アドビ(Adobe)のシャンタヌ・ナラヤン最高経営責任者(CEO)。
Adobe
アドビ(Adobe)社内では、最新の人工知能(AI)テクノロジーが同社の主要顧客層から仕事を奪い、結果としてそれは既存のビジネスモデルを根底から覆すことになるのでは、との議論が巻き起こっている。
クリエイティブツール大手アドビは3月にジェネレーティブ(生成)AI「Firefly(ファイアフライ)」を発表し、「Photoshop(フォトショップ)」などクリエイター向けの製品群に同機能の搭載を進めている。
米ウォール街の専門家の多くが、こうした展開を同社の業績ひいては株価にポジティブな影響を与えるものとして高く評価、絶賛した。
ところが、Insider編集部のインタビュー取材や独自ルートで確認した社内メッセージによると、アドビ従業員たちの反応は、技術発展そのものは肯定的に受け止めつつも、絶賛といった態度とはほど遠いものだった。
同社のあるシニアデザイナーは最近、AI倫理(人間社会への悪影響など倫理的な問題に対処する規範や枠組み)をテーマとする社内のSlackチャンネルに投稿し、Photoshopにテキストプロンプト入力機能が実装されたことで、旧知の広告関連企業がグラフィックデザインチームの規模縮小を計画していると、同僚たちに訴えた。
「これは果たして私たちが望んでいることなのでしょうか」
アドビはジェネレーティブAIをめぐる熾烈な競争の最前線に飛び込んだことで、自らを非常に難しい立場に追い込んだ。
グラフィックデザイナーは同社の主要な顧客であり、彼ら彼女らに強力なツールを提供することでグラフィックデザインひいてはクリエイティブ業界全体の生産性向上に寄与してきた。
しかし、ジェネレーティブAIを組み込んだアドビのツールはあまりに強力になりすぎ、いまや主要な顧客から仕事を奪いかねないところまで来てしまった。
米金融大手ゴールドマン・サックス(Goldman Sachs)の最新の試算によれば、ジェネレーティブAIの進化と普及によって、世界全体でフルタイムの仕事(日本の正社員職に相当)3億人分が失われる可能性があり、うちアート・デザイン業界がその4分の1を占めるという。
アドビの広報担当にコメントを求めたが、返答はなかった。
存亡の危機
アドビの社内Slackチャンネルには他にも、AI革命に対してより批判的な投稿が散見された。
多くのグラフィックデザイナーにとって「気の滅入るようなひどい」状況で、まさしく「存亡の危機」を迎えていると表現する従業員もいた。
別の従業員は、AIアルゴリズムの「奴隷」になったような感覚を抱いているアーティストもいると投稿した。今後はアーティストやデザイナーがゼロからクリエイティブを生み出すのではなく、AIが生成した作品に手を加える、もしくは仕上げをする仕事が中心になってくると想定されるからだ。
もちろん、AI革命をポジティブに評価する向きもある。
Photoshopの登場(1990年2月)によって、アーティストの生産性は劇的に向上したが、生成AIの搭載も同じようにさらなる効率化を進めるにすぎないというわけだ。
また、別の従業員は、たとえ一部の企業ではデザイン部門の人員整理が行われることになるとしても、フリーランスのデザイナーや趣味でアドビ製品を使っている人たちの多くはアウトプットが増えることで利益を得られるのだから、問題ないとの見方を投稿している。
「より高品質で、より軽快な作業を実現するツールを提供するのに、罪悪感を感じる必要はないと思う。倫理的な問題がない限りは」
画像や芸術作品を生成するジェネレーティブAIを開発しているのはアドビだけではない。
対話型AI「ChatGPT(チャットジーピーティー)」開発元のOpenAI(オープンエーアイ)は、自然言語のテキストプロンプトから画像を生成するAI「DALL-E(ダリ)」を提供する。
Midjourney(ミッドジャーニー)、StabilityAI(スタビリティエーアイ)、Runway(ランウェイ)などのスタートアップも同様の画像生成AIを開発し、投資家から多額の資金を調達している。
ただ、そうした群雄割拠の画像生成AI市場においても、年間売上高170億ドル超のアドビは「巨人」と言っていいほどの規模を誇り、圧倒的な影響力を持つ。
そんな同社は「責任」「説明責任(アカウンタビリティ)」「透明性」から成るAI倫理原則をここ数年で構築し、それに基づき製品へのAI搭載を進めているという。
アドビの説明によれば、PhotoshopやIllustratorなど主力製品への搭載が進むジェネレーティブAI機能「Firefly」は、ストックフォトサービス「Stock(ストック)」の画像素材や「オープンライセンス」のコンテンツのほか、著作権による保護対象から外れたパブリックドメインのコンテンツを学習データにしている。
「オープンライセンス」のコンテンツが具体的には何を指すのか、アドビに尋ねたが回答は得られなかった。
ベンチャービート(VentureBeat)の6月20日付記事によれば、Stockに作品を提供しているアーティストの一部からは、アドビが事前通知や同意、適切な対価なしに自分たちの画像をFireflyの学習データに使っていると不満の声が上がっているようだ。
サブスクのライセンス数が減る?
