三菱自が2019年の上海モーターショーに出展したプラグインハイブリッドのコンセプトカー。翌年以降、中国での販売台数が急減した。
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咳が2週間以上止まらず、咳をするたびにあばら骨がズキッと痛むようになった。気管支の病気だろうか。内科と外科どちらに行くべきなのか。インターネットで「咳 止まらない 原因」と一通り調べた後に整形外科に行ったら、咳のしすぎで肋骨が疲労骨折していると分かった。
その数日後、積み上げた数冊の本の一番下に、勤務先の健保組合からもらった大きくて分厚い書籍『家庭の医学』があるのに気づいた。「咳」を調べたら、ネットで調べたこととほぼ同じ情報が載っていた。健康に関する根拠のある情報が網羅されている900ページほどの書籍なのに、いざ健康不安が生じたときに存在を思い出せずネットに向かっていた。
2005年9月、新聞記者をしていた筆者が、自分の行動や思考がいつの間にかネットファーストになっていることを自覚した瞬間だった。ネットメディアという言葉もなく、メディア業界でネットの脅威はまだ認識されていなかった。
だが、その後の紙媒体の凋落は説明の必要がないだろう。
新車販売の3割がEVに置き換わった中国市場
中国の自動車業界で起きているEVシフトと、それに対する日本のメーカーの対応や消費者の反応を見ると、かつて自分が属していたメディア業界で起きたウェブシフトを思い出してしまう。ドメスティックな紙媒体と、日本の基幹産業でありグローバルで戦っている自動車業界を比較するのはおこがましいかもしれないが。
中国はご存じのように、雪崩のようなEVシフトが起きている。今年1~6月に中国で販売された自動車のうち、3割弱が新エネルギー車(EV、PHV、FCV)だった。それでも7割はガソリン車とも言えるし、リセールバリューを考えれば技術や評価が安定しているガソリン車の方が強いなんて話も定期的に出てくる。とはいえ、日本メーカーが想定する以上のスピードでEVへの置き換えが進んでいるのは間違いない。
今年は中国における日本メーカーの「退潮」が相次いで表面化している。
EVに後ろ向きだったトヨタも2022年以降、方針を転換させている。
Reuter
まず1月、本田技研工業(ホンダ)の高級ブランド「アキュラ(Acura)」が中国での生産販売を終了した。北米成功の勢いに乗って同車種は2006年に中国市場に進出したが、低空飛行が続いた。ホンダはテコ入れのため、2016年にアキュラを広州汽車集団との合弁企業である広汽本田で現地生産を始め、車体の現地化やマーケティングにも力を入れた。取り組みが奏功し、2012年に2000台だったアキュラの中国販売は2017年に1万6348台に伸びた。しかし同年をピークに再び減少に転じ、2021年の販売は6554台に落ちた。
春以降は三菱自動車、マツダの不振が何度もニュースをにぎわせている。
三菱自は2012年に広汽集団、三菱商事と広汽三菱を設立し、中国でアウトランダーやASXを生産してきた。2010年台は中国の日系メーカーの中で上位の販売実績を誇り、2017~2019年の販売台数は年間11万~14万台で推移したが2020年以降販売が急減、2023年1~3月の販売台数は前年同期比58%減の3969台まで落ち込んだ。年間生産能力20万台に対し寂しすぎる数字で、広汽三菱は今年3月、長沙工場(湖南省)の新車生産を一時停止した。
三菱自は6月以降に生産を再開するとしていたが、7月中旬、生産再開を断念し従業員に人員整理を通知した。
2000年代に中国で人気が高かったマツダもジリ貧になっている。同社の中国での販売台数は2018年3月期の32万2000台をピークに減少が続き、2022年3月期に17万台、2023年3月期は8万4000台とさらに半減した。マツダは中国市場回復への意欲を持ち続けるが、市場ニーズに合うEVの新車種を当面出せないこともあり、今年7月、2003年に始めた一汽乗用車への生産委託を終了した。
三菱自とマツダは中国で展開する車種が少なく、EVは1車種ずつしかない。三菱自が2022年に発売したEV「エアトレック」は、広州汽車グループ傘下の中国EVメーカーの車種をベースにしており、かつ三菱ブランドであるため価格は上振れしている。そういう点も、「やる気がない」「時代を分かっていない」と現地の消費者を失望させている。
勢力図が短期間で一変する中国
2022年に急成長したBYDは国外への輸出も増やしている。
Reuter
日本市場で、軽自動車を除く自動車メーカーの競争構図は長年変わっていない。トヨタが不動のトップで、日産、ホンダを含めてトップ3。マツダ、三菱自、スバルが第二勢力だ。自動車を保有していない筆者でも、この勢力図は何となく知っている。
一方、中国はこの15年で勢力図が目まぐるしく変化している。日系メーカーのシェアも数年見なければ一変する。
2000年代後半、国内や北米を重視して中国進出が遅れたトヨタは中国で影が薄く、日産とホンダの後塵を拝していた。三菱自やマツダも人気があり、日本市場とはかなり違った競争関係になっていた。
