提供:編集工学研究所
「地球上の生命の歴史は、生命とその環境の歴史である」
—レイチェル・カーソン
去年の春先、ベランダのプランターにパクチーの種を蒔いた。一斉に芽を出した若葉たちはしばらく元気に育ったあと、突然現れた青虫軍団に一気に食い尽くされてしまった。次々に死んでいくパクチーの葉裏で際限なく食欲を発揮する青虫に、なんという先見性のなさだろうと腹が立った。
ここにある葉っぱを食い尽くして植物を全部枯らしたら、自分が成虫になるのに必要な葉もなくなってしまうのに。なぜ一週間後に食べる葉を確保するために、今日食べる葉をあと一枚だけ我慢しないのか。そんな思いは通じず、彼らは生存競争に必死だった。変化に気づいてからほんの数日の間に、プランターからは生命の気配が消えた。
青虫に向けた憤りが、私たち自身に跳ね返ってくる。自分たちの会社が、自分たちの国が、今日の早食い競争に打ち勝つために、私たちは明日を生きる可能性をギリギリと削り続けている。青虫よりもなおタチの悪いことに、私たちは自分と自分が食べるもの以外にも、ありとあらゆる生命や、海や空や、地球そのものをも道連れにして、殺伐とした光景への道を突き進んでいる。
環境はどんな「問題」を抱えているのか
「諸君、われわれの故郷である地球はもうない。あの場所には放射能によごれた住めない星が残っているだけだ。われわれは地球の最後の人類だということを忘れぬように……」
—手塚治虫「緑の果て」(『手塚治虫の森』収録)「これが、私たちの唯一の故郷なのだ」
—アル・ゴア『不都合な真実』
「環境問題」という概念が少なからず人々の関心を集めるようになったのは、ほんの1960年代ごろのこと。1960年にチャールズ・デービッド・キーリングが大気中のCO2濃度の上昇とそれによって地球が温められていることを実証すると、1962年にレイチェル・カーソンが『沈黙の春』を世に放った。その間、1961年にガガーリンが「地球は青かった」と証言した。
地球をひとつの生命体として捉えるというジェームズ・ラヴロックの「ガイア仮説」が議論を巻き起こしたのも1960年代だ。同時期に「宇宙観」も大きく動いた。キューブリックの『2001年宇宙の旅』が上映された1968年の翌年には、アポロ11号が月面に着陸。広大という言葉すら陳腐に思える宇宙空間の中で、自分たちがどれほど奇跡的な惑星の上に存在するのか、誰もが実感できるようになった。
それから60年。行政やビジネス界は「SDGs」の掛け声のもとで重い腰を上げる素振りを見せて、若者活動家たちはそんな煮え切らない大人の態度に業を煮やし、CO2濃度は相変わらず上がり続けて世界中を異常気象が襲っている。
確かに夏は暑すぎるし、線状降水帯はしつこすぎる。何かがおかしくなり始めていることは分かるのだけれど、じゃあ「環境問題」っていったい何が本当の問題なのか。私たちはそれとどう向き合えばいいのか。
改めて考えると混乱するような問いを掲げて、今月も「ほんのれん」編集部の探索の旅が始まった。
オジマ
環境問題って、なぜか「ちょっと大きすぎる問題」っていう気配が漂いますよね。
ニレ編集長
わかる。うちの子も3歳やからさ、この子の未来を考えるとヒトごとじゃないんやけど、でもビニール袋を一枚減らすことが地球の環境まるっとの問題につながるって、ほんまかい?って、感じちゃうやんな。
オジマ
ニレさん、ちゃんとエコバッグ使ってるし、自転車通勤だから通勤のCO2排出もゼロですけどね。ただ、エコバッグも自転車通勤も何かに貢献はしてそうだけど、いまいち部分と全体がつながらないというか……。
ニレ
そうそう、これが環境問題対策になってるって思うこと自体、現実逃避ちゃうのって思えなくもないんよな。
ヤマモト
あの〜、今回いろんな本を見ていて思ったんですけどね、私が10代のころに学校で習った「環境問題」と最近の「人新世」の話で、ひとつ大きな違いがあるなって。
ニレ
え、なんでそんな急に稲川淳二みたいな空気出してくるん。
ヤマモト
これ、冗談抜きでほんとに怖い話なんですけど、最近の環境問題まわりの本を読んでると、けっこうな頻度で「絶滅」っていう言葉が出てくるんです……人間の。
ニレ
…………。
「人新世」の大量絶滅
「人類絶滅の可能性は、ますます議論にのぼるようになっている。誰かが寂しく思ってくれるだろうか」
—ギスリ・パルソン『図説 人新世——環境破壊と気候変動の人類史』
