「人新世の環境問題」が修復不能になる前に。38冊の本が思い起こさせる自然への畏怖、未来への想像力

ほんのれん旬感本考

提供:編集工学研究所

「地球上の生命の歴史は、生命とその環境の歴史である」
—レイチェル・カーソン

去年の春先、ベランダのプランターにパクチーの種を蒔いた。一斉に芽を出した若葉たちはしばらく元気に育ったあと、突然現れた青虫軍団に一気に食い尽くされてしまった。次々に死んでいくパクチーの葉裏で際限なく食欲を発揮する青虫に、なんという先見性のなさだろうと腹が立った。

ここにある葉っぱを食い尽くして植物を全部枯らしたら、自分が成虫になるのに必要な葉もなくなってしまうのに。なぜ一週間後に食べる葉を確保するために、今日食べる葉をあと一枚だけ我慢しないのか。そんな思いは通じず、彼らは生存競争に必死だった。変化に気づいてからほんの数日の間に、プランターからは生命の気配が消えた。

青虫に向けた憤りが、私たち自身に跳ね返ってくる。自分たちの会社が、自分たちの国が、今日の早食い競争に打ち勝つために、私たちは明日を生きる可能性をギリギリと削り続けている。青虫よりもなおタチの悪いことに、私たちは自分と自分が食べるもの以外にも、ありとあらゆる生命や、海や空や、地球そのものをも道連れにして、殺伐とした光景への道を突き進んでいる。

環境はどんな「問題」を抱えているのか

「諸君、われわれの故郷である地球はもうない。あの場所には放射能によごれた住めない星が残っているだけだ。われわれは地球の最後の人類だということを忘れぬように……」
—手塚治虫「緑の果て」(『手塚治虫の森』収録)

「これが、私たちの唯一の故郷なのだ」
—アル・ゴア『不都合な真実』

「環境問題」という概念が少なからず人々の関心を集めるようになったのは、ほんの1960年代ごろのこと。1960年にチャールズ・デービッド・キーリングが大気中のCO2濃度の上昇とそれによって地球が温められていることを実証すると、1962年にレイチェル・カーソンが『沈黙の春』を世に放った。その間、1961年にガガーリンが「地球は青かった」と証言した。

地球をひとつの生命体として捉えるというジェームズ・ラヴロックの「ガイア仮説」が議論を巻き起こしたのも1960年代だ。同時期に「宇宙観」も大きく動いた。キューブリックの『2001年宇宙の旅』が上映された1968年の翌年には、アポロ11号が月面に着陸。広大という言葉すら陳腐に思える宇宙空間の中で、自分たちがどれほど奇跡的な惑星の上に存在するのか、誰もが実感できるようになった。

それから60年。行政やビジネス界は「SDGs」の掛け声のもとで重い腰を上げる素振りを見せて、若者活動家たちはそんな煮え切らない大人の態度に業を煮やし、CO2濃度は相変わらず上がり続けて世界中を異常気象が襲っている。

確かに夏は暑すぎるし、線状降水帯はしつこすぎる。何かがおかしくなり始めていることは分かるのだけれど、じゃあ「環境問題」っていったい何が本当の問題なのか。私たちはそれとどう向き合えばいいのか。

改めて考えると混乱するような問いを掲げて、今月も「ほんのれん」編集部の探索の旅が始まった。

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