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シマオ:皆さん、こんにちは! 「佐藤優のお悩み哲学相談」のお時間がやってまいりました。読者の方にこちらの応募フォームからお寄せいただいたお悩みについて、佐藤優さんに答えていただきます。さっそくお便りを読んでいきましょう。
日本が将来進むべき方向は、北欧型の福祉国家、社会民主主義国家でしょうか?
小泉政権あたりから始まった日本版新自由主義がさまざまな社会のひずみを起こしてきたように思えます。当時は日本がお手本にする国は米国・英国のようなアングロサクソン型国家だったように思えますが、今の米英を見ておりますと、とても日本が見習うべき国家のようには見えません。
それに対して、北欧諸国は、民主主義やメディアの成熟度、ワークライフバランス、幸福度、人権レベルや男女平等等のランキングで常にトップの座を占めています。
このようなランキングが完全に公平かというとそうでもないでしょうが、あらゆる調査でトップクラスというのは、きっと人々を幸福にする何かがあるはずです。
そういうわけで、これから我が国が目指すべき方向性は北欧諸国のような国ではないか?と思うのですが、佐藤さんはどう思われますか?
(さんふじ、40代前半、公務員、男性)
「改良型資本主義」が戦後の高度経済成長を支えた
シマオ:北欧諸国と言えば、世界幸福度ランキングで毎年トップを独占していることがたびたびニュースになりますよね。
税率もべらぼうに高いけど、その分社会福祉は充実しているし、経済もうまく回っているというイメージがあります。
佐藤さん:そうですね。さんふじさんがおっしゃるように北欧は先進的ですし、私も少し前までは北欧型の福祉国家は日本人には親和性が高いのではないかと思っていました。
少なくとも新自由主義的な自己責任論と自由競争の社会は、日本人には合わないと考えていたんです。ただ今となっては、北欧型を日本が取り入れるのは難しいのではないかという考えですね。
シマオ:それはまたどういう理由からでしょうか?
佐藤さん:そもそも戦後の日本経済が強かったのは、製造業を中心に、終身雇用や年功序列を基本にした、いわゆる家族的経営という日本独自の雇用形態があったからだとされています。
一生涯を保証された家族主義的な環境の中で、安心感とともに会社に対する高いロイヤリティとモラルを持つ。それが、生産性の向上や高品質な製品を生む原動力になったと考えられていた訳です。
シマオ:なんだか今の日本社会とは全く別のもののように感じますが……。
佐藤さん:シマオ君が生まれる前の話ですからね。1980年代、バブル前の日本の経済力は大変強く、GDPも米国に次いで世界第2位でした。
そんな日本経済の強さを分析した『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本がベストセラーになったのが1979年です。
シマオ:教科書で読んだことがありますが、それが今回の話とどうつながるのでしょうか?
佐藤さん:戦後の日本社会というのは自由主義経済とはいえちょっと特殊で、本質的にはかなり社会主義的な要素を含んだ「改良型」資本主義社会だったということです。
そのお陰で昭和の後半から平成の頭くらいまでは、一億総中流、かなり平等で暮らしやすい社会になっていたと思います。
シマオ:なるほど。今は二極分化が進んでいて、中流意識を持っている層が激減しているみたいですが……。
佐藤さん:いずれにしてもそういう時代があったので、日本人は高福祉国家である北欧型の社会に親和性があると私は思っていたんです。
日本人は明治から新自由主義的気質に
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佐藤さん:ところが、明治時代までさかのぼって考えると、実は日本人は自助努力を非常に重んじた、自由主義的なマインドが強いんです。
それを詳細に解説しているのが、慶應義塾大学経済学部教授で近代史に詳しい松沢裕作さんの著書『生きづらい明治社会』です。
シマオ:どういった内容なんでしょうか?
佐藤さん:シマオ君も日本史でやったと思いますが、明治時代は江戸時代までの身分社会から、実力があれば誰でも出世できる競争社会へと変化した時代の節目でした。そこでは努力した人間こそが報われると考えられていたのです。
シマオ:薪を背負って本を読み勉強して偉くなった二宮金次郎がもてはやされたのも、明治時代からでしょうか?
佐藤さん:その通りです。まさにそれが歴史学者の安丸良夫さんが指摘した「通俗道徳」です。勤勉、質素・倹約、親孝行といった、いわゆる生活道徳としての「よい行い」をすべしといった考え方ですね。
こういった通俗道徳のもとで、人はそれぞれが努力しなければならない。それによって幸せになれるという考え方が生まれます。
ちょうど時をほぼ同じくして、イギリスでもスマイルズの『自助論』が発行され、日本にも明治の初めに『西国立志編』として紹介されて読まれました。「天は自ら助くるものを助く」という序文はとても有名ですね。
シマオ:でもそれって逆に言えば、「貧困にあえぐのは、努力もせず自分の能力を高めなかった自分のせいだ」とも取れませんか?
