撮影:今村拓馬
タイムカードや出勤簿、シフト表に在庫や安全確認のチェック表—— 。製造や小売りなどの職場では今も、紙ベースで管理されている業務が少なくない。
「シニアもスマホを持つ時代なのに、工場に入ったとたん『昭和』にタイムスリップしたかのように、紙とペンで単純作業を強いられるのはおかしいんじゃないか」
2016年創業のベンチャー、カミナシCEOの諸岡裕人(39)はこの疑問を出発点に、2020年、業務管理をデジタル化するクラウドサービス(SaaS)「カミナシ」をリリース。サービスは2023年6月時点で、約7000の現場で使われている。
ただ、創業直後は思うように収益を上げられず「資金切れまで10カ月」の窮地に陥ったことも。どのように危機を脱し、年間経常収益(ARR)100億円達成を目指すユニコーン予備軍へと急成長を遂げたのか。
現場で痛感。膨大な紙ベースの作業
諸岡(写真左)は父の会社の現場で4年間働いた経験がある。
提供:カミナシ
リクルートワークス研究所の推計によると、製造やサービスの現場で働くノンデスクワーカー、いわゆるブルーカラーの人数は、国内に約3068万人。全労働者の半数超に上り、デスクワーカーの1573万人をはるかに上回る。
諸岡はかつて一社員として、父親が経営する会社の現場に入っていた。そこでは従業員が、紙ベースの作業に膨大な時間を費やしていた。
「作業をITツールに代替させることで、ブルーカラーの人々が、よりやりがいのある仕事に取り組めるようにしたい」という思いから会社を立ち上げ、クラウドのソフトウェア「カミナシ」を開発した。
導入企業には、イオングループ系列のアミューズメント施設「イオンファンタジー」や、セブン-イレブン・ジャパンの弁当製造工場といった大手が名を連ねている。
例えば製造機械の確認も、「カミナシ」を使えばタブレットに表示された「破損はないか」「汚れはないか」などの項目に従って画面をタップするだけ。
記載内容はクラウド上に反映され、管理職や監督責任者らにも共有される。紙のように現物を回収し、まとめて保管する必要もないし、破れたり紛失したりする恐れもない。
機械の撮影画像を添付する機能や、チェックの抜け漏れを知らせるアラート機能もある。
「『ブルーカラーはITスキルが低く、デジタル化と相性が悪い』というのは現代のおとぎ話にすぎません。
むしろ紙と違って文字の拡大や翻訳も可能なので、視力の衰えたシニア層や外国人労働者ら、現場の柱となる働き手の利便性を高めているのです」
月100時間の作業を削減。ベテラン勢も「簡単やん」
オイシス公式サイトよりキャプチャ
兵庫県伊丹市の食品メーカー、オイシスは2022年、9つある工場の一つにカミナシを導入した。社長の池野正明は、導入前の職場を次のように語る。
「創業75年と歴史があるだけに良くも悪くも『昭和感』が強く、会議資料や給与明細、現場のチェックなど、業務のほとんどが紙ベースでした。このため、確認作業にもかなりの時間を費やしていました」
例えば品質管理の担当者は毎朝、現場で使うチェックシートを印刷して工場内に設置する。作業終了後にシートを回収してミスがないかを確認し、複数の上長を回って押印をもらっていた。担当者はこうした作業に追われ、本来の現場改善の業務に割く時間を奪われていたという。
過去にもITツールの採用を検討したことはあるが、デジタル化に馴染めない社員から「使いづらい」との意見が出るなどして本格導入に至らず、経営陣にはDXへの「あきらめムード」も広がっていた。
そんな中、デリカ事業部効率改善チームの荒尾和哉は、カミナシに着目した。
「シンプルなUIで誰でもなじみやすく、アラート機能があるので確認作業も8~9割自動化できる。単に紙をタブレットに置き換えるだけでなく、業務の効率化も実現できそうだと考えました」
試験導入では、ベテランからの「こんなん、ようせえへんわ」という反発も覚悟していたが、実際には「簡単やん」と言われ「気抜けするほどスムーズに」(荒尾)、現場に定着した。
