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今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
日本で600円のコーヒーが、香港に行くと800円……。世界展開しているチェーン店の同一商品でも、その価格は地域によってかなり違うものです。強気の価格設定をするために、企業はどんな条件をクリアする必要があるのでしょうか。
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香港のキャラメルマキアートは日本より高い?
こんにちは、入山章栄です。
今回はBusiness Insider Japan編集部でミレニアル世代代表の野田翔さんが参加できないため、野田さんよりもさらに若い、Z世代の荒幡温子さんに加わってもらいましょう。
BIJ編集部・荒幡
はじめまして、荒幡です。今日は先生に、スターバックスの価格についてぜひお聞きしたいことがあるんです。
ほう、どんなことでしょう。
BIJ編集部・荒幡
5月に香港に行ったときにスターバックスに入ったんです。そうしたらベンティサイズのキャラメルマキアートが800円くらいして驚きました。期間限定の商品だった可能性もありますが、てっきり日本と同じ500円くらいかと思い込んでいたので、値段を聞いて「それならごはんが食べられるじゃん!」と思ってしまいました。
それ以外の物価は日本と同じくらいだったので、もしかしたら香港のスタバでは日本より値段を高く設定していたのかもしれません。そこでお聞きしたいのですが、スタバのようなグローバル企業は、どのようにして商品の販売価格を決めているのですか?
なるほど。僕はいまフィリピンにいるのですが、毎朝スタバのコーヒーを飲むのが日課なんですよね。ちょうどいま手元にあるレシートを見てみましょう。スターバックスラテのベンティサイズが190ペソ……ということは、いま1ペソが2.54円なので、だいたい482円くらい。日本では同じものが税込み580円だから、だいたい同じか、日本のほうがやや高いくらいですね。
荒幡さんが香港で飲んだのはキャラメルマキアートですよね。
BIJ編集部・荒幡
はい。日本のスタバのサイトで確認すると、キャラメルマキアートのベンティサイズは税込620円です。
なるほど。日本では620円で売られているキャラメルマキアートに、香港で800円という値段が付いていたのですね。では、その理由を考えてみましょう。ポイントは3つです。
まず、いちばん大きい可能性は単純に為替レートの違いですね。日本はいま円安ですから、外国に行くと物価が高く感じられるのはよく分かりますよね。
2つめは物価の変動です。日本もいま少しずつインフレになっていますが、総じて海外のほうがインフレが進んでいる。香港もインフレだとすると、原材料の値上げなどに合わせて価格を上げた可能性があります。
そして3つめが、スターバックスが価格差別戦略をとっている可能性です。つまり、国によって価格をきめ細かく調整しているのかもしれない。なぜこの戦略をとるかというと、この連載で何度か登場した、「需要の価格弾力性」という経済学の考え方によるものです。これは価格が変化することで、どのくらいお客さんの数が変化するかという感応度、敏感度のようなものです。価格弾力性は商品やサービスによってずいぶん差があります。
例えばマクドナルドのハンバーガーは、おそらくお客さんの価格弾力性が高い印象です。ほかにも?野家の牛丼なども、価格弾力性は高そうですよね。すなわち、少しの値上げや値下げにお客さんが敏感に反応しそうな商材、ということです。
もし商品の価格弾力性が低いときなら、売り手は値上げをするのが合理的です。なぜなら、価格を上げてもお客さんの反応度は低いので、お客の数はそれほど減らないからです。結果、価格を上げても客数はそれほど減らないなら、トータルの売上金額は増えます。逆に価格弾力性が高いときは、値下げしたほうがいい。金額を下げるとそれ以上にお客の数が増えるので、トータルで売上金額が増えるからです。
さて、では荒幡さんは、スターバックスは価格弾力性が高いと思いますか、低いと思いますか?