地球の生命史には、ビッグ・ファイブと呼ばれる5度の大量絶滅があった。1度目は4億4500万年前のオルドビス紀末のもので、海洋無脊椎動物の3分の2が絶滅した。5度目は、小惑星の激突で恐竜や翼竜が姿を消した、例のよく知られた事件だ。そしていま現在がまさに、6度目の大量絶滅期に当たるのではないかという声が書店に並ぶ本たちからも頻繁に聞かれるようになってきた。
どのように地球が人新世に至ったかを概観できる『図説 人新世』と、人新世の先を大胆に仮説する『ノヴァセン』。
撮影:編集工学研究所
いまこの瞬間がビッグ・シックスの中の一地点なのかどうかの最終判定は、未来の誰かに委ねられる。もちろん、そのころにまだ人間が生存していれば、だけれど。確かなことは、その命運を(部分的にだとしても)握っているのは、今生きる人類、つまり私たちだということだ。
「人新世(アントロポセン)」という語は、地質年代のための新しい用語だ。「人」を意味する「Anthropo」と地質年代の「世」を表す接尾語「cene」を組み合わせた造語で、2000年の国際会議でパウル・クルッツェンが使い、浸透した。人間の活動痕跡が地球に刻みつけられ、それが地球システム全体の機能に影響を与えていることを表す。
「もしあなたが、アントロポセンが真の新たな時代だという証拠をもっと必要としているならば、まずは周りの風景を見回してみてほしい」
ージェームズ・ラヴロック『ノヴァセン』
速すぎる変化
人新世を特徴づけるのは、変化の速度だ。人新世がいつから始まったかについては主張が分かれるが、最も主流なのは18世紀の産業革命からという見方だ。この時期に、人類は石炭を燃やして蒸気機関を動かす技術を手に入れ、化石燃料の大規模な採掘と利用が始まった。これ以降、大気中のCO2は指数関数的に増加してきた。
1712年にトーマス・ニューコメンが蒸気機関の実用化に成功してから、たった300年の間に、地球の平均気温は1℃上昇した。1℃というと小さな変化に見えるかもしれないが、氷河期の地球平均気温は、今より3〜5℃低かったにすぎない。前回、地球上で気候が大きく変わったのは最終氷期が終わって平均気温が4℃上昇したときだったけれど、その変化には6000年かかった(『世界の天変地異』マッティン・ヘードベリ著/ヘレンハルメ美穂訳)。いまは300年間で1℃上昇して、変化はさらに加速している。
『世界の天変地異』は「本当にあった気象現象」を写真で伝える。百聞は一見にしかず、地球で起こっている現実を実感する一冊。
2015年のパリ協定では、2100年までに気温上昇を産業革命前に比べて1.5℃に抑える努力をすると各国が同意した。2023年に発表された世界気象機関の最新の報告では、このままでは66%の確率で2027年までに気温上昇が1.5℃を超えるという。
気候変動に6000年かかれば、一定数の生物は進化の力で変化に適応することができる。しかしたったの数百年間では、遺伝子レベルでの適応は追いつかず、多くの生き物は地球生命史からの退場を迫られる。
生物を絶滅に追いやっているのは、気候変動だけではない。人間による乱獲や森林破壊や海洋汚染によって、すでに姿を消した種は数えきれない。生態系の一端が崩れることは、めぐりめぐって地球システム全体に影響を及ぼす。
「変化はあまりにも速く、20年後には気候の新たな時代が始まっているかもしれず、さらにその50年後にはその次の時代が始まっているかもしれないのだ。自然はいったい、どの状態に適応すればいいというのだろう」
—マッティン・ヘードベリ『世界の天変地異』
恐怖を受け入れ、畏怖を取り戻す
アイスランドの人類学者ギスリ・パルソンは、現代に生きる私たちにとって何よりも重要なのは「人新世の『広大無辺の恐怖』を受け入れること」ではないかと言う。自分たちの安全や生存に関わる事態が、巨大なスケールで急速に進行している。その恐怖を誤魔化さずに直視することが、まずははじめの一歩になる。
この数百年間、私たちが経済や目先の悦楽を優先させて環境を破壊してきた背景には、自然に対する畏怖の喪失が少なからず影響している。17世紀から18世紀にかけての近代科学の萌芽は、それまで自然が秘めてきた真理を人間が暴き、今度は自然の力を人間が利用する番だという意識を生んだ。産業革命前夜のことだ。西欧社会で生まれたこの変化は、やがてグローバリゼーションの波に乗って世界各地に広まっていった。
