「次なる理想を創るもの」というブランドステートメントのもと、当時のシチズン時計が持つ技術を結集して1995年に誕生した腕時計ブランド『The CITIZEN(ザ・シチズン)』。
このブランドの文字板に採用されているのが、世界一薄いと言われる和紙『土佐典具帖紙(とさてんぐじょうし)』だ。
その厚さはわずか0.02mm。繊細な日本の伝統工芸と、シチズン時計の技術はどのように融合していったのか。
ひだか和紙(高知県)代表の鎮西寛旨氏と、シチズン時計で文字板の要素開発を担う佐藤真司氏に、開発秘話やものづくりへの思いを聞いた。
光で発電する『エコ・ドライブ』と和紙の必然的な出会い
伝統工芸にとどまらない挑戦を続ける、ひだか和紙 代表の鎮西寛旨(ちんぜい・ひろよし)氏[左]と、シチズン時計の佐藤真司(さとう・しんじ)氏[右]。高知空港から車で1時間弱ほどの山あいにある、ひだか和紙の工場にて。
もともとThe CITIZENは、シチズン時計の「市民に愛され、市民に貢献する」という企業理念を体現するプロダクトとして誕生。
「常に先を見据え、理想を追求する」「身に着ける人に永く寄り添う」ことを掲げ、精度、品質、デザイン、ホスピタリティといった4つの軸で腕時計としての本質的な価値を追求し続けている。
そんなThe CITIZEN は、2017年に初めて和紙文字板モデルを発表した。
「腕時計の文字板に和紙」「テクノロジーと伝統工芸品」という、一見相反する組み合わせに驚く人も多いだろう。
The CITIZENの和紙文字板モデル。
実はアイデアのきっかけは、1976年に開発されたシチズン時計独自の技術、光発電『エコ・ドライブ』だった。
『エコ・ドライブ』とは、太陽光や室内のわずかな光を電気に換えて時計を動かし、余った電気を二次電池に蓄える、先鋭的な光発電技術だ。
以前から、The CITIZENで「高級感のある真っ白な文字板を作りたい」「伝統工芸品を使った文字板を実現したい」といった社内の声はあった。
しかしThe CITIZENに搭載している『エコ・ドライブ』を稼働させるには、文字板の裏にあるソーラーセルに光を届ける必要があり、文字板は定められた光の透過率をクリアする素材であることが必須だったという。
「開発チーム内では、限られた条件の中で、どんな素材が良いのか長年議論を重ねてきました。
その中で、落ち着いた存在感と品があり丈夫で、光を透過する素材である『和紙』に白羽の矢が立ったのです。
また、私たちは日本のものづくりメーカーですから、日本の伝統工芸の技法を取り入れたいという思いも持っていました。
和紙はその透過性から『エコ・ドライブ』との相性がよく、時計に対して情緒的な価値を吹き込む素材としても十分だという結論に至ったのです」(佐藤氏)
最初は「なんの冗談だろう」と思った
高知県日高村にあるひだか和紙の工場。緑に囲まれ、鳥のさえずりや水の流れる音が聞こえる。
佐藤氏ら開発チームは、日本各地の和紙の中から、腕時計の文字板に採用できそうな和紙とその生産者を探すことからスタートした。
そして今から約5年前のこと、高知県の紙産業技術センターの紹介で、佐藤氏は土佐典具帖紙を生産するひだか和紙の存在を知ることになる。
ひだか和紙の工場内。
ひだか和紙の鎮西氏は、腕時計の文字板に土佐典具帖紙を取り入れたいと聞いた当時を思い出してこう話す。
「最初は『一体、なんの冗談だろう』と思いました。
ひだか和紙は1945年に創業して、特に最近では企業や施設などとコラボレーションすることもありますが、腕時計の文字板は前例がありません。
しかし佐藤さんから直接、土佐典具帖紙を使いたい理由を熱く説明され『この人は本気だ』と。
私たちとしても、伝統は“守る”だけでは衰退してしまう。邪道だと言われること、新しいことをやっていこうというスタイルで日頃から取り組んでいたので、まずはやってみようと思いました」(鎮西氏)
ルーブルやメトロポリタン美術館でも採用されている和紙
後ろにあるものがはっきりと透けるほど薄い。
土佐典具帖紙は、数ある和紙のなかでもひときわ薄く、厚さは0.02mm。
通常、和紙は繊維をミキサーにかけた後に網に乗せ、漉いていく。
しかし土佐典具帖紙は、ミキサーにかけた後に洗って微細繊維を流すことで薄さを実現している。太くて長い繊維だけが残り、透明感の強い、蜘蛛の網のような紙に仕上がるのだ。
土佐典具帖紙に着目した理由について、佐藤氏はこう明かす。
「腕時計の構造的に、文字板に使う素材はできる限り薄い方が望ましいんです。
土佐典具帖紙は薄くて強い上に、一般的な和紙よりも繊維同士の間に隙間があります。そのため、和紙を染色、加飾する場合も、透過率を維持しやすい。
土佐典具帖紙であれば、『エコ・ドライブ』の透過率基準を守りつつさまざまな展開もできると考えたのです。
