ。ハイウェイと言ってももちろん料金を払う必要はなく、利用者の走行距離は平均で13km。ちなみに、東京駅ー新宿駅間は約6.7kmで、その倍近い距離である。
出典:Supercykelstierのデータをもとに編集部作成。
このオレンジ色の「C」マークが自転車高速道路の印。このCマークをたどっていると、首都中心部までスムーズに通勤できるようになっている。
撮影:井上陽子
街中の自転車インフラも充実している。電車には自転車を乗せられる車両があるし、交差点では、赤信号が変わるのを自転車に乗ったまま待てるフットレストも設置してあって、自転車ウェルカムな雰囲気を醸し出している。
電車には、自転車を置いておける車両がある。
撮影:井上陽子
交差点でよく見かける、自転車ユーザーのためのフットレスト。
撮影:井上陽子
駐輪も簡単だ。道沿いに自転車置き場のラックが設けられているし、なかったとしても、適当な木陰に停めたりしている。おかげで、外出先の駐輪場所を心配せず気軽に出かけられる。
ちなみに、デンマークの駐輪場はどこでも無料。これも、駐輪ルールが厳格で、外出のハードルとなりがちな日本との大きな違いのように感じる。
出かけた先で気軽に駐輪できるラックも、街中によく設置されている。
撮影:井上陽子
山がない平らな国だし、自転車には好条件な場所だとは思う。それにしたって、いかにこれだけの自転車インフラを作り上げてきたのだろうか。それを学ぼうと、年に一度、世界の自転車政策担当者らがはるばるこの北欧の小国までやってくる1週間の講習会があると聞いて、ぜひ取材させてほしいとお願いしてみた。
運営するのは、サイクリング関連の団体や自治体、企業でつくる「デンマークサイクリング大使館」。コース開催は2023年が8回目で、今回は南米やアジア、欧州の10カ国から計21人が参加するという。
ただ、自転車が歩道や車道を走らざるを得ない日本のような状況を思い浮かべると、これほど自転車インフラが整ったデンマークにちょっと来てみたところで、ため息をついて終わりじゃないのかな、とも思ってしまう。
それに、デンマークには日本と違って自動車産業がなかったことも、自転車優先の街づくりができた背景要因として大きい気もする。そんな風にお国事情が違うなかで、みなさん、いったい何を学んで帰るのだろうか?
そんな疑問を持ちつつ取材を始めたのだが、座学とともに、実際に街を自転車で走りながら自転車インフラを体感した参加者たちはずいぶんと刺激を受けたようで、それぞれの国で頑張ろうと励まし合って帰国したのだった。その講習会の様子をご紹介しつつ、自転車インフラを充実させてきた“デザインマインド”について書いてみたい。
インフラの充実でついに自転車が車を逆転
コペンハーゲンに初めて自転車レーンが設置されたのは、1892年にさかのぼる。自転車は市民の足として定着し、1950年代にピークを迎えるまで、最もメジャーな交通手段として普及していったという。
1910年ごろにコペンハーゲンで撮影された自転車レーン。
出典:コペンハーゲン市
1960年代に入ると、他の先進国と同様にマイカーブームで自動車が急増。1970年代には、市中心部に入ってくる車の数が、自転車の3倍にまで膨れ上がった。だが、ここでデンマークは他国との分岐点を迎える。きっかけの一つがオイルショックだった。
当時のデンマークは、西側諸国の中でも石油資源比率がかなり高く、深刻なエネルギー危機に直面した。そこで見直されたのが、自転車の価値である。
さらに1970年代の後半からは、車中心の都市開発に反発した人々が、自転車のベルを鳴らしながら大規模なデモを行うなど、「公共スペースを車から取り戻そう」という機運が高まった。こうした市民運動も、後に政治家が自転車インフラに大きく投資していく下地となった。
今でこそ、世界の「最も住みやすい街ランキング」では上位の常連(2023年は2位)となっているコペンハーゲンだが、1990年代前半までは財政破綻も取り沙汰されるような工業都市で、運河も汚く、今のように人々が泳げるような水質ではなかった。
「大きな変化が起きたのは、2000年代に入り、コペンハーゲンを住みやすい街に変えるという政治的な重点が置かれるようになってからでした。自転車インフラが強化されていったのも、住みやすい街づくりの一環だったんです」
そう説明するのは、「デンマークサイクリング大使館」の代表を務めるマリアンネ・ヴァインガイ氏である。
デンマークの自転車文化とインフラ作りのノウハウを伝えている「デンマークサイクリング大使館」代表のヴァインガイ氏。
