デジタル広告の効果を測る指標について不満を感じている企業は少なくない。CPA(顧客獲得単価)で短期的に評価すると、もっとも効果が高いのはリターゲティング広告だ。しかし、リターゲティング広告だけを繰り返すとユーザー離れが起き、中長期的には逆効果になる可能性もある。
この状況に一石を投じるのが、電通グループが開発した中長期の広告効果指標「ナーチャリングスコア」だ。新指標の登場によってデジタル広告はどのように変わるのか。2人のキーパーソンに話を聞いた。
短期的な効果追及への偏重から、中長期の事業貢献へ
現在、デジタル広告の中心の一つとなっているのは、商品を一度購入した人やサイトを訪れた人に向けて広告を再度表示するリターゲティング広告だ。企業がリターゲティング広告を好む理由の一つは、CTR(クリック率)や購入率が他の広告手法に比べて高く、CPAも優れているからである。ただ課題もあると語るのは、電通 データ・テクノロジーセンターの三谷壮平氏だ。
三谷壮平(みたに・そうへい)氏/データ・テクノロジーセンター プラットフォーマーデータ3部 部長。ダイレクト系広告主のROI改善業務に従事した経験から、ブランディングも定量的な「パフォーマンス」で説明できる新手法を、アドテクノロジーの活用によって開発する事例を数多く創出。広告の純増効果を評価するTrue Lift Model®や、事業成果の直接的な最大化運用を実現するX-Stackなどの提唱と普及をリード。
「ユーザーから見ると、同じ商品やサイトの広告が何回も繰り返し表示されます。最初は関心を持っていたユーザーも、何度も表示されると感情的につらくなってしまう。企業側から見ると、繰り返すほど効果が落ちてきてマーケティングROI(マーケティング投資に対する効果効率)が低下していく。多くのマーケティング担当者さまは、リターゲティング広告で既に需要が顕在化した顧客だけにフォーカスするのではなく、中長期的な潜在需要の開拓のためにナーチャリングする(種をまいて育てる)必要性を感じていると思います。なお、中長期と言うと数年スパンの話もありえますが、ここではデジタル広告における従来の短期=7日間程度と比較して中長期、という意味で、半年から1年ほどの期間を想定しています」(三谷氏)
中長期的な効果が見込める広告手法として思い浮かぶ一つが、動画広告だ。ただ、動画広告へのシフトは容易ではない。これまでは動画広告に中長期的な広告効果があるのかが分かりにくかったからだ。電通デジタル プラットフォーム部門 ソリューション戦略部の立原淳貴氏は次のように明かす。
立原淳貴(たちはら・あつき)氏/電通デジタルプラットフォーム部門ソリューション戦略部。電通に入社後、メディア局を経て10年以上営業としてキャリアを積む。その間、ブランド戦略からメディア戦略まで幅広い領域で多数のクライアント企業の事業課題に寄り添う。今後のデータ活用に課題解決の可能性を感じ、データサイエンス領域に転向、昨年から電通デジタルに出向中。営業の経験を活かしつつデータドリブンなクライアント企業の課題解決に従事。
「従来も動画再生数や、商品の検索数や認知率といった指標はありました。ただ、それらの指標は事業成果を直接的に示しているわけではありません。事業成果に直結するCPAで評価すると、動画広告はリターゲティング広告に比べて効果が100分の1以下になる場合もあります。
ただ、それは致し方ない部分があり、それぞれ動画広告とリターゲティング広告と得意領域が違うにもかかわらず、リターゲティング広告が得意とする領域の指標で比較されているからです。動画広告とリターゲティング広告を公平に比較できる指標がなかったため、リターゲティング広告に頼りきりになることに危機感があるマーケティング担当者さまも、社内で『動画広告をやりましょう』と説得しづらかった」(立原氏)
中には、動画広告の可能性や中長期効果への期待という意義から積極的に投資している企業もある。しかし、電通グループの担当者としては忸怩たる思いも感じていたという。
「中長期的視点に立てば動画広告も事業成果に対して重要な役割を担っているということは肌感覚でわかりながら、はっきりと指標で示すことは難しかった。明確な指標がない中、お客さまはそれを現場で感じ取り、動画広告を実施していらっしゃるわけです。ここをきちんと我々としても説明することができれば、と、ずっともどかしかい思いがありました」(立原氏)
半年~1年先の広告効果をリアルタイムに予測して評価
デジタル広告の効果を中長期で的確に示せる指標はつくれないか。そうした思いから、事業成果から自然発生分を差し引いて広告の純粋な効果を評価する「True Lift Model®」という指標を開発し、リターゲティング広告に含まれる自然発生分を差し引く分析にも挑戦した。ただ、それを用いても短期的な効果では依然としてリターゲティング広告の方が効果的、という結論になるケースもあった。
