撮影:今村拓馬
カミナシは2023年3月「まるごと現場DX構想」を打ち出し、人事領域にアプローチする新たなサービス「カミナシEmployee(仮)」を2023年内にリリースする計画を発表した。
CEOの諸岡裕人(39)は「ブルーカラーの世界は、解かれていない課題にあふれたブルーオーシャンだ」と話す。
「すき間バイト」の人も即戦力になれるように
ブルーカラーの現場では、人手不足によりパートタイマーや短期派遣、外国人研修生など多様な従業員が働いている(写真はイメージです)。
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「カミナシEmployee(仮)」開発の背景には、人手不足でブルーカラーの流動性が従来以上に高まり、勤務時間や雇用形態なども多様化している実態がある。
「労働者の入れ替わりが激しくなり、これまでのように長期間働いてくれるアルバイトや、マルチタスクをこなせるベテラン従業員を求めていては、事業が回らなくなります。細切れ勤務、短期雇用のワーカーが増え、その分人事管理も複雑になっています」
例えばコンビニエンスストアなら、店舗ごとではなくエリアごとに店員を管理し、その日その日で異なる店舗に出勤してもらう、といったやり繰りが必要になるかもしれない。
ホテルの室内清掃も、浴室からベッドメイクまですべて1人に任せるのではなく、「シーツをはがす係」「浴槽を洗う係」と作業を細分化し、「すき間時間」に働く単発のアルバイトなども戦力化できる仕組みが求められている。
連載第1回に紹介した食品会社オイシス(兵庫県伊丹市)も、工場にはパートタイマーや短期派遣、外国人研修生などが混在している。労働者によって異なる勤務時間を管理し、短期雇用の人や振り込み口座のない人には、給与を振込でなく現金で支払うなど、きめ細かい対応が必要になっているという。
池野正明社長は「採用や給与、労働時間管理など製造には直接関係のない仕事に、膨大な時間とマンパワーを割かれている。これは製造現場を持つ企業共通の経営課題だと思います」と話した。
「もう1回これで起業してもいいくらい」
「カミナシEmployee(仮)」の狙いは、雇い入れる側の採用担当者と雇われる側のブルーワーカー、双方の負担を軽くすることだ。
業務マニュアルや仕事の引き継ぎ、教育研修などを紙ベースからソフトに落とし込むことで、人事担当者の手間を軽減する。同時に「すき間バイト」の人なども、事前にクラウド上でマニュアルの内容を確認できれば、現場で戸惑わずに即戦力として働ける。
撮影:今村拓馬
「新製品は3年前のカミナシにも匹敵する、もう1回これで起業してもいいくらいの製品と自負しています」
ゆくゆくはEmployeeに加え、業務やシフトの連絡、給与情報の通知などの機能を備えた製品も開発し「ブルーカラーにまつわるすべての業務をカバーする、オールインワンのシステムを提供したい」という。
「ブルーカラーの現場には、本当に簡単なのに、手つかずのまま放置された課題が山積している」と、諸岡は言う。マニュアルの共有にせよ業務連絡や給与通知にせよ、ホワイトカラーの世界では、すでにSlackやZoomなどのツールによってデジタル化され、解決済みとなっている。
しかしブルーカラーの世界では、PCやタブレット、個人のメールアドレスや工場内の通信インフラといった環境整備の遅れなどもあって、対策が後回しにされてきた。
「課題が簡単なだけに、多くの人は解き方がすでに分かっている。勝負は誰がいつ、どのように実行するかです」
実行には人材や資金も必要だが、「なぜこのシステムが必要なのか」を説明する「ストーリー」の力が競合他社との差をつけると、諸岡は考えている。
「われわれは、一般の人の目にはなかなか触れない『工場』という異世界を、何年も駆け回り、そこにある課題を痛切に感じてきました。
オールインワンのサービスが、現場のどんな課題を解決し、組織をどのように変えられるかを語れることが、当社の強みなのです」