撮影:井上陽子
コペンハーゲン市は2001年、都市計画の中で自転車を優先づける初めての10年計画を策定。その後も計画を更新しながら、自転車優先の街づくりに注力してきた。こうした努力の結果、自動車の利用者が減る一方で自転車は増え続け、2016年には、市中心部に入ってくる自転車の数が、車の数を逆転したのである。
1970年代には車が自転車の3倍あったが、自転車優先の街づくりを進めた結果、2016年に自転車が車を逆転した。
出典:コペンハーゲン市のデータをもとに編集部作成。
今や、デンマーク人の10人に9人が自転車を持っており、会社社長や国会議員も自転車通勤、というのはよく聞く話だ。ヴァインガイ氏は、ここまで自転車が社会に浸透した理由は、デンマーク人に何か特別なところがあるからではない、強調する。
「それは、自転車を使うのが最も理にかなった移動手段になるよう、都市を設計してきた結果なんです。自転車を使うのが一番簡単で早く、安全で、駐輪も楽だからなんです」
「都市は、計画したものしか手に入らない」
コペンハーゲン市議会議員のヨナス・イェンセン氏も、この充実した自転車インフラは意思によって作られてきた、と強調する。「デンマークは土地が平坦だから自転車が増えた、と言う人には、冬に来てみたら?と言います。まったく自転車向きの天気じゃないから」。そして、こう続ける。
「都市というものは、計画したものしか手に入らない。自転車のための都市計画をつくれば、自転車が増える。車のために計画するなら、車が増える。コペンハーゲンに自転車が増えたのは偶然ではないし、一夜にして起きたことでもないんです」
市庁舎でイェンセン氏から講義を受ける参加者。
撮影:井上陽子
車よりも自転車優先の街をつくるということは、自動車レーンを削ったり、駐車スペースを撤去したりと、限られた公共スペースを車ユーザーから奪うことでもある。当然ながら、自動車ユーザーからは反発が起きる。
経済的に豊かになれば、快適で便利なマイカーを求める人が増えるのは、他の先進国と同じである。環境意識の高いデンマーク人でも購入への抵抗が少ない「電気自動車」という新たな“敵”も登場している。それゆえに、“公共スペースをめぐる戦い”はますます激しくなっており、市議会でも最も激しく議論が交わされるテーマなのだそうだ。
自転車は車ほど公共スペースを奪わないし、環境や健康にもいい。車を買うお金がない若い世代を含めて、あらゆる人に移動の自由を与える、という社会的な意味もある。だから、ほとんどの人は自転車優先の街づくりは正しい選択肢だと分かっていても、車の所有者と比べると、その声は小さい。だからそれを、政治や行政が代弁する必要があるのだ——そんな声を、今回のコースでは何度も聞いた。
これほど自転車インフラが整っているデンマークでも、自転車利用者の減少に頭を悩ませているというのも、何人もの講師が指摘した意外な点だった。デンマークの自転車利用を促進する団体は、企業や自治体の支援を受けて、職場の10〜16人がチームとなって自転車の通勤距離などに応じてポイントを競い合うキャンペーンを、毎年5月に実施している。優勝景品は、チーム全員分の電動自転車だそうだ。
このほか、普及活動の一環として幼稚園でのサイクリングゲームのキャンペーンも行っている。デンマークの子どもたちは、3歳前後で両足で蹴るタイプのキックバイクに乗り始め、4歳くらいで普通の自転車に乗り始める。娘が二輪の自転車に乗り始めたのも、4歳の誕生日直後だった。ちなみに、日本でよくある三輪車は、デンマークではほとんど見かけない。
幼稚園で行っているサイクリングゲーム。太鼓が鳴っている間は自転車で動き、音が止まったら前輪を輪っかに入れることで、自転車に慣れていく。
撮影:井上陽子
今回の講習会では、参加者が自国の自転車政策の課題を発表する機会もあったのだが、正直言って、そこからですか……と唸ってしまう状況も耳にした。
南米からの参加者は、自転車は貧しさの象徴とされていて敬遠されるだとか、緑地帯に自転車ルートをつくったりしたら暗くて強盗に襲われかねず、女性や子どもには無理、などと言っていた。また、せっかくプランをつくっても、政権交代が起こるとそれまでの計画もひっくり返される、と説明する参加者もいた。
だからこそ、デンマークでも、現在進行形の問題として自転車の課題に向き合っているのだという説明に、かえって勇気づけられたようである。
デンマークの自転車インフラが使いやすい理由