状況が変わったのは、データクリーンルームの活用が始まってからだ。データクリーンルームは、大手プラットフォーム事業者が保有する、ユーザーの許諾取得済みのデータ基盤だ。Cookieが規制される時代になって今後はユーザーの属性情報の取得が難しくなるが、データクリーンルームならユーザーのプライバシーに配慮したうえでマーケティングに活用できる。
「データクリーンルームによってユーザー像の理解に役立つ各種の属性情報データにアクセスできるようになりました。また、分析技術の進歩によって、観測できる情報から観測できない情報を類推する予測モデルも、高精度なモデルを簡易に利用できるようになってきています。データ分析環境と予測モデル、この二つが揃ったことで、中長期の広告効果を予測して評価する新指標の開発プロジェクトがスタートしました」(三谷氏)
開発は電通と電通デジタルの合同チームで進められた。その結果生まれたのが、データクリーンルームにあるユーザーのデモグラフィックデータ、広告の接触履歴、興味関心属性などから、デジタル広告の将来のコンバーション確率を弾き出す「ナーチャリングスコア」だ。この指標を使えば、例えば今日広告を配信したユーザーの向こう半年の申し込み確率をリアルタイムで評価できる。三谷氏は、開発の苦労を次のように明かす。
「もしエラーが発生したとしても自前のデータ基盤ならすぐに調べられます。しかし、データクリーンルームはプラットフォーム事業者のものなので、さまざまな制約があります。
それでも開発できたのは、電通グループが2016年からいち早くデータクリーンルームの活用を始めていたからでしょう。電通グループは複数のデータクリーンルーム環境での分析・運用を一元管理するシステム基盤『TOBIRAS(トビラス)』を構築していますし、いまやデータクリーンルームの認定アナリストは800人以上に達しています。その層の厚さがあるからこそ、クイックな検証ができた。データクリーンルーム活用に早くから携わってきた私にとっては集大成といえる指標です」(三谷氏)
一方、2年前からプロジェクトに参画して、主に顧客とのブリッジを担当してきた立原氏は、本当に使える指標ができるのかどうか半信半疑だったという。確信を持てたのは、あるお客様が実際に広告を評価したスコアを見たときだった。
「短期ではリターゲティング広告の効果は動画広告の100倍以上でした。しかし、中長期では逆転して、動画広告のほうがスコアは高くなりました。これには驚きましたね。お客さまも驚くと同時に、『これまで肌感覚で感じていたことは正しかった。動画広告は、やはり必要』と話されていました」(立原氏)
デジタル広告の常識を塗り替える新指標に
「ナーチャリングスコア」は2023年6月にリリースされた。現時点で評価できるのは半年〜1年後までで、検討期間が比較的長い商品やサービスを扱っている企業――例えば自動車や不動産、金融などに向いている。ただ、「中長期の捉え方はクライアント企業さまによって異なります。今後はもっと幅を持たせていきたい」(立原氏)という。
「ナーチャリングスコア」のメリットは、単に広告効果を中長期的に評価できることだけではない。三谷氏は新指標の可能性について、「デジタル広告にパラダイムシフトを起こせる指標」と期待を語る。
「従来の指標は広告接触者かつ接触後しか評価ができませんでした。一方、大手プラットフォーム事業者のデータクリーンルームによっては、広告接触前のプラットフォーム全体も対象にできます。
大手プラットフォーム全体と言うのは、いわばマーケット全体の縮図。『ナーチャリングスコア』なら、これまで広告に接触していなかった人も含めたマーケット全体を評価でき、『この属性はスコアが高く、かつリーチできていない白地が大きいので、集中的に投資しよう』と意思決定できます。
また、『春キャンペーンでリーチできたこの層の人は、秋キャンペーンでどれだけ見込み度が上がったか』というように、長いスパンで定点観測することも可能。全体図を見ながら中長期のPDCAを回せる画期的な指標だと自負しています」(三谷氏)
現時点でもポテンシャルを秘めた「ナーチャリングスコア」だが、コネクテッドTVなどクリックできない視聴デバイスでの広告効果を、クリックベースではなく動画視聴ベースで評価できる点で特に親和性が高い。今後コネクテッドTVの利用は拡大が予想される中で、コネクテッドTVに適した広告効果評価の新指標として、ラストクリックCPAに代わってスタンダードなものにしていきたいという。最後に立原氏は新指標にかける思いを語った。
「まだ、いきなりこの指標を採用してもらうのは難しいかもしれません。ただ、リターゲティング広告に頼りすぎてしまいCPAに限界を感じたときには、違う角度で評価できる指標があることを思い出してほしい。
そのときにクライアント企業さまに安心して使っていただけるように、引き続き精度や活用手法のブラッシュアップを続けたいと思います」(立原氏)