「自然を実験にかけ、口を割らせるのだ。人間の策術、すなわちテクノロジーがはじめて哲学のなかに組み入れられたとき、それは『自然の拷問台としての実験』という思想を生んだ」
—モリス・バーマン『デカルトからベイトソンへ』
近代科学の傲慢さに目を覆われる以前には、人々は自分たちを取り巻く自然環境に畏怖をもって接してきた。そこには多様な想像力や物語が蠢いてもいた。『手塚治虫の森』(手塚治虫著)に収められた漫画には、人と森との複雑で繊細な関係性が描かれている。森の中には妖精や女神や物怪が潜み、森こそが、文字通り森羅万象の源だった。それらへの敬意を忘れて身勝手に森を切り開く人間には、悲劇が待ち受けている。
物語の力で森の奥深さに迫る『手塚治虫の森』と、科学的アプローチで植物の知性を明らかにする『プランタ・サピエンス』。どちらに好奇心がうずきますか?
印象的なのは、「熟れた星」という小編だ。ある男が女神から、地球ではやがて神に刈り取られるために生命が育てられていると聞かされる。このお告げを信じて「そのとき」に備え続けた男は、50年後に再び神の声を聞く。その声は、しかし、この星は熟れすぎて腐っているから刈り取りはやめる、と告げた。男の家の外では、きのこ雲が空を覆っている……。
私たちが排出するCO2を吸収しているのが、森であり、植物たちだ。彼らの存在なしに私たちが生きられないことには、はるか昔の人々のほうがよく気づいていたのかもしれない。長らく観念的に捉えられてきた「グリーンの正体」に、科学的なアプローチで迫る研究も近年では盛んだ。
『プランタ・サピエンス』(パコ・カルボ、ナタリー・ローレンス著/山田美明訳)は徹底的な観察と分析で、植物の知性に迫る。未来を予測し、情報を統合して行動を選択することを「知性」と呼ぶのであれば、その力は動物だけでなく植物にも備わっている。ただその行動速度が動物よりもゆっくりだから、私たちが気づきづらいだけなのだ。植物が持つ力をより正確に理解すれば、世界の見方も、環境問題との向き合い方も、きっと変わる。
ビジネスは役割を担えるか
人新世の環境問題が産業革命に起因し、経済活動によって加速してきたのだとしたら、やはりビジネスや経済の観点からのてこ入れは必須だろう。SDGsがもてはやされてグリーン投資やESG投資に関心が集まっているけれど、この動きは気候変動の速度に見合っているのか。
『GREEN BUSINESS——環境をよくして稼ぐ。その発想とスキル』は、環境問題対策に取り組みつつ儲けるビジネスのパターンを多数紹介する。例えば、再生可能エネルギーの活用を促進してCO2排出量削減に貢献するビジネス。省資源型のビジネスモデルや廃棄物の再生活用法を開発して廃プラスチックなどのゴミ問題を解決するビジネス。生態系を守りながら行う農業・漁業のように生物多様性と持続可能な循環に資するビジネス。できることは多い。それが「環境をよくしているように見える」だけでなく、「環境悪化のペースダウンに寄与している」かどうかを見極めることが鍵になりそうだ。
現代の環境ビジネスを考える『GREEN BUSINESS』と、江戸の環境経済を省みる『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか』。
近代以前の社会から学べることもあるだろう。例えば、江戸時代の日本では「土」をめぐって、世界でも類を見ない循環社会が成り立っていた。要するに「ウンコ」をちゃんと土に戻していたのだ。農業技術が発達した江戸では、人間の糞尿を肥料として活用した。この肥料が商品として重宝されたことで、経済も回っていた。一時は「下肥(しもごえ)」の市場規模が8〜12億円にものぼったという(ただし、ニオイ問題はなかなか深刻だった様子だ)。
湯澤規子は『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか』の中で、この洗練された循環が近代の工業化と都市化によって崩壊したと見る。都市と農村が分離し、食物の消費と生産が分断されたことで、人間の排泄物は土に還すものではなく廃棄物として処理すべきものとなった。都市の人口集中が生む排泄物量が、周辺農村の受容能力を上回ったことも影響した。このとき、土と人間との関係性も分断されてしまったのだろう。
地球環境の中で生きている