今回の講習会では、参加者が持ち帰れそうな具体的なノウハウも伝授されていた。
例えば、デンマーク第二の都市・オーフス市の元職員で、コンサルタントとして自治体の自転車インフラ向上に取り組んでいる交通工学の専門家のパブロ・セリス氏が示したのが、こんなチャートである。車の交通量とスピードによって、どんな自転車レーンが必要になるのかが一目で分かるようになっている。
車のスピードと交通量に応じて、どういった自転車レーンが望ましいかが一覧できる表。車のスピードが速く、交通量も多い場所では、自転車専用レーンと車両レーンの間に境界エリアを挟むことを推奨している。
出典:パブロ・セリス氏
デンマークでも、大都市以外ではまだ自転車インフラはそれほど整っていないといい、これを目安にしてもらうそうだ。デンマークでは、100年にわたる自転車や車のインフラ作りのノウハウを凝縮した道路規制の冊子があり、これに基づいて作成しているという。
また、セリス氏が繰り返していたのが「自転車を降りなくてはいけないとしたら、それはインフラとして良くない」ということ。歩行者が階段で登らなくてはいけないような坂道には、最低でも自転車用のスロープを作ること、と話していた。これを聞いた時に、娘と自転車で回った時にも降りずに済んだのはそういうわけか、と納得。
講義の後、セリス氏に、自転車インフラが使い勝手のいいものになるようよく練られているのは、デザイナーやエンジニアがそういう訓練を受けているからなんでしょうか、と尋ねてみた。セリス氏はそれを否定した後、「多分、デンマーク人が日本人ほど働いていないからだと思うよ」と意外なことを言った。
「デンマーク人には自由な時間がたっぷりあって、子どもや家族と過ごす時間も長いでしょ。だから、日々の暮らしを楽しんだりリラックスするために、緑の空間を求めたり、快適な公共空間を求めるニーズが強いんだと思うよ」
なるほど。デンマーク人の自由時間についてはこの連載でも以前取り上げたが、自転車のインフラ整備についてもやはり、時間がキーワードなのかもしれない。
「デンマークサイクリング大使館」のヴァインガイ氏に聞いた時には、何十年もにわたってサイクリングに適した都市設計をしてきた経験が大きい、と説明してくれた。彼女は、海外に出かけると、これは自転車に乗っていない人が設計したんだろうな、と感じるような設備を見かけることもあるという。デンマークでは多くの人が、日常的に自転車を使っているため、ユーザーとしての経験が設計に生きている、という説明である。
ヴァインガイ氏は、講習会の参加者から「帰国して意思決定者に何か一つだけ伝えるとしたら、何がいいと思うか」と聞かれると、「コペンハーゲンに来て自転車を体感してほしい」と答えるそうだ。そして、あの「サイクルスネーク」を例に挙げながら、こう続けた。
「私、あの橋はもう何度も通ってるんですけど、今でも走るたびに笑みがこぼれるんですよね。運河を最短距離で渡る、という以上の価値があります。自転車には『経験』という価値がある。雨に濡れたり、空気を感じたり、においを嗅いだりするのは、金属で仕切られた自動車とは違うものです」
黄色いベストを着ているのが講習会の参加者。街を自転車で走りながら、充実した自転車インフラを体験した。
撮影:井上陽子
南米・チリからの参加者は、講習会を終えた後「都市というのは計画に呼応して発展していくもの、ということがよく分かった」と話し、こう続けた。
「チリでは、車は経済的な豊かさの象徴とされる文化がありますが、デンマークという非常に豊かな国で、自転車が根付いている。これは、自分が目にした現実として伝えられると思う。デンマークの質の高い生活は、長い時間をかけて実現してきた都市計画の成果だということも」
どんな未来を作りたいかという大きなビジョンを描き、実行に移していくデンマークの「デザイン力」。これが、自転車大国の成り立ちにも見えるのだった。
井上陽子(いのうえ・ようこ):北欧デンマーク在住のジャーナリスト、コミュニケーション・アドバイザー。筑波大学国際関係学類卒、ハーバード大学ケネディ行政大学院修了。読売新聞で国土交通省、環境省などを担当したのち、ワシントン支局特派員。2015年、妊娠を機に首都コペンハーゲンに移住し、現在、デンマーク人の夫と長女、長男の4人暮らし。メディアへの執筆のほか、テレビ出演やイベントでの講演、デンマーク企業のサポートなども行っている。Twitterは @yokoinoue2019 。noteでも発信している(@yokodk)。