2010年代の10年間はトヨタが猛烈な巻き返しを図り、日本車の中で日産との首位交代が起きた。現在のEVシフトが起きる直前である2018年、中国の自動車市場は28年ぶりに縮小に転じ、翌2019年も2年連続で販売減となった。BYDをはじめ大半のメーカーが苦境に陥り、米系やフランス系も衰退したが、日系メーカーはシェアを伸ばした。
2020年以降、中国では怒涛のEVシフトが起き、これまでの数年の間にもけん引役が徐々に変わっている。最初はテスラ、その後はゼロからEVメーカーを立ち上げた中国スタートアップ数社、2022年はBYDが主役を奪った。
筆者もそういった流れを見てはいるものの、重点的に追っているのは勢いのある中国企業なので、日本の自動車メーカーの中国市場の動向は流れてくる数字やニュースをさらっとチェックする程度だった。
だが、前述のように7月に三菱自とマツダが人員整理、生産委託終了に至り、同月中旬にはトヨタ自動車と中国国有メーカー広州汽車集団との合弁会社「広汽トヨタ」が従業員の約5%にあたる約1000人を削減したことが表面化した。同社の削減対象は派遣従業員で、かなり手厚い補償金付きのため深刻視されていないが、「あのトヨタがリストラ」という字面を見るとインパクトがある。
改めて日本メーカー各社の中国市場の販売台数を調べると、三菱自とマツダは5年前の4~5分の1になっている。日産は2019年から徐々に減少して5年間で3分の2に減った。2019年に日系メーカーはシェアを伸ばしていたが、精査するとトヨタとホンダを除くメーカーは後退基調に突入していた。そしてホンダは2021年から2年連続で、トヨタは2022年に販売がマイナスとなった。
中国の自動車市場が伸びる中、日本車は衰退
2023年1〜7月の中国での販売台数はトヨタが前年同期比4.9%減の103万2100台、日産が25.7%減の41万8016台だった。自動車メーカー自身は中国の不振を重く受け止めている。だが、消費者の多くは中国の不振を過小評価しているように見える。
トヨタ自動車が1日発表した2023年4〜6月期の連結決算(国際会計基準)で営業利益が1兆1209億円と前年同期比94%増えたように、中国での苦戦が別の良い数字に覆われているからだ。
中国市場での日本車の苦戦が報道されても、SNSでは「中国経済が崩壊しているから、車の販売も落ち込んでいる」「他国の合弁会社も厳しい」「上海ロックダウンの影響」「EVブームは一時的」とのコメントが並ぶ。
確かに、日本だけでなく韓国やアメリカ、フランスの中国合弁メーカーの業績も厳しいが、「だから日本が悪くてもいい」という話でもない。中国経済の成長が減速し、不景気色が濃くなっているのは事実だが、中国汽車工業協会がまとめた2023年1〜6月の新車国内販売台数は前年同期比2.4%増だった。一方、同期間の日系ブランドのシェアは14.9%で1年前の20%から急落し、国別で見ると落ち込みが最も大きい。
「多くの産業が脱中国を進めているのだから、中国で売れなければ撤退すればいい」という声もある。だが中国を捨てたら、その穴埋めを別の地域でしなければならない。日本メーカーの中国での苦戦の理由は、EVシフトと中国メーカーの台頭だ。その影響が海外に広がる可能性もある。
「旧枠組みの勝者」に見えない世界
紙媒体が経験したゲームチェンジに話を戻そう。筆者が『家庭の医学』に目もくれずネット検索をした日から2~3年経つと、広告収入の前年割れが続くようになった。ネット広告の急成長が始まったのだ。スマートフォンの普及と前後して、販売部数も目に見えて減り始めた。
ところが同じ時期にリーマンショックが発生し、企業が広告宣伝費を絞る動きが起きたため、紙媒体の広告減の原因も「リーマンショックの影響」と説明される期間がしばらく続いた。もちろん日本の景気が回復に転じても、部数と広告収入の減少が止まることはなかった。
新聞社の経営陣は「紙には(ネットの無料コンテンツでは読めない)良質な情報がある」と主張したが、「見たいものがいつでも見られる」ネットに流れる消費者を説得することは難しかった。その光景は、さまざまなファクトを挙げて、ガソリン車の良さを訴えたトヨタの前社長の姿と重なる。
「旧枠組みの勝者」はゲームチェンジに対応するのが遅れる。周囲にいるのがやはり「旧枠組み」の人たちであるため、急に現れたライバルの欠点ばかりが目につき、自分の視界に入っていない消費者の行動変化にはなかなか気づかないからだ。
今でも、「やっぱり紙じゃないとね」と新聞を購読する人は多くいる。ただ、筆者の周囲でそう言ってくれるのはほぼ全員、同世代以上の人たちだ。紙媒体がこれだけガタガタになっても、彼らは相変わらず新聞のシンパでいてくれる。ところが30代以下になると、多くが「紙かネットか」の比較軸すら持たない。
今の自動車市場も近いものを感じる。中国のEVシフトの勢いは、メーカーの勢力図が長らく変わらず、日本車への信頼が極めて高い日本にいると完全に別世界のできごとだ。自動車メーカーの経営陣ですらそうだったのだから、消費者にとってはなおさらだ。EVシフトがオセロのように世界にゲームチェンジを起こしたとしても、日本人は蚊帳の外で、知らない間に日本車メーカーが窮地に追い込まれたり、中国企業の傘下に入っているかもしれない。だとしたら、その芽は数年前から存在しているのである。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。