この結果、同社は作業時間を月間100時間削減できた。品質管理の担当者も、空いた時間で現場を回り、課題を見つけて改善策を考える時間を取れるようになったという。
若手の心に火がついた
カミナシは、組織風土にも変化をもたらしたと、池野は指摘する。
「製造現場が同じ作業工程を繰り返すのは、品質を安定させるために重要な部分でもあります。しかしそのことが、一度確立された仕組みを変えづらい風土を生み『どうせ会社は変わらない』という若手の意欲低下を招いていました」
しかしデジタルに強い若手社員のチームが、導入の推進役となったことで「それまで縦割りの指示で動いていた若手が、一気にプロジェクトの主役になりました」(荒尾)。
メンバーたちは話し合いを重ねる中で、次第にツールや現場の課題を言語化できるようになった。その結果「この部分をもう少しカスタマイズできないか」「職場の先輩からこんなアドバイスがあったので、改良できないか」といった提案が次々に出るようになった。
メンバーが生き生きと働く様子を見て、別の工場で働く若手からも「自分たちの職場にも導入したい」という声が上がった。カミナシの効果を見て「別の仕事も、ITツールを入れて自動化できないか」という提案も出るなど、新しいことに挑戦する気風も生まれつつある。
「若手の活躍の余地が広がり、積極的な意見が増えて現場が明るくなりました」と池野。オイシスは2023年6月、カミナシと包括的なパートナーシップ契約を結び、全工場・店舗への導入を決めた。
ツールを通じてオイシスのように「働き手と組織を変える」ことこそ、カミナシの最終的なミッションだと、諸岡は強調する。
「単なるデジタル化、業務効率化にとどまらず、ブルーカラーを単純作業から解放することで、働き手が挑戦し成長できる組織風土も作りたいのです」
「他社の人という感覚がなくなるほど」寄り添う
撮影:今村拓馬
近年は、日常生活にもクラウドサービスが浸透し、「現場DX」も以前に比べれば円滑に進むようになった。しかし長年親しんだ紙ベースの仕事を変えるのは、やはり容易ではなく現場の従業員らが反発するケースも多々ある。
カミナシ導入企業の中にも、従業員に紙の使用を禁止し、半ば強制的にツールを使わせることで、ようやく定着に至った職場があるという。
苦労の多い職場のDXに伴走支援し、ツールの活用と定着を促すのが、カミナシのカスタマーサクセス(CS)チームだ。諸岡が「熱量の高さは日本一」と信頼を寄せるCSチームの手厚い支援が、定着率の高さを支えている。売上継続率(NRR)は常に120~130%に達し、2022年の平均チャーンレート(解約率)は0.4%を下回るという。
「紙からデジタルへの移行というドラスティックな変化を成功させるには、導入企業でDXの旗を振る人が、全社員の心に火をつける必要があります。CSチームは僕ですら『どこまで入り込むの?』と思うほど深く、旗振り役にコミットしていきます」
CSのあるメンバーは、導入企業の担当者Aさんの人柄にほれ込み、カミナシ向けの社内資料に「Aさんを勝たせるプロジェクト」というタイトルを付けたほどだという。
オイシスの荒尾も、CSチームについて「想像以上にフォローしてくれた」と評する。
「当社の若手が悩めば一緒に悩み、課題をぶつければすぐ対応してくれて、他社の人という感覚がなくなるほどでした。だからこそ我々も、彼らの熱意に応えなければ、と思えました」
「ブルーカラーの働き方を変える」という諸岡の発想は、前述したように自身が父の会社の後継者として、現場に入った時の経験がベースになっている。次回は生い立ちから「ブルーカラー」を主戦場と考えるようになった経緯をたどる。
(敬称略、第2回に続く)
有馬知子:早稲田大学第一文学部卒業。1998年、一般社団法人共同通信社に入社。広島支局、経済部、特別報道室、生活報道部を経て2017年、フリーランスに。ひきこもり、児童虐待、性犯罪被害、働き方改革、SDGsなどを幅広く取材している。