今年5月、久しぶりに訪れた米ハーバード大のキャンパス。ちょうど卒業式のシーズンだった。
撮影:井上陽子
2022年9月にスタートしたこの連載も、今回でちょうど1年になる。この原稿を書いている時点で、私は日本に一時帰国中。デンマークは6月末から学校が夏休みに入るので、子どもたちに日本語を教えるためにも、夏の間はできるだけ長く日本で過ごすようにしている。
というわけで、今回は取材ができないし、この原稿が出る8月は日本が夏休みに入るということで、これまでとは少しトーンを変えた内容にしてみたい。
「幸せは感情ではない」 その3つの構成要素
今年5月に、アメリカに行く機会があった。
もう15年も前のことだが、私はハーバード大学の公共政策大学院(ケネディスクール)に通っていた。大学院では、卒業から5年ごとに同窓会が開かれていて、今年はちょうど、学校で開催される同窓会の年だったためである。
同窓会と言っても、クラスメイトと再会するだけではなく、3日間にわたって教授陣のスピーチやディスカッションも組まれる本格的なもので、今回は、1973年から5年ごとの卒業生が総勢750人以上も集まったらしい。
この3日間のプログラムの締めくくりのスピーチを飾ったのが、アーサー・ブルックス教授だった。ケネディスクールでリーダーシップと幸福に関するラボを主宰している教授で、ハーバード・ビジネススクールでも教鞭をとっている。スピーチは、年齢を重ねた卒業生たちに、不幸な人生の終わりを迎えないためにはどうすればいいか、というメッセージを送るものだった。
同窓会で締めくくりのスピーチをするブルックス教授。
撮影:井上陽子
幸福と言えばこの連載のタイトルでもあるのだが、私は留学時代にも、「幸せ」について教える授業をとったことがある。2008年当時、ハーバード大学の長い歴史の中でも最多の生徒数を集めたと米メディアで話題になっていた心理学の授業だった。
当時授業で教えてもらったことは、今でもよく思い出す。ブルックス教授のスピーチの内容は、あの授業とも重なる内容で、興味深く聞いていた。ただ、15年前と違うのは、聞いている私の側が、大きく変化したことだろう。
当時の私が知っていたのは日本とアメリカだけだったし、独身で仕事一辺倒の生活をしていた。今回、「北欧」というまったく違う視点も加えてブルックス教授の話を聞いていると、そこで語られている大事なポイントを、北欧という社会はかなり実践しやすくしていることに気がついた。毎年発表される国連の幸福度ランキングで、常に北欧諸国が上位に並ぶのも、そういうことなんだろうな、と。
ブルックス教授によれば、幸せとは感情ではなく、Enjoyment(喜び)、Satisfaction(満足)そして、Purpose(意味)という3つの要素の組み合わせである。そして、幸せとは、目的地ではなく「方向性」だ、とも話した。幸せとは人生の方向性である、というのは、15年前の授業でも聞いていてなるほどと思ったことだった。
ただ、この「満足」というのが厄介な代物である。幸福とは往々にして、前進している感覚から得られるためだ。前進の感覚というのは、一生懸命勉強して入試に合格したとか、給料が上がった、スポーツの記録が伸びた、といったこと。ハーバードに来るような達成動機の高い人たちは、こうした「前進」を続けるパワーが強い人、とも言えるかもしれない。
ところが、達成動機の高い人は、年齢を重ねるにつれて、自分自身の期待に沿うような生き方を続けるのが難しくなってくる。そこで教授は「幸せを感じるために、常に前進が必要というのは大きな問題だ。人間の変化というものを理解する必要がある」と話した。
教授の説明によれば、20代、30代のうちは、仕事の能力はどんどん上がる。これは「流動性知能」に分類される能力で、さまざまな職業の能力のピークを調べると、39歳という奇妙な一致を示すそうだ。
ノーベル賞受賞者たちが、受賞の中核となる発見をした平均年齢は39歳。外科医や弁護士、航空管制官が、最も正確で腕がいいのも39歳。40代半ばから“中年の危機”に陥るのはもっともなことで、外から見るとそれほど変わらないように見えても、自分には能力の衰えが分かるものである。