起業家はスーパーマンじゃなくていい
慶応大学時代の諸岡。自分が一番とは決して思えなかった経験が、むしろ社長業には生きたという。
提供:カミナシ
起業から7年で、会社を急成長させた諸岡だが「自分はスーパーマンではない」と強調する。
大学3年で、とあるコンサルティング会社のインターンシップに参加した時のこと。ほかの参加者は、学生起業家や世界会議の議長経験者、メジャーデビューしたミュージシャンなどそうそうたるメンバーで「自分がスーパーカーの中に紛れ込んだ、軽自動車みたいな気がしました」。
最初こそリーダーシップを取ろうとしたが、次第にメンバーとの見識の差を痛感するようになる。最後は自分の言葉の軽さに打ちのめされ「自分は思っていたほど、大した人間ではなかった」とメンバーに打ち明け、ボロボロ悔し涙を流した。
「残りの大学生活は、ボランティアをしてみたりフリーペーパーを出してみたりと、落ちた自己肯定感を取り戻すための旅のようなものでした」
新卒入社したリクルートスタッフィングでも、挫折を味わった。同社は当時、新入社員に教育を兼ねて飛び込み営業をさせていたが、同期が次々と営業に出ていく中、諸岡ら数人だけ「君たちはまだ出せない」と研修に残されたのだ。
「その後も営業としては、中の中か中の下ぐらいでした」
しかし起業すると「自分よりも優れた人は、世の中にたくさんいる」と思えることが、強みに転じた。スタートアップの創業者は、一般的に権限移譲が難しいと言われるが、諸岡はメンバーに仕事を任せ、活躍してもらうことにためらいがない。
「インターンの時、弱さをさらけ出す経験をしたことも、会社の資金切れが迫った時にメンバーにすべての情報を開示し、みんなで乗り越えることにつながったと思います」
何が起きても泥臭く続けて
経営者でもある父、勲(写真左)の言葉は諸岡の中に折れない自信を育んだ。
提供:カミナシ
一方で、子どものころから「諦めの悪さ」は人一倍強かった。
「諦めの悪い人は、起業家に向いている。今起業を目指している人にも、何が起きても泥臭く続けていれば、実現は必ず近づくと伝えたい」
ピンチに遭遇するたびに「根拠のない自信」にも助けられてきた。
諸岡の父親で、自身も会社を経営する勲(67)は「経営者が笑顔でいると、組織にヒト・モノ・カネの好循環が生まれる」という、非常にポジティブな考えの持ち主だ。
その上、息子の諸岡は、結婚4年目にようやく授かった長男で「生まれたこと自体が奇跡」(勲)という思いもあり、こう言い聞かせて育てた。
「お前は絶対大丈夫だ。俺とお母さんの子なんだから」
諸岡は、この言葉によって「自分は大丈夫だという思いが刷り込まれた」。挫折し、心が折れかけている瞬間も、心の奥底には常に「いずれなんとかなる」という思いがあった。
「若い世代には、SNSなどで5割増し、10割増しに『盛られた』同世代の姿を見て、意気消沈してしまう人もいるかもしれません。しかし他人と比べたりせずに自分への期待を持ち続け、将来なりたいとイメージする自分に向かって進んでほしいです」
カミナシは、2028~29年にARR(年間経常収益)100億円を達成し、株式を上場させるという目標を掲げている。
「そのためにはこれからも、現在のサービスと同レベルの成功をいくつも積み重ねる必要があります。われわれはまだ『勝ちパターン』を確立していないので、僕も社員と一緒に新たな挑戦を続け、次の扉をこじ開けていくつもりです」
業績がどん底の時期も、人が離れるつらい経験もあったが「経営をつまらないと感じたことは 1回もない」と諸岡。父親の経営の話を、波乱万丈の物語のように聞いていた少年は今、自らが冒険の真っただ中にいる。
(敬称略、完)
有馬知子:早稲田大学第一文学部卒業。1998年、一般社団法人共同通信社に入社。広島支局、経済部、特別報道室、生活報道部を経て2017年、フリーランスに。ひきこもり、児童虐待、性犯罪被害、働き方改革、SDGsなどを幅広く取材している。