一部の従業員にとってより大きな問題は、AIがアドビ自身のビジネスにもたらす影響だ。
Insiderが独自に入手したあるスクリーンショットによると、6月の社内ミーティングに参加したある従業員が、ジェネレーティブAIはアドビにとって「カニバリゼーション」(ある製品が売れることで他の製品の売り上げが減る共食い状態を指す)の危険があるのではないかと質問している。
ミーティングの内容をよく知る従業員によれば、その場に居合わせた複数の経営幹部はこの質問に回答しなかった。
また、同社が6月15日に開催した決算説明会でも、アナリストから同じような質問が上がった。
米投資銀行ジェフリーズ(Jefferies)のブレント・ティルは、顧客投資家からいま最もよく聞かれる質問は、生成AI機能を搭載することでアドビの提供する「利用可能シート(ライセンス)数」が減少するかどうかだと明かす。
同社の顧客基盤の動向を示す指標として、投資家たちはこのライセンス数に目を光らせている。
アドビは各種クリエイティブツールをサブスクリプション形式で提供しており、月額利用料金1人分に対し1ライセンスを発行する。例えば、グラフィックデザイナーを5人雇用している企業は5ライセンスを購入する形になる。
したがって、企業が何らかの理由で(例えば、生成AI機能の実装により業務に必要とされる最低人員数が減るなど)グラフィックデザイナーのポジションを削減すれば、必要なアドビのライセンス数も減り、それは直接的に同社の収益に影響を及ぼす。
なお、ジェフリーズのティルの質問に対し、アドビ・デジタルメディア事業部門のデイビッド・ワドワーニ最高事業責任者(CBO)は、同社には生産性の向上と雇用の拡大につながる新たなテクノロジーの導入を実現してきた歴史があると回答している。
「画像生成AIはカメラほどイノベーティブではない」
前節で述べたような「カニバリゼーション」仮説に賛同しない従業員もいる。
前出の社内Slackチャンネルでは、一部の従業員たちの間で、最新のジェネレーティブAI技術と、過去に生まれた数々の破壊的イノベーションとの根本的な違いについて、ひとしきりの議論が行われていた。
従業員たちの議論とは、以下のようなものだ。
例えば、(破壊的イノベーションの一例である)カメラの場合、ただ何かの画像を得るだけならともかく、良い写真を撮るためには技術と専門知識が必要だった。しかし、画像生成AIを使うのには特段の技術を必要としない。
そのため、過去に存在したような「継続的な修練と各個人のクリエイティビティがあってこそ得られる職人的な技術や専門知識」が社会から失われてしまう可能性がある。
また、過去に起きた芸術革命は数々の新たな表現手法を生み出し、カメラについて言えば、古い「絵画」とは全く異なる、光を可視的な画像として固定した「写真」を誕生させた。ところが、AIが生成した画像は既存のデジタルイメージを超えず、それどころか直接的に競合する。
「新たな表現手法を開拓したカメラとは異なり、画像生成AIは人間からデータを引き出して、人間と入れ替わるだけなので、それは特にイノベーティブとは言えない」(議論に参加した従業員の一人)
アドビはマイクロソフトと肩を並べた
従業員たちの真剣な議論とは裏腹に、米ウォール街の投資専門家たちは、アドビの将来に特に懸念は抱いていないようだ。
アドビの株価は年初来50%超の上昇を記録(7月27日終値)。時価総額はおよそ2350億ドルで、ベッセマー・ベンチャー・パートナーズ(BVP)のクラウド指数を構成するクラウドソフトウェア銘柄の中でもトップに君臨する(2位はセールスフォース)。
米資産運用大手バーンスタイン(Bernstein)のアナリストは6月の顧客向けレポートで、AI分野で最も際立った動きを見せている銘柄として、OpenAIに巨額の追加出資を決めたマイクロソフト(Microsoft)と並んでアドビの名を挙げ、強気の投資判断とした。
Insiderが7月6日付の記事で報じたように、アドビは従業員に対し、ChatGPTなどの対話型AIツールの使用を禁止してはいないものの、業務用の個人メールアカウントと会社名義のクレジットカードの使用(サインアップの際の登録)は制限している。
また、機械学習のトレーニングに際して業務で保有しているデータを使うことも禁止されているし、アドビ従業員としての情報や財務情報を含む社外秘データを対話型AIに入力するのもご法度だ。
Insider編集部が入手したシンディ・ストッダード最高情報責任者(CIO)からの社内メールによれば、上記のような従業員向けの制限は、全てアドビのジェネレーティブAIの業務利用に関する社内ガイドラインに明示されている。
ただ、社内Slackチャンネルでの議論を見る限り、アドビの従業員たちはそうした社内の現状に満足していない。
AI倫理原則の内容や、AIコンピューティングによる(電力使用量など)環境負荷など、従業員たちはSlackチャンネルで疑問の声を上げている。
AI規制の最新状況に関するタウンホールミーティングの開催を法務部門に求める従業員もいれば、AIの進化や普及に対応する変化のペースが遅すぎて、先行きが全然見えてこないと批判する従業員もいる。
「いま私たちに分かっているのは、そのように何もかもが不確実なままであるがゆえに、みなが不安や懸念を抱いているという事実です。
だからこそ、次に問題としなければならないのは、人々の不安を払拭し安心してもらうために、どうやって透明性を確保し、継続して製品を使ってみよう、期待してみようとか思ってもらえるか、考えることではないでしょうか?」