BIJ編集部・荒幡
低いと思います。なんとなく「ほかのコーヒー店よりも高くて当たり前」な感じがするので。
そうですよね。僕もそう思います。よく「スターバックスはコーヒーではなく、スターバックス・エクスペリエンスを売っているのだ」といいますが、やっぱり「スタバでお茶している私って素敵」みたいな感じがありますよね。そう考えると、スタバはかなり差別化ができているので、おそらく価格弾力性が低い。
すなわち、値上げをしてもそれほどお客さんが減らず、値上げをした方がむしろ売り上げ金額は増える可能性が高い。値上げがしやすいといえます。
現に、いまから15年くらい前にリーマンショックという世界的不況がありました。不況のときはみんなモノを買わないので値下げをするのが普通ですが、当時スターバックスのトップだった経営者のハワード・シュルツは、リーマンショックのさなかにアメリカのスターバックスの商品の価格を上げたんですよ。
BIJ編集部・荒幡
それで、どうなったんですか?
なんと、業績絶好調になりました。当時のメディアには「不況の中で価格を上げるなんて、シュルツはどうかしてる」「大丈夫か」と批判する意見もあったのですが、蓋を開ければ株価も上昇した。つまりシュルツは、スターバックスの価格弾力性が低いことをよく理解していたのだと思います。
高級なドイツ車もアメリカでは…
さて、ではここで価格差別戦略という考え方を紹介しましょう。これは、例えば同じ商材・商品でも、国・地域や顧客層によって弾力性が違う場合がある。だとしたら、その地域や顧客層ごとに、価格を大胆に変えてしまおう、という戦略のことなのです。
例えば、国によって価格差別戦略をとっているのは、ベンツやフォルクスワーゲンなどのドイツ車です。日本ではドイツ車が高いでしょう。それは日本人のドイツ車へのロイヤリティがとても高く、価格弾力性が低いからです。だから値段が上げやすい。
一方、僕はアメリカに10年いたので分かるのですが、アメリカではドイツ車が相対的に安い。もちろんベンツやアウディは高級車のイメージがあるけれど、でも日本ほど高くない。フォルクスワーゲンはもっと安くて、フォルクスワーゲンの「ポロ」はアメリカでは大衆車です。つまりドイツ車はアメリカでは日本ほどブランド価値をつくれていないので、価格弾力性が高い。だから、日本より確実に安い値段で売っているということです。
こう考えると、スターバックスの日本と香港の違いも価格差別で説明できる部分もあるのかもしれません。もし香港のお客さんのスタバに対する価格弾力性が低ければ、スターバックスは戦略的に価格を引き上げられている。他方、日本のお客の価格弾力性はそこまで低くないので、簡単には値上げできないのかもしれません。
ニューヨークの一風堂はラーメン1杯2500円
BIJ編集部・荒幡
なるほど……ということは逆に考えれば、日本の企業が海外進出するとき、商品にロイヤリティを感じてもらえれば、国内よりも強気の価格設定ができるかもしれませんね。
そうですね。それをしているのが、例えばラーメンの一風堂ではないでしょうか。ニューヨークの一風堂はラーメン1杯で2500円くらいします。日本の一風堂は800~900円だから、おおまかにいえば3倍くらいとっている。それはもちろんニューヨークの土地やさまざまなコストの高さも影響しているだろうけれど、でもそれだけにしては差が大きすぎる。
アメリカでは、日本のラーメンはまだ物珍しいですよね。一風堂はそんななかでうまくブランディングして、「ラーメンはおしゃれに食べるもの」というイメージをつくることに成功している。そうすると2500円の価格をつけても、アメリカ人は食べにくる。これも価格差別戦略です。
BIJ編集部・常盤
もうひとつ、経営環境の違いも価格に影響しませんか? 例えばスタバの近くに猿田彦珈琲があったら、あまり価格を上げると売上が落ちるかもしれません。
もちろんそれも影響します。価格弾力性はその商品の特性もあるけれど、どれくらいライバルがいるかも大きいですね。
日本のマクドナルドの価格弾力性が高い理由の一つは、おそらく潜在的にライバルが大勢いるからです。いつもマクドナルドでお昼を食べている人は、マクドナルドが値上げしたら、?野家に行けばいい。つまりマクドナルドのライバルは、ロッテリアやモスバーガーではなく、?野家やセブンイレブンのお弁当だということですね。
BIJ編集部・常盤
香港の一杯のキャラメルマキアートからこんな話になりました。今年の夏は海外に出られる方も多いと思いますので、国際的なチェーン店の価格を調べてみるのも面白いかもしれません。
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。