先月の「ほんのれん旬感本考」では、「場」と私たちの関係を考えた。哲学者の中村雄二郎は「近代というのは、主語とか主体とかいうのを強調しすぎた。実際には主体というのは、場所がなければ成り立たないのに、場所がなくてもいいような錯覚をした」と言った。
私たちを取り巻く「場」の最も大きな単位が、地球環境だろう(言うまでもなく、桁違いに大きな単位が宇宙空間だ)。私たちはこの大きな「場」の生態系の中に存在しているのであって、そこから切り離されては存在できない。常に惑星の状態の中で影響を受け、そして私たち自身も惑星に影響を与えながら生きている。このことを恐怖や畏怖や喜びをもって感じることができれば、「環境問題」の見え方も変わってくるのではないか。
「わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない『センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性』を授けてほしいとたのむでしょう」
—レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』
地球という惑星と、私たち個人個人。その間にあるはずのつながりや関係を、見えづらくしているものがある。それは科学や政治や未来に対する、不信と信頼が入り混じった不思議で複雑な感情だ。この心理は、科学技術に依存しながら同時にそれによって生存の危機に瀕してもいるという、もどかしい板挟み状態から生じているのだろう。
問題を問題視するかどうかを迷っていられるうちは、まだ幸運だ。危機がもう少し進めば、今のように二の足を踏んでいることすら許されなくなる。
だからこそ、完全に手遅れになってしまう前に、「私」と「地球」という部分と全体を行き来する想像力を取り戻したい。レイチェル・カーソンの言うように、それはきっと誰もが一度は手にしていた力なのだから。
【付録】「環境問題、なにがモンダイ?」を考える書籍リスト
そもそもを問う
地球ってどんな星?
- 『地球』加古 里子 (著, イラスト)/福音館書店/1975
- 『宇宙船地球号 操縦マニュアル』バックミンスター・フラー (著), 芹沢 高志 (訳)/筑摩書房/2000
- 『世界がもし100人の村だったら』池田 香代子 (再話), C. ダグラス・ラミス (対訳)/マガジンハウス/2001
環境の変化は当たり前?
- 『ありえない138億年史』ウォルター・アルバレス (著), 山田美明 (訳)/光文社/2018
- 『超圧縮 地球生物全史』ヘンリー・ジー (著), 竹内 薫 (訳)/ダイヤモンド社/2022
- 『気候の文化史 ―氷期から地球温暖化まで』ヴォルフガング・ベーリンガー (著), 松岡 尚子 (訳), 小関 節子 (訳), 柳沢 ゆりえ (訳), 河辺 暁子 (訳), 杉村 園子 (訳)/丸善プラネット/2014
視野を広げる
「循環」の仕組みって?
- 『家は生態系 ―あなたは20万種の生き物と暮らしている』ロブ・ダン (著), 今西康子 (訳)/白揚社/2021
- 『土と内臓―微生物がつくる世界』デイビッド・モントゴメリー (著), アン・ビクレー (著), 片岡 夏実 (訳)/築地書館/2016
- 『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか ―人糞地理学ことはじめ』湯澤 規子 (著)/筑摩書房/2020
植物の目から見ると?
- 『木々は歌う——植物・微生物・人の関係性で解く森の生態学』D.G.ハスケル (著), 屋代 通子 (訳)/築地書館/2019
- 『プランタ・サピエンス 知的生命体としての植物』パコ・カルボ (著), ナタリー・ローレンス (著), 山田 美明 (訳)/KADOKAWA/2023
生態系を支えるものは?
- 『セレンゲティ・ルール——生命はいかに調節されるか』ショーン・B. キャロル (著), 高橋 洋 (訳)/紀伊國屋書店/2017
- 『絶滅動物物語』うすくら ふみ (著), 今泉 忠明 (監修)/小学館/2022
- 『美しい電子顕微鏡写真と構造図で見るウイルス図鑑101』マリリン・J・ルーシンク (著), 布施 晃 (監修), 北川 玲 (訳)/創元社/2018
今を見つめる
人新世の行先は?