ところがこの後、「結晶性知能」と呼ばれる2番目の能力がついてくる。早く問題を解くことはできなくなるかもしれないけれど、結晶性知能を磨けば、どの問題を解けばいいのかが分かってくる。パターン認識が向上し、難しい概念を説明するのがうまくなる。だから、流動性知能ではなく、結晶性知能を生かす仕事に目を向ければいい、というのが、教授のアドバイスだった。
「30歳で起業するなら、60歳ではベンチャーキャピタリストになればいい。35歳でアカデミックな研究をするなら、65歳にはコラムニストになればいい」ということである。
緑が鮮やかな大学のキャンパスの中庭。くつろぐ学生たちにまじって、多くの観光客の姿も見える。
撮影:井上陽子
うまく「減らす」技術
また、ブルックス教授は、人生の後半に幸せになる人たちというのは、より多くを求めるのではなく、減らすのがうまい人たちだ、とも話した。非常に成功しているお金持ちが、何が欲しいのか分からないと言ったりするが、彼らに必要なのは加えることではなくて、減らしていくことである。満足とは、持っているものを欲しいもので割ったものとも言えるわけで、欲しいものを減らすことは、満足度を上げることにつながる、と。
そんな話を聞きながら思ったのは、北欧という社会は、もっと上を目指したい、特別になりたい、という欲求をうまくコントロールしている、ということだった。この連載記事でも書いたが、デンマークで暮らしていて思うのは、“成功の基準”がどうもあいまいで、肩書きや学歴、年収によって特別扱いされることが少ない。高収入だと税金で半分以上持っていかれることもあり、そんなに稼いでも意味がない、という冷めた感覚もあるのだろう。
また、日本やアメリカのような競争社会で育つと、学校や職場での評価=自分の評価、と捉えてしまい、より“上”を目指すために、時間の使い方のバランスを崩しがちなところがあるが、これも北欧では違いを感じるところである。仕事は生活の一部だと割り切っていて、家族や友人と過ごす時間や自分の時間を大事にする人が多い。つまり、幸せの3つの要素のうち、「満足」がしやすい社会であるように思えるのだ。
また、3つのうちの「Enjoyment(楽しみ)」については、時間という要素が大きいように感じる。仕事に追われて、さらには子育てにも時間と労力がとられるとなれば、自分のための楽しみの時間なんて後回しになってしまうだろう。一方、こちらの連載記事で書いたように、24時間を「8-8-8」と分ける考え方をしていると、仕事とそれ以外のバランスがとれた時間の過ごし方になりやすい。
デンマーク人の夫を観察していても感心するが、どんなに仕事が忙しかろうが、何か大事な支払いの期限が迫っていようが、「家族と過ごす時間」とか「楽しみのための自分時間」は聖域で、バシッと時間をとっている感じなのである。こちらの回で紹介したデジタル庁局長(夫)と民間企業幹部(妻)の働き方にしても、午後3時半に子どもたちのお迎えに行き、質の高い時間を過ごせているのは、そのための時間は最初にとっておいて、残りの時間で超効率的に仕事をしているからでもある。
子育てなんて、やるべきことが山積みである。子どもというのがこれほど時間と注意力を払う存在であることを、私はまったく知らなかった(そして、これまで黙々と子育てをしてくれていた親たちに深く感謝した)。時間の余裕がなければ、とても子育てを楽しむことなんて無理だろう。私がいま、生活の拠点をデンマークに置いている理由の一つも、日本のペースで仕事をしていたら、子育てを楽しむ余裕が持てる自信がないから、だったりする。
夏休みこそ“根っこのケア”を
最後に、ブルックス教授が話した“根っこのケア”についてお伝えしたい。
教授は、ビジネスで成功した人たちと話すことが多いそうだが、その多くが孤独を告白するのだそうだ。そんなCEOたちは、役に立つ友人(deal friends)には囲まれているかもしれないが、“役に立たない”本当の友達(real friends)を持たず、人生に大きな穴が開いている、と言う。