これまで、土佐典具帖紙を使って藍染を施したモデルや金・プラチナ箔のモデルなどいくつかの挑戦をしてきましたが、これらはおそらく他の和紙では実現できなかったことでしょう」(佐藤氏)
その薄さから、文化財や古文書の修復にも採用されている。
「さらに、ひだか和紙さんの土佐典具帖紙は、ルーブル美術館や大英美術館、メトロポリタン美術館など、世界的に有名な美術館の文化財や古文書の保存修復にも使われています。
世界で認められている、日本の技術。コラボレーションできたことを誇りに思います」(佐藤氏)
手作業とオリジナルの機械で作り上げていく
和紙の原材料、楮(こうぞ)。楮の良し悪しで和紙の出来栄えが変わる。
楮を大きな釜で煮る。楮の状態や加工する季節、時間帯によって調整しながら進めていく。
熟成期間を経た後、近くの川からの流水を使って水洗・ちり取り作業を行う。木々が擦れ合って出来た傷などを取り除く。全て手作業で行われ、きれいになるまで時には数日間かけて丁寧に行っていく。
すりつぶした状態。土佐の楮は繊維が長く、絡みやすいため薄くて丈夫な和紙ができる。このあと、いよいよ和紙の原科溶液をつくる。
実際の製作時、佐藤氏はひだか和紙の工場を訪ね、一緒にものづくりを行った。
試作日には一日中工場での作業に同席し、少しずつ材料を変えたものを製作してもらい、数カ月をかけてThe CITIZENの土佐典具帖紙文字板モデルを作っていった。
「すでにひだか和紙さんのラインナップとしてあった土佐典具帖紙をメインに使用しつつ、金色の繊維を混ぜ込んだ和紙や、筋を大きくした雲のような柄の入った雲竜(うんりゅう)紙も作っていただきました。
また和紙の仕上がりを見ながら、風合いを調整したいなどの細かい要望にも応えていただいたんです」(佐藤氏)
ひだか和紙では、厚みや大きさのばらつきを防ぎ、工業製品としての活用可能性が広がるロールの和紙をつくろうと、最終工程にオリジナルの抄紙機を導入している。
いくつかのカラーバリエーションを発表してきたThe CITIZENのラインナップのなかで、佐藤氏の印象に残っているのは、黒和紙を使用した文字板のもの。
時計の文字板として、黒い和紙の繊維の美しさをどう見せながら仕上げていくかには随分苦労したと言う。
「和紙染色時の不安要素として、紫外線や経時による退色・変色がありました。これは染料によって変わってくるのでどうしようもないことではあるのですが、シチズン時計さん独自の技術と工夫で変色を抑えることで、こちらの不安は払拭しました。
やりとりの中でも垣間見える誠実さから、私たちも和紙づくりに集中することができました」(鎮西氏)
実用性だけでなく「持つ楽しみ」のある腕時計に
さまざまなハードルをクリアしながら完成させたThe CITIZENは、使い手にとってどういう存在であってほしいと考えているのだろうか。
「デジタルなモノで溢れている時代、アナログな腕時計はつける必要がないと思う人も多いかもしれません。それでもつけている人がいるということには、アナログ時計にしかない魅力や良さがあるからだと思います。
The CITIZENは、『身に着ける方に永く寄り添う』時計を目指しています。世代を超えて愛される腕時計を作っていきたいですね」(佐藤氏)
もともと包装資材の商社に在籍しており、「共創しながら作り上げることが好き」と話す鎮西氏。OEM が主流になりつつある時代、問屋や商社が在庫を持たない流れが浸透していくなかで、和紙の会社も変わるべきだと感じている。
障子や床の間、和室の数が減少するなか、和紙の価値を伝えていくにはどうすればいいか模索中だ。
「見た目の柔らかさや風合いなど、和紙にしか出せない価値があります。The CITIZENの文字板にもその独特の存在感が表れています。
今後は文化財の保存修復への貢献はもちろん、The CITIZENのような工業製品も含め、さらに人の感性に訴えかけるものづくりに参加していきたいと思っています。
和紙をパーツ、ときには主役として感性に訴えかけるものに昇華してくださる人たちとの取り組みを、これからも深めていきたいと思います」(鎮西氏)
「光を透過させる」という特性や技術が引き寄せた、土佐典具帖紙と『エコ・ドライブ』、そしてThe CITIZENの出会い。
「この取り組みで、シチズン時計のものづくりの可能性がさらに広がった」と確信する佐藤氏。今後も新たな文字板の表現の可能性を追求していきたいと意気込んでいる。
ザ・シチズン 高精度年差±5秒「光発電エコ・ドライブ」「土佐典具帖紙」和紙文字板モデル / ケース・バンド素材 スーパーチタニウム
(画像左から)AQ4091-56E、AQ4091-56A、AQ4091-56L 税込み 各429,000円
The CITIZEN について詳しくはこちら。
時計づくりの工程で欠かすことのできない熟練の「手」にスポットライトを当て、技術や想いを紹介するThe CITIZEN 『Hand to Hand Story 』はこちら。