- 『地球に住めなくなる日 「気候崩壊」の避けられない真実』デイビッド・ウォレス・ウェルズ (著), 藤井 留美 (訳)/NHK出版/2020
- 『世界の天変地異 本当にあった気象現象』マッティン・ヘードベリ (著), ナショナル ジオグラフィック (編集), ヘレンハルメ 美穂 (訳)/日経ナショナル ジオグラフィック/2021
- 『図説 人新世 環境破壊と気候変動の人類史』ギスリ・パルソン (著), 長谷川 眞理子 (監修), 梅田 智世 (訳)/東京書籍/2021
- 『人新世とは何か―〈地球と人類の時代〉の思想史』クリストフ・ボヌイユ (著), ジャン=バティスト・フレソズ (著), 野坂しおり (訳)/青土社/2018
「危機」って、ホント?
- 『ヒトという種の未来について生物界の法則が教えてくれること』ロブ・ダン (著), 今西 康子 (訳)/白揚社/2023
- 『環境再興史 よみがえる日本の自然』石 弘之 (著)/KADOKAWA/2019
歴史をふりかえる
環境問題のはじまりは?
- 『沈黙の春』レイチェル・カーソン (著), 青樹 簗一 (訳)/新潮社/1974
- 『宮沢賢治 雨ニモマケズという祈り』重松 清 (著), 小松 健一 (著), 澤口 たまみ (著)/新潮社/2011
- 『森の生活 上 ウォールデン』H.D. ソロー (著), 飯田 実 (訳)/岩波書店/1995
- 『苦界・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神 』田中 優子 (著)/集英社/2020
先達に学ぶ
古来、人は自然とどう向き合ってきた?
- 『モノも石も死者も生きている世界のたみから人類学者が教わったこと』奥野 克巳 (著)/亜紀書房/2020
- 『森の思想』南方 熊楠 (著), 中沢 新一 (編集)/河出書房新社/2015
- 『手塚治虫の森』手塚 治虫 (著), 手塚プロダクション (著)/山と渓谷社/2021
経済から考える
資本主義が環境を悪化させた?
- 『人新世の資本論』斎藤 幸平 (著)/集英社/2020
- 『脱成長』セルジュ・ラトゥーシュ (著), 中野 佳裕 (訳)/白水社/2020
- 『世界からバナナがなくなるまえに 食糧危機に立ち向かう科学者たち』ロブ・ダン (著), 高橋 洋 (訳)/青土社/2017
環境モンダイで儲けるってアリ?
- 『グリーン・ジャイアント 脱炭素ビジネスが世界経済を動かす』森川 潤 (著)/文藝春秋/2021
- 『エネルギーをめぐる旅―文明の歴史と私たちの未来』古舘 恒介 (著)/英治出版/2021
- 『GREEN BUSINESS 環境をよくして稼ぐ。その発想とスキル。慶應義塾大学 熱血講義 「環境ビジネスデザイン論」再現版』吉高 まり (著), 小林 光 (著)/木楽舎/2021
未来を探索する
マンガやSFが描く地球の未来は?
- 『風の谷のナウシカ』アニメージュコミックス ワイド判 全7巻 宮崎 駿 (著)/徳間書店/1983-1994
- 『火の鳥 全12巻セット 化粧箱入り』手塚治虫 (著)/朝日新聞出版/2020
人類は生き残れる?
- 『新しい国境 新しい地政学』クラウス・ドッズ (著), 町田 敦夫 (訳)/東洋経済新報社/2021
- 『人類、宇宙に住む 実現への3つのステップ』ミチオ・カク (著), 斉藤 隆央 (訳)/NHK出版/2019
- 『地球外生命と人類の未来―人新世の宇宙生物学』アダム・フランク (著), 高橋 洋 (訳)/青土社/2019
- 『ノヴァセン 〈超知能〉が地球を更新する』ジェームズ・ラヴロック (著), 藤原 朝子 (訳), 松島 倫明 (訳)/NHK出版/2020
山本春奈:編集工学研究所 エディター。編集工学研究所は、松岡正剛が創始した「編集工学」を携えて幅広い編集に取り組むエディター集団。編集工学を駆使した企業コンサルティングや、本のある空間のプロデュース、イシス編集学校の運営、社会人向けのリベラルアーツ研修Hyper Editing Platform[AIDA]の主催など、様々に活動する。同社のエディターを勤め、問いと本の力で人と場をつなぐ「ほんのれん」のプロジェクトマネジャーおよび編集部員として奔走中。