佐藤さん:その通りです。これはまさに、自己責任論的な新自由主義の発想に近い。自助努力神話がありますから、働かざるもの食うべからずという気風が強い。生活保護を受ける人たちや引きこもりに対する目線には厳しいものがありますね。
シマオ:確かに……。障害のある方たちに対する殺人事件も記憶に残っています。
佐藤さん:それも根っこにこうした考え方があるからでしょう。いずれにしてもこのマインドと風潮は、国家が高い税金を取る代わりに、国民全員の生活を保障するという北欧型の福祉国家とは相容れない考え方だと思います。
シマオ:なるほど……。
国家や行政に対する信頼が薄い日本の事情
佐藤さん:ですから税率を上げて福祉を充実させるという発想には、なかなか至らないだろうと考えます。実際、いまスウェーデンの消費税は25%ですし、所得税は平均月収を稼ぐ人でも約30%程度と言われています。ちなみに年収1000万円クラスだと60%近くにまでなることもあります。
シマオ:えーっ! それって600万円くらい税金で持っていかれるってことですよね! 何だか一生懸命稼ぐのもバカらしくなりそう……。
佐藤さん:そうでしょう。日本でいきなりスウェーデン並みに増税をしたら、おそらく大バッシングで政権は転覆してしまう。
スウェーデンなどの北欧諸国で、それでも政府が支持されるのは、教育費や医療費はお金が一切かからず、奨学金や子ども手当、失業手当なども充実しているため、生活の心配をすることがないというのが大きいと思います。
シマオ:いいなぁ。高い税金を払っても、本当にそんな安心できる社会ができるなら高福祉国家もいいように感じますが……。
佐藤さん:結局、日本の場合、自助努力が強調されるのと同時に、国家や行政に対する信頼感が低いというのが高福祉国家を目指す上での一番の障害になっていると思います。
シマオ:それは僕も分かります。果たして自分が毎月払っている税金がちゃんと自分たちのために使われているのかはずっと疑問です……。
佐藤さん:シマオ君のように感じている人は多いでしょうね。一時期、年金基金のずさんな運営が批判を浴びましたが、この国の行政に対する国民の不信感は根強いものがあると思います。
ですから、どんなに高福祉国家のメリットを掲げても重税に対する拒否反応が強く、なかなか実現は難しいというのが私の見立てです。
シマオ:そうかぁ。そういう意味で、北欧型は日本人には難しいということだったんですね。
ベーシックサービスの充実こそ目指すべき道
シマオ:それでも、今の二極分化の社会がこのまま進むと、社会不安はますます強くなっていくように思います。
佐藤さん:私もその点に関しては同意です。ただ、北欧型は無理でも、ベーシックサービス(BS)の充実という考え方なら可能性はあると思います。
シマオ:ベーシックサービス? ベーシックインカムという言葉はコロナ対策などでずいぶん聞かれましたが……。
佐藤さん:ベーシックインカム(BI)は、国民全体に一律にお金を支給することを指しますよね。
当初、政府は新型コロナ対策として、収入の少ない世帯に対してお金を支給するということでしたが、その判断と選別に時間がかかることや、支給される人とそうでない人たちとの間に社会的な分断を引き起こす可能性があるということで、一律に支給することにしました。これがBIの考え方です。
シマオ:お金持ちでも、そうでなくとも、すべての世帯に一律にお金を払うという意味でベーシックなんですね。
佐藤さん:はい。それに対してベーシックサービス(BS)というのは、医療や教育、介護や障害者福祉などを、納税することで無償化することを指します。
北欧の高福祉国家はすべてを無償化することを目指しますが、BSはそれらを個別にでも実現していこうという点に違いがあります。
シマオ:なるほど、いきなりすべてのサービスを無償化するとなるとハードルが高いですが、個別に充実させるなら何とかできそうだと。
佐藤さん:はい。ちなみに日本では医療に対する保険制度や介護保険はかなり整備されていますよね。
国民皆保険で一般的な成人であれば医療費の3割負担。たとえどんなに高額の医療を受けたとしても、年収が370万円から770万円の人なら年間100万円も行きません。
シマオ:そう考えると、医療という意味でのBSはほとんど実現していると言えるかもしれませんね。
佐藤さん:ですがシマオ君、日本で暮らすのに一番お金がかかるのはどの分野だと思いますか?
シマオ:! この前の闇バイトの回でも話題になりましたが、断然子どもの教育費ですよね?
佐藤さん:その通りです。小中高大と全て国公立に行ったとしても1人約1000万円。すべて私立なら約3000万円という教育費が親に重くのしかかってくる。
これがすべて無償になったら、国民の働き方やライフスタイルは大きく変わると思いませんか?
シマオ:それは絶対にそうですね! 出生率も変わりそうだし、貯蓄して老後資金として充てて、安心を得ることもできます。
佐藤さん:そうなんです。そして、BSの考え方を提唱する慶應義塾大学の井出英策教授によると、この教育費完全無償化を実現するには、消費税を6%上げれば理論上可能だということです。
シマオ:それだけで教育費がタダになるなら、多くの国民も納得するのではないでしょうか?
佐藤さん:そうかもしれませんね。少なくとも、いきなり高福祉国家になりたいから消費税率を25%にしますと言うより、このように個別のサービスを無償化するのに何%上げさせてくださいと言った方が納得しやすいのは確かでしょう。
その意味でベーシックサービスという考え方は非常に有効だと思いますよ。
シマオ:なるほど。同時に、その資金がちゃんと使われていることを国民に可視化する必要はありそうですね……。
いやはや、まさか道徳観や政府への信頼性の話になるとは思いませんでした! さんふじさん、いかがだったでしょうか? より生きやすい社会を、皆で考え目指していけたらと思います。
「佐藤優のお悩み哲学相談」、そろそろお別れのお時間です。引き続き読者の皆さんからのお悩みを募集していますので、こちらのページからどしどしお寄せください! 私生活のお悩み、仕事のお悩み、何でも構いません。それではまた!