同窓会という場所だったから、強調したことでもあったのだろう。「多くの不幸な努力家たちは、葉っぱを磨くのに懸命だが、それだと年を重ねるごとに状況は悪くなっていく。人生後半でも幸せな努力家に共通していることは、“根っこ”に注意を払っていること。根っことは、家族、友人、愛する人、クラスメイト、そしてあなたが大切にしている人たちだ。これは、後になって始めることができない。もしもまだやっていないのなら、始めるのは今だ」と締めくくって、大きな拍手を受けていた。
北欧の人たちは、長い休暇をとる。一年間で5週間の年次有給休暇を、しっかりと使い切る。いまだに仕事人間の癖が抜けない私にしてみれば、2カ月に1回のペースで休みがやってくるので、なかなか仕事が進まず困ってしまうほどである。でもそれは、幸福という観点からすると、もっともな時間の使い方なのかもしれない。家族や友人たちとたっぷり時間を過ごすことは、根っこに水やりをしていることだから。
3歳の息子は一時帰国の間、日本の幼稚園に通わせてもらえることに。貴重な思い出となった。
撮影:井上陽子
日本に一時帰国すると、まず私は、この丁寧なサービスと商品のバラエティ、デンマークと比較した価格の安さに、嬉々とした時間を過ごす。そうやって消費者として過ごす日本は天国だけれど、しばらくすると、この素晴らしいサービスを支える人たちのことを考えて、複雑な思いになってしまう。
旅館に折り鶴が置いてあれば、そのおもてなし精神に感動してもらえるかもしれないが、鶴を折るというプラスアルファの作業をしている横で「ねえねえ、お母さん」と話しかけてきた自分の子どもには「今、仕事してるんだから! 一人で遊びなさい!」と怒鳴りつけたりしていないだろうか。自分が知らない他人様にはとても気を使う一方で、自分の大切な人たちとの時間を犠牲にしてはいないだろうか。
5月のスピーチを聞いてから、私は、自分にとっての“根っこ”とは誰だろうと考えるようになった。そして、多忙を理由に会わずじまいだった友人に連絡して、会う約束をしたり、気にかけている人にメールを書いたりしている。家族、大事な友人、大事な仕事のパートナーとは優先的に時間を過ごし、顔の見えない人のための仕事や作業は、できるだけ減らそうと思っている。繰り返しますが、仕事人間が染みついているので、なかなか難しいんですが。
一時帰国で日本で過ごす間、この連載初回でも紹介したロバート・ウォールディンガー教授らによる研究に基づいた本(『グッド・ライフ——幸せになるのに、遅すぎることはない』)が、書店で山積みになっているのを見かけた。もっと豊かな時間を過ごしたい、と考える人はけっこう多いのだろう。
書店に山積みになっていた『グッド・ライフ』。
撮影:井上陽子
夏休みは、“根っこのケア”にはいい時間である。私の場合、この夏休みは、子どもたちを連れて九州の親戚一同とのんびりと時間を過ごした。子どもたちは、同じくらいの年齢の親戚同士で、プールで遊び、スイカ割りをし、夜遅くまでゲームをし、と楽しい時間を過ごしていた。
親戚たちとのんびり時間を過ごしたのは、私にとって大事な人たちと過ごすだけでなく、子どもたちにも日本にいる親戚とのつながりを感じてもらいたかったから。それが、いつか彼らの“根っこ”になれば、という思いもあってのことだった。
どうぞみなさん、この夏休みは、顔の見える大切な人たちと、いい時間をお過ごしくださいませ。
井上陽子(いのうえ・ようこ):北欧デンマーク在住のジャーナリスト、コミュニケーション・アドバイザー。筑波大学国際関係学類卒、ハーバード大学ケネディ行政大学院修了。読売新聞で国土交通省、環境省などを担当したのち、ワシントン支局特派員。2015年、妊娠を機に首都コペンハーゲンに移住し、現在、デンマーク人の夫と長女、長男の4人暮らし。メディアへの執筆のほか、テレビ出演やイベントでの講演、デンマーク企業のサポートなども行っている。Twitterは @yokoinoue2019 。noteでも発信